第73話 死の奔流
溢れ出した黒い水が蠢き、ハロルドとミランダに襲いかかった。
粘質な魔力を帯びた水は正門前を起点に周辺一帯へと拡散される。
圧倒的な質量攻撃を前に、ハロルドはミランダの襟首を噛み、すぐさま踵を返して疾走した。
地面や建物の壁を蹴り、立体的な挙動で距離を取る。
半ば引きずられるような形になりながら、ミランダは声を上げた。
「ちょ、ちょっと! どうしたの!」
「あれは不味い。接近戦じゃ不利すぎる!」
「だからって離れたら意味ないでしょ!」
「逃げずに立ち向かえば溶かされて終わりだった! 能力的に相性が悪いんだよ!」
ハロルドは後方を確認する。
黒い水が濁流となって迫ってきていた。
二人を飲み込むために猛烈な勢いで広がっている。
指向性を持たせているのか、明らかに広がる方角を絞っていた。
「作戦は考えてるの?」
「あいつは都市の人間を養分にした。つまり魔力の枯渇を待てばいい。いずれこの能力を維持できなくなるはずだ。さっき引っ込めたのも少しでも節約するためだったのかもな」
黒い水が建物を粉砕して先回りし、二人の進路を満たした。
ハロルドは大きく跳躍して飛び越える。
津波は先ほどよりも激しく、そして悪意に満ちていた。
ミランダは呟く。
「……魔力の枯渇まで生きられるかしら」
「弱音を吐くな。俺達は不死身だろ」
二人は逃げながら黒い水の迎撃を始めた。
直接触れると溶かされるため、目に付いた武器や建材等を駆使して凌ぐ。
或いはハロルドは鳥に変形して羽を矢のように飛ばし、ミランダは魂のエネルギーで強引に押し退けた。
二人の力は黒い水を凌駕した。
それでも飛沫で部分的に負傷することもあり、危うい場面は何度も訪れた。
たとえ少量でも肉体は容赦なく溶かされる。
再生能力がなければ、どちらも死んでいたのは間違いない。
「付かず離れずで消耗を強いるぞ! 教祖だって無敵じゃない! 必ず隙を見せるはずだ!」
ハロルドは巧みに黒い水を避けて叫ぶ。
回避に徹する一方、彼は遠くに立つ教祖の位置を常に感知していた。
教祖は圧倒的な優勢の中でも油断せず、狡猾に攻め立ててくる。
そのような男がさらなる追撃を仕掛けないはずがない。
警戒するハロルドは高所から教祖の姿を確かめる。
未だ正門前に佇む教祖は、黒い水を流しながら笑顔を湛えていた。




