八幕 それぞれの想い
第八幕 それぞれの想い
たった三人で、敵の四人を捕らえ五人を殺した。前世含め、人生で初めて対峙した命を奪う瞬間。五人の一生涯という膨大な時間を、たったの数分で無に帰してしまった。殺人を勝利の二文字として言い表し、歓喜に翻して喜びを分かち合った。安堵もした。僕らは吉報として仲間に伝え、彼らは訃報と憎しみを語るだろう。人の幸福は不幸で成り立っていると再認識した。この世界ではそれが顕著なだけで、前世でも同様だったはずだ。今更何に疑念を抱いているのだろうか。
「こいつらに出来るだけ情報を吐かせるぞ」
捕らえた四人は、服従の鎖の効力で動けないうちに、則と元が携帯している縄で縛って膝を着かせた。戦闘中は敵の影を見つけるので精一杯で気が付かなかったが、彼らの服装はヴァンや虎ちゃんと同じ、無地のパーカーを着ていた。全員黒で統一されており、暗闇に紛れやすい身なりだ。元は受け取ったお金と物をそれぞれへ返し、則と共に峠道の先へ進み、蛇行する道の手前で増援の見張りに回った。僕らは四人の持ち金が予想の範囲内であることを確認した。
「時間が無いから手短に聞くが、お前たち以外に何人も雇われているのか」
ここで誰に雇われたのかと聞かないということは、脳が筋肉で出来て居そうな虎ちゃんでも犯人は分かっていると考えて良い。最優先に確認すべきことは自らの安全である。僕らが死んだら、ケイの組織は崩壊の一途を辿るだろう。
「いいや。俺たちには何も聞かされてねぇ」
「やけに素直に話すけど、後々殺されたりしないの?」
「問題ない」
彼らは僕の問いにも正直に答える。
「身なりを見ると、お前らどこにも所属してないごろつきだろ」
「その通りだ」
虎ちゃんも同じような格好だが、何か見分け方があるのだろうか。
「大抵そういう輩に対しては、報酬は先払いをすると思うが…」
「全部あんたが思っている通りさ。作戦成功のためにも金は多いに越したことは無い。しかし、俺たちに言われたのは、敵はせいぜい十万円から二十万円しか持っていないから、報酬は半分を前払いにしておくってんだ。お前たちも理解しているだろうが、十万ぽっちしか持たない逸れ者は舐められる。雇い主も俺たちも愉快に承諾したってわけさ」
「そうか。じゃあお前らの主はそれほど大金を持っている人間じゃないな」虎ちゃんの一言に、彼らは素っ頓狂な表情を浮かべた。
「お前何言ってんだ?八人に十万ずつ用意したんだぞ。奴は相当な金持ちだ」
「そうかい」
その話が本当ならもっと驚いたり、絶望したりしても良いと思うが、さらりと受け流してしまっている。
「虎ちゃんは驚かないのか」
「ちゃんと組織に所属している人間は伝手ってもんがある。善人を陥れようと思えば幾らでも金は入ってくる。ただ、悪名が知れ渡り、人々からマークされるがな」
確かに、元の世界でも人を騙そうと思えば簡単に金は手に入っただろう。当然、法律が邪魔するがこの世界は絶対王政で法律というものは皆無だろう。王が得すればそれで良いはずだ。
「んで。なんだか知らんが最初の質問の答えはこんなもんでいいかな」
「詳細まで聞けたし満足だ。お前らは、俺たちにも、主にも殺されることは無いから安心しろ。そいつはそんな金も権力も持っちゃいない」
「そ、そうなのか…?」
「ただ、奴から貰った十万は俺によこせ。死んだ分までくれと言わないだけ有難いと思え」
「分ったよ」
「俺たちや、お前を雇った人物の情報が一般人に漏れたと知れたら容赦なく殺しに行くからな」
四人は不思議そうな顔をして、どうも整理がつかないという仕草を見せる。
「俺たちの組織の一員だ。裏切ったって話だ。よくある」合点が付いたのか、四人はなるほどと呟いた。
彼らの縄を解いて、その縄を彼らに十万円で売りつけた。馬で元来た道を下って行き、見えなくなってから暫くして則と元に合流する。
「犯人は二択、もしくは二人だ」
虎ちゃんの言葉に引っかかる部分があり、時間が無いと理解していても口を挟まざるを得なかった。
「なんだ。小僧は目星がついていないのか」
「いや、僕の中では四択か、少なくても三択なんだよ。赤い髪の女性とヴァンがいる」そこまで言うと、虎ちゃんは難しい顔をしながら、助けを求めるように則と元の方を向いた。三人とも何か考えるように沈黙をしていたが、暫くした後、元が口火を切った。
「もうがきんちょさんを信用してるんすよね」
「ああ」
僕にとっては喜ばしいことだが、虎ちゃんは未だ表情を変えずにいる。
「それなら、もう隠すことは何もないじゃないですか。リーダーだって理解してくれますよ。それに、がきんちょさんはもう僕らのリーダーを理解していますよ。誰も作戦内容をバラしたなんて考えません。リーダーだって虎さんが裏切ったなんて思いません」
三人は揃って僕の顔を見て優しく微笑んだ。僕は彼らがくれた信用に応えるように本物の笑顔を返す。いつぶりか忘れるくらいの長い間、僕は人を信用していなかった。ベロニカを介して、久しぶりに人の本心に触れた。彼女は探りを入れるようなことは一切しなかった。常に真っ直ぐな感情を露わにしていた。あれが演技ならば称賛を送ろう。人の直感は凄まじく鋭く、嘘や作り笑いを見抜けるほどに敏感だ。核心は突かずとも、どこかに引っかかりを覚えるものだ。僕はベロニカが人格を作ってはいないだろうと感じる。
「ベロニカはとても良い人だ。常に自分の本音を貫いているような気がする。それはとてつもなく難しいことで、芯の強い人じゃなければ出来ない。そういう人間は人の輪に必要だ。だから僕も助け出したい。ケイがリーダーなのは充分に理解した。でも、確証は無いんだ。どこかですれ違いが発生しているかもしれない。同じ戦場を潜り抜けようと思っているんだったら教えてくれ」
「虎さん」
最期に則が虎ちゃんの背中を優しく押し出して、ようやく意を決したように顔を上げた。
その刹那、思い切り頭を地に向けて降下させる。
「すまなかった!」
頭が飛んでくるんじゃないかと思うほどの勢いだったもので、半歩退いてしまう。
「あ、ああ」
「まず殴ったことだ。本当にすまないと思っている」
「だからそれはいいって。話しにくいから頭を上げてくれ」それを聞くと、ゆっくりと体を伸ばしていく。
「うん。ありがとうありがとう」
「俺たちのリーダーはお前の予想通り、ケイだ」
やはりそうだったか。ケイの組織とかベロニカの組織とか考えていたのが馬鹿みたいじゃないか。
「俺たちの目的は二つ同時進行している」
