第9話 命の価値
激烈な痛みを味わいながらケビンは地面に倒れた。
視界の端では、人造勇者が魔族を切り刻むところだった。
血飛沫が派手に散って肉片が崩れ落ちている。
魔族の残骸を見下ろすシエンは冷静に分析する。
「ふむ。損傷は激しいが、それなりに情報は抜き取れそうだ」
それからシエンは、思い出したようにケビンを見た。
彼は表情を変えずに告げる。
「治療不可能な傷だ。絶対に助からないよ」
「はっきり……言い、やがって……」
「ん? 優しい嘘で誤魔化してほしかったのかね。それを僕に求めるのは愚行だな」
シエンは鼻を鳴らす。
その態度を目にしたケビンは殴りかかりたかったが、生憎と身体は動きそうになかった。
触手に貫かれた胴体にはぽっかりと穴が開き、破れた内臓が溢れ出している。
屈み込んだシエンがいつもの調子で話す。
「君には教えていなかったが、これまでに何度も魔族の襲撃を受けている。だから対策も万全なのだよ」
シエンが袖をめくって腕輪を見せる。
その腕輪には複雑な術式が何重にも刻まれており、現在も仄かに発光していた。
「外付けの防御術式だ。上級魔族の攻撃でも容易に防げる。自動で展開するから奇襲にも対応可能だね。つまり君が庇ってくれなくても問題なかったわけだ」
「くそ、が…………」
ケビンは深く息を吐いた。
身を挺した結果が無駄な死だと知って脱力した。
間抜けな自分を呪いたくなっていた。
(まあ、俺みたいな奴にはお似合いか……)
ケビンは自虐的な笑みをこぼす。
既に肉体の苦痛は感じられなくなっていた。
そんな彼を見つめるシエンは、静かに語り始める。
「君には何の才能もないと言ったが訂正しよう。君は自他の命の価値を計り、適切に取捨選択する力を持っている。それは非常に貴重な才能だ」
シエンの眼差しが熱を帯びつつあった。
瞬きをせず、渦巻く感情がケビンを絡め取ろうとしている。
(俺に才能? どういうことだ)
ケビンは疑問を抱いたが、もはや口に出す力がなかった。
彼の手を掴んだシエンは語り続ける。
「僕の知識と技術は魔王討伐において重要だ。対する君はただの奴隷であり、互いの価値など比べるまでもないね。しかし、己の生死が関わる場面となれば話は別だ」
ケビンの血がシエンの衣服を汚していた。
そのような些事には構わず、シエンの言葉は紡がれる。
「基本的に人間は死にたくない。自らを犠牲にするという判断は、思い付いても実行できないものだ。これが愛する人間のためなら覚悟も決まるかもしれないが、君はむしろ僕を嫌っているからね。善意や好意を抜きに庇うのは異常なのだよ」
ケビンの意識が途切れかけていた。
聞こえてくる説明を咀嚼する余裕もなく、ただの音として認識していた。
それを察しているはずのシエンだが、まっすぐにケビンの顔を見て語っている。
「僕のことを良く思わず、世界の命運もどうだっていい。そんな君が死にかけているのは、個人の感情や価値観を超越した視点を持つからだ」
「な……に、を…………」
「強者のために弱者が犠牲となる。それを当たり前だと考えて行動した。他の事情なんて関係ない。実に単純明快な理念だ。君の素晴らしき奴隷精神に敬意を表するよ」
ケビンが何度かせき込む。
少量の血が口端から垂れた。
手足は末端が凍り付いたかのように冷たくなり、脳内が闇に覆われようとしている。
瞼がゆっくりと閉じようとしていた。
「ケビン君」
賢者の声がほんの僅かに意識を引き戻す。
なんとか堪えたケビンは、掠れた視界の中にシエンの姿を認めた。
シエンがケビンの肩に手を置く。
温かくてしっかりとして感触だった。
「安心したまえ。君という存在は余すことなく有効活用させてもらうよ。今はゆっくり眠るといい」
いつもの辛辣で軽薄なものとは違う、心なしか穏やかな声音だった。
シエンの人間性を垣間見た後、ケビンは死んだ。