5-2
昼が近いこともあり、カフェの人口が増えてきている。
「さて、俺の昔話をしようか」
喧騒が大きくなったところでグライツが小さくつぶやくと、コレットが首を横に振った。
「さすがの私もこんな場所であなたの過去を聞きたくはないわ。私の部屋で、にしましょう」
あきれたようにコレットが言う。
「あなたって変なところはしっかりしてるけど、変なところで抜けてるのね」
「卿にも言われたよ。まあ、許してくれ」
ふふ、と口元を釣り上げ、穏やかな笑みを浮かべてグライツが言う。
「本当に良い顔になったわね、ウォ……グライツ」
「ああ、ありがとう」
グライツがそう答えた瞬間、ガシャンというガラスの割れる音とともに三人の覆面の人間がカフェに飛び込んできた。
右手に銃を持ち、左手に鞄を持っている。
「うごくんじゃねえ! 全員両手後ろで組んで床に伏せろ!」
野太い男の声が店内に響く。
女性の悲鳴が店内に木霊し、魔法詠唱の文句が響く。
呪文が完成する前に何発かの爆発音が響き、何人かの男が床に倒れていた。
男たちの持っている拳銃から煙が立ち上る。
「カフェ強盗とは初めて聞いたな」
「あいつら無抵抗の人間も撃ったわよ!?」
床に伏せたグライツとコレットが小さくささやく。
「さすがにここで派手に殺ったらバレる。俺が合図するまで無抵抗でいろ。安心しろ。もう誰も傷つけはしない」
グライツの髪が後ろからつかまれ、無理やり立たされる。
右のこめかみに冷たいものが押しつけられる。
同様にコレットもつかまれ、銃を押しあてられている。
もう一人の男は店主を脅して鞄に金を詰めさせていた。
店内の客はいつの間にか二人ずつ指錠で手を固定されている。
「手前らは運がいいな、何しろカップル同士運命共同体だ。幸せだろ?」
これほど異様のことが起こっているのに、通りの客はまるで普通のことであるかのように素通りしている。
どうやらカモフラージュの魔法が掛かっているらしい。
「良いか? この中のだれか一人でも変な真似したらこの若いカップルの頭から桃色のモンが噴き出す。警告はしたぜ?」
グライツが苦虫をかみつぶしたような顔を浮かべる。
グライツの指にもしっかりと指錠が付けられているうえ、頭の砂の鎧は銃弾をふさぐほど堅くはない。
「(怪我人もいる……早急に手を打たなくては)」
「おーい、ロラン、こっち来てくれ」
グライツの横でコレットを押さえている男が、その言葉で横を見ながら銃口を上に向けた瞬間、グライツの瞳があやしく光り、鞭のような踵での蹴りあげが男の股間に突き刺さった。
苦悶の表情で泡を吹きながら男は股間を押さえ、床にうずくまる。
突然のことに対処できなかったのか、二人の男はあわてて銃をグライツに向けた。
「コレット! アクト!!」
「オーケー!」
ベキッという何かが折れる音が響く。
正体はコレットの踏みつけであった。
体重のそれほどない少女とはいえ、魔力を込めて全体重を踵という一点に掛ければ相手の骨をへし折るのは難しいことではない。
しかも、踏みつけた場所は鍛えることのできない足の甲である。
当然男は悲鳴をあげて床に崩れ落ちた。
慣れたようにコレットは男の銃を拾い上げ、こめかみに突きつけている。
残り一人に向けてグライツが突っ込むが、数メートルほど前で無数の銃弾がグライツに放たれる。
しかし、銃弾はグライツの手前で、まるで見えない壁に突き刺さったように停止していた。
ガチン、という金属のかみあう音がして銃撃が止まると、グライツは軽々と男の顔の高さまで飛びあがり、弓のように膝を折り曲げた。
「オートマチックは弾詰まり(ジャム)に気をつけろってなァ!」
そのまま足を思いっきり伸ばし、異常に高いドロップキックと壁とのサンドイッチを男に浴びせてから、グライツはくるりと宙返りをして床に足をつけた。
グライツの体の前では風の盾が銃弾を食い込ませ、威力を殺していたのだ。
「コレット、お前は外に出て警察に連絡だ。ここは俺が片付ける」
「わかったわ」
そう言うとコレットは急ぎ足で店から飛び出した。