「売人を捕らえて金儲けすることと、僕の情報を洗い出すことか」
「そうだ。俺が拷問役に抜擢され、お前を拉致して素性を聞き出そうとした」
「なるほど。大方予想通りだったよ。だから必要以上に謝らなくていい」
「賢い…」
則が感心した声を漏らす。
「そんな賢いお前なら、赤髪の女も仕込みだということも理解しているだろう」
「そうだね」
「天才っ」「いえい」
調子に乗った声を出してしまった。
「俺たちの仕込みは、掲示板を見た時点で終わっている。あそこでお前の言うことが嘘であるということを裏付ける、例えばお前を探すような情報があれば、即刻始末していた。嘘である証拠が無い場合はとりあえず今作戦に加わってもらう為に、改めてケイに会わせる。こういう予定だった」
続けて則が補足説明を加える。
「がきんちょさんの主張だと、本当のことを言っている証拠を掴むなんて、雲を掴むのと一緒だから。嘘の裏付けを探してた」
やはり人は馬鹿じゃない。僕を利用する作戦は急遽開始されたものだ。ヴァンの口ぶりから、リーダーであるケイが今作戦遂行の指揮を執っているだろう。そのケイの能力によるものが大きいとしても、言わばハプニングを土台にした作戦に順応する彼らも、相当な切れ者だ。褒め上手なリハオユや、適切に仕事をこなす役所の軍人。ケイの部下以外で出会った人物はこれくらいだが、皆それぞれが賢い。ケイの部下が特別に優秀なだけではない。
「君たちだって文句のつけようがないくらい賢いさ」
「な、なんか見た目は子供なのに貫禄ある…」
「元はもっと敬え。見た目は子供だけど中身は老人だぞ」
「おいお前たち。時間が無いんだ。余計な口を挟むな」
「そうだな。彼らの情報じゃもう敵はいないみたいだし、道を行きながら話さないか」
「よし。元は先頭へ、則は最後尾を走れ」
「了解です」「了解です」
再び馬に跨り、これまでより一層速度を上げて走らせる。時刻は三時十五分を回っていた。
「間に合いそうなのか」
「ああ。このペースを維持すれば十分前には着くだろう」
冷たい夜風を切る馬の体力にも限界がある。終盤に速度が落ちることを考慮すると休憩を取っている暇は無さそうだった。幾度もの急カーブを、何とか振り落とされないようにしがみ付き、ようやく峠を下山に差し掛かったところで虎ちゃんが口を開いた。
「ここからは直線だ。山も開ける。景色を堪能すると良い」
前を向くと、無数に立ち並んでいた木々が僕らに置いて行かれ、代わりに大きな川が待っていた。馬は恐怖を感じさせぬ堂々たる足さばきで、川を横断する橋を駆け抜ける。落ちたらひとたまりも無いだろうと予想できる高さに背筋が凍るも、眼前に広がる自然の広大さに魅力されていた。一キロほど先には、再び巨大な森林が僕らを呑み込まんと待ち構えている。人工物はこの橋だけで、車も無ければ街灯も無い。星と月の明かりだけだが、目を凝らせば少し先に羽ばたく鳥も認識できる。自然の光は思いのほか明るいのだと知った。
「凄い……」
思わず感嘆の声を漏らす。
「感動しているところ悪いが、ある程度堪能したなら続きを話すぞ」
「ああ。話してくれ」
遠方を眺めながら、思考は未だ危機的状況である現実を見ていた。
「小僧はリーダーから売人捕獲の作戦内容は聞いているか」
「まあ大まかなことは」
「では、皆がそれぞれのアジトへと向かっていることは理解しているな」
「知ってるよ。軍を撒くためだとか」
「まあそれもあるが、リーダーは、基本的に二人一組で行動しろと命令を下した。
今回の作戦には人手が必要だからだ」「そうなのか。因みに僕の聞いた内容は、丁度良い少年を捕まえて、その少年を餌にみんなで取り抑えるってくらいだった」
そう言うと、虎ちゃんは珍しく苦笑いをした。
「割と適当だからな、あの人は」
「それで、人手が必要ってどういうことだ」
「ああ。人を集めるための人手が必要だった。売人が出没する場所も時間も読めなかったんだ。俺たちの組織は、組織外に長い付き合いの情報屋がいて、そいつから情報を受け取って作戦を企てる。その情報屋に高い金を払う代わりに、金になりそうな事をいち早く届けるという体制が確立している。言わばお得意さんってやつだ。その情報屋は信頼度が高く、分からないことは分からないとはっきり言う」
「なるほど」
「そいつは、売人がいつ、どこに現れるかまでは予測がつかないと言っていた。予測を立てられないように動いているのだろうと考察もしていた。そこでリーダーは、売人がターゲットにしそうな青年をある程度買収しようという作戦に出た」
「ちょっと待ってくれ、それだったら僕を贔屓する意味は無いじゃないか」
大量の青年を金で雇っているなら、そのうちの一発が当たれば良いのだ。全ての馬券を買い占めて、よくわからん馬に念を入れるなどおかしな話だ。それに競馬とは違ってオッズなどは無い。どれか一つが当たれば儲かるのだ。
「いいや、本命を一人決めなくてはいけないんだ。まずは本命以外の捨て駒で様子を見る。捨て駒一つにつき、組織の人間二人が見張る。そこで、どんなやり取りがされているのか監視する。仲間は何人いるのか、そもそも本人が来るのかというような、作戦を阻害する要因を見つけ出し、成功への道筋を立てる。最後に本命を送り込み、全員で捕らえる。こ
れが作戦だ」
「徹底されているな。二人一組なのも、互いにカバーが出来るようにとかそういう理由か」「その通りだ。敵に発見されても、最悪一人でも帰って来いというのもあるだろうが、リーダーは口に出さない。俺たちも文句は無い」
「凄まじい忠誠心だな。命を投げてまで組織へ尽くすんだな」
「この組織は、俺たちのような逸れ者の家だからな。ここ以外に帰る場所などない。皆、自分の存在を確かめようとしたり、夢を追いかけたり、愛する人と一生を過ごしたいと思ったり、それぞれの自由を求めて、自分を探してここへ辿り着く。そんな自分勝手な俺たちを迎え入れてくれるのがあの人なのさ。勿論、誰でも歓迎ってわけじゃない。俺がお前に拷問をしたみたいに、厳しい試験がある」
社会から外れて、存在を模索しながら生きることは険しい道のりだ。そんな僕の気持ちを代弁するかのように暗い森が呑む。馬の揺れが一層激しくなった。ここから先の道は舗装されていないようで、獣道となっていた。一行はライトを灯して背を低くする。うっかり小枝にでも引っかかってしまえば大怪我を負うだろう。背には虎ちゃんの重みが圧し掛かり、どことなく胸の内を語っているように感じた。
