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知恵の戦争  作者: モノ創
6/13

五幕 天才の駆け引き

 第五幕 天才の駆け引き

 

  虎ちゃんはテントの主人を問い詰めるが何も喋らなかった。ベロニカを攫ったのは明らかに計画的である。この二人が口裏を合わせ、ベロニカから目を離させて時間を稼いでいた。虎ちゃんは、二人を殺す勢いで迫っていったが、騒ぎを起こしても役所の人間が駆け付けて、より面倒になると説得して落ち着かせた。うんともすんとも言わない二人に構っていても時間の無駄だと考え、馬車の方に異常はないか確認しに行くことにした。リハオユは何も知らないようで、近くで別の馬車を管理していた人間に聞いて回ってくれたが収穫は無かった。ベロニカが攫われてからそう時間は経っていないはずだが、探そうにも、このテントの数と人の数に邪魔されてしまうのは目に見えている。リハオユはトイレにでも行ったのではないかと諭してくれているが、これだけ警戒して街へ入ったというのに黙ってトイレへ立つとは思えない。危険が常に隣り合わせに存在している限り、ほうれんそうは徹底しているはずだ。

「どうする虎ちゃん」

 同じ所を行ったり来たりしているが、どうやら判断力は鈍っていないようで、用を足しているだけかもしれないから大事にはするなとリハオユに忠告し、もう一度人混みの中へと向かった。僕は置いて行かれないように付いていく。

「リハオユに口止めしたのはナイス判断だったけど、これからどうするつもり」

「これだけ人がいるにも関わらず、誰の注意も引かずに誘拐するのは極めて難しい。相手は慣れている人間で間違いない…いいや、周りの人間もグルだったのかもしれない」確かに、騒ぎ立てる人もいなければ、ベロニカの悲鳴さえも聞こえてこなかった。「テントの中に口を塞がれた女がいたら異常だ。俺があの店主二人に突っかかった時にテントの中を見たが、ベロニカが見ていたテントは奥が服で見えないようになっていた。眠り薬を服に紛れさせ、この服の売りは匂いですなんて言えば服好きのベロニカは簡単に食いつくだろう。俺でもこんな人の多いところで誘拐されるなんて思わなかった。それに、顔が表に出ていないからと油断していたというのもある」

 分析は立派なものだった。闇雲に怒りをぶつけていたわけでは無いようだ。流石、裏の世界で生きているだけはある。

「それで、眠らせてどうしたって言うんだ」

 テントへ再び赴くが、どちらのテントも無人で、中の物はそのまま放置されていた。虎ちゃんは何かを確かめるようにベロニカがいたテントに入っていく。奥に重ねられている服の山を脇に退かすと、人一人が入れそうな空間があり、裏口と呼ぶには簡易であるが、大通りを回避するために無理矢理切り抜かれたような穴が開いていた。

「テントを上手く囲って、服の山に埋めたんだ。まあ全て推測だが…」

 そこで虎ちゃんは何かに気が付いたのか青ざめた表情をしながら黙り込んでしまった。彼の不安因子について聞きたいが、どうにも話しかけ難い緊張感が漂っており、少し気を使って独り言のように呟いた。

「聞き込みはやめておくべきかな」

「やめておけ。軍の耳に入れば、ベロニカを探す人間が根絶やしにされちまう」顔色は変わらないものの、沈黙は破られたのでその流れで虎ちゃんの懸念を問う。

「一体何に気が付いたってんだ」

 虎ちゃんは僕らが歩いてきた方向を注視しながら話し出した。

「さっき俺たちがこっちへ戻ってくるとき、大きめの米俵を運んでいた三人組が歩いて行ったのを見た。あいつらだ」

 確かに見たような気がする。しかし、その三人組だと仮定するならばこっちにとっては好都合なのではないか。すぐに追いかければまだ追いつく可能性も残っている。

「ならさっさと追いかけよう」

「駄目だ。無防備に追いかけてはいけない」

「そりゃあ馬鹿みたいに大声出して追いかけようってわけじゃないさ。でも早くしないと手遅れになるぞ」

「もう手遅れかもしれない」

「取り敢えずここを離れよう。楽しい祭りの風景に顰め面は似合わない」

 僕と虎ちゃんは護馬人の元へ戻ることにする。しかし、そこでまた問題が生じる。

「おい…リハオユが馬車を走らせたぞ!」

 目にしたのは、リハオユが手綱を振ってどこかへ出発するところだった。周囲を気にしながら乗馬するその姿は、僕らの目には盗人として捉えた。

「馬車を移動させなくちゃいけない規則があるんだったらいいんだが」

 そう言いながら虎ちゃんに目を移すと、彼はようやく我を取り戻したのか見開いた目でリハオユを追っていた。虎ちゃんは何も言わずに走り出し、近くにいた護馬人を突き飛ばした。

