第114話 成長した者
ローブを着込む長身の男が扉をノックする。
彼は「失礼します」と声をかけてから入室した。
整理の行き届いた部屋では、魔術長官リリア・フォムンが書物を読み込んでいる。
紫色のローブと帽子を身に付けるリリアは、穏やかな雰囲気の老女だった。
手入れされた白髪を束ねて結び、皺だらけの手でページをめくっている。
温かな双眸は人の良さを感じさせると同時に、彼女の持つ強靭な意志を覗かせていた。
男は背筋を伸ばして書類を手渡す。
「長官。今期の報告書を持って参りました」
「堅苦しいわ。リリアと呼んでくれないかしら」
「恐れ多いです」
「私はただの老人よ」
「ご冗談を。あなたの偉業の数々をここで列挙しましょうか」
「恥ずかしいからやめてね」
リリアは苦笑しつつ、書類を受け取る。
彼女は内容の目を通しながら尋ねた。
「近頃はどうなっているの?」
「魔族の出没情報はほとんどありません。勇者の皆様が発生源で対処してくださっているようです」
「それは何より。平和な時代が続くのは大歓迎よ。きちんと報酬を払っておいてね」
「かしこまりました」
男は静かに頷く。
その目はリリアに対する絶対的な信頼と憧れを示していた。
視線の意味を察しながらも、リリアはわざとらしくため息を吐く。
「そろそろ引退しようかしら。もう足腰も満足に動かないお婆ちゃんだもの」
「後進育成もありますから、あと五年は続けていただけると助かります」
「それ十年前も言ってたわよね?」
「では生涯現役でお願いします。休んでいる暇はありませんよ、さあさあ」
男が執務を促したその時、リリアの表情が一変した。
彼女は柔和な笑みから真顔になると、慎重な口ぶりで指示をする。
「……少し席を外してもらえるかしら」
「職務怠慢ですか? 放っておいても仕事は増える一方なので」
「早く出ていきなさい。巻き込まれても知らないわよ」
有無を言わさない口調で命じられた瞬間、男は足早に部屋を出て行った。
その直後、リリアの背後から声が発せられた。
「かわいそうに。別にそんな剣幕で命じることもないだろう。なんなら僕に紹介してくれてもいいじゃないか」
「あなたに関わると大変な目に遭いますから。大切な部下を守るのが私の使命です」
リリアは応じながら振り返る。
そこにはシエン・ルバークが立っていた。
頭髪の色は黒と銀が入り交ざったものになっている。
シエンは感心した様子でリリアに話しかけた。
「それにしてもよく分かったね。隠蔽魔術は完璧だったはずだが」
「あれから六十年が経ち、魔術はさらに進歩しています。旧式の隠蔽魔術なんてすぐに看破できますよ」
「ふむ、素晴らしい」
リリアの纏う気配を分析したシエンは、心底から嬉しそうに微笑んだ。