「逸れ者なんかじゃないさ。自分の人生に身勝手もくそもあるもんか。一部の富裕層を無意味に肥やすために生まれてきたんじゃない。僕らには肉体があって、生きる意味を見出せる魂がある。所詮百年も体験できない人間だけど、終わりを理解しているからこそ価値がある。その価値を高めるのは自分の行動の全てだ。他人の行動で自分の価値は高まらない。だから君たちは、逸れ者じゃない。正直者だ」
背に伝わる圧が軽くなったような気がした。虎ちゃんは一言、ありがとうと呟いてから咳払いをすると、再び淡々と話し始めた。
「二人一組で行動しているということは、彼女はヴァンと行動しているということだ。まずここが味噌なんだが、彼女とヴァンが犯人という線は切って良い。ヴァンはリーダーと
一心同体の男だ」
そこで言葉を区切る。少し言葉に詰まってから口を開いた。
「詳しい過去はヴァンの口から聞いてくれ。但し覚悟はしておいた方がいい。想像を絶する体験をしている」
ヴァンについて自分が話しても良いものなのかと迷ったのだろう。確かに、過去は過ぎ去った時間であり、今とは違う。そういう話は本人が話すべき時に話すのが正解だ。
「詳しい過去は聞かなくてもいい。でも、虎ちゃんがヴァンに強い思い入れがあって庇っている可能性も否定できない。だから則と元にもヴァンが犯人では無いと言い切れるか確
認したい」
とは言っても、二人とも虎ちゃんと同意見に見える。
「お前がそれで満足するならそうすればいい」
「分った。それで、赤髪の女が犯人じゃないという根拠は何だ」
「その前に、体重をもっと前に掛けろ」
どうしてかと考える暇もなく体が宙に舞った。
「うわ!」
後ろへ吹き飛ばされそうになるも、虎ちゃんの体に止められたお陰で、股間を痛めながらも馬の背に戻ってくる。後ろを振り返り、そこそこの高さがある段差をジャンプして飛び越えたのだと理解する。
「馬の首で見え難いかもしれないが、前を走る者の体重移動や馬の動作をしっかり見ておけ。獣道では自然が俺たちを襲ってくる」
ごくりと唾を呑み込んで、先刻よりも強い力で馬にしがみつき、言われた通り前方に体重をかける。それから、前の馬が見えるように頭をやや横にずらす。「頭は出しすぎるな。馬は俺たちの横幅まで考えてくれていないぞ」
「分った」
「さて、赤い髪の女の話だが、彼女の名はレベッカ。本人には俺が名前を教えたとは言うなよ」
「どうして?」
「自分の名が好きじゃないようだ。好きじゃないと言うか、彼女なりに難しい感情を抱えているようだが、名前に反して男勝りと言うか、血気盛んと言うべきなのか…」
確か、レベッカという名の由来は旧約聖書に登場し、魅惑という意味を持っていた。名前に込められた願いを叶えられないということがコンプレックスになっているようだ。
「赤い髪の女だと長いだろうから教えたが、本来これも直接本人から聞くべきことだ。信頼の無い相手に名前を知られるのは怖いだろうしな」
「そうか。この世界では、名が知れ渡るのは良くないのか」
「まあ俺たちは犯罪者だからな。名を明かすことと、金が刻まれた数値を見せることが信頼の証だ。身分を証明するという意味でもな」「そうなのか。ケイの言っていたのはこれか」
虎ちゃんがドアを蹴り破る直前のやり取りを思い出す。
「で、そのレベッカだが、彼女の資産はヴァンと同等だ。ヴァンはこの組織の中で、いや、世界で見ても上位の戦闘能力を有している。レベッカでは到底太刀打ち出来ないだろう。それに、ヴァンの資金はリーダーが嵩増ししている。ヴァンは基本的にレベッカの護衛役だ」
再び尻がバウンドする。
「彼女はこの組織の中で唯一伝書鳩を有しているからな」
「それじゃあ第一候補はレベッカなんじゃないのか」
「ヴァンには敵わないと言ったばかりだぞ。ヴァンが付いている限り、彼女が裏切ることは不可能だ。誤解するな。レベッカを信用していないという話ではなく、彼女を重宝しているという話だ。彼女が組織内最速の情報伝達係だ。馬を走らせるよりも遥かに速く、人員を割くことなく情報を伝えられる。ほとんどの作戦は、レベッカと伝書鳩によって安定
する」
「だから一番屈強な男が彼女を守るということか」
「そうだ」
「今回はそれが逆に、彼女が裏切れないという根拠に繋がったわけだ」
「ああ。それに、レベッカはヴァンと同様に信頼されている人間だ。最も、信頼できない人物はこの組織にいないがな」「いないはずだった。だよね」下り坂が急になったからなのか、僕の言葉が不快だったのか、嫌な唸り声を漏らした。しかし、これは事実である。受け入れなければならない事態なのだ。
「事実無根…と言いたいが」
「さっきはよくあることだとか言っていたのに」
「俺たちの組織は特別だ」
誰しも、自分を支えてくれば所は他とは違うと思えてしまう。危険な感情だ。隣にいる人間が、生涯共に居てくれるなんて思ってはいけない。
「支えが無くても生きていけるようにならなければならない」
「小僧。思ったよりも暗い人間だな」
「作るのは上手さ。本音を言っても弾かれるだけだ」
「お前こそ、さっきまで正直者だとか言っていたはずだが」
「そうだったな」
二人で妙な笑いを交わす。きっと、互いに抱えてきた闇は大きいのだろう。
「虎ちゃんはさ、僕に見覚えは無いか?」
突拍子もないことを口走る。言った後に、どうしてこんなことをと気恥ずかしくなる。
「さあ」
彼はその一言だけだった。素っ頓狂な質問であったはずだろうが、特に突っ込んでは来なかった。
「それより、これで犯人は分かったはずだ」
「そうだね。二人組での行動って言った時点で浮かぶ人物がいたよ。サモス兄弟…十中八九オリバーだろうね」
オリバーとの会話を思い出す。自分の進むべき道は間違っていないという言葉は、このことを指していたのではないだろうかと考えてしまう。そして、オリバーがこの組織を相手にしようと思うほどのきっかけがあったのだろう。そのきっかけとは、大方エドワードであると予想が付いた。
「そう思ったが…。分からないことがある。オリバーはどうしてリハオユに馬を盗ませて、自ら助けに入ったのかということだ。それも、二人一組の行動中に単独で現れるなんて、自分が犯人であると答えを示しているようなものだ。あの兄弟なら、突発的に作戦を思いついても実行しようとはしないはずだ。レベッカに伝書鳩を動かすことを強いているなら、ヴァンも既に殺されたか捕虜になっているはずだ。入念に計画を練ってからの犯行だろうから、こっちがかなり不利だ。そして、前々からの計画ならば、目的はお前ではなく売人が持っている金だろうな。それだけ今回の的は大きい。売人の金とサモス兄弟の金を合算しちまえばケイを追い越せるだろうからな」