「おい!キサマ何の真似だ!」

 尻もちを着きながら虎ちゃんに叫ぶが、彼は声の主を見ることも無く護馬人が警護していた馬に飛び乗った。

「早く来い!」

 虎ちゃんは僕に対し、一層強張った怒鳴り声を上げながら手綱を握る。

「一人じゃ鐙に飛び乗るのも苦労する!」

 自身の首辺りに見える鐙にどうやって足を掛けろと言うのだ。文句を飛ばそうと思うも、虎ちゃんの憤慨する表情に臆してしまう。気が動転して再び僕を殺しかけない。ベロニカが居合わせない今、彼を制御できる人間は彼自身だ。変に怒らせてしまわぬよう肝に銘じる。

「悪いが手を貸してくれ!」

 虎ちゃんはこちらへ体を向けて手を伸ばす。僕はその手に捕まろうと試みるが、後ろから腕を引っ張られ後ろへよろめいてしまう。

「この泥棒め!行かせるわけにはいかない!」

「馬護人如きが出しゃばるな!」

 大慌てで飛び乗ったと思ったら、今度は勢い良く飛び降りて、そのまま護馬人の顔面に拳を入れた。鈍い音を立てながら仰向けに倒れて動かなくなる。

「やらかしすぎだ!」

「死んじゃいない!」

「そうじゃない!軍が駆け付けるぞ!」

 虎ちゃんは一瞬だけ体を固め、自分が何をしでかしたのかを確認するように、白目で倒れる男を見つめた。我に返ったのか、表情を強張らせながら周囲を伺い、慌てた様子で走って商店区域へ入って行く人々に気付く。

「もう後悔しても遅い!やっちまったことは取り返せない!でもベロニカはまだ取り返せる!だから行こう!」

「…そうだな」

 意を決したのか、今度は激しく頷いた後に馬に乗ると、再び僕の方へ手を差し伸べた。その手を掴みながら鐙に右手を掛けて、体重を右腕に乗せながら跳ぶと、虎ちゃんが思い切り僕を引っ張り上げる。

「お前は馬の背に捕まっていろ!」

 荷台が無い馬のため、僕は振り落とされないようにしがみ付くしかない。乗馬の技術が無いことを察していた虎ちゃんは、僕を抱えるように脇を締め体重を僕の背に預ける。

「安全運転で頼む!」

 ノーと言わんばかりに思い切り手綱を引っ叩き、馬は突然走り始める。後ろへ吹き飛ばされそうになるも、虎ちゃんの巨体によって守られた。

「まだベロニカは視界の先だ!」

 幸いにも、リハオユが向かった方角は一直線の道が続いており、何とか見失わずに済んでいた。しかし、彼と僕らの距離は五百メートル近く離れてしまっている。商店区域を背にして走る僕らの眼前には住宅地が並んでいて、どこかで細い道を曲がってしまえば追うのは不可能だ。

「どけどけどけ!」

 虎ちゃんは周囲の人間に叫び散らし、道を強引に開かせる。すれ違う人々は僕らに罵声を飛ばしながら退いてくれていた。馬の頭が上下に揺れる度に、強烈な向かい風に息が苦しくなる。ふと、昔の記憶を思い出す。どうしてか、この記憶を虎ちゃんに話したくなった。父親に似ているからだろうか。空を切る音にかき消されないように大声で話す。

