三幕 異世界のルール
第三幕 異世界のルール
アジトの中は食事処と唄われるだけあって、それなりに整備されていた。部屋全体に光が灯るように四台の蝋が設置されてある他、火を付けるための携帯コンロが幾つかと十数枚の食器、数個のグラス、木製の四角いテーブルと不格好な椅子が並べられていた。とはいえ、コンロ以外は木製で、衛生面は保証されていなかった。屋内を検閲する僕を迎え入れたのは双子の男だった。二人とも高身長とまでは言えないが、顔つきから推察するに、まだ高校生くらいだろうから伸び代はある。美しい楕円型に収まる瞳は緑色で、短い茶髪に長身細身といった、ヴァンとは正反対の見た目だった。何より二人とも穏やかだ。一つ残念なのは、僕らと同じ理由なのか、そのボロボロの服装だった。
彼らに水を入れてもらい、奇麗に並べられた丸太の上に腰を掛け、円卓で会議を行う。双子に名前を教えてくれと言われるが、ヴァンとのやり取り同様、記憶喪失ということで誤魔化した。第一、前世の名前がこの世界観に通用するのかが心配だった。出会った人物の各々、容姿の特徴が異なるのだ。ヴァンは純南米人だと思われるが、向かいに座る金髪の男は日本人の面影もあり、北欧系の血が混じっている節もある。双子の彼らは目の色、肌の色から純北欧系の人々を連想させる。日本に馴染のある国の顔立ちは何となく見れば分かった。赤髪の女性は韓国顔だ。今になって思い返せば、貧民街を歩いていた人々も見慣れない顔立ちが多かった。つまり、ヴァンの名前しか知らない現状で、名前を語ることは得策ではないのだ。もし仮に、この場所で人種が存在していて、その人種によって名前の付け方が違っているなら、自分の顔に合う名前を突き止めなくてはならない。
「何だか自分の名前を考えているように見受けられるよ」
青年に嘘は通らない気がしてきた。サイキックはこの世界で当たり前なのだろうか。
「なあ人の心が読める体質とか存在するのか」「そんなものは無い。ここは科学の世界だぞ」
一体どのような世界観なのだろう。ドラゴンやユニコーンが出てきて、魔法の世界だと言ってくれたほうが理解しやすい。それに、そういった完全ファンタジーの方が心躍る。
こんな現実味を帯びている異世界物語など、単に死が身近に存在するストレス地獄だ。「もう自分でも何が何だか分からない。僕は常に正直に話しているとだけ知っておいても
らえれば満足だ」
半ば諦めながらため息交じりに言葉を吐くと、不信感と好奇心をかき混ぜたような表情で、双子の片割れが机の上に身を乗り出す。
「つまり、親も家も名前も分からないのか」
金髪の男が双子を手で制し、事の経緯を簡略に説明した。彼らは怒ったり動揺することなく黙って聞いていた。時折考え込んだりしていたが、何をどう解釈したのか二人で顔を見合わせては頷くということを幾度か繰り返して終わりだった。説明を終えると同時に、二人はやたらと口元を震わせて何か衝動を抑え込むような仕草を見せた。
「良し。話していいぞ」
金髪の男がそう言い終える前に、双子は満面の笑みで、再び机に身を乗り出していた。
「君はどういう人間なんだい?」
「ローブを見せてよ!」
「いいやそれより先に何を知っていて何を知らないのかを教えてくれ!」
「ああでもその前に体中を調べてもいいかな?」
まるで新しい玩具を貰った子犬のようなはしゃぎようだった。息を切らしながら数多の質問を並べたと思えば、双子は玩具の取り合いを始めていた。最初に感じた温厚なイメージは拭い払われてしまい、今では制御の利かない暴れ犬だ。互いに胸倉を掴み合ったところで金髪の男が両手を叩く。すると彼らは人が変わったように大人しくなり、済まないと僕に謝罪を述べた。良く調教されているのが分かった。
「いや悪いね。彼ら双子は未知なものに興味を抑えられないんだ」
「ああ…気持ちは分かるよ」
「でもきっと彼らが君を導いてくれる。彼らは興味を追求する。言うなれば博士だ。分からないことがあれば彼らに聞くこと。彼らなら僕よりも詳しく説明してくれるからね。それも、君に対して一々詮索するようなこと無く教えてくれる」
面倒事を押し付けているとしか思えないが、青年は何の合図か、僕にウィンクを飛ばした。