「もうすぐ着きます!」先導する元が僕らへ向かって叫んだ。虎ちゃんと則が返事を返すと、元は手綱で馬を叩いて速度を上げる。馬も相当な距離を走っているはずだが、良く教育されているのか疲れをまるで感じさせないような疾走ぶりだ。彼らはこの働き馬をちゃんと労ってやっているのだろうか。この誘拐された馬も頑張っている。
次第に、草花が踏まれて開かれた道が広くなっていくのが分かった。僕らを囲い込むために敵が散開した跡なのだろうかと警戒心を強める。どちらにせよ、この先に何かあることは間違いなかった。一行に緊張感が漂うのを感じ取れた。気持ちを落ち着けようと、腹式呼吸を続けていると、微かに水を吸い込んだ土や草の独特な臭みを覚えた。それと同時に後方の則が近づいて、僕らにピッタリ付いてくるような形を取った。それから、銃を抜く音が聞こえる。前を見ると元の右手にも銃が握られていた。
「小僧。お前は戦闘訓練を積んでいない。この先で殺し合いが発生したらお前は加わるな。ベロニカが生きて俺たちの手に渡る保証は無い。いいや、必ず助け出すが…いや、ベロニカが死亡したと分かった瞬間、逃げることだけを考えろ」
口では強がっていても彼の心の中では、二つの対極の感情が渦を巻いているのが理解できた。
オリバーが犯人ということで確定した場合、オリバーはリハオユから手に入れた五十万円で僕らを圧倒してしまう。虎ちゃんはそれを最初から理解してここまで来たのだ。勝ち筋は、オリバーが手下を金で雇った結果、金がほとんど底を尽きていたという場合のみだ。それでも、全員の金をかき集めてやっと五十万円に到達させ、ベロニカを救出しながらオリバーと一対一で闘わなくてはならない。オリバーが僕らの作戦を考慮して、はした金で手下を雇っていた場合、僕を含めた三人は雑魚敵にすら敵わなくなってしまう。ヴァンとレベッカを相手にしたのが、先ほど逃がしたごろつきを雇った後ならば、僕らは完全敗北だ。虎ちゃんがそれを理解しているのならば、僕が銃の扱い方も知らなくとも、子供の体であろうとも、本当は力を借りたいと思っているだろう。皆で赤信号を渡れば怖くないと思ってしまうのと同じやつだ。しかし、男が覚悟を決めようという時に口出しをするような真似はしない。
「オリバーの目的が不明な限り、ベロニカが生きている確証も無い。俺は…組織の作戦よりも、自分の妻を優先して行動している。小僧には作戦内容も暴露している。自分の命もここで終わるかもしれない」
頭の後ろで、どっちつかずの言葉が吐き出される。覚悟を決める呪いだったのか、弱音を漏らしたのか、それは僕には分からなかった。それから一言も喋らなくなった。彼の重圧を読み取り、僕の金を分配し、少しでも資金を上げておくべきだろうという、逃げに徹した案を取り下げた。所詮十万円を渡したところで、オリバーの資金には敵わないと考えたのと、ベロニカに返上した場合はオリバーと十万円の差を付けられる可能性もあると思ったからだ。加えて雑魚敵の懸念もあった。
重たい空気が流れて暫くした頃、前方から滝の音が聞こえてきた。暗闇で分かりが悪いが、ライトの光が当たるところは心なしか、緑が濃くなっている気がする。風も俄かに冷たくなった。一気に視界が開けて、眼前には広い湖が広がった。水面からは一本の大木が自らの命の源を守るように仁王立ちしており、峠道を走っていた頃の木々が可愛く見えるほどの迫力に圧倒される。巨大樹の後ろで上流から流れ落ちている滝の音も、迫力の出る演出になっていた。その木によって養分が吸い取られているのか、湖の周囲には草や花が少し咲いているだけだった。しかし、草花の質は良いのか、鹿や栗鼠といった多くの動物たちが植物を貪っている。
「知恵の木だ」
馬を降りた虎ちゃんは、首を真上に向けながら感嘆の息を零す。
「知っている場所だと思っていたけど」
先導していたのは元だが、伝書鳩から手紙を受け取った時に地図で道を確認している様子は無かった。そのため幾度か来たことのある土地なのだと勝手に思い込んでいた。
「一度だけある。しかし、もう何年も前のことだ。俺がベロニカと出会った地だ。この木は何度見ても…息を漏らす」
「出会いと別れが同じ場所にはさせませんよ」
「大丈夫です。ベロニカの姉御は強いですから」
元に続いて則も勇敢に声を張る。虎ちゃんは僕らを見てから、小さく頷き、再び乗馬した。続いて僕らも馬に上がると、後ろから数頭の馬が走る音が聞こえた。一行は湖を背にして退く形になってしまう。ここで戦闘が始まれば、逃げ場のない僕らが圧倒的に不利だった。
「背水の陣とは正にこのことか」
元が呟いた刹那、暗闇から知っている声が聞こえた。
「やあ君たち。弟の刺客を打ち破ったことを誠に嬉しく思うよ」
森の中から一番に出てきたのは兄のオリバーだった。本当にオリバーの方なのか確証は無いが、言葉から推察するしか区別する手段は無い。さらにその後ろからは荷台を積んだ馬が登場し、他に三頭の馬が続々と現れた。上には天狗の面を被った男が剣を構えている。悲しいことに、オリバーは十二分に余力を残していた。そしてさらに厄介なのは、弟の刺客という言葉だった。
「やはりお前たちだったか」
僕の背中から放たれた獣のような怒りの唸り声に背筋が凍る。
「おいおいそんな威嚇するなよ」
オリバーに恐怖の文字は存在しないのか、初めて顔を合わせた時のようなあっけらかんとした表情だ。僕らとの金額差に絶対的な自信を感じるが、臆してはならない。「それに、弟は関係ない」
「何を言っている。弟の刺客と今さっき聞いたぞ」
「弟が差し向けたのには間違いはない。だけどね、弟は僕の計画を阻止しようとして送り込んだんだ」
「どういうことだ!」
「下っ端は黙っててよ。僕は虎三郎とそこの男の子と喋りたいんだ」則の叫びを厳しい口調で制する。
「誰がやったなどと、そんなことはどうでもいい。ベロニカが生きているのか確認させろ」「勿論さ。でも君たちがここへ来たのはどうしてだい?もしかして僕と一戦交えようって
思ってない?」
無駄に甲高い声が煽り口調を尖らせる。耳障りな言葉にストレスが蓄積するのを感じた。
「人の妻を攫っておいてどうして来たのかだと。ふざけるのも大概にしろ…!」