「昔、人が乗る馬の時速を教えてもらったことがある!七十キロは出るって話だった!今もそれくらい出てるのか!?」

「そんなところだろうな!何だ!怖いのか!」

「そうだよ!」

 記憶の中から頻繁に顔を出す父親は酷いものだった。点数、金、仕事で僕を縛り上げ、思うような数字が出なければ呆れていた。小さい頃はよく殴られた。しかし、時折僕に愛情を見せるような行動を取っていた。それが不思議でならなかった。そんな気まぐれな父親のせいで、日々人の顔色を気にするようになった。毎日が恐怖だった。外に出れば人間関係に怯え、殻にこもれば親が破壊してくる。死と隣り合わせという程ではないが、僕も恐怖に耐えてきた。

「でも、僕も怖い物には慣れっこさ!死の恐怖は一瞬だけだ!僕は何年も怯えながら暮らしてきたんだからな!」

「何が言いたい!」

「心を保てってことさ!怖くても、不安でも、乗り越えれば未来がある!だから死に物狂いで掴みに行こう!」

 数秒の間、馬が土を蹴る音だけが聞こえていた。等間隔で直列に並ぶ馬車とすれ違い終える頃、僕の髪の毛が靡く音が聞こえた。そして、覚えのある、ごつごつした掌の感触を味わった。 僕らの心の距離と同じくらい、リハオユが乗る馬車に近づいていた。野球で言う塁間くらいの位置取りで、後ろを付けている。

「エクリプスは体力が限界だ!休ませろ!」

 大声で叫ぶも、リハオユはこちらを振り向きもしない。人通りも少なくなり、住宅の背丈が少しずつ高くなっている。遠方には例の巨大タワーマンションが集合しているのが見えていた。エクリプスと盗んだ馬の足音だけが響き渡り、こちらのリズムの方が早く刻まれている。

「もう少しで追いつけるぞ!」

 虎ちゃんがそう叫んだ刹那、エクリプスは右へと急カーブして建物の間へと入り込んだ。二、三秒後に僕らも続く。今度は左へと曲がって行くのが見え、後を追う。そんなことを繰り返しているうちに、遂にエクリプスの体力が限界を迎えた。脚が体重を支え切れずに転倒し、リハオユは投げ出された勢いで汚い壁とキスをする。

「エクリプス!」

 虎ちゃんは馬から降りると、真っ先に愛馬の元へと駆け寄った。体の小さな僕を気遣って欲しいところだが今回は許すことにした。一度降りてしまえば再び乗るのに苦労すると考え、地に膝を付いて蹲るリハオユを馬の上から監視する。顔面から壁に激突したため、ピエロの鼻のように赤く腫れあがっていた。痛みによる苦しみに耐えようと鼻を抑えながら呻き声を上げている。

「エクリプスの無事が確認できたなら今後のことを考えよう」

「怪我をしている」

「大事に至るほどにか」

「いや…すぐにどうこうなるような怪我じゃない」

「なら早く今後のことを考えるんだ」

「傷口に菌が入って悪化してしまう!」

 虎ちゃんは不安そうにエクリプスの足首を見ている。出血は少なく、命に関わるような怪我とは思えなかった。体力が底を尽きているとはいえ、ゆっくり休めば回復すると思われるが、虎ちゃんはそれほど心配するまでにこの馬が大切なのだろうか。自分たちが軍に捕らえられるよりも大事なものなのだろうか。

「大丈夫だ!これだけ走れる馬ならまだ若いんだろう?何をそんなくよくよしてるんだ!」

「お前に何が分かるってんだ!」

「これでも医療を学んでいる!」

「それは人に対してか!?馬に対してか!?」

 そう言われてしまうと困る。動物に対しての医療の知識など皆無だが、飼っていたペットや番組で見る猿などは怪我をしていても自然に治癒していた。しかし、それを虎ちゃんに伝えても納得はしないだろう。

「…人だ」

 僕は諦めてはっきり言ってしまう。

「済まない。僕も焦っているんだ。今や僕も軍に追われる身だ。捕まったら何をされるかわからない」

「ああ…分かっている。俺も組織とベロニカが心配だ…。でも、この馬は特別なんだ。ベロニカとの結婚祝いで、二人で買った馬だ。思い出の詰まった馬だ。そしてこいつも、俺たちとの思い出がここに詰まってる」

 虎ちゃんはエクリプスの胸を指で差した。エクリプスは虎ちゃんの想いに応えるように呻き声を上げて目を閉じた。呼吸に合わせて体を上下に動かしているところを見ると、単に疲れて眠ってしまっているだけのようだ。

