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3-3

 柄にも無く、グライツはぼうっとしていた。

 先日ミハエルが放電により破壊した事務室の窓はすっかりと修復され、叩き付ける雨は一滴も部屋に入る事は無い。

 それでも激しい雨音が周囲に響き、暗く重い空気に混じって雷鳴がとどろいている。

「すごい音。近くに落ちたのかな」

 コレットが自室の窓を覗きこみながら問いかけるでもなくつぶやく。

 コレットの部屋でグライツはくつろいでいたのだ。

 もともと孤児院にグライツの部屋はあるのだが、普段立ち入る事がないので物置と化しているため、とても使えるものではない。

 事務室ではエヴァとミハエルが最近のニュースやら噂話やらを細かく考察しているし、双子はと言えば部屋で仲良くくつろいでいる。

 となるとグライツはコレットと一緒にいるか、物置としている部屋にいるか、文字通り天井までを埋め尽くすミハエルの蔵書と格闘するかしか道は無いのだ。

 自分の家にいるという道もあるが、一人でいる事をグライツはあまり好まないのだ。

「いえ、雲の中でしょう」

 半ば質問も聞こえていないが、グライツは言う。

 眼の前の小さな机にはジンのラベルの貼られた瓶とライムジュースが一本、それに水滴の流れるグラスが載っている。

 そのコップを見つめながら椅子に座り、一人考え事をしているのだ。

「どうしたの? そんな話し方なんかして」

 コレットが信じられないという顔をしながら尋ねる。

「あ……そうか。ずいぶんと俺は……」

 グライツが頭をくしゃくしゃと掻きながら立ち上がる。

「こういう雨の日は苦手だな。どうも距離が保て無くなる」

 伸びをして天井を見上げながら、グライツが言う。

「距離って?」

 紅茶の湯気を吸い込みながら、コレットが尋ねる。

 コレットはベッドに腰掛けている。

「まだ話していなかったか。俺の孤児院内の役目は表の世界での孤児院の存在の隠蔽およびかく乱。だから必然的に別の人格が必要になってしまう」

 椅子に座り、グラスの中身を一口のみ、グライツが言う。

「エヴァンジェリンさんが言ってた、グライツ・アヴァロードっていう人格?」

「あぁ、そうだ。グライツはいつも礼儀正しい紳士だよ。ウォルフガングが持ってないものを持っている」

 ククッ、と喉を鳴らし、自嘲気味にグライツ、いや、ウォルがいう。

「でも、あなたはウォルフガング・シャンツェでしょう? そんなにコロコロ人格をかられるものなの?」

「あぁ、数年は苦労したよ。ふとしたきっかけでウォルフガングが出てきてしまう。リエイアには気づかれなかったようだがな」

 はぁ、と息を吐きながらウォルが言う。

 どこか低血圧っぽい話し方だ。

「リエイア?」

 コレットは酒の匂いを気にしないようだ。

 単純な疑問だけを述べる。

「リエイア・シューリエー。俺が保護……いや、グライツが保護している人だ。不幸な少女さ」

 酔いが回っているのか、いつもよりもずいぶんと饒舌である。

「太陽みたいに元気で、明るくて。猫みたいに気まぐれ。俺が焦がれるお姫様だ」

 コレットが信じられないというような顔をしている。

「あれ、俺今何て言った?」

 赤い顔で冷や汗を流しながら、ウォルが言う。

「俺が焦がれるお姫様」

 危うく噴出さんばかりの調子でコレットが言う。

 肩が震え、手に持っているカップの紅茶が波を打っている。

「わ……忘れろ、何も聞かなかったことに……」

 グライツの顔が別の意味で赤く染まる。

 もうすぐ二十になるのだが、グライツには恋愛に対する免疫がない。

 異性と手をつないだだけで赤面してしまうウブな男なのだ。

「好きなんだね、その子の事が」

 笑みを浮かべながら、コレットが言う。

 あざける調子など微塵もない、まっすぐな声だった。

「……ああ。俺が……ウォルフガングもグライツも手に入れられなかったものをたやすく手に入れてしまうんだ。あいつは」

 ふっと笑みを浮かべながらウォルがいう。

「どう、正直に言ってみたら?」

 普段とはまるで違った、コレットの声だ。

「馬鹿言え。そうすればどちらかを捨てなければならない。孤児院を取るか、リエイアをとるか。世界を取るか、一人の少女を取るかと言い換えてもいい。何時切れるかもわからない危ない橋を渡っている俺は――」

「両方をとればいいじゃない」

 にっこりと笑みをうかべ、コレットが言う。

「だってそうでしょう? 世界の中にリエイアちゃんも、ミハエルさんも、エヴァンジェリンさんも、アルクも、エテルも、私も、あなたも含まれてるんだもの」

 両手を広げ、コレットが言う。

 表情はだんだんゆがんでいった。

「人殺しだから、なんて、悲しすぎるよ」

 グライツの目が見開かれる。

 先ほどまで赤かった顔はさっと元の色を取り戻してゆく。

「私も、ゲリラ時代はそう思ってたの。今まで殺した人みたいに私も殺されて、そうやって命が循環して行くんだとおもってた。でも、あなたが……ウォルがその環から救い出してくれた。嬉しかったわ」

 だんだんと、コレットの声が冷たさを帯びてくる。

「でも……あなたはまだその環のなかにいるじゃない! なんで! 何で……」

 嗚咽が混じる。

「何で幸せになろうとしないの!? あなたも地獄の淵からもどってきたんでしょう!?」

 ぽたぽたと床にしずくがこぼれる。

「――お前はすごいよ、コレット」

 ふっとウォルの顔が緩む。

「俺が見つけられなかった選択を簡単に見つけてしまう。一生かけてもみつからない答えをたやすく導いてしまう」

 いつもの陰鬱な表情ではなく、晴れ晴れとした"グライツ"の顔があった。

「その顔、リエイアちゃんにも見せて上げなさいよ。いつもの絶望し切った表情と違って、とっても素敵よ」

 涙をぬぐいながら、コレットが言う。

「あぁ、ありがとう。そうだ、良ければ埋め合わせをさせてほしい。昼食を一緒にどうだ?」

 グラスの中身を飲み干し、ウォルが言う。

「今度、ね。あなたが告白を終わって、リエイアちゃんとデートしたら考えるわよ。生まれてから女の子とデートした事あるの?」

「聞いてくれるな。六歳からこの場所にいるんだぞ、俺は」

 笑いながらウォルが言うが、コレットは表情が曇った。

「ねえ、あなた――」

「俺の過去も、そろそろ話そう。一通り片付いたら、すっかり話すよ」

 憑き物が落ちたようにすっきりとした顔で、ウォルが言う。

 周囲が光ると同時に雷鳴がとどろいた。

「きゃっ!?」

 コレットが肩を震わせる。

「近いな」

 ウォルが部屋を出、二言三言ミハエルと会話する。

 まるで先ほどまでの風景が嘘のように、太陽が見える景色が窓に現れた。

「な……?」

「ハイメロート公の空間魔法さ。窓の中で空間を曲げている」

 すっかりグラスの中身を飲み干すと、ウォルは瓶とグラスを持って部屋を出ていった。

 これ以上ない、穏やかな顔であった。


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