「虎ちゃん。向こうのペースに乗っちゃだめだ。怒りは目を眩ませるだけだ」
「賢い坊やだ。でもその様子じゃ、感情任せにここへ来たね。僕が犯人なのは予想出来ても、まだまだ詰めが甘いね。それじゃあ殺されに来ているようなものじゃないか」
そこまで言うと、オリバーは部下に合図を出して、馬の荷台を地面に降ろさせた。そこには両手を縛られて眠らされているベロニカの姿があった。外傷は無く、呼吸も落ち着いているようだ。
「僕は君たちを闇雲に傷つけたりしない。死ぬ覚悟だったところ申し訳ないね、虎三郎トリオちゃん」
「てんめぇ黙って聞いてりゃ」
「口を挟むな!」
元の言葉を虎ちゃんが叫んで制止する。
「そうそう。僕の怒りを買ったら全員死ぬからねぇ。ところで、僕ちゃんさ。何で僕が君たちを傷つけないのか分かるかな」
ニタリと奇妙な笑みを浮かべながら問いかけてくる。彼がここで僕らを殺さない理由はと聞かれても、これと言って正しそうな答えは思い浮かばない。強いてあるとすれば、僕らを奴隷として飼いならすためだろうか。
「時間切れ。全く間抜けばかりだな。答えは一つしかないじゃん。ケイに僕の目論見がばれないようにするためさ。まだ僕とケイには金額に差があるからね。バレた瞬間終わりなんだ。だからもし君たちを殺しちゃったりなんかして、異変を与えてしまえば、僕が隠密行動できなくなる。でも、人質を取って強制的に君らを動かせば、僕は君らの陰に隠れて行動できる。ケイが気づいた時には、もう彼は僕の駒だ!」
いつの間にか自慰的な演説に変わった彼の説明には、納得をせざる負えない説得力があった。ケイに悟られることなく作戦を遂行できる算段も確立済みだろう。オリバーの思考に辿り着けていない時点で、現状を打破することは不可能だろう。
「僕らは完全にオリバーの手の上だ。エドワードは組織存続のために、僕らを殺そうと刺客を差し向けたはずだ。しかし、組織壊滅を危惧したエドワードが施した唯一の打開策も自らの手で砕いてしまった。ここは奴の要求を飲むしかない」
「その通りだ。本当に賢い坊やだね。因みにリハオユも弟が雇った人間だったんだけど、彼を捕える作戦は見事なものだった。ああやって金を稼ぐって方法を最初から思い付いていたら、わざわざこんな回りくどいやり方でケイを落とさなくても良かった…。まあいい
か。ベロニカは返してやろう」
オリバーは荷台に横たわっているベロニカを指でさすと、急に大声で高らかと笑い始めた。
「美しいよ。彼女は実に美しい」
嫌な悪寒が全身を駆け巡り、吐き気がするほどの憎悪を身に宿した。
「何をするつもりだ!」
夫が堪え切れずに銃を向ける。しかし、強烈な雄叫びとは裏腹に体は従順を極めていた。彼は黙り込んだまま微動だにせず、懐に湧き出る怒りの感情だけが、きつく閉ざされた蓋をこじ開けんと煮えくり返っているのが分かった。獣が仲間を守るために強者に立ち向かわんと、空気をひりつかせ、その場だけ空間が歪むような覇気を放っている。僕らはその光景を胸を痛めながら見つめるしかない。オリバーはベロニカへ顔を近づけ、鼻を左右に振りながら首筋をなぞった。
「なーんてね!」
オリバーが顔を上げたのを合図に虎ちゃんの鎖が解かれ、宙に向かって再び叫んだ。
「はっは。叫ぶことしか出来ないなんて、なんて情けないんだよ。良かったねぇ僕が女に興味無くて。しかし、君のそんな顔が拝めて嬉しいよ。ねえ、愛する人を奪われるってそんなに悔しい?僕にも味合わせてくれよ」
大きな身振り手振りが余計に挑発しているようで腹が立った。全く最低な人間だ。人の愛する者を玩具に使って他人を煽り、それを面白がって見物しているなど、人の道理から外れている。いい加減止めさせなければ僕の堪忍袋もはち切れそうだ。
「おい。僕の引き渡しに時間を費やしていていいのか。話によれば、ヴァンとレベッカは作戦の要なんじゃないのか。彼らの任務が遅れれば、ケイが不審に思うんじゃないのか」
「おっとそうだった」
オリバーは唐突に真顔になると、馬に飛び乗り部下の一人に合図を出した。
「この女に付いて行動するんだ。ケイには僕から適当に言っておく。怪しまれることがあっても、僕が裏切るという所までは辿り着かないだろう」
「分かりました」
低く、機械のように無機質な声だった。
「こいつらが僕の情報を流すような真似をしたら直ぐに殺せ」
オリバーは僕らに対して脅しを掛けるように大声で話す。この日さえ乗り切ってしまえば、彼はケイを上回る権力を手にできる。そのためには、多少のリスクは厭わないと判断しているのだろう。挑戦者は常に危険を冒さなければならないということを、彼は良く心得ている。きっと、ベロニカに監視を付けるということが、彼の作戦で最大に際どいところはここだろう。
「僕らが君に踊らされるだけの小物だと思うなよ!」
宣戦布告のつもりで、声を大にして叫んだ。僕を利用するなどとは百年早いということを思い知らせてやる。若造にいいように使われてなるものか。僕だけではない。人に優しく、覚悟を持って外に出たベロニカや、そのベロニカが認めた勇敢な虎ちゃん、僕を助けてくれた則や元。彼らの名誉のために、生きる道を築くために全力でオリバーを止めよう。適当に生きてきた僕にとって、必死で生を全うしようとしている彼らはとても魅力的で、助けてやりたいと僕を動かす原動力になっている。そして何より、今を生きている彼らが羨ましいと思った。僕がしてやれることは少ないかもしれないが、僕も懸命に立ち向かおう。
「悪魔とのダンスにならないことを祈っていな」
「そうかい。精々頑張りな」
オリバーは捨て台詞を吐いて、部下を僕の方へ向かわせてから森へ入ろうとする。その途中で何かを思い出したかのように立ち止まり、僕らの方を振り向いて付け加えた。
「そうそう。レベッカとヴァンは僕に手も足も出なかったよ。僕の手下がそろそろ彼らを解放するところだろうな。彼らが僕のことをケイにチクらないといいけどね。その時は…。言わなくても分かるか」
不安な言葉を残して消えてしまう嵐のような彼の後姿を追いながら、僕らは大きく息を吸い込んだ。味方であると思っていた時は、子供心のある大人という、慣れ親しみ易い人といった風貌だった。しかし、敵として、もっと言えば強敵として前に立たれると、掴み所も隙も無い無敵の相手をしているようで、妙な緊張感が漂う。実際、ケイにスカウトされるほど賢く、そのケイをあと一歩で追い抜いてしまうほどの人材だ。前世では賢いと言われるほどの頭脳は無く、この世界でも無知な僕が懸命に戦ったところで、組織への貢献度はたかが知れたものかもしれない。元や則、虎ちゃんの難しく考えた表情を見るだけで、彼らも同様に、この戦が苦しいものになると悟っていることが理解できる。
