第84話 迫る刃
ミランダはふと部屋の外に視線を向けた。
彼女は少し真剣な表情で尋ねる。
「ハロちゃんの死体はどうするの?」
「変異した肉体を分析して研究に役立てる。彼の死は余すことなく活用するつもりだ。そこは安心したまえ」
「別に心配してないわ。ハロちゃんがあなたを信頼してたもの」
「ほう、それは意外だな。彼からの評価は散々だと思っていたのだが」
シエンが首を傾げると、ミランダは愉快そうに笑った。
それから彼女は僅かな荷物を持って立ち上がる。
紅茶を飲みつつシエンは問う。
「そろそろ行くかね」
「ええ、早く活動を再開しないとね。ハロちゃんに怒られちゃうから」
「ハロルドはもう死んだ。君に文句を言うことはない」
「……無粋って言われない?」
「言われすぎて飽きたよ」
シエンは肩をすくめて涼しく笑う。
彼はミランダを見つめながら質問を投げかけた。
「君はハロルドと出会ってどう変わったのかな」
「人間の美しさを知ったわ。今まで憎んでばかりだったから」
「彼はそんなに良い性格だったのか」
「最高よ。あそこまで素敵な人は今後いないくらい」
ミランダは自慢げに断言する。
微塵の疑いもない、快活な態度だった。
「ハロちゃんは魔族の本能に苦しみながらも、どうにか善くあろうとした。自分を殺してほしいと言った時も、周囲への被害ばかり考えてたの。誰よりも優しい心の持ち主だったわ」
ミランダの腕が視線に上がり、シエンの首に添えられた。
力は込められていないが、指先はしっかりと首を掴んでいる。
明るい表情のミランダはそのままの態度で告げる。
「あなたはハロちゃんに苦しみを与えた張本人……本当は殺したい。だけど我慢してあげる。ここで手を出してもハロちゃんは喜ばないもの」
「それは賢明な判断だ。君が復讐を断念してくれてよかった。ハロルドが遺志を託した人間を死なせてくないからね」
ミランダの首筋に短剣が突き付けられていた。
彼女の背後に使用人ソキがいる。
短剣を構えるソキは、絶対零度の目つきでミランダを睨んでいる。
「ご命令とあれば始末しますが」
「必要ない。下がりたまえ」
「ですが」
「二度も言わせないでくれるかな。僕が下がれと言ったのだよ、ソキ」
シエンに命じられたソキは「失礼しました」と短剣を下ろして下がる。
自由になったミランダはシエンの首から手を放す。
不死身の彼女は特に怯えておらず、ただ無言で息を吐いた。




