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翌日、珍しく機嫌の好さそうな笑みを浮かべたグライツが孤児院の事務室にいた。グライツの机は、入り口から向かって左側、手前のミハエルと奥のアルクの机の接するような、一つだけ向きの違う机だ。
ミハエルの隣にはエヴァが、その向かいにはエテルが腰かけている。
「どうなさいました? 兄上」
「任務で頭でも打ちましたか?」
双子が紅茶をすすりながらそう尋ねると、グライツは首を横に振った
「いや、相棒の成長がうれしくてね。ついに魔法を使わなくてはならんかもしれないんだ」
笑みを浮かべたまま、グライツが答える。
「ノロケは誰も食わんぞ、シャンツェ」
興味がない、とでも言うようにエヴァが切り捨てる。
「まあまあ、家族の喜びは我らの喜びじゃないか」
落ち着いた声でミハエルが言う。
グライツはいくつかの嘘を持っており、名前はその一つだ。彼の本名は、ウォルフガング・シャンツェ。「死神」の異名をもつ、孤児院のメンバーである。
孤児院のメンバーはその経歴も、能力も、何もかもが並大抵ではない。エヴァは不老不死の吸血鬼であり、齢五百の大ベテラン。今の孤児院の前身である「第一期孤児院」に所属し、その頃から「悪魔」の異名を持っている、現孤児院のリーダーだ。
ミハエルは、「世界」の名をもつ元軍人。バストーク大陸のさらに南、アネア大陸西側の軍事大国、シェズナ公国の軍隊に所属し、先の魔法戦争で数多の戦場を駆け抜けたエースである。
アルクとエテルは、凄まじい過去を持った双子だ。拷問にも似た虐待に六年もの間晒され、昼とも夜とも分からないような日々を生きぬいたのだ。そんな二人の異名は、「太陽」と「月」。
これが、孤児院のメンバーである。「世界の平和」を理想として掲げ、そのためには自らが罪人になることも辞さない。国家や団体などにはミハエルの軍部時代から続く太いパイプを持っており、その情報力は計り知れないのだ。
そんな孤児院を訪ねる人物は、実に様々である。夫を殺された未亡人や、誘拐犯をどうしても始末したい父親、果ては、国でも重要なポストの官僚だったりもする。
彼らがただの殺し屋と違うのは、自らの正義のために執行するという点だ。身勝手な依頼、たとえば、「アイツムカツクから」、といった理由にはきっぱりとNOと答える。金さえもらえれば何でもする、というようなことは、彼等は行わない。だから、正義の名を盾にし、敵を追い詰めたりはしない。彼らの理念に反するものは、力づくでねじ伏せる、そんな組織である。
「ところで、グライツ君」
ミハエルがグライツに呼び掛ける。
「君に仕事をお願いしたいんだ。忙しいようであれば私がこなすが……」
キィキィと車椅子のフレームが甲高い音を立てる。
「いえ、私が。内容は?」
グライツは自分のデスクの引き出しを開けながら、そう答える。引き出しの中には、鈍い光を放つ無数の棘が一つのプラスチックのケースに収められていた。
「町外れの洞窟に魔物が住み着いたらしい。駆除してくれたまえ」
「一応重武装でいけ、情報が無いからな」
エヴァの声を聞きながら、グライツは棘の詰まったケースをマントの内側にしまった。
――――
一時間後、グライツは例の洞窟を訪れていた。
洞窟内部は細く、暗く、息苦しい。おまけに天井は低く、グライツは背を折るようにして進んでいるのだ。時々頭上から水が滴り、足元には水溜まりができ、ぬかるんでいた。松明で明かりでも灯したいのだが、酸素が無くなりそうなため、グライツ壁に手をつきながら洞窟を進んでゆく。
「(焦げ臭い……? 炎系の魔物か?)」
