公爵夫人ですが、夫から投石機をプレゼントされました
「君に投石機をプレゼントするよ」
公爵夫人ユイナ・ルフェンは耳を疑った。
最初は“宝石”の聞き間違いかと思った。だが、どうやらそうではないらしい。
夫である公爵アウルス・ルフェンはさっそく妻を庭に案内する。
「これなんだけどね」
そこには木造の投石機が置いてあった。
巨大なスプーンのような発射台があり、これに石を乗せてレバーを引くと、台が跳ね上がり、石が飛ぶ仕組みになっている。
タイヤがついており、移動させることも可能である。
「高かったよ。それこそ宝石がいくつも買えてしまうぐらい」
「……でしょうね」
宝石をいくつも買える投石機より宝石一個の方がよかった、という言葉をどうにか飲み込む。
「どうか大事に使って欲しい」
「ええ、ありがとう」
ユイナはにっこりと笑うが、心の中は「どうしろってのよ。こんなもん」と引きつっていた。
***
最初のうち、ユイナは投石機を放置していた。
貴族夫人としては当然の対応であろう。
しかし、三日ほど経つと、庭に置きっぱなしにされた投石機が気の毒にもなってくる。
(せめて掃除ぐらいしてあげようかしら)
こう思い立ち、使用人に頼ることもせず、投石機を布で拭く。
手入れをするうちに、こんな思いが湧き上がる。
(せっかくだから一度ぐらい使ってみよう)
しかし、石を飛ばすのは流石に危ないということで、丸めた紙を飛ばすことにした。
(ここに紙を置いて、レバーを引くんだったわよね……)
夫から説明された通りに投石機を作動させる。
放物線を描き、紙が飛んだ。
「おっ、結構面白いわね!」
もう一度やってみる。
「へぇ~、レバーを引く強さで飛距離を調整できるのね」
何度もトライする。
「あ~、惜しい! もうちょっとで的に当てられたのに!」
庭に的まで用意して、気づいたら夢中になっていた。
「もう一度やろうっと!」
艶やかな黄褐色の髪をシニヨンにまとめ、ロングドレスのよく似合う美しい貴族夫人であるユイナが投石機を操作する光景はあまりにもミスマッチだったが、不思議とどこかしっくりもきた。
夫アウルスはそれを満足げに見守る。
月日は流れ、いつしかユイナは投石機を使いこなせるようになっていた。
――それも、尋常ではないレベルで。
***
ある日の午前中、ルフェン家のメイドが慌てていた。
「どうしたの?」とユイナ。
「旦那様がランチをお忘れに……」
夫アウルスは王城で国王を補佐する役職にあり、昼食には弁当を持っていくことが多い。
「あら」
「今すぐ届けてきますね!」
「待って、私が届けるわ」
「え?」
「この投石機でね」
ユイナはふっと笑った。
庭に出たユイナは投石機に弁当箱を乗せて、レバーを握る。
目を細めて、意識を集中する。
「風よし、角度よし、距離よし……発射!」
発射台が跳ね上がり、弁当箱は勢いよく上空へ飛んでいった。
メイドはあんぐりと口を開け、その様子を眺めていた。
……
バルド王国王城の執務室で、アウルスはデスクワークをこなしていた。
金髪碧眼、端正な容貌を持つ彼が、臣下としての正装をまとい書類に目を通す姿は、このまま絵画にしてもいいと思えるほど堂に入っている。
そんなアウルスがふと窓を見る。
空から弁当箱が飛んできた。
弁当はそのまま執務室に突入し、アウルスの机の上にふわりと着弾した。
今や投石機マスターとなったユイナならではの絶技といえる。
「ありがとう、ユイナ」
これで昼食を食べ損なうことはない。
アウルスは自宅にいる妻ににっこりと感謝の笑みを浮かべた。
***
昼下がりのことだった。ルフェン家の邸宅近くに人だかりができていた。
急に体調を崩し、動けなくなった男がいるようだ。
今すぐ医者に診せるか病院に連れていくべきだが、通行人の中に医者はなく、病院もかなりの距離がある。
「どうする……?」
「どうするって言われても……」
「このままじゃ死んでしまうわ」
すると――
「私が運びましょう」
ユイナがスカートをなびかせ、颯爽と現れた。
群衆たちは驚く。
「ルフェン家の奥様! 馬車を出して下さるのですか!?」
「見たところ馬車では間に合わないわ。投石機を使います」
「え?」
ユイナは病人を投石機に乗せた。
あまりにも迷わず行動に移すので、誰も止めることができない。見守ってしまう。
「病院はあの方角だったわね……発射!」
とうとう本当に病人を発射してしまった。
病人は空を飛んでいく。
先ほどまでは息も絶え絶えだった彼だが、自分が飛んでいるのを認識すると、自然と顔がほころぶ。
(あれ……? 俺、飛んでる……?)
地上を見下ろし、鳥になった気分になる。
(なんて気持ちがいいんだ……!)
