2-62話:砂塵の彼方からの福音
戦場を支配していたのは、鉄と血が混じり合う混沌とした死の臭いだった。 アリーシャが『シールド・チェイン』で強引に繋ぎ止めている四頭のキマイラ。それらは捕らえられた猛獣のごとく身をよじり、獅子の頭が咆哮を上げ、山羊の頭が不気味に呪詛を吐き、そして毒蛇の尾が鎖の隙間から猛毒の飛沫を撒き散らしている。
「毒さえ気を付ければ、あとは叩き潰すだけなんだろ?」
ネネリが、身の丈ほどもある巨大な魔導ハンマーを肩に担ぎ直し、不敵な笑みを浮かべた。その瞳には、恐怖ではなく、むしろ職人としての「試運転」を楽しむような狂気的な情熱が宿っている。
「ええ、そうです。あとは尻尾です。あの蛇の頭が独立した生き物みたいに噛み付いてきますから、間合いには注意してください!」
レオが『ガンブレードモード』の赤い刃を煌めかせながら応じる。 その武器の勇姿を見たネネリは、迫りくるコボルドの群れを「邪魔だ!」とばかりに裏拳一閃、ハンマーの柄で弾き飛ばしながら声を弾ませた。
「わかった!それにしてもさっきのそのギミック、最高にイカしてたぜ! 作った甲斐があったってもんだ。……にしても、ヒヒイロカネのブレイド、マジでカッコいいな。あたしも今度、一振り自分用に打ってみようかな?」
「ネ、ネネリさん! 今、絶賛戦闘中ですよ!? ちゃんと集中してください!」
呆れたようなレオの叫び。だが、ネネリの剛腕は止まらない。向かってきたゴブリンの脳天を、まるでハエ叩きでもするかのような軽やかさで粉砕し、肉片を飛び散らせながらキマイラへと肉薄していく。
「分かってるって! だがよ、職人が自分の最高傑作が動いてるのを見て興奮しねえわけがないだろ!」
豪快に笑い飛ばす彼女の後方で、大人の姿へと変貌したミレイユが、伸長した長杖を構えながら周囲を警戒していた。 アリーシャの鎖があるとはいえ、キマイラの猛毒は厄介極まりない。迂闊に近づけば、気化した毒を吸うだけで肺が焼かれる。
「……毒さえ、何とか無効化できればいいんですけど」
レオが悔しげに呟いた。その時、ミレイユがレオに渡した素材の事を思い出した。
「レオさん……。あれ? 私があげた素材の中に『コカトリスの瞳』、ありませんでしたっけ?」
「すごくグロテスクで、私個人としてはあまり触りたくないのですが……。でも、それを媒介にすると、石化魔法が使用できますし!」
ミレイユの助言は、まさに絶望の淵に差した光明だった。 レオの頭脳が、錬金術師としての高速演算を開始する。
「――それだ!」
レオは走りながら、魔力を練り、イメージする。無詠唱と言う特権を生かし、わずかな時間も無駄にしない。
一瞬。レオの掌の上で、灰色の鈍い輝きを放つ弾丸が次々と形成されていく。
「全部で十発……『石化弾』、完成!」
即座に『ツイン・レゾナンス』へ装填。レオは地面を滑るように移動し、鎖に繋がれたキマイラの眉間へと狙いを定めた。
「喰らえッ!」
放たれた弾丸が、一体目のキマイラの胸部に着弾する。 パキィィィン! と乾いた音が響いた瞬間、着弾点を起点として、鮮やかな極彩色の毛並みが、一気に生気のない灰色へと染まっていく。
キマイラの咆哮が途絶えた。 石化は凄まじい速度で全身を駆け抜け、猛毒を吐こうとしていた蛇の尾までをも、無機質な岩の塊へと変えていく。
「おっしゃあああ! こうなりゃ、こっちのもんだ!」
チャンスを逃さず、ネネリが地を蹴った。 その跳躍は、重いハンマーを携えているとは思えないほど高く、鋭い。彼女は空中で独楽のように高速回転を始める。
「――『トルネード・スパイク』!!」
渦巻く破壊の嵐が、石化したキマイラへと叩きつけられた。 ガシャアァァァン!! と、石像が砕け散る轟音が戦場に響き渡る。かつて神秘の森で最強を誇ったキマイラが、文字通りバラバラの瓦礫と化して草原にぶちまけられた。
レオは攻撃を休めることなく、残る三体にも石化弾を叩き込み、次々とネネリのハンマーの餌食にしていく。 その合間に、ずっと『シールド・チェイン』を維持し続けていたアリーシャの背中に、最後の一発――『エーテルバレット』を撃ち込んだ。
「はぁ、はぁ……た、助かりました、マスター。あと少しで魔力が底を突くところでした……」
アリーシャの身体に、レオの魔力が染み渡っていく。彼女の顔にようやく赤みが戻ったが、レオたちが一息つく余裕はどこにもなかった。
「……あっちを見てください!」
アリーシャが指差した先。王都の防衛ラインは依然として火の海だった。 魔物の群れは引くどころか、さらに厚みを増し、騎士たちの防波堤をじわじわと削り取っている。空からはグリフォンの残党が執拗に急降下を繰り返し、悲鳴が絶え間なく響く。
「キリがないわね……。これじゃあ、あたしたちの体力が先に尽きそうだ」
ネネリがハンマーの石突で地面を叩き、苛立ちを露わにする。 だがその時、地平線の彼方、王都とは逆の方角から、大地を震わせる轟音が聞こえてきた。
「……馬の蹄の音? それに、この数は……!」
砂煙を上げながら、猛烈な勢いでこちらへ突き進んでくる集団があった。 先頭を駆けるのは、銀色に輝く鎧に身を包んだ精鋭の騎馬隊。その洗練された動きは、疲弊しきった王都の騎士団とは明らかに一線を画している。
そして、その騎馬隊の中央には、重厚な装甲が施された馬車が数台、猛スピードで草原を横切っていた。その馬車には、レオにとって見覚えのある……いや、世界の秩序を守る「高潔な百合」の紋章が刻まれている。
「クレスヴァーデン聖王国の、旗印……救助班か!?」
レオが驚愕に目を見開く中、馬車がレオたちのすぐ傍で、横滑りしながら急停車した。 土煙の中から、馬車の窓が開く。
「ちょっと! あんたたち、これ飲みなさい!」
凛とした、どこか勝気な女の子の声。 同時に、車内から四つの小瓶がレオたちの足元へ正確に放り投げられた。
「……っ、これは!?」
「いいから飲みな! さっさと動かないと、後ろから来る連中に踏みつぶされるよ!」
レオは反射的にその瓶を拾い上げ、仲間たちに配った。 瓶の中には、まるで星を溶かし込んだような、まばゆい琥珀色の液体が揺れている。 レオは言われた通り、その液を勢いよく喉へと流し込んだ。
――。
「……!?」
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