クンクンと鼻を鳴らし、臭いを識別した瞬間、グライツに向けて目を焼くような閃光と骨を焦がすような熱が放たれた。
「ぐあッ!」
とっさに倒れるように地面に伏せ、なんとか炎を避ける。しかし、まばゆい光のためにグライツ目が眩んでしまった。
「孤児院の死神! 覚悟!」
「悪め! ここで絶やしてやる!!」
前後から多数の気配と声、足音が響く。これが偽の依頼だと気付くのに時間はかからなかった。
しかし、それを気にすることはなく、グライツはチカチカとする目を瞑ったまま壁に手を触れる。次の炎の球が襲ってくるよりも早く、グライツの体が湿った土に包まれた。
炎がグライツを包む土にブチ当たり、粘度をもって土ごとグライツを包み込んだ。だがグライツは意に返さないように背を向けると、炎を纏ったまま全力で来た道を走りだした。
狭い場所で炎と戦うのは得策ではない、まして、挟み撃ちとなれば圧倒的に不利だ。土と炎の鎧を纏ったまま、なんとか眩んだ目をあけて洞窟を走る。
後ろからは罵声、前方からは詠唱が聞こえてきた。ほんの目と鼻の先に、サーベルを持った男がいる。属性を纏わせたせいか、刃が白く輝いている。
「せいッッ!」
「邪魔だ!!」
男がサーベルを振りかぶった瞬間、およそ聞いたことの無いような音と共に顔面を土柱が貫いた。グライツの燃え盛る土の鎧の一部が鋭く尖り、槍のように男を壁に突き刺したのだ。肉が焼ける音と匂いが周囲に充満する。
槍は根元からへし折れ、男は一言も発せぬまま絶命した。
なんとかグライツは洞窟から脱出すると、周囲を見渡した。ただ広い荒野である。
申し訳程度に草が生えているが、まっとうな人間の気配は無い。そんなことを考えているうちに、グライツに向けて、洞窟の内部からさまざまな魔法が打ち出された。炎の球に氷のつぶて、水流に風の流動、ドロも飛んできた。グライツはそれらが当たらないように、洞窟の入り口の真横に移動する。
しばらくすると、何人もの男達が洞窟から出てきた。二十人はいるだろうか、皆平和な顔ではない。
「孤児院の死神よぅ、ここらで死んじゃあもらえねぇか?」
無精ひげを生やした、浅黒い肌の男がグライツに言う。
「残念ながら、まだ俺の正義は成っていない」
グライツが答えると、男たちは口々に罵声を浴びせる。ほとんどの者は、グライツのどこが正義なのか、と言っている。
「犯罪者が全員死ねば世界は平和になる。そうは思わないか?」
グライツが言うと、浅黒い肌の男は顔に血管を浮かべ、グライツに詰め寄った。
「そうかいそうかい、じゃあここは俺らの正義にしたがって手前は駆除させてもらうぜ」
ガッ、とグライツの胸倉を掴んだ瞬間、男の腹を土の槍が突き刺した。グライツと男の、ほんのわずかな隙間から、まるで蔓のように生えた槍である。男は虚ろなまなざしで、糸の切れた人形のように力尽きた。
「ゲイル! クソがァ!」
残りの男達がグライツに向けて殺到する。近距離に五人、遠距離で詠唱をしているのが残りだ。
近距離の五人がグライツに武器を振りかぶった瞬間、何の前触れも無くグライツの周囲からまるで剣山のように、土柱が立ち上った。
男たちは悲鳴を上げるまもなく、剣山に串刺しにされる。それと同時に、グライツは空中に飛び上がった。死体を足場にして、グライツはより高みへと翔ぶ。
魔法使いたちが照準を定めている間に、グライツは剣山に向けて手をかざすと、先ほどの剣山から土の針が放出され、四方八方に飛び散った。
何人かを殺傷したが、まだ男たちの何人かは生き残っている。グライツが飛び散った針に手をかざすと、グライツの両手から淡い緑の糸が放出され、針につながれた。そして、グライツが腕を薙ぐように動かすと、およそありえない動きをしながら針が生き残りに突き刺さった。
