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5-4

「イ〜リヤ〜、イ〜リヤ〜♪」

 マンガとぬいぐるみが床を埋め尽くすリエイアの部屋のベッドで、一人と一匹は寝ころんでいた。

 本日は家庭訪問ということであり、学校が早めに終わったため、リエイアは今の今までアテナとシエラと一緒に街の店を冷やかしたり買い物したりしていたのだ。

 本日買ったマンガ、「恋する女主人」をカバー裏まで読みつくしたリエイアは、マンガを床に放りなげて子猫のイリヤと戯れているのだ。

 まっ白い毛が陽光にきらきらと輝いている。

 パタン、と小さくドアのしまる音がし、ただ今戻りました、という声がリエイアの耳まで届く。

「グライツ!」

 ぱぁっと瞳を輝かせたリエイアはイリヤを頭に乗せて全速力で階段を駆け降りる。

「おかえり〜! グライツ〜!!」

 全力でタックルするようにグライツに抱きつくと、グライツは二、三歩後ずさるが、決して倒れたりはしない。

 衝撃でイリヤが宙に放られるが、見事に着地している。

「ええ。ただいま、リエイア」

 ふっ、と穏やかな笑みを浮かべ、グライツはリエイアの黒い髪の毛をなでる。

 にゅ〜、という声を発しながらリエイアは満足そうだ。

「テストで良い成績を修めたそうですね。エドガー先生がおっしゃっておられましたよ」

 床に放られたイリヤに手を向けると、イリヤは器用にもグライツの手に乗り、そのままグライツの頭の上まで駆け上がった。

 逆立っている髪を押さえつけて満足そうである。

「ん! そうそう! いつものグライツの練習のおかげで無詠唱冷気展開! 無愛想なエドガー先生がほめちゃってさぁ!」

 ぱっとグライツを解放し、リエイアは一気にそうまくしたてる。

 身振り手振りを交えながらリエイアはその様子を再現している。

「っふふ、元気ですね」

「あったりまえよ! こんなに良い天気の日にグライツみたいに腐ってるのはそうそういないって!」

 むふふん、とリエイアが腰に手を当て、ない胸を張る。

「どうもこういう日は苦手で。暑いですから」

「そりゃあ真っ黒だもんグライツ」

 はは、とグライツが苦笑いを浮かべる。

 グライツの服装は一年中これである。

 黒い装束の下に白いワイシャツ、これだけは何があっても変わらないのだ。

「まあ、何かしら考えましょうか」

「いや、脱げばいいんじゃない?」

 的確な突っ込みがリエイアの口から飛び出す。

「そうしましょうか」

 そういうとグライツは胸元のリボンをはずし、装束を脱ぎ始めた。

「わわわっ! ここで脱ぐなぁぁぁぁ!!」

 リエイアの絶叫が玄関に響いた。


――――


 数分後、ジーンズにTシャツというラフな格好のグライツが食堂で何やら調理をしていた。

 グライツには中間の服装というものがないらしく、装束かこれか、ということらしい。

 グライツが作っているのはホットケーキ、リエイアに食べたいとせがまれたものである。

 時計の短い針が三を指し、長い針は六を指している。

 慣れた手つきでフライパンの上で焼き色がついたものを皿に移し、ボウルの中のペーストを再びフライパンに流す。

 最後まで流し込み、ふぅ、とグライツは息を吐いた。

 ボウルをシンクに置き、水を張る。

 白く細長い指をタオルで拭う。

 コレットの「あなた本当に男?」というのは確かな疑問である。

 そのあと、なんやかんやで無事にホットケーキは完成した。

 バターと蜂蜜をたっぷりとかけた、歯が溶けるように甘いであろうそれをグライツは向かいの席に置く。

 グライツの席には、ほどほどのバターと蜂蜜のかかったホットケーキ、それとコーヒーが置かれている。

 準備はまだ終わってはいない。

 グライツはティーポットに茶葉を入れ、ヤカンの中でグラグラと沸騰しているお湯を加える。

 むらしている時間にリエイアを呼べば完璧である。

「リエイア。焼きあがりましたよ」

 階段から上の階、リエイアの部屋に向けて少し大きな声でそう呼び掛ける。

 ん〜、という返事が聞こえたことを確認し、グライツは自らの席へと腰かけ、床に座るイリヤに手を差し伸べた。


――――


 ちょうどそのころ、エテルとコレットは看板のないカフェを訪れていた。

 いつも通り客足はまばらで、人の良い無口なマスターが一人で切り盛りしている店。

 二人のお気に入りである。

