第88話 賢者の発明
「魔王の正体が分からないからこそ、僕は万全の対策を講じなければならない。不測の事態だって当然のように起こり得るだろう」
「万全の対策……新たな兵器を開発したのですか?」
「兵器だけではない。あらゆる対策だ」
階段が終わり、シエン達は黒い通路に到着した。
無機質な一本道が延々と続き、左右に等間隔で扉が設けられている。
扉は見える範囲でも二十は下らず、廊下の果てまで続いていた。
シエンは最も近くにあった扉を開く。
そこには立方体の黒い部屋があり、ガラス瓶を立てた棚が所狭しと並ぶ。
シエンは瓶の一本を手に取って軽く振ってみせた。
瓶の内部では極彩色の粘液が揺れている。
「死体から抽出した記憶を液状化したものだ。飲めば記憶が馴染み、一時的に高い戦闘技能を得るが反動で廃人になる」
「人造勇者と同じ仕組みですね……」
「使い捨ての廉価版だがね。まあ、一兵卒が瞬間的に勇者になると考えれば悪くない」
瓶を戻したシエンは別の部屋へと移動する。
そこには禍々しい瘴気に包まれた剣が保管されていた。
床に並べられた数十本の剣はそれぞれが異なるデザインとなっている。
漂う瘴気に呼吸を止めたリリアはシエンに尋ねる。
「これは何ですか」
「魂を練り固めた剣だ。絶大な破壊力で敵の魂を切り裂く。肉体強度を無視して攻撃できるから便利だね」
「……誰の魂を使っているのでしょうか」
「安心したまえ。生け捕りにした魔族のものだよ。剣一本でおよそ千体くらいかな。彼らの呪詛が同族を道連れにする仕組みなんだ」
「な、なるほど……」
次に案内された部屋では無表情のアンデッドが整列していた。
その光景にリリアは腰を抜かす。
「うわっ!?」
「何を驚いているのだね」
「だってこれは不死者ですよ!」
「その通り。記憶を抽出した死体を再利用してみた。防御術式を搭載してあるから肉壁になる。いざという時は自爆も可能だよ」
二人のやり取りを聞いてもアンデッドの軍勢は動かない。
彼らは虚ろな表情のまま静かに佇むだけだった。
次に入った部屋は書庫だった。
棚にはまったく同じ書物が詰め込まれてある。
「僕が編纂した魔導書だ。扱いやすい禁術を揃えてある。手練れの魔術師に配れば、それなりの戦力になるはずさ。試しに読んでみるかね」
「……遠慮しておきます」
次は杖を並べた部屋だった。
シエンはそれらを手に取って紹介する。
「魂を燃料にする杖だ。一度だけ使用者の力量を超越した術を放てる。瀕死の魔術師に使わせるといい」
「…………」
リリアは何も言えなくなっていた。
彼女は無言のままシエンに従って次の部屋へと進む。
そこには小さな箱型の装置があった。
「この魔力炉を心臓に装着すると、無尽蔵に魔力を手に入れられる。心臓の負荷が大きすぎるので半日程度しか生きられないのが欠点だね」
「そうですね」
「他にも様々な策を用意してある。味方陣営の犠牲を度外視すれば、ほぼ確実に魔王を討てるだろう」
「そうですね」
「君も悲願が叶って嬉しいだろう」
「そう、ですね」
リリアは同じ返事を繰り返す。
彼女は思考を捨てた。
思考を捨てなければ正気を保てなかった。