圧し掛かるような重い空気の中、僕は天狗の男たちに拘束される。それを黙って見ていた彼らだったが、僕がベロニカと入れ替わりで荷台に積まれる頃、虎ちゃんが口火を切った。
「俺がリーダーに報告せずにこの場へ来たのは間違いだったのかもしれない。一人で何とかしようと考えすぎていた。ベロニカがお前に渡した十万円と、お前のすり抜ける能力、加えて元と則の援護があれば何とかなると思っていた。何より、オリバーの普段の雰囲気からか、彼を舐めすぎていた。彼の資産も、二十万から三十万程度だと思っていたが、いつの間にか膨れ上がっていた」
反省点を淡々と述べる反面、彼の切々と握られていた。行き場の無い不安と危機感を、自分を責めることによってどうにか外へ逃がそうとしている気がした。
「虎さんの判断は間違ってません」則が悔しそうに声を絞る。
「だって、リーダーに報告していたらあの奇襲でロスタイム喰らってたら時間に間に合わなくなっていましたよ!」
元も俯いたまま声帯を震わせた。
「いや、総力を上げていればあんなごろつき、容易く回避できただろう」
則と元は励まそうとした相手に論破されてしまう。何も言えずにいた則の方に手を置き、元が声を出した。
「リーダーに報告していれば、姉さんは確実に殺されてましたよ。リーダーにバレないために僕らを生かすんじゃないですか。リーダーに売人を捕らえさせてハイエナするために姉さんを生かしてあるんですよ。リーダーへ報告していたら、もうベロニカは用済みです。虎さんを脅しに出して、姉さんの資産を奪われてしまえば、それはそれでリーダーが追い越されて僕らの負けです。それを理解してのことだったんじゃないですか」
つまり、オリバーは僕らがどう転がってもいいように計画を企てていたわけだ。ベロニカから資産を奪ってしまえば、売人まで辿り着く面倒が増える代わりにケイよりも多くの金を手にして組織を潰せる。ケイに報告が入らず、ベロニカを生かして僕らを利用する場合、売人を簡単に手に入れて組織を潰せるが相応のリスクが伴う。どちらを天秤に掛けても、優劣は付け難い結果になる。やはり、化け物級の頭脳を相手にしていることに間違いは無かった。
「それを理解していて、組織の存続が危うい方を選んだ…。則や元、小僧の命とベロニカの命で、ベロニカを取った…」
がくりと膝から崩れ落ち、両手を地面について頭を下げる。水分を含んだ土が弾け飛んで、まるで彼が、沼に浸かった獣であると嘲笑うように、重力のかかるまま落ちた。
「彼女との出会いを作ってくれた組織、俺を拾って育ててくれたリーダー、俺に信頼を寄せてついてきてくれたお前たち、まだ将来のある小僧、そして、帰る場所を作ってくれる
仲間たち…そんな大事なモノ全てをベロニカ一人に費やした。本当に……」
頭を地面に擦り合わせ、額に潰される草が原型を無くすまで練られるほど強く謝罪をした。どこかで見たことのある、胸が裂かれるような光景だ。これで三度目だった。そんな謝罪は、相手の気持ちを無視した自己中心的なものだ。
「そうやってごめんと言われたことが過去に二度ある」
我慢ならず、怒りを宿して言ってしまう。目隠しをされる直前、虎ちゃんたちが僕へと視線を向けるのが分かった。僕を宥めるように暗闇が視界を包み込む。しかし、僕の憤慨は収まらない。そうやって一方的に気持ちをぶつけられるのは、惨めに謝られるのは、殴る手が止まらないと泣きながら頬を打たれるような感覚だ。
「一度目は、僕が親の敷いたレールから外れた時、二度目は、母親が逝ってしまう直前だ。己の中にある大事なモノのために、僕は強引に道を示す両親を煙たがった。元居た世界じゃ、夢や希望を追い求めても、お前には無理だと馬鹿にされて落ちこぼれ扱いされる。両親はそんな僕を、育て方を間違えたと泣いて謝った。操り人形の糸が途切れたような音がした。疎遠になって、父親が急病との連絡が入った。僕は最後まで顔を合わせず、死ぬのを待った。母親の時は顔を出した。ほとんどボケていたあの人は、僕を見た途端に、乾いた声で、ごめんねと一言。そのまま眠って数時間後に死んだ」
天狗の男たちが荷台と僕を繋ぎとめている間、僕はこれまで誰にも話せなかった暗い過去を早口に語る。ようやく誰かに聞いてもらえる機会が訪れたと思った。煙草のヤニがこびり付いて離れないように、あの瞬間の記憶は、壊れかけの脳が機能を止めようとする間際まで鮮明に焼き付いていた。生まれ変わっても、呪いの如くその思い出が襲い掛かる。こうやって人に痛み分けをしようとしても、親不孝者と罵られることは知っていた。前世の自分みたく、共感を得て、悲劇のヒロインのような扱いを受けようとしているわけでは無い。半分は僕の嘆きだが、もう半分は目の前で打ちのめされているこの男への教訓として言葉を残す。
「いくら詫びを入れようとも、それが改善に向かう姿勢を伴う謝罪なのか、後ろめたい気持ちを総した謝罪なのかでは、同じごめんなさいでも意味が違う。もしも、過ちを犯したがそれを活かすからもう一度チャンスをくれという意味ならば、その醜い面を上げて、もっと醜くもがくんだ。もしも、過ちを犯しました許してくださいという意味ならば、醜い面を僕らが洗って拭いておんぶにだっこもしてやる。どっちを選択しても、僕が文句を言う資格は無い。自分で決めるんだ」
一通り、過去の自分を責め立てるついでに、苦労を強いられている若造に声援を送り終える。男はいつの間にか息を整えており、体に理性を吹き込み、ゆっくりと立ち上がる音が聞こえた。
「すまなかった」
その一言だけだったが、それが、次はしくじらないという意思の籠っている言葉だと認識出来た。未来を見据えた声色だった。
「盛り上がっているところ悪いが、俺がいることを忘れてもらっては困る。女の命は依然こちらが預かっている。大人しくしていないと女を殺すぞ」
少し離れた場所で声が聞こえた。鎧の男の邪悪な言霊が発せられる。敵四人と人質を相手にしておいて、緊張も焦りも感じさせない余裕の雰囲気だ。周囲の状況を掴むためにその声の方に耳を集中させると、平手打ちをしたような嫌な音が響いた。
「おい!」
則の叫び声だ。次に虎ちゃんが則を呼び止めた。