 だが、二人の様子はいつもと様子が違う。

 正確にいえば、コレットがふさぎこんでいた。

「姉上、お元気をお出しくださいまし。覆水盆に返らず、古人の言葉ですわよ?」

 エテルが眼を閉じ、鼻腔から紅茶の香りを味わっている。

「なあんかさ……」

 コレットは瞬きもせずに、手を組んでぼうっとしている。

「……コレット・リファール」

 眼を閉じたままエテルが言う。

 ひどくきれいな、虚無感が混じった声。

 例えるならば、ひびの入った水晶の球のようだ。

 虚ろで、今にも壊れそうで、ひどく美しい声。

「あの方は強い方ですわ。現に、今までも無事でおられます。個人の過去は個人が決着をつけるものですの」

 それだけ言うと、エテルは紅茶に口をつけた。

「……なんで、ウォルはあんなに強くなれるの?」

「強くならざるを得なかったから、ですわ」

 紅茶の香りを吐き出しながらエテルが言う。

「……私ね、ウォルの話を聞くまで、神様って本当にいると思ってたの」

 ぽたり、とテーブルに雫がこぼれた。

「でも、違う。本当にいるんなら、人があんな目に合うはずないもの」

 コレットの肩が小刻みに震え、嗚咽が混じる。

 周囲の視線がコレットに注がれる。

 エテルが立ち上がりコレットの耳元に口を寄せた。

「ここは人が多いですわ。後で語らいましょう」

 ひび割れた、水晶玉の声。

「ご主人、ごちそうさまでした」

 エテルが財布から紙幣を一枚取り出し、店主に差し出す。

 店主はそれを受け取り、エテルに釣りを返そうとするがエテルは首を振り、コレットの手を引っ張って急なカフェの階段を下りて行った。

 まばゆい太陽の光が二人と、街路を行きかう人々を照らしている。

 当てもなく、エテルは歩き出した。

「この世に神なんていませんの」

 にっこりと笑みを浮かべて、エテルが言う。

「神がいるのならば、悪なんてないんですもの」

 人ごみの中で手をひっぱりながら、エテルが言う。

 ひどく明るい笑顔であった。

「この世界にいるのは、とてつもなく寛大で、とてつもなく慈悲深い"恐ろしい御稜威の王(rex tremendae)"だけですの」

 壊れそうな笑みを浮かべながらエテルが言う。

「恐ろしい御稜威の王? でもそれって――」

 コレットは泣きやんだようだ。

 顔をあげ、人ごみにまぎれるエテルに尋ねる。

「レクイエムの一節ですわ。悪魔さまが信じておられますし、私も神を信じません。だから、私は恐ろしい王を信じていますの。少なくとも、神を信じるよりは気持ちが安らぎますわ」

 ひらり、とエテルが体を翻し、街のあちこちに伸びている裏路地へと体を侵入させる。

 手をひっぱられたコレットは転がるように裏路地へと入り込んだ。

 表通りとは違う、死臭の漂う空間。

 双子が管轄する場所である。

「いつ嗅いでも同じ、罪の香りですわ」

 くすくすくすっ、と無邪気な笑みをエテルは浮かべ、エテルが言う。

「……前から疑問だったんだけど、なんでこんな場所があるのよ? サーベルト中央市街っていえば、華の都市じゃない」

 表の通りとは違う、細く、入り組んだ、影の世界。

「あら、ご存じありませんでしたの?」

 エテルのガラスのような瞳がコレットをとらえる。

 銀色のガラスである。

「どこにいるかわからない犯罪者を捕まえるよりは、一か所をあえて解放することで犯罪を隠ぺいする。サーベルト機密条例第十六号」

 自らの人差し指を唇にあて、エテルが言う。

「政府がこの場所を作ったってこと!?」

「ええ。犯罪者を表に出すよりはこの場所に集中させよ。政治家の考えそうなことですわね。腐った死体を黄金でコーティングしても腐った死体ですのに」

 的確な比喩であった。

 華々しい都市の裏に隠された、腐りきった空間。

 街中に張り巡らされた、犯罪者の巣。

「まあ、政府の誤算といえば、この場所が悪魔さまと世界さまの御目にとまったということでしょうか。犯罪者の王国が、一瞬にして罰の恐怖によって統治されたといいますわ」

 こつり、とエテルの靴が音を立てる。

「まあ。私達が孤児院に保護されるずっと前の御話ですから、私も詳しいことは判りかねますけれど」

 ふふ、と笑みを浮かべ、エテルが言った。

 とてもきれいな笑みであった。


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