風を感じながら、満面の笑みを浮かべる。
やがて彼は病院の敷地内に足からふわりと着地する。これももちろんユイナのテクニックがあってのこと。
そして、彼の体調はすでに全快していた。
「治った!」
念のため、診察もしてもらったが、全身至って健康だったという。
“空を飛ぶ”という生まれて初めての経験による高揚感が、病魔を吹き飛ばしたのかもしれない。
***
ユイナは宅配業を請け負うようにもなった。
今日はある主婦に依頼をされる。
「この荷物を隣町にいる息子に届けたいのですが、できるでしょうか?」
「ええ、もちろんです」
ちなみに王都から隣町までは馬車でも一時間はかかる距離だが――
「息子さんのご住所は?」
「えぇと、東区画の……」
「荷物の中身は?」
「食器です」
「では、ふわりと送った方がよろしいわね」
荷物を発射する。
その荷物は一寸の狂いもなく、中身を破損することもなく、息子の住居前に届いた。
まもなく息子がそれに気づく。
「お、母さんからの荷物が届いている。だけどいつの間に……?」
***
ユイナは王国存亡の危機にも活躍する。
野心的なある大国が、万を超える軍勢で国境近くまで押し寄せてきたのである。
「国境を突破されれば終わりだ! なんとしても守り切るのだ!」
国境防衛の司令官が、強張った面立ちで命令を下す。
果たして守り切れるか――国境周辺は極限の緊張状態となる。
だが、そんな戦場にユイナは平然と現れる。むろん、投石機を携えて。
「あ、あなたは?」と司令官。
「公爵アウルス・ルフェンが妻、ユイナ・ルフェンと申します。ここは私にお任せ下さい」
あまりに堂々と言うので、司令官も「どうぞ」と応じてしまう。
そして、砂利を次々に投石機に乗せては、凄まじいスピードで発射する。
石の豪雨は、敵軍に容赦なく降り注ぐ。
「いでえっ!」
「ひいいっ!」
「なんだこれ……!?」
ユイナの弾幕に、敵軍は手も足も出ず、まるで近づくことができない。
こんなものかと、ユイナはため息をつく。
「お話にならないわね。せめて兵力を100倍くらいにして出直してらっしゃい」
ユイナが発射した小石が、敵軍の指揮官の頭にコツンと当たる。
これすなわち、「いつでも殺せる」という警告。
「ひっ……! なんだあの化け物は……! 退却しろォォォォォ!!!」
ユイナのこの武勇伝はやがて伝説となる。
その伝説はバルド王国にとって、どんな砦よりも、どんな関所よりも頼もしい、“国を守る防壁”となるのだった。
***
バルド王国に魔王が現れた。
頭部に二本の角を生やし、全身から禍々しい気を発する恐るべき魔族が、ついに人類支配に乗り出した。
「フハハハ……! 人間どもよ、支配してくれるぞ! 手始めにこの国からだ!」
王国軍が果敢に立ち向かうが、軽く蹴散らされてしまう。
「殺しはせんぞ。なにしろこれから“死んだ方がマシ”と思うぐらいこき使ってやるのだからなァ!」
このままでは人類は全て魔族の奴隷にされてしまう。
そんな魔王の前にユイナが投石機をひっさげて現れる。
「こんにちは」
あまりにゆるいユイナの態度に、魔王もやや狼狽する。
「なんだ貴様は?」
「あなたと対決しに来たの。この投石機でね」
魔王は投石機を一瞥すると、牙をむいて笑う。
「投石機だとォ!? そんなものでワシを倒せるものか!」
ユイナはうなずく。
「ええ、そうね。あなたは強そうだし、倒すのは無理そうね。だから……こうするの」
ユイナは一発の石を発射した。
魔王の頭に命中する。
「ぐっ!?」
多少ぐらついたものの、魔王を倒せるほどの一撃ではない。
ところが――
「あれ……? 頭がスーッとして……」
魔王の顔つきがいかめしいものから、爽やかなものになっていく。
「今の気分はどう?」
「なんだかとても晴れやかだ……!」
「でしょう? あなたは多分、ずっと殺すか殺されるかという荒んだ人生を送ってきたんでしょう? その結果、力で他人を支配することが正義と思い込んでしまった……」
「そ、その通りだ!」
「だけど、今の一撃でずいぶん心がほぐれたはず。そういう一撃を与えたからね」
魔王がとうの昔に忘れてしまった、思いやりの心、慈しみの心、それらを鮮明に思い出させる一発であった。
あまりの感激に、魔王は両目から涙を流す。
「ありがとう……。人類支配など、愚かなことだと気づいたよ……!」
「それはよかったわ」
ユイナも顔をほころばせる。
「あ、あのっ、おぬし!」
「ユイナよ」
「ユイナ……いえユイナ様、ワシを使用人にして下さいませんか? ワシは是非あなたに仕えたいのです!」
魔王が頭を下げる。
「うーん……」ユイナは魔王をじろじろと見る。「主人が許可してくれたらいいわ」
「ありがとうございます!」
その後、アウルスがあっさり「いいよ」と許可を出したので、晴れて魔王はルフェン家の使用人となった。