「則!待て!駄目だ。手を出そうとすれば鎖が発動する。オリバーがこいつを護衛に付けたのは、こいつがベロニカと資産が同等だからだ」
「さっき逃がした奴らが言っていたことを思い出してください!オリバーにそんな金は無いですよ!」
「協力者という線もある。恩を与えてあるとか、別に人質がいるとかもある。今のオリバーは俺たちでは力量を正確に測ることは難しい。安易に近づくな。それに、現に今叩いて見せたろう」
ベロニカが叩かれた音だったようだ。最低な人間を見張り役に選んだオリバーにも、この男にも唾を吐いてやりたい。
「そうですよね…。オリバーさんは殺さないと言っていましたけど、場合に寄っちゃ…ということもありますもんね」
感情を抑え込むことに成功したようだ。男は何も言葉を発しない。それから再度ベロニカを叩く。
「悔しいですけど、黙って見るしかないです」
元は上手く理性をコントロールしているようで、冷静に話しているのが分かる。男が三度目の振り上げを見せた時、ベロニカが唸り声を上げた。
「君は…?えっと、ここは……」
数時間ぶりに聞いたベロニカの肉声に、母が蘇ったような感覚を覚える。
「おはよう。ベロニカ」
すぐにでも駆け寄って彼女を抱きしめてやりたいだろう。経験した苦難を共有したいだろう。彼女に怪我は無いか診たいだろう。しかし、行動を起こして良いのはこの場を支配している鎧の男だ。手を握るようにと話す声が聞こえる。皮肉にも、ベロニカとの出会いの地で、他の男に手を差し伸べられている。
「私は御父上様から命を受け、護衛を任された者です」
「え…?」
ベロニカは素っ頓狂な声を上げた。
「御嬢様は、商店区域で盗賊に薬を飲まされ、数時間の間眠ってしまっていたのです。私は御嬢様を助けるべく、彼らと盗賊を払いました」ベロニカの過去を詳しく知らない僕は、最初の言葉が嘘か判断が付かなかったが、嘘八百を並べる男の声色から真偽を見抜けた。やはり、無知というのは出遅れてしまう。
「ちょっと待ちなさい」
ベロニカが続けて何か言おうとしたのを遮って、鎧の男は続きを話した。
「御嬢様が家を飛び出した後、私は三年の間、常に尾行しておりました。失礼をお詫びします」
他から見れば、気持ち悪すぎるしつこいストーカーも同然だ。勿論、ベロニカも怒りを露わにして怒鳴り散らした。浴びせる言葉の全てが暴言であり、時折父親の悪口も混ざっていた。ベロニカの過去を少しでも知ろうと、彼女の言葉に耳を傾けようと努力したが、鎧の男が堪忍袋の緒を切らして剣を抜くのではないかと、心配する方に労力を削られた。虎ちゃんも同様に不安を感じたのか、少し上ずった声で仲裁に入った。
「御父上の気持ちも理解できる。確かにやりすぎではあるが、貴族である方が自らの地位を危険にしてまでお前を守ろうとしたんだ。自分でも理解出来るはずだ。君は家を抜けた時点で探し人だ。犯罪者の一歩手前の、娘の身を案じての行為だ」
僕に演技を披露した時のように饒舌だった。だが、あからさまに話を合わせている感じがした。ベロニカは腑に落ちないと言いたそうにむすっとしているが、口を閉ざして男の手を握った。
「さあ御嬢様。やることがあるのではないですか」
「そうね。でも君、私と組織のことをどこまで知っているのかしら」鋭い質問が繰り出され、再び一向に不安が走る。
「御嬢様が組織に属していることは存じておりました。しかし、屋内で集会をされる傾向があったため、具体的にどのような会話がなされているかは不明です。また、御嬢様が組織へ入るに伴って、私は御嬢様だけでなく、彼らのような賢い者たちにも悟られぬようにしなくてはならなくなりました。従って、遠くからの観察が主になり、夜、御嬢様の宅に怪しい輩が近づかぬよう見張り、昼は遠くから御嬢様の後ろを付いていくだけです。御嬢様が虎三郎様とパートナーになってからというもの、半分は彼に任せていました。これらのことから、私は、御嬢様についても、組織についても、一線を越えるほどの情報は持っておりません」
「まとめるのが下手くそね。もっと簡潔に話しなさい。ま、言い訳じみているところが本当っぽいけど」
妙に堅苦しく、回りくどい言い方は狙ってやっていたのかは不明だが、鎧の男はベロニカからの信用を勝ち取った。それが吉と出るか、凶と出るかは定かではないが、数多の難を乗り越えてようやく振り出しに戻った。
そこで、僕の体が揺れるのを感じた。次第に虎ちゃんたちの声が遠ざかり、風の音と馬の蹄の音が強くなる。仕事の遅い天狗の仮面の二人組がようやく馬を走らせたのだと理解した。虎ちゃんたちと離れ、悪意の元へ一人で赴くことに途轍もない不安を感じてしまう。これからは芝居も妥協も存在しない、本物の悪へと向かうのだと思うと胸が張り裂けそうになる。前世でこれほどの恐怖を感じたことは一度も無かっただろうと記憶を辿る。つい一日前から始まり、初めて記憶を持った幼少の頃まで時間を巻き戻した。その中で、一度だけ途方もない不安や失望を感じた時期があったことを思い出す。母が死んだあの日、僕を褒めること無く死んだあの日の自分が鮮明に蘇る。妻も子も存在しない、両親も旅立って、妹とも縁を切った孤独の僕が見えた。もう話すことも、僕を見て微笑むこともない母の遺体を、涙を流しながら眺めるだけの僕は、そこで初めて今までの行いを悔いた。本当の孤独を味わいながら、先のことが不安だと動かない母に話しかけた。親孝行もせずにごめんと謝った。虎ちゃんにあんなことを言っておいて、自分は人に教える立場にあってはいけないと思ってしまう。憎いと思った両親が息絶え、僕は自分を見失ったままなのだ。両親を見返すために金を持っても心が潤うことはなかった。しかし、それが自分の生き方であると己を洗脳し、両親の代わりにその辺の女に金を見せびらかしたり、武勇伝を語って自分を肯定した。吐き気を催す人生だった。そんな僕がこの世界へ来てからは、若造に自分の失敗を押し付けて偉そうに説教するばかりだ。ベロニカを助けたのも、誰かに自分を肯定してもらいたかっただけなのかもしれないと思った。現に今、全てをやり終えて魂が抜けるのを感じている。