「これで分かったか。眠って置かせていれば問題ない。このまま眠らせておこう。路地裏だし、ほとんど人は通らないはずだ」

 虎ちゃんには申し訳ないが、たとえこの馬にどんな思い入れがあるとしても馬は馬だ。自身の命に代わるものは無い。

「俺も最初に飼った犬が死んだ時、近所の爺さん婆さんが死ぬよりも、時々しか会わない親戚が死ぬよりも悲しかった。でもな、次にまた犬を飼って愛情を注いでいる内に、その悲しみは思い出に変わり、今度はこの犬との思い出を作ろうとする。昔の女を忘れるように悲しみが薄れ、違う愛情が芽生えてくる」

 そこまで言うと、虎ちゃんは僕の胸倉を掴んで宙へと持ち上げる。今にも噴火しそうな火山のようなしかめ面を見せながら、まだ幼い子供の顔を殴った。

「虐待だ」

 僕はじんじんと強打を訴える頬に手を当てることも無く冷静に言葉を発し、今何をすべきなのかを考えるようにリハオユに目を向ける。鼻血が大量に零れ落ち、紳士を着ていた服は彼の本性を表していた。

「それ以上言ったら…次はこんなもんじゃ済まないぞ」低く唸ると僕を放り投げてエクリプスの方を向く。

「ごめんな。少しそこで休んでいてくれ」

 僕は血液が混じる唾液を足元に吐き捨てる。僕らが同時に目を離したのをリハオユは見逃さなかったようだ。その一瞬のうちに立ち上がり、一目散に路地を走り始める。

「おい!待て!」

 僕が叫ぶのより早く虎ちゃんが追いかける。軍から逃げること、ベロニカを救出することを考えると、まだ体力のある馬が必要だ。

「待て!待てだぞ!」僕は馬に対して、犬に指示をするような声をかける。理解してくれたようで、僕が走り始めてもその場に静止していた。

「いい子だ」

 僕は前を向いて全速力で大人二人を追いかける。今度は人力で迷路のような細道を駆け巡るが、流石に歩幅が違いすぎて見失ってしまう。暫く辺りを適当に歩いていると、道の角で虎ちゃんに出くわした。

「遅かったな。ここだ」

 角を曲がると、木造の建物が続く異質な場所に出た。ここだけ和の色が強く表れており、暖簾が掛かった家や、縁側のある家も見られた。日本に生まれた身からして、こういった建物は当然見慣れたものであるが、ハリーポッターの街並みとスーパーマリオのステージが隣接するあのテーマパークのような、異質な空間だと認識してしまう。

「なんだここ…」

「闇市だ」

 安全な日本の地を物騒な闇市とするなど悪趣味もいいところだ。

「麻薬とか、武器とか売ってるってことか」

「そんなところだ。しかし、この闇市は王が唯一目を瞑る無法地帯で、ここの規律はここを取り仕切る男に一任されている。面倒を起こせば王に反逆することと同じくらいの罪だ。

 王が何も言わない理由は不明だがな」

「そんな忠告は必要ないよ。もう沼地の河童に足を取られてるからね」

 僕らを導くように続く血痕を眺めながら皮肉を呟く。虎ちゃんは鼻で笑い飛ばし、特に反論してこない。虎ちゃんはその血を踏みつけて殺意に満ちた表情を浮かべる。必ずとっ捕まえて拷問してやるのだという意思が伝わった。

  闇市に足を踏み入れようとした直後、後ろから何か叫び声が聞こえた。

「おい!!」

 聞き覚えのある声の方を振り向く。

「最悪のタイミングだ」

 僕の呟きが聞こえた虎ちゃんは、そうだなと頷く。声の主はサモス兄弟の片方だった。彼は小さな体で上手く馬を操りながらこちらへ向かってくる。銃を構える様子をみた虎ちゃんは、懐から銃を取り出して構える。互いに殺意を飛ばしながらもその距離は近付いていく。

「撃たないから。馬を降りるぞ」

 僕らの目の前で銃を下に向け、ゆっくりと馬を降りる。虎ちゃんもそれに合わせて銃を下げる。

「僕はオリバーだ。君たちの組織をちょいと調べさせてもらったんだけどね。流石に貴族が絡んでいる組織に手は出したくないってのがリーダーの意見だ。だけど俺たちが先に目を付けてた少年でね」