「どんな侵入者もワシがやっつけてみせますから!」
魔王は拳で自分の胸を叩く。
「ふふっ、頼もしいわね」
ユイナは頼りになる警備員が手に入った、と穏やかな笑みをこぼした。
***
王城にて、王家専属の占い師が不吉な予兆を察する。
「おおっ……これは!」
水晶玉を凝視しつつ、占い師は叫ぶ。
「大いなる天の災いで……大地は滅ぶ!」
絶望の形相で、占い師は天を仰いだ。
彼が言うには凶悪な天体――“隕石”がこの大地に迫りつつあるという。
バルド王国はおろか、おそらくは星ごと滅ぶほどの災厄である。
パニックを避けるため、この事実は民衆には伝えられない。
しかし、国王は重臣であるアウルスにはこれを伝えた。
その上で国王直々に、大軍を撃退した実績のあるユイナや王国軍以上の実力を持つ魔王に依頼をする。
「この隕石、どうにかできないものだろうか?」
魔王は申し訳なさそうに首を横に振る。
「ワシも魔法でその隕石を探知しましたが、ワシが破壊できるような代物ではなさそうです……」
迫る隕石は非常に頑丈で、魔王でも破壊は不可能とのこと。
だが、ユイナは余裕の表情である。
「大丈夫です」
「君の投石機で、隕石を破壊するというのかね?」
「いいえ、私が投石機を用意して待っていればそれだけで大丈夫です」
国王はまるで理解ができないが、アウルスは微笑む。
「妻がこう言っているので、大丈夫でしょう」
国王はこの言葉を信じるしかなかった。
結局対策らしい対策は何一つせず、隕石が来るのを待つことになった。
……
宇宙空間に一つの天体があった。
ユイナたちが暮らすバルド王国――いや、星に向かっている隕石である。
この隕石には、“意志”と呼べるものがあった。
もちろん、隕石が生き物なわけでも、脳があるわけでもない。しかし、確かにあるのだ。
さて、彼はどんなことを考えているのか――
ククク、あれだ……俺はあの星を破壊してやる。
全速力で突っ込んで、大気を突っ切って、地面に激突してやる。星の中核まで滅ぼす衝撃になるだろう。
そうすりゃあ、星は木っ端みじんだ。
生きとし生ける者、全部滅ぶ。
ハハハ、ざまぁないな。なんて素晴らしい気分だ。この世に破壊ほど楽しい行為は存在しない。
さあ、もうまもなく到着――
……ん? なんだ?
俺の芯、本能みたいなもんがスピードを出すのを控えろ、と訴える。
速度を緩めろ、と強烈な命令を下す。
いったい何が起きている。
あの星には、俺の主人のような者がいるというのか。バカな、いるわけがない。
だが、なぜだ。
この力には逆らえない――!
……
空から隕石が落ちてきた。
だが、やけにゆっくりである。
まるで、たんぽぽの綿毛のような。いや、それよりも遅い。
まもなく隕石は、投石機近くに着地した。鈍い銀色の、直径3メートルほどの岩石であった。
様子を見ていた国王や魔王は唖然とする。
なぜこうなったのか、ユイナは得意げな顔で種明かしをする。
「大地を破壊するほどの隕石だろうと石は石、私の前では服従するのみよ」
「さすがワシが認めるほどのお方……」
魔王はどこか誇らしげに笑む。
「じゃあ、この子、宇宙に送り返しましょうか。投石機でね」
ユイナは隕石を撫でる。
「いい? もう悪さしちゃダメよ」
うん、という子供のような返事が聞こえたような気がした。
もう彼の中に破壊衝動はない。
ユイナという主人に撫でられたことで、それは浄化されてしまった。
星をも破壊する隕石は、投石機によって穏便に宇宙に送り返された。
「元気でね……」
少し寂しそうに、ユイナはつぶやいた。
アウルスはそんな妻にそっと寄り添い、優しく肩を抱き寄せた。
***
「君に宝石をプレゼントするよ」
アウルスはユイナに宝石を差し出した。
“オーロレインボー”という虹とオーロラを掛け合わせたような輝きを放つ、最高級の宝石である。
これ一つで家が建つほどの代物を、アウルスは自分の蓄えからプレゼントした。
数々の手柄を立てた妻への感謝と、溢れんばかりの妻への愛を、同時に示すための贈り物だった。
「ありがとう……!」
ユイナは喜んで受け取る。
そして、目を輝かせてこう告げる。
「飛ばしていい?」
身も心もうずうずしている。投石機でこの宝石を飛ばしたくて仕方ないようだ。
「もちろんいいとも」
アウルスはその言葉を待っていたかのように微笑む。
妻にとって“石は飛ばすもの”であることを、彼は理解していた。
「ありがとう……。えいっ!」
オーロレインボーは空高く飛んでいき、光となった。
やがて、オーロレインボーはある貧しい人々のいるところに落ち、おかげで彼らは命を救われることになるのだが、これをユイナが狙ってやったかどうかは定かではない。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。