2-3
グライツの瞳が驚愕に見開かれる。
「(慣れている!? )」
心の動揺を見せぬように、最小の動きでグライツは風の魔弾をかわす。
一歩下がり、体勢を立て直そうとしたグライツの懐には、既にコレットが入り込んでいた。風の足場を空中に作り、それを踏み台して炸裂させることで、グライツの懐に飛んだのだ。
「な!?」
タックル気味のコレットの膝がグライツの腹に打ちつけられる。
「が……ッ!」
歯を食いしばりグライツは耐えるが、再びコレットの掌がグライツの顔に向けられた。はっとしたようにグライツは腕をあげ、顔を庇おうとする。
「トドメ!」
当然間に合わず、鞭が当たったような音がしてグライツが飛んだ。くるくると縦に回転し、数メートルほど飛んでいった。
グライツの顔にヒビが入っていた。ポロポロとグライツがまとっていた砂の鎧が剥がれ落ちる。グライツは鼻血を流していた。
「久しぶりだなぁ。こんな緊張感」
片方の鼻を押さえ、鼻から血を抜きながらグライツが立ち上がる。プシュッという小気味良い音とともに、床に赤黒い鼻血が放たれた。
「勝っちゃうかもね、私が」
コレットが再びグライツに掌を向けた。瞬間、何の動作も無く、同時に空中からコレットの体中に鉛色の棘が付き立てられた。
「っ……!!」
冷や汗がコレットの頬を伝う。
「双子以来だ。君は強くなる」
グライツが魔力糸で棘を操ったのだ。まだ土の魔法を防御にしか使っていないあたり、余裕であろう。
「どっちかの足腰が立たなくなるまで続けるぞ」
棘を解除し、グライツが言う。ちゃらちゃらと棘が床に落ちる音が響く。
「余裕ね、ウォル」
「全力で行くと、卑怯すぎるからね」
グライツが落ちた棘に糸をつけて装束へとしまう間に、既にコレットは詠唱を始めていた。部屋に魔力が渦巻き、グライツの頭上へと収束する。
「!?」
冷や汗を流しながらグライツが飛びのいた。
「遅いっ!」
まるで上から巨大なハンマーが振り下ろされたように、グライツがたっていた場所がベコンとくぼんだ。
魔力自体を炸裂させる魔法だ。その圧力のために、まるで象に踏まれたかのような跡が付くのである。
「珍しいな……」
冷や汗を流すグライツの顔に笑みが浮かぶ。再びグライツの頭上に魔力が収束し、床が破壊されてゆく。
「どれだけの魔力持っているのだろうな、こいつは」
うかつに飛び込むこともできず、グライツは部屋をぐるぐると回るだけであった。
――――
「おい、地震でも起きてるのか?」
「いや、そんなはずは無いが……」
事務室では、待機の四人が破壊音の理由を考察している。事務室でもそこかしこが揺れているため、ミハエルが空間を隔絶してゆれを軽減しているのだがあまり効果は無いようだ。
「死神が本気を?」
「まさか。あの人に限ってそんなことは――」
直後、いっそう強い揺れが起こると回転扉が粉砕され、コレットが事務室に転がり込んできた。吹き飛んだ鉄の扉がエヴァに襲いかかったが、エヴァは慣れたように扉をはじき、窓の外へと吹き飛ばした。
「が……くっ……!」
まるで見えない糸で体中を縛られているような状態で、動こうとしても動けないでいる。グライツは肩で息をしながら、事務室へと戻った。
「済まないな……さすがに横方向のアレはキツい……」
ぱちんと指を鳴らすと、コレットがけいれんをして抵抗を止めた。糸を頸動脈にからませ、脳への血流を止めたのだ。
「相変わらず甘いな、お前は」
ため息をつきながらエヴァは言う。
「最後はそれなりに本気になりました……いやはや、面白い魔法を使います」
崩れるように自分の席に座ると、エテルが近寄ってきた。
「お怪我は……」
「ああ、頼む。それと、背中の傷跡を消してもらえるか?」
エテルとグライツは本日二回目の休憩室入りとなった。
――――
するするという衣擦れの音がする。
「よろしいですか? 死神……」
二人分の体重を受け、ギシッと休憩室のベッドが軋む。
「あぁ、頼む」
グライツの低い声が答える。エテルの指がゆっくりとグライツに触れた
「うっ……!」
低いうめき声。
「ごめんなさい、痛かったですの?」
優しい声だ。
「いや、大丈夫だ。続けてくれ……そうだ、上手いぞ……くっ!」
「んっ……!」
エテルの背がぴくんと跳ねる。エテルは荒い息で上半身裸のグライツの上に倒れ込んだ。
「ぐぁぁぁっ!?」
グライツは治療中だ。先日の、氷柱で背中を貫かれた傷を消している最中だったのだが、エテルの背中への攻撃で傷口が開きそうなのだ。
悪しき妄想は処罰対象である。
「も……申し訳ありませんわ……」
貧血のように、頭を押さえながらエテルが起き上がり、包帯を手に取る。
「い……、いや、良い。コレットを治療したばかりだからな……一週間後くらいに、また頼む」
グライツがベッドから起き上がり、エテルに背を向ける。背中には皮膚がえぐれた痕が残っている。
なれたように、エテルがグライツに包帯を巻いてゆく。先ほどのせいか、うっすらと血がにじんでいる。
「痛むでしょう?」
「……たいしたことは無いさ」
ぐるぐると、グライツの背中に包帯が巻かれてゆく。
「時々、自分の無力さにイライラしますの」
珍しいエテルの愚痴に、グライツは首だけ後ろを振り返る。
「もっと私が強ければ、血を流させずにすみましたのに」
「いや、あれは俺の油断だ。まったく、最近は弛みすぎた。良い薬になったよ」
包帯を巻き終わると、エテルはテープでしっかりと貼り付けた。
「ねぇ、死神?」
包帯の上からエテルの顔がグライツの背にうずめられる。
「何だ?」
できるだけ優しく、グライツはそう答える。
「私は……生きていていいのでしょうか?」
グライツの瞳が細くなり、危険な色を帯びた。
「エテル!」
「もう既に、人間としても、『女としても破壊された』存在ですわ。そんな私が――」
「やめろ……!」
グライツの声は震えていた。危険な色を帯びていた瞳は哀しみに満ちている。
「やめてくれ……」
懇願するように、グライツは向き直り、エテルの細い肩をきつく抱く。グライツの素肌がエテルの服に触れる。
「お前たちは幸せになる権利、いや、義務がある。何にかえても、お前たちだけは死なせない!」
「たとえ、世界が滅びても?」
「滅びる寸前まで守ってやるとも! 俺が死ぬ寸前まで……いや、俺が死んでも守ってやる!」
死神は泣いていた。過酷な過去と未来を背負った双子は、既に表の世界では生きては行けないのだ。
「ありがとう、兄上……」
エテルの頬に、暖かい一筋の水が伝う。雫はグライツの肩を濡らす。
「兄さまにも、言ってあげてくださいまし。今の台詞」
震えた声でエテルが言う。
「あぁ、言っておくよ。言っておくとも……」
すすり泣きながら、グライツがエテルを開放した。