「僕たちは探求が全てだ。信頼なんてものは二の次さ。リーダーに付いているのも僕たちの探求心を存分に活かしてくれると約束したからだ。君は僕たちがこれまで探求してきた何よりも面白そうなものだ。ああ、勿論。ものというのは別に君を道具として見てるわけじゃないからね」
「うーんと、こういう時は謝るんだよね。ごめんよ。僕達気を遣うってのが難しくて。水とか入れたり座ってとか言うのは簡単だけど、言葉の気遣いって大変だよね。これも研究しなくちゃいけない対象なのかもしれない」
よく喋る兄弟だ。彼らの本性が見れて良かったと思う反面、バラバラに解剖されるのではないかと、不安も感じてしまう。本当に物として見ていないのか怪しいところだ。しかし、分からないことを何でも話せる人間が出来たというのは大収穫だった。僕の協力条件の半分は彼らによって満たされたのと同義だろう。ようやく念願のガイドが手に入った。
「どうだい。君にとってはうってつけの人材だろ」間違いなくこの男はサイキックだ。
二人が落ち着くのを待ってから、円卓会議は再開された。大分遠回りをしたが、ようやく彼らの素性が明らかとなった。まずは金髪の男の自己紹介だった。歳は二十七。名前はケイ・カウハイムで、ケイが名である。彼の名前の由来を聞いてからは、僕が今いるこの地は地球とは異なる場所であると認識した。ケイは漢字で啓と書き、賢く生きなさいという意味が込められていると説明してくれた。人間の衣食住や言語は、これまでを遡れば日本と同じだ。日本人とはかけ離れた人種の人々が、当然のように日本語を読み書きし、話しているということから、ここは異世界であるという判断で正しいだろう。政府が何らかの研究などをしている極秘地域ならば話は別だが、そんな根の葉も無い陰謀論的考えは持ちたくない。従って、ここからはここが異世界であり、僕は異世界転生をしたのであると認識しよう。
彼らが石に自分の名前を彫ったものを見ると、漢字とローマ字を使いこなしているようだった。ケイは元居た世界で言うハーフのようだ。金髪は地毛だそうだが、容姿は人より鼻の高い日本人という感じだ。瞳の色は黒く肌もやや黄色味がある。人種が存在するということは国が存在するということだが、ここには様々な人種が混在している。その点についての質問は、元居た世界ではデリケートな分野という認識だったので今は控えることにした。続いて双子が台本を用意したかのように、一文ずつ交互に喋った。驚いたことに来月で二十四回目の誕生日を迎えるそうだ。残念ながら向こうの世界の常識では、その年齢で身長が伸びることはほとんどない。兄がオリバー・エディアム・サモス。弟がエドワード・エディアム・サモスと名乗った。彼らの名前は全てローマ字で書かれていたが、やはり話している言語は紛れもない日本語だった。サモスが姓でエディアムが母方の姓を取ったミドルネームだと教えてくれた。二人を見分けられるような特徴は一切なく、仲間はいつも当てずっぽうに名前を呼ぶそうだ。間違っていても問題がない時は、彼らも訂正するのが面倒でそのまま流すらしい。自分達の探求心と緑の瞳を誇りに思っているようで、その部分は熱心に話していた。彼らは金や仲間、設備を提供するという約束で、ケイにスカウトされたようだ。また、緑の瞳は天才の象徴として知られており、彼らの噂はその個性的な性格もあってか遠方まで広がっていたそうだ。そのため軍からも注目されていたらしく、今でも追い回されているらしい。軍に捕まると縛られた生活を強いられると思っているそうで、もう何年も身を隠す生活を続けているようだ。そんなサモス兄弟はヴァンに一目置いているようで、彼の身体能力や判断力の分析をやりたがっていた。二人によると、スカウトに来たリーダーとヴァンを、始めは軍の連中だと思ったらしく、撃退するために様々なトラップを仕掛けたが、ほとんどヴァン一人に追い詰められたそうだ。それからは、ヴァンの行動を注視しているとのことだった。ヴァンの正式名称は、ヴァ―トン・ウィリアムだが、省略してヴァンと呼んでいると話してくれた。これらの説明で、海外の名前に精通していない僕でも、基本的にアメリカンネームが付けられているということは理解できた。