 オリバーはアジトで話した時のような無邪気さは薄く、交渉人として送られているのか饒舌さを見せた。

「だから何だって」

 虎ちゃんはオリバーの意図が分からないのか、ベロニカやリハオユのことも相まってか、体を揺らして落ち着かない様子だ。

「簡単に話せ」

「分かったよ」

「その子を少しだけでいいから貸して欲しい。これからすぐ行われる作戦に必要なんだ」虎ちゃんは体を揺らす仕草を止めない。

「俺には…良く分からない」

「君たちが窮地に置かれている状況は分かっている。暫く君たちを観察していたからね。君の子分の目を盗んでリーダーが僕だけ逃がしてくれて、それから君たちの後を追ったんだ」

 一呼吸置いてからオリバーは手を差し出す。

「僕の力が必要だろう。協力する。その代わり一旦その子を貸してくれ。明日の正午には返す。僕が君を手伝った事はリーダーに言えない。そして君も少年を手放したことをリーダーに言えない。これは君と僕だけの内で交わされる交渉だ」

 虎ちゃんはその言葉の意図を理解したのか、その図体に見合う立ち姿を取り戻し、彼の手を握った。

「何の話をしているのやら」

 置いていかれることに関して慣れてしまった僕は、話に割って入るようなことはしない。今はベロニカをこの三人で救出するということだけ理解していればそれで良いのだ。

「まあ今は何も聞かないよ。とにかく、この先リハオユをどう追い込むかを考えよう。あんな騒ぎを起こしてまで追いかけてきたのに逃げられたんじゃマイナスでしかない」

「エクリプスのことも忘れるな」

「馬も酷使させられただろう。それは誰のせいだ?リハオユだろ?結局はマイナスのままだ」

「分っている」

「おいおい。いい加減作戦を考えよう」

 ヒートアップしてきた言い合いをオリバーが制して互いに謝る。

「いいな。まずは彼がここへ逃げ込んだ理由を考えないと。彼がここで何をしたいのか先読みして、僕らが彼より早く回れば良い」「その点については僕に一つ推理を披露させてもらいたい」

 闇市と聞いてもしやと思ったことがあった。そのもしやをだからに変換させるために、もう少しここの特徴について詳しく聞かなければならない。

「闇市に武器や麻薬があるってのは確かなんだよね」

 虎ちゃんとの会話を思い返し、確認するためにもう一度訪ねる。

「そうだな」

「ということは、麻薬を打つための注射器や、注射の方法を指導する人物がいる。つまり、医術に詳しい人物がいるということだ」オリバーが待ったをかける。

「麻薬って言っても指導料や注射器具で金が掛かるから基本的に吸うタイプのやつだよ。

 注射タイプを購入する輩はそういない」

「良いことを聞いたよ」

「つまり?」

「高額を払える人間は身分が高いってことだろう?」

「そうだね」

「つまり、偉い人間には賢い人間が付くってことさ。その辺にいる医療をかじっただけの人間じゃなくて、ちゃんとした医者がいるってことさ」そこで虎ちゃんが補足を入れる。

「確かに、ここには貴族街で働いていた医者が二人常駐しているって噂がある」

「リハオユは赤鼻の痛みを緩和させるために医者を訪れるってことさ。薬が高額なら、少量の麻薬でも買うんじゃないか。麻薬には痛みを緩和させる効果もあるから。どっちにし

 ろとにかく医者を訪ねるはずだ」

「中々頭が回る少年だね。やっぱり、うちのリーダーが見込んだだけある」

 僕はケイに見込まれて手を課せと言われていたのかと考えて少しだけ得意な気分になる。そのままもう一点だけ考えられることがあると話を続ける。

「あとはリハオユが僕らに銃を向けなかったってこと。馬に乗りながら後ろへ発砲するのが難しかったとしても、馬から降りた時にはかなり近づいていたはずだ。僕らから逃げる余裕があったなら二人とも殺してしまうか、怪我をさせるだけでも逃げやすくなる」