それから少しして、馬車が停止する。男たちに固定を外され、荷台から降ろされてから目隠しが取れた。ライトを頼りに辺りを見渡すと、だだっ広い公園と思われる場所だった。手入れは全くされておらず、雑草が僕の腰まで伸びている。僕は両手で掻き分けて進まなければならない状態だ。何とか形を保っている滑り台やブランコが設置されているが、それらの遊具も半分は草に浸かっており、遊べる状態ではない。遊具から少し右へと視線を進めると、剥がれ落ちた壁面に公衆トイレと表記されたドーム状の建物や、二度と水が噴き出すことの無いだろう噴水、石で造られた椅子や机が設置されていた。かつてはここでピクニックでも開催されていてもおかしくないような、整備されていればとても美しいであろう場所だった。そこへ歩みを進めると、規則的に並べられた石畳や未だ形を保っている花壇が存在している。養分を失い気力を失くしたのか、花が不在の花壇に伸びる雑草は地へと頭を下げていた。また、日を避ける程度の屋根に、一辺だけ壁のある、日光を避けて団欒を行えるような建物が点在していた。
「貧民街と呼ばれる前、人々は皆が団らんできる場所を各地で建設した。ほとんどが石や煉瓦で出来ているが、技術よりも心が富んでいた。もう何百年も前の昔話だけどね」後ろからオリバーの声がして振り返る。オリバーはやあと手を振った後、遠くの星々を見上げながら話を続けた。
「ベロニカに傷一つ無かっただろう」
「ふざけるな。鎧の男が二度も叩いたんだぞ」
「怪我はさせるなと言ってあるから加減はしたはずだ」
淡々と話すオリバーに不快な気分が生じるが、殴り飛ばしてやると思えるほどの気力はもう無かった。
「少年の気持ちは良く分かる」
「たかだか二十数年しか生きていない男が何を分かるって?」
馬鹿にされたような気がして、苛立つ感情を殺しながらこちらも淡々と返す。こんな子供にムキになってどうすると自分に言い聞かせた。
「ベロニカを助けるって目標が失われ、ケイに助けてもらえる見込みも薄くなり、これからどうしていいのか分からないってのが今の少年だと思うんだけどな」
「見事に正解だよ」
オリバーは得意げに鼻を鳴らしてから、ドーム状の建物の方へと歩き出す。
「おいでよ」
僕は言われた通りオリバーの後ろを歩く。
「僕もそうさ。少年と同じように、この目標を達成した後の自分が無気力にならないか心
配だ」
雑草の音とオリバーの話し声が同じくらいの大きさで、聞き取るのに苦労を強いられる。
「一緒にするなゲス野郎」
「あの場所では演技が必要だったんだ。僕が悪役になりきるためにね」
オリバーが演技をしているのは理解していた。僕のことを普段は少年と呼ぶオリバーは、わざわざ誇張するように何度も坊やと言っていた。気付いてほしいという合図にも思えるほどだった。
「何で僕に気付かせるような真似をしたんだ」
「仲間が欲しかった。あれが演技じゃないと思われたら、少年は仲間になってくれないから」
「お前のような奴の仲間になんかならない」
しかし、そう豪語する僕の中にはお人好しとも思えるほどの良くない影が蠢いていた。僕は彼が誰の為に戦うのかを知ってしまったことを後悔する。
「頼むよ。弟と、結婚相手のためなんだ」
「虎ちゃんやベロニカ、ケイを巻き込んでまでやらなきゃいけないことってなんだよ。本当に金が目的なのか?それとも組織を潰すことが目的なのか?」
ドームへ到着する頃には、足場に石畳が敷かれており、邪魔な雑草は踝ほどの背丈になっていた。ドームの陰に身を隠し、何かを待つように外の様子を伺い始める。その後、僕に小さな背中を向けながら話を再開する。
「両方だよ。虎三郎が少年にやった拷問あるでしょ。スカウトされて入った僕らはそんなことやられなかったんだけど、自ら志願した人間はああいう風に素性を調べられるんだ。
それを弟の嫁が耐えられると思うか。それを弟は危惧している」
「そのやり口は確かに酷いが…組織を離れてひっそりと暮らせばいいじゃないか」
「それも出来ない。相手の女は中間層に位置する人間だが、貧民と大差ない貧乏な家庭だ。
エドワード一人ならあいつ自身の金だけで多少優雅に暮らせるが、二人となると厳しい。仕事に出ないといけなくなるし、僕らは顔が軍に知られているから危険が高まる。可能なら裏の仕事に就きたいが、裏の仕事で安全が保障されるのなんてこの組織くらいだろう」
「ならいっそのこと軍に確保してもらったほうが良くないか」
「軍がほぼ貧民のやつなんかを受け入れると思うか。必要なのはエドワードだけだ」彼が何をしようとしているのかを理解した。ケイが革命を起こそうとするように、オリバーも組織に対して革命を起こそうとしているのだと気付いてしまった。
「ケイに話し合いを持ち掛ければいい」
「何年も前に、このやり方を変えるよう説得を試みたが駄目だったよ。他にも異論を唱える人が何かいたけど、結局変えられなかった。確かに、これが一番の方法だとみんなが理解しているからね。ただ、人には道徳心というものがある」
やはり、頂点への道に人情など捨てなければならないのだろうかとケイの残酷さを悟ろうとしたところで、ヴァンや虎ちゃんの言葉を思い出した。
「でも、ヴァンも虎ちゃんも身を挺してケイに付いていこうと誓っているみたいだし、虎ちゃん曰く、ケイは体を張ってベロニカを助けるだろうとも言っていた。それに、オリバーもエドワードもケイによって安全を保障されているじゃないか」
そして、これは予想に過ぎないが、仲間を危険から守るために新人には非人道的な拷問を行っているのではないだろうかと思う。
「みんなケイが自分たちのために手を尽くしていると知っているから強く言えないんじゃないか」
オリバーは外を見たまま黙り込む。
「オリバーも分かっているんだろう。エドワードも」
「…うん。分かっているさ。でも…それでも僕は…ケイのように多くを天秤に掛けることは出来ない。僕の中にあるのは、エドワードただ一人だ」
オリバーにとってのただ一人の家族。その弟を守るためなら何でもしようというその覚悟は凄まじいものだと認めざるを得ない。しかし、オリバーの行動は結果的に自身が悪役に回ってしまう。それはエドワードにとって幸せなのだろうか。メンバーから嫌悪される兄を望む弟がどこにいる。
「僕とオリバーはまるで対称的だね」
そう言って微笑むと、その言葉の真意が伝わったのか、オリバーはこちらを振り向いて、月明かりに照らされてより美しく輝く緑の瞳で僕を見る。
「オリバーは家族を大切位にしなよ。自分の信じる道を進めば良い。エドワードが望んでいなくとも、オリバーがそれが最善であると思えるならそれで良い。自己中に生きることは間違いじゃない。守るべき大事な人のために全力を尽くすことが悪であるはずがない。
それぞれの信じる正義のために戦えば良い」
それを聞いたオリバーは静かに頷いてから口を開いた。
「作戦を伝える」