Intermission3
ふぅ、とアルクは息を吐いた。
柔らかな緑の草原に靴を踏み出す。
少しだけ足が沈んだが、アルクは笑みを浮かべる。
長く続いた雨も止み、頭上では太陽がさんさんと輝いている。
真っ青な空に、一つだけ真っ白な光が浮かんでいる。
雨季が終わり、彼の好きな季節がもうすぐ訪れる。
太陽の異名を持つ少年、アルク・エルージャ。
その表情はどこか虚ろで、仮面のように作られた笑みのように思える。
笑っているようにも見えるし、泣いているようにも見える。
怒っているようにも見えるし、安らいでいるようにも見える。
アルクは自らの手を軽く広げ、大きく息を吸い込んだ。
肺一杯に樹や花、土の匂いを吸い込む。
ふと横を見ると、小さな雑木林が見える。
何かの予感を感じ、アルクはその場所へと歩いてゆく。
まるで見えない壁で仕切ったように、草原と雑木林にはしっかりとした境界があった。
生え際というのだろうか。
手を伸ばし、境界を超える。
当然、物理的な抵抗など無い。
アルクはすんなりと雑木林へと侵入した。
割と丈の低い樹が生えている。
迷うことは無いだろうが、どこに続いているのかはわからない。
一歩、踏み出す。
ひんやりとした空気が肌を包む。
また一歩、踏み出す。
かさかさという葉の擦れる音が耳に届く。
もう一歩、踏み出す。
雑木林の奥に白く光る花が見えた。
アルクは吸い寄せられるようにその場所へと近づく。
近づくにつれて香りが強くなる。
六枚の白い花びらが光っている。
太陽に照らされているそれの姿は、どことなく神秘的であった。
思わずため息を吐き、アルクはその花に手を伸ばした。
触れない。
また境界がある。
日の光で照らされた境界がある。
手を伸ばしたら焦げてしまいそうなまばゆい光の境界である。
アルクは手を引っ込め、ゆっくりと首を振って背を向けた。
触ったら枯れてしまう。
そんな予感がした。
自嘲的な笑みを浮かべる。
今まで数え切れないほどの命を燃やし尽くしてきたのに、小さな花を殺す事ができない。
抵抗無く人が焼ける匂いを嗅げるのに、この花の匂いを嗅ぐたびに喉が震える。
まだ、人間なのかな?
最後に後ろを振り返り、白い姿を眼に焼き付けるとアルクは歩き出した。
――――
「ただいま戻りました」
扉を開け、アルクが言う。
ミハエルはおらず、エヴァが退屈そうに本を読んでいた。
「ああ、お帰り」
ちらりと視線を上げ、笑みを浮かべる。
慈愛にみちたものだ。
立てばドラゴン座ればヒドラ、歩む姿はベヒーモスとは正反対の姿である。
ちなみに、この言葉はミハエルがエヴァの前で言い放ったものである。
艶のある金色の髪が太陽の光で輝いていた。
「あの、悪魔さま」
遠慮がちにアルクが問う。
「ん? 何だ?」
パタンと本を閉じ、エヴァが答える。
題名は擦り切れて見れない。
「今日、綺麗な花を見たんです。白い花が、ひっそりと咲いてたんです」
アルクが椅子に腰掛ける。
無邪気な笑みを浮かべる。
「へぇ、どんな花だった?」
興味深げにエヴァが問う。
「六枚の白い花びらがあって、とても良い香りを放っていました。ツツジのように低い樹に生えていて――」
嬉しそうにアルクが話す。
「クチナシ、かな」
エヴァが掌を上に向けると、掌から一株の小さな花が生えた。
白い花に、強い芳香。
「えぇ、これです。クチナシっていうんですか」
いとおしげにアルクが見つめる。
エヴァはもう片方の手から小さな植木鉢を作り出し、クチナシの株をその中に植えた。
「プレゼントだ。大事に育ててくれ」
にっこりと微笑み、エヴァが言う。
強力無比な吸血鬼にとっては、この程度は造作も無い。
「あぁ、ありがとうございます。大切にします」
植木鉢を胸に抱き、アルクが頭を下げた。
――――
タオルで髪をぬぐいながら、ブラウスとスカート姿のエテルが部屋へと入る。
匂いが部屋に流れ込む。
アルクとエテルの匂いが混じる。
血と硝煙、炎と鉄の匂いが混じりあう。
その匂いの違和感にエテルは気づいた。
「あら、兄さま、どうしましたの、このお花」
ベッドと机、それに椅子だけの殺風景な部屋にわずかな彩が生まれている。
双子の間のつながりの間にある、ほんの少しの彩り。
「悪魔さまにいただいたんです。クチナシの花ですって」
その名前に、エテルは笑みを浮かべた。
「クチナシの、花?」
「ええ。クチナシの花」
二人は指を絡ませ会う。
「「死人に口無しの花」」
くつくつという笑いが響く。
二人は互いに唇を交えた。
互いに細い指で頬を撫でてゆく。
性的なものではなく、何かの儀式のような感じだ。
唾液が銀の橋を掛ける。
熱い吐息が橋を渡る。
「でも、兄さま?」
「なんです? 姉さま?」
互いの瞳には互いが写る。
お互いに虚ろな顔をしている。
同じ顔で、正真正銘、一つの存在から分かれた二つ。
「朽ち無しの花」
エテルがアルクの肩に頬をこすりつける。
「ふふっ。お上手ですね」
アルクがエテルの髪を梳く。
「我らは一度死んだ身ですわ」
「永遠に、朽ちる事など無い」
「「死人に朽ち無し」」
再び二人は唇をむさぼった。
アルクが後ろのベッドに倒れこむと、二人分の体重を受けてスプリングがきしむ。
眼を閉じる事はせず、互いの瞳に写る自分を見つめているようだ。
二人同時に唇を離し、互いの耳元で二言三言をつぶやく。
彼らだけに理解できる、一日の儀式なのだ。
「ねえ、兄さま?」
エテルが立ち上がる。
「なんです? 姉さま?」
アルクが立ち上がる。
「枯らさないように、お世話しましょう?」
「ええ、もちろんです」
顔を見合わせ、二人は微笑んだ。