「つまり、武器屋ってことか」オリバーが先に言ってしまう。

「銃を買いに行くってことか」

 虎ちゃんも理解したようで僕を見ながら呟いた。しかし、何か気になることがあるのか低く唸る。

「虎ちゃんは他の考え?」「いいや。他の考えってほどでもないが。リハオユの目的が俺たちをここへ誘導することだったって可能性もある。ベロニカを攫った理由が俺たちにあって、俺たちは生かしておかないといけなかったとかな。」

「僕らを生かしておく必要があるなら、あんな人が大勢いる中で僕らを怒らせなくてもいいじゃないか。もっと人気のない場所で仲間を使って安全に囲えばいい。捕らえてさえしまえば煮るなり焼くなり好きにできるんだから、ベロニカをこそこそ攫う理由もない。二つ目の問題については多少は我慢するしかないと思う。闇市を馬で走れなくとも、こっちは三手に分かれることが出来るわけだし、リハオユから受け取る五十万円でここの人に協力してもらうことも可能だ。闇市から抜け出したって情報が入れば、こっちには馬がある。何もしなければリハオユは武器が手に入り、闇市の中を自由に行動されてしまう。こちらに分がある状況を作り出すという意味でもやるだけ損は無い」

「まぁ…そうだな…」

 彼はかなりの心配性のように見える。僕を拷問した時も、危険因子は必ず潰しておきたいという気合を感じられた。

「虎ちゃん良く考えるんだ。危険な要因は君たちが反逆者な時点で沢山存在する。それでも今までやってこられていたのはきっと君のボスが切れ者だからだ。守られているってことだ。でも今回は自分達だけでやらなくてはならない。君たちのボスがどれだけ賢くとも、危機回避のためにやることは僕らと同じ。何を切り捨てるかだ。敵の様子を探っている場合じゃない。今は敵の内情調査を切り捨てて山を張らなくちゃいけない場面だ。僕らの目的は定まっている。どんなハプニングがあってもベロニカを救出すること。最悪リハオユは無視して構わない。既に敵の罠に掛かった獲物を逃さないためには、組んだ手順を丁寧に遂行すること。僕らがリハオユを捕えても、無視しても、敵からしたら想定外のことだろう。分かったか」

「分った」

 今度ははっきりとした返事を聞けた。虎ちゃんの目線は上向きになり、未来を見据えた目付きに変化する。少年からの度重なる叱咤に思う所があったのか、僕の方頭を軽く撫でてから、ありがとうと小声で呟いた。照れくさそうに礼を言っていた父の姿が重なり、胸の奥が熱くなる。

「さあ。行こう」

 再び思い出補正の脅威を感じて、すぐさま回想に入りそうになるのを振り払う。

「手分けして向かうのがベストだけど…」

 それでは都合が悪かろうと考えて、協定を結んだ二人を見る。

「少年は僕についてもらう。君らは反撃してこようと思えば僕らの組織何てすぐ壊滅しちゃうからね。対して僕らは防衛する手段を持ち合わせていない。分かる?裏切ったりはしないってこと。逆も然り」

「そうだな。俺たちがお前を置いて逃亡したら、お前たちは俺たちに手出しは出来ない。

 今回は特別にそっちの事情を吞んでやろう」

「どうも」

 僕はオリバーに手招きされて彼の後ろへ下がった。彼の後ろから顔を出しながら次の行動について指示を出す。

「頭の固そうな医者とのやり取りは時間が掛かるだろう。注射の指導とかもしているかもしれない。虎ちゃんは医者を当たってくれ。リハオユを見つけても無理に捉えなくて良い」

「じゃあどうするんだ」

「二人とも武器を出してくれ」

 二人は互いを警戒せずに武器を取り出してから僕の前に差し出す。

「二人でこの武器に値を吹き込むんだ。武器屋の店主を言いくるめてこの武器を自分たちの所有権のまま武器屋に置いてもらう。勿論、置く武器屋はリハオユが来店する確率を上げるという意味で別のお店だよ」

 再度オリバーが僕の作戦を即座に理解して口に出す。

「その武器を取ったら最期。僕らよりも十万円以上の差が生じて反撃できないってことだね」

「そういうことさ」

「しかし少年。リハオユが僕らに抵抗できなくなったとして、逃げられたら元も子もない。武器屋でその銃を買わせるにしろ、ここに集合していたら武器屋まで走っている間に逃げられてしまうよ」