「ケイに、オリバーに、エドワードか。名前で呼ばせてもらってもいいかな」
「もちろん」
「いいよ!」「いいよ!」
三人から了承を得て、青年との距離もようやく縮まった気がした。サモス兄弟に関しては、人間関係に気を遣う手間は省けそうだ。
関わった人物のことを話し終えた三人は、僕に目線を向ける。
「な、何だよ…?」
「敵意が無いことは分かっている。だが君の素性も本来なら包み隠さず教えてもらわなければならない。俺たちは名前も明かし、組織についても多少なり話した。しかし、まだ君は俺たちに信頼の証を提示していない。せめてそれくらいは見せてもらえないと困る。それが何なのか分かるか」
何を差し出せと言っているのか見当もつかない。その証というのが友好の握手などというものではないのならば、身分証のような、この世界に通ずる何かがあるのだろう。僕はその物やしきたりを知らなかった。
「その証というのは何だ」
ケイが不審がらずに頷いた。質問が来ることに察しがついていたのだろう。
「服従の…」
ケイが口を開いた刹那、扉が大層な物音を立てて吹き飛んだ。倒れた扉に、野獣のように膨れ上がった足を乗せた大柄の男が見える。どうやら扉はこの男によって蹴り破られたようだ。ケイは既に銃を構えており、サモス兄弟は僕の隣で身を屈めていた。
「隊服を着てないな。何者だ」
ケイが表情一つ変えずに応対する。
「隊服を着て居なくたって軍は軍だぁ。隊服を着てこんなところをうろついていたら臭いが染み付いちまうだろぅ。女を取り返しにわざわざここまで来たんだよぉ!」
男は仲間を二人連れており、全員が銃とライトを持っていた。熊かと思えるほど巨体な男は、口が見えなくなるほどの髭を生やし、人を何人か殺めていそうな目つきをしていた。純日本人の顔立ちで、三十代くらいだろう。頭はかなり寒そうで、知能が低そうな舌足らずの話し方だ。子分の片方は大男と同じくらいの年齢で、尖った茶髪に鋭い目付きが似合う出っ歯で小ぶりの男。もう片方はしゃくれ顎に細長い体、坊主に日焼けという野球部スタイルの男だ。三人とも純日本人だと思われるが、日本に馴染の無い拳銃を平気で構えている。
「妙な真似をしたやつから撃ってしまえ!」
大男を筆頭にじりじりと距離を詰めてくる。勝ち誇ったようにニタニタと笑う一行に恐怖心を煽られる。
「作ったばかり、ツヤツヤの貧民服なんて着てよぉ!その荷物のからお高いローブの香りがするなぁ?髪も整えて、顔もピカピカの貧民がどこにいるんだぁ?おたくら相当金持ってるんだろうなぁ!」
大男はぶっきらぼうに笑う。部屋中に響き渡るその声は、獲物を捕らえたライオンの雄叫びそのものだった。
「下手なごろつきはいつも力で解決しようとする。いつもそうなんだよ。外見だけで他人を判断する輩は中身がスカスカだ。知能も経験も持ち合わせちゃいない。特に君たちのような野蛮な逸れ物はね」
ケイにはきっと悪魔が取り付いている。彼の冷ややかな口調や言葉の選び方は、大声を上げずとも効かせることが出来る。相手に一切動じず背筋を張ったまま不敵に笑う姿は、氷河に凛と咲く花のようだった。
「中々上手に喋るぅ。そうやって上手くあの女を捉えたのかぁ?」
威圧感を出したいのか、変に語尾を伸ばしながら濁点が付きそうで付かないような力の入り具合の声を出す。
「俺の喋り方に突っ込むなんて驚いたよ。それなりに冴えているみたいだ」
「勿論馬鹿みてえに力だけで軍に入ったんじゃねぇ。その話術ってやつも少しは勉強してんだよぉ!」
「当たり前の事を得意げに披露しちゃって」
大男の話し方に耐え切れなくなったのか、ケイは唾を飛ばしながら笑い声をあげてしまう。
「殺されたくなければ静かに聞いておくべきだよ小童ぁ!」
男は苛立たしそうに叫ぶと、胸元からピストルを取り出した。銃口にはサプレッサーが付いており、ケイや赤髪の女が持っていたものと同じ見た目の銃だった。それを目にしたケイは静かに膝を地に着ける。何を察したのか、僕とサモス兄弟を見つめる。
「なるほどね」
