第75話 終焉の黒雫
周囲一帯の黒い水が停止し、重力に引かれて落下した。
そして辺りに散乱したまま動かなくなる。
人間形態に戻ったハロルドは教祖が燃えた場所を注視する。
「……やったか?」
「まったく、ここで義体を潰されるなんて。潜入任務が台無しだ」
嘆きの声と同時に黒い水が再び蠢き、ハロルドへと殺到した。
ハロルドは咄嗟に転がって回避するも、手足や背中を溶かされて出血する。
骨まで露出し、内臓がこぼれ出した。
「ぐっ……」
顔を顰めたハロルドは振り返る。
黒い水が集結し、泡立ちながら人型になろうとしていた。
「お前、何者だ」
「魔王軍の最高幹部ノワールと申します。かつては"終焉の黒雫"と呼ばれましたが……これはまあどうでもいいですね。過去を誇ってばかりでは恰好が付きませんから」
人型の黒い水――ノワールが優雅に一礼する。
曖昧だった造形が徐々に定まり、愉悦に満ちた笑みを表現していた。
微妙な凹凸が礼服のような形を再現してみせる。
ノワールは肩をすくめて語る。
「人間の国を内部から崩壊させる。それが私の任務でした。新興宗教を利用して順調に勢力拡大していたのですが、こうなっては終わりですね」
「残念だな、同情するよ。じゃあ死んでくれ」
ハロルドが頭部を竜に変えて火を吐く。
高熱に晒されたノワールが蒸発するも、各所から溢れる黒い水によって補完された。
回復したノワールは平然と微笑む。
「そうもいかないのですよ。私には第二の任務がありますから」
「……どんな任務だ」
「勇者の殲滅です」
「クソッタレが」
上空から黒い雨が降る。
状況の不利を悟ったハロルドは、廃材を掴んで傘代わりにしつつ、地面を破壊して地下へと逃れた。
肉体の再生を確認しつつ、彼は全速力で下水道を突き進む。
ノワールはゆったりとした動作で後を追う。
「短期間で急激に進化する勇者……魔王軍でも話題ですよ。上級魔族はおろか、最近では奈落の領域すらも突破しましたね。まあ私の力なら問答無用で」
「あら、魔族だわ」
ノワールが足を止める。
下水道の闇から顔を出したのは、大きく口を開けたミランダだった。
彼女は獣のような俊敏さで飛びかかり、ノワールの額に喰らいつく。
そこから躊躇なく噛み千切って嚥下した。
楽しそうに舌なめずりをするミランダであったが、彼女の顔面と喉は溶け始めていた。