「多少は我慢するしかないと思う。闇市を馬で走れなくとも、こっちは三手に分かれることが出来るわけだし、リハオユから受け取る五十万円でここの人に協力してもらうことも可能だ。闇市から抜け出したって情報が入れば、こっちには馬がある。何もしなければリハオユは武器が手に入り、闇市の中を自由に行動されてしまう。こちらに分がある状況を

 作り出すという意味でもやるだけ損は無い」

 僕の言葉を聞き終えたオリバーは楽しそうに拍手をする。何がそんなに面白いのだろうか。

「で、少年よ。額は幾らにするんだい」

「まあ十万円でいいんじゃないかな」

 そこでオリバーは唐突に悪人面に変貌し、悪魔の一言を放った。

「どうせならチキンレースと行こうじゃないか。ふんだくれるだけふんだくろう」

 その案に安易に賛成できなかった。なぜなら、持ち金が皆無になった時点でその人は死んでしまうからだ。虎ちゃんに向けて発砲した僕が言える立場かは怪しいが、リハオユに尋問が出来ないという懸念以前に人殺しは良くないという人道がある。「俺もオリバーの意見に賛成だな。エクリプスを使った罰と、今後俺たちに関われないようにするためにだ。顔も見られているし、リハオユが次に行動を起こせないようにするというのは良い考えだ」

「そういうことか」

 人道などとは言っていられないのだろう。金を残したまま逃がしてしまえば、次にいつ襲われるか分からないという懸念をしなければならない。面倒な世界だ。

「分かった。でも、死んだらリハオユの目的を聞くことは出来なくなってしまう。で、ぎりぎりのラインは幾らなのか見当はついているの」

「攫われた女は、結構な金持ちだっただろう」オリバーは虎ちゃんに言う。

「彼女はおおよそ五十万円を持っていた。お前に金を渡す前まで」

「少年はいくらもらったんだい?」

「十万円だよ」

「じゃあ女の所持金は四十万円だったってことか。でも、敵視点では五十万のままだよね。

 ってことは…リハオユは六十万円くらい持っていたんじゃないかな」虎ちゃんは唐突に苛立ちを見せて、自分を叱咤するように叫ぶ。

「くそっ!馬を渡したときにあいつの金を確認しておくんだった」

 確かにその通りだが、僕からはリハオユの体が光る様子は見られなかった。ベロニカの数字の部分が光っていたのをたまたま観察していたが、その人個人で数字が刻まれる部位は異なっており、その部位のみが光るような仕組みになっているのだろう。

「リハオユのあのコートは数字を隠すために着ていたんじゃないか。それならリハオユの作戦なわけで、虎ちゃんに責任は無い」

「…そうか」

「良し。もし医者の方が当たってしまったら銃の作戦は一旦打ち切りだ。僕らは銃を置いたらすぐにこの場に戻る。虎ちゃんもある程度観察したら無理せず合流してくれ」

「ああ。心配するな」

 虎ちゃんは僕に、鋭くも悪意は無いと思える目を向ける。

「大丈夫。必ず助けよう」

 虎ちゃんは一つ頷いて、暫く僕を見つめてから言った。

「どうしてお前はそこまでしてくれるんだ?俺はお前を喋れなくなるまで殴った。お前を退け、まともな会話もしなかった。それなのにどうして俺を励まして、ベロニカや俺のために自分を差し出すんだ?お前を利用するだけ利用して殺そうと企んでいるかもしれないというのに……」難しい質問だった。「僕でさえ、上手く説明できるほど感情が纏まっていない。幾つもの糸が複雑に絡み合っているみたいに。強いて先端だけを千切りとるならば、少なくともベロニカは、助けたいと思える人間だったからだ。拷問をされた時点でベロニカが演技で僕にやさしく接するのは無意味だよね。拷問している奴と同じ目的って僕に公開しているのに、虚偽の優しさで利用しようって可笑しな話じゃないか。それに虎ちゃんのことを正直に旦那って紹介したんだ」

 全く躊躇せずに話してくれたベロニカを思い出して表情筋が緩む。今思えば、旦那が絶妙なリアクションを取ることを見越して僕に話したのだろう。ベロニカはこの男の扱いが上手だった。ベロニカが僕を利用したとすれば彼を困らせることだ。