サモス兄弟は顔を引きつらせながら、ケイと同じように膝を畳む。一方僕はこの状況を上手く呑み込めずにいた。しかし、ケイやサモス兄弟と同じようにしなければ撃たれるということは理解できた。ケイも銃を向けられてからは、形勢逆転されたかのように表情が硬くなってしまった。この窮地を脱しなければ、僕らは軍に捕らえられてしまう。
「少年よ。このまま捕まれば俺たちは拷問の末殺される」
大男が後ろを振り向いて、縄を持ってくるように子分に指示を出している間、ケイが小声で喋りかけてくる。おっかない先生にバレないようにヒソヒソと話しかけられているあの恐怖を思い出しながら、何か意味があるから話しかけているのだろうと考えて、大男の様子を伺いながら受け答える。
「拷問されるような機密情報なんて持っちゃいないよ」
「そうさ。僕らが痛みに耐えきれずに死を志願して望み通り首を切られても、君は永遠に苦しみ続ける」
その光景を想像して身震いする。
「だから何だってんだ」
「それだけさ」
先の台詞を濁すような含んだ言い方に、ケイが僕に何をさせたいかを大方理解した。一番の不幸を受ける者が行動を起こせと、こんな小さな子供に暗喩しているのだ。
「狂ったサイコ野郎が」
青年は不敵に笑みを浮かべると、丁度良く大男がこちらを振り返った。
「何か企んでいるなぁ?」
男は距離を詰め、確実にケイの頭を狙える位置まで接近する。
「銃をこっちに投げろ」
ケイは胸元に隠していた銃を、銃口を自分に向けるように取り出す。相手の表情を伺いながらゆっくりと床に着ける。
「上出来だ。そのまま滑らせろ」
持ち主を失った銃を見て気が緩んだのか、ケイの頭を狙っていた銃口がやや下を向いた。子分たちは縄の強度を確かめている最中でこっちを見ていない。その一瞬の隙を見逃さなかった。迷えば先はないと理解していた。恐怖心をその一瞬で吹き飛ばし、先ほど想像した最悪のシナリオを回避するため、決死の覚悟で行動を起こす。右足で踏み切り、精一杯前足に体重を掛けながら、野球で言うショートバウンドを足元で裁くような繊細な手つきで銃を拾う。ただ引き金を引けば良いということでは無いだろう。しかし、銃の詳しい扱い方など知る由もなく、今はただただ弾が飛び出ることを祈るしかない。真っ直ぐ飛ぼうが明後日の方向へ飛ぼうが何でも良かった。出来れば死なない部位へ当たってくれと願う頃には、大男の鍛え上げられた腹部に銃口が接しており、僕の人差し指は既に曲がっていた。
しかし、弾は出ない。正確には出せないのだ。引き金はあっという間に僕の方へと倒れてくれた。あとほんの一センチでも倒れてくれれば弾は発射されるだろう。安全装置か何かの仕業ではない。自分が動けない。指を動かすどころか、顔から足にかけてがっちりと鎖に繋がれたように身動きが取れない。全身が鎖で繋がれているかの如く、その場に固定され、動けと号令を出しても関節を失ったように硬直してしまう。この状況に理解が出来ず、どうして良いのか判断が付かない。
「中々勇気のある小僧じゃねえか」
男は固まった僕を見ても不思議に思わないようだ。驚いたような表情は束の間で、僕の姿を見ながら鼻で笑い、再びケイの頭へ銃口を向ける。
「活気ある年頃なのは分かるが、躾が甘いなぁ。次は無い。この小僧を座らせろ」
落ち着いた話し方になったことも気になるが、今はこの金縛りを解く方法を考えなくてはならない。ケイに助けを求めようと声を出そうとするが、声帯まで凍り付いているのか振動を起こしてくれない。
「動けるようになったらでいい。膝を着いてじっとしていなよ」
ケイがそう言った直後、頭から順に、氷が解けるように筋肉が和らぐのを感じた。十秒も経たないうちに全身が鎖から解放され、先ほどのことが嘘のように体は正常に動いた。
「さあ早く」
ケイも大男同様、この現象を知っているかのようだ。冷静に見えるケイだが、僕頼みの逆転劇も失敗に終わり絶望に打ちひしがれてしまったのかもしれない。次の打開策を練るような隙を与えてくれそうもない。これぞ万事休すというやつか。
「分った」