魔力糸である。きわめて強靭にして、魔法使い以外には視認すらできない兵器だ。声が聞こえなくなったことを確認し、グライツは安堵の表情を浮かべて鎧を解除した。
その時、グライツの背中に無数の氷柱が突き刺さった。血を吐きながら、グライツが倒れこむ。グライツは一人の男を見つめていた。額に火傷のあとがある男だ。
「立てよ。決着をつけたい」
そんな男の言葉を受けながら、グライツは自らの手で氷柱を引き抜いた。
露出した傷口を砂が覆い、血を止める。
「お前は、俺を殺せる最大のチャンスを無くしたんだぞ?」
静かに、グライツが言う。
「それならまた作るだけだ」
男が笑みをうかべながら言うと、突然、グライツの体に霜が張りついた。
「砕いてやるよ。腕や足が一、二本無くなっても生きていけるだろ?」
リエイアの魔法の上位版といったところだが、グライツは笑みを浮かべている。
「何を笑って……!?」
男が目を押さえた。
「どうかしたか? おい」
グライツの体中から、淡い緑の糸が放出されている。目を凝らさなくては見えないほどの細い魔力の糸である。グライツはそれを男の視神経に直接からませたのだ。
「貴様何を!?」
両目を押さえながら、男が叫ぶ。
「真っ暗だろ? だが、じきに真っ赤になる」
グライツが指を動かすと、男が悲鳴をあげた。うずくまり、とても戦えるとは思えない。
「視神経と目の血管を引き裂いた」
グライツが自らを包む冷気にも負けないほどに冷たい声で言う。男がまたもや小さく悲鳴をあげた。首を両手でおもいっきり締められているような声だ。
「気管」
ぶちぶちと肉が裂ける音が聞こえる。男が倒れこみ、細かく痙攣を起こす。
「頸動脈」
ブチ、という音とともに、まるでぜんまいの切れかけた人形のように、男が徐々に動きを止める。
これが死神、グライツ、いや、シャンツェの戦い方である。
「さて、どう報告をしたものか……」
グライツが背を向け歩きだすと、男がいた地面が割れ、男の死体を飲み込んだ。
――――
グライツが洞窟を訪れていた頃、エヴァの首にナイフが突き刺さっていた。虚ろな眼差しでエヴァは倒れるが、ミハエルと双子は無反応である。同情にも近い眼差しを、襲撃した男に向けていた。
「安心しな。この女みたいに苦しませずにイかせてやるよ」
男はミハエルの喉元にナイフを突き立てる。
「最期に残す言葉は?」
男が問う。
「そうだなぁ……」
男を見つめ、ミハエルが言う。いや、男を見つめてはいなかった。男の後ろの「何か」を見つめているのだ。
「苦しまないように祈ってるよ」
男が疑問符を浮かべると、胸から手が突き出た。胸骨と臓物が傷口から飛び出す。べったりと血に塗れ、赤黒く輝いている。
男の目は驚愕に見開かれ、口から血が零れ落ちた。
「バカな……ぁ……」
「良いナイフ捌きだった。二十年ぶりだな」
右手を突き刺したまま、エヴァが左腕を頭上に掲げた。
「許し――」
「良い夢を」
エヴァは肩に向けて、手刀を振り下ろす。たったそれだけで、男の左肩から右の脇腹までが切り裂かれた。
即死であった。
「また派手にやったものだなぁ……」
「許せミハエル。血がたぎっていた」
「私たちが片付けますか?」
「少々臭いますが――」
双子が立ち上がり、互いに手を握る。
「いや、ミハエルにさせる」
「案の定だな」
ミハエルが苦笑いを浮かべた瞬間、孤児院の床にぽっかりと穴が開き、死体を飲み込んだ。
空間をねじ曲げ、接着する。ミハエルの魔法である。
「さぁて、これから少しばかり楽しめそうだな」
「君は死なないからなぁ」
「まぁ、暇は無くなりそうですね」
「えぇ、充実した日をおくれそうですわ」
四人は笑う。
グライツも帰ってくればきっと笑うだろう。彼らの正義に、近づいているのだから。