「ベロニカは僕に素で優しくしてくれたんだって思ってる。それに、ベロニカが楽観的だったのは、虎ちゃんが守ってくれると信じていたからなんじゃないかな。そして、虎ちゃんは虎ちゃんでベロニカに危険が及ばないように僕をあそこまで追い込んだんだろ。組織の命令もあるかもしれないけどさ」

 彼の強張っていた表情が和らいでいく。僕と出会ったときから常に眉間にしわが寄っていた。時折歯を噛みしめていることも分かっていた。得体の知れない人間を、自分やベロニカが請け負うということにずっと不安を感じていたのだろう。

「どうしてそう思えるんだ」

 ベロニカが攫われてから震えていた声も、図太さが戻ってきている。

「僕が君たちよりも長く生きているから」

 何となく納得させれば良い。ベロニカを助け出すということが目的である彼に、僕が手伝う理由の説得は必要ないのだ。利益不利益を抜きに、精神論で語っても良いだろう。

 出会って半日も経っていないが、ベロニカや僕と過ごす時間は濃密なものだろう。互いに目的は違くとも、交わした会話は、出会いがしらでなく魂が籠っていたはずだ。一つでも発言をしくじれば命取りになる。そういうやり取りをしてきたのだ。現在から次の行動へ繋げるための手綱を握りしめていたはずだ。彼が引く手綱は、経営者のような金の臭いも、コンサルタントのような胡散臭さも、病院職のような陰気臭さも感じられなかった。正体不明の暴れ馬に大事な妻を乗せ、ケイや王政といった強敵と戦を交えてゴールへと突き進む。そんな懸命に生きている彼らを羨ましいと思った。目的も無く、人を小子馬鹿にしながら何もしない人生を送ってきたことを悔いているからかもしれない。誰からも看取られない人生に別れを告げたいからなのかもしれない。もう戻ることのできない前の人生を悔い無く終えていたらどんなに幸せだっただろうか。

「そうか……」

「僕は君たちよりも裕福で技術が進歩した世界で暮らしていた。夢を持てばそれが実現する世界だ」腰に手を当てて、分厚い雲の向こうを見るように目を細めながら過去を振り返った。

「そんな世界で僕は自己中心的で、友達も妻子も持たずに人を金で見ていた。僕がいた世界では、金持ちが幸せというわけじゃないんだ。金はただ、幸せの水準を高くする悪魔だ。その悪魔に取りつかれ、金でモノを言わせて、無限に上がり続ける水準に満足が追いつくはずも無く、悪魔を宿したまま孤独に死んだ」

 そんな人生でも眩しい日々があったであろうと言うように、少しずつ雲が晴れていく。思い出のエピソードが写真としてまばらに刻まれるように、星がちらほらと顔を出していた。

「こんな僕に、神の恵みか嫌がらせか、もう一度幸せを模索するチャンスが与えられた。前世一生分をかけて築いてきた財産や、母の形見である体は失ってしまったが心だけは残っている。僕も、君たちのように…古い恋人や友人のように、頑張って頑張って、幸せを掴んでみたい」

 太陽の光線が月に反射し、月光が彼の瞳に反射した。その光は彼の心を照らして、輝いた魂は行動を起こす力の源となる。

「…死ぬなよ」

 始めて僕を気遣う言葉を掛けたのではないだろうか。あの暴力を振るっていた獣の姿とはかけ離れた態度に驚きを隠せない。何と返せば正解なのかを模索する。

  そんな僕を見て愉快に思ったのか、少しだけ口角を上げてから闇市を向くと、静かに走り始めた。その後ろ姿に再び父親の面影を感じて、懐かしき日々がフラッシュバックする。事あるごとに僕を殴る男。休日にテーマパークへ連れて行く男。母に手を挙げる男。母と楽しそうに花火を見る男。これら全てが同一人物であるということに混乱する幼き自分。父親の笑顔も偽りの無いものだっただろう。しかし、あの男によって僕が捻くれたのも真実だ。

「僕らもいこうよ」

 オリバーに背を叩かれて現実へと帰還する。異世界という名の現実に戻される。

「うん」

 僕は過去の記憶が頭に染み付いて離れないまま、危険な闇市の道を走った。


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