――――
「アンタ強いなぁ」
人質となった客の指錠をはずし、強盗三人の指にすべてつけたグライツは緊張の糸をはりながらたわいもない話をしていた。
「運が良かっただけですよ。正直分の悪い賭けでした」
とはいうが、グライツはほぼ間違いのない勝算があった。
裏のことを省みなければ、魔力糸ですべては終わっていたのだ。
だが、そうとは知らない客たちグライツのことを知りたがった。
「おにーさん名前なんていうの?」
若い女性たちは特に放っておくはずはない。
「グライツです。グライツ・アヴァロード。彼女に妬かれてしまいますので、あまり詳しいことは……」
その言葉にカフェに笑いが巻き起こった。
――――
しばらくして警官が到着し、強盗犯は無事に検挙された。
一人の警官がカフェの奥の部屋でグライツの聴取を行っている。
「やれやれ、またお前がらみか? 今度は麻薬取引の現場でも押さえるつもりだったのか?」
顔に薄いしわの入った、無精ひげを生やした警官が尋ねる。
とはいっても、服装はワイシャツにスーツというラフなもので、意外と着崩しが多い。
「いえ、今回は私用ですよ。たまたま。というか、あいつらも運が悪い」
「まったくだ。一人はタマ一個割られるしもう一人は足の甲へし折られる。もう一人は鼻がグシャグシャになってやがる。奴らが塀の外から出たら背中に気をつけろよ?」
その言葉にグライツは力ない笑みを浮かべる。
「そうだ、撃たれた人たちは?」
「ああ? なんともねえよ。病院でしっかり意識がある。彼女といちゃついてる奴もいるってんだからオドロキだわな」
カチカチとライターのスイッチをつけようとしているが、火はつかない。
ガジガジと短い髪の毛を書き、警官はちらりとグライツを見た。
「ちぃッ。なあおい坊主、火ィかしてくれや」
「いい加減その呼び方やめてくださいよ」
グライツが右手のひらを開け、左手で指をはじくと右手のひらに炎が浮かんだ。
「ああ? 俺から見りゃあおめえはいつだって坊主じゃねぇか。っとに、魔術師ってやつは便利だな」
「専門は土ですけどね。熱を魔力に移しているだけです。熱をそのままだと固定できないので燃料である――」
「難しい話はやめてくれや。こちとら警察には体力テストで合格したんだぜ?」
男は立ち上がり、大きく息を吸い込んで部屋から出て行った。
「やれやれ。バルホークさんも大変だな」
男の名は、ジャン・バルホークといった。
孤児院に関係しているが、自らは汚職を一切許さない、正義感の塊のような人間である。
もちろん、彼は孤児院そのものを認めたわけではないが、被害者がもっと救われてもよいと考えている人間なのだ。
「帰るか。すっかりと昼時だがどこかで飯を食わないとな」
やれやれ、とグライツが立ち上がり、大きく伸びをした。
――――
「シーフードドリアとナポリタン、それとアイスコーヒー」
「カルボナーラとアイスティーとチョコレートケーキを」
二件目、今度は落ち着いた雰囲気の飲食店に二人はいた。
店員に注文を取り終わった二人は、ふぅ、と息を吐いた。
「あなた、本当に男?」
「は?」
「いや……なんでもないわ。でもあなた、女装すればそれなりになりそうよね」
頭のてっぺんから視線をおろしながらコレットが言う。
「冗談じゃない。必要性がない」
眼をつむり、息を吐きながらグライツが言う。
なるほどコレットの言うとおり、装束に隠れてはいるが細い体の線と肌の色を持つ男なのだ。
カツラでもつけて少し化粧をすれば十分な女に見えるだろう。
だがいかんせん、それには身長が高すぎた。
間もなく注文の料理が運ばれてくる。
「あなた、食事に気を使ってる方?」
「リエイアにふるまうものは気を使っている。まあ、俺は肉の調理ができないからな、少々面倒なんだ」
ふふ、と笑みを浮かべるが、コレットは素直に笑うことができない。
「さて、冷めないうちに食べて出よう。いつまでも二人で席を占領するわけにはいかんからな」
ドリアをスプーンですくい、グライツが言った。