その場に立ち膝の状態になるや否や、乗り込んできた男たちは僕らの服を脱がし始める。サモス兄弟とケイは仕方がないと諦めたように抵抗一つ見せなかった。全裸になっても、石の冷たさがつま先と膝を刺激するだけで、肌寒さは感じなかった。思い返せば、山の中でも、夜になった街でも寒暖差は感じられなかった。寒くも熱くもなく、四季がある日本と比べれば格段に快適ではあった。しかし、常に感じていた不安を煽るような凍った空気が蔓延っていた。今、身をもって知った。その正体はこの世界の人間である。血の通っていないかのような、心を持ち合わせていないかのような、冷徹な何かが人の皮を被っているだけだ。サモス兄弟の片割れは、髪を重力に逆らうように引っ張られ泣きべそを搔いている。ケイは目つきが気に食わないと罵倒される。残酷な光景だった。
「やっぱりお前の金は凄まじいなぁ」
喋り方が元に戻った大男はケイの体を舐めるように見ながら呟く。どうやら男はケイの背中に興味があるようで、背後へ回り肩甲骨辺りまで服を捲っていた。男からケイへと目を移すと、背には数字が刻まれていた。男の言動から察するに、その数字の意味は金だろう。しかし、男は何故それが金だと分かったのだろうか。生年月日かもしれないし、意味もない好きな数字を掘っただけかもしれない。
「約二十万かぁ。俺とぎりぎり十万の差まで行かないくらいだなぁ!」
ケイの数値を見た後、男も自身の服を持ち上げた。そして、右側腹部の数字を僕らに見せつけるように突き出す。申し分のない筋肉よりも、その数字の方が自慢の種らしい。
「十万三百だぁ!金髪の男がお前らのリーダーなら、勿論他のメンバーは俺に殺される権利を持っているということだよなぁ?」
誰に語るわけでもなく、自分の内から湧き出てくる殺意と対話しているようだった。両手を広げるジェスチャー付の大笑いを繰り広げたと思えば、急に僕へと矛先を向ける。
「子分たちよ。こいつのバッグを開けてみろ。そこにちょびっとだけはみ出てるローブがどれほどのもんか調べろ。それと、こいつらは縄で縛っておけ」
子分と呼ばれる男たちはそそくさと僕のバッグを漁り、緑色のローブを無造作に引っ張り出す。
「馬鹿野郎がぁ!大切に取り扱え。たとえ三級貴族のローブだったとしても一着二万程度の価値はあるだろうからなぁ!」
男たちはローブの先を地面に付けないように、慎重に広げていく。そこで初めて自分のローブをまじまじと見たが、袖から肩へ伸びている赤いストライプ柄は、肩を通り過ぎ、背中へ回り、肺の辺りで六角形を描くように分裂していた。肺から心臓へかけては幾つもの六角形が交差し、トト神と思わしき顔へ集まっている。センスを疑う服だったが、どこか魅了されるものがあった。トト神の目は漆黒に輝いており、人を引き込んでしまいそうな不気味さを漂わせている。
「妙なローブだなぁ…。どこにでも売っている代物じゃないぞ。汚さないように持ち運べ」男はローブを丁寧にバッグへ戻すと、今度は僕の体に興味を持ったようで、骨董品を査定する鑑定士のように僕を眺める。銃を持った相手に丸腰という危機的状況にも関わらずどことなく恥ずかしさを感じた。
ケイと初めて顔を合わせた時同様、諦めモードになってしまったのだろうか。前世でも、怒られてしまう失敗を犯した場面でどうにかして取り返そうという気にはならなかった。全てやり尽くし、それでも駄目だったのだと自分を慰め、諦めて上の空で怒鳴り声を聞いていた。その腐った自衛魂が今でも生き残っている。それでは改善に繋がらないと理解していても、辛いのは嫌だった。
「小僧。直立して両手を思い切り上げてみろ」言われた通りにしてみせる。
「股を広げろ」「何だって?」
わざとらしい素っ頓狂な声が出てしまった。この世界にもバイセクシャルの概念が存在していても何ら不思議では無いし、それを否定的に捉えたりはしないが、僕自身は女の子が好きだ。いや、大好きだ。きっと同じ状況で、指示を出す人物が魅惑的な女性ならばスリリングな体験であると感じ、変に興奮しただろう。しかし、残念ながら目の前に立つのは頭と顎で毛量を間違えちゃっている男だ。
「ほ、ほら、観客も間近にいるわけだし……」
「妙な妄想を膨らませるなぁ!次指示に従わなかったら殺すぞぉ!」静かな濁声が僕のお下を冷やす。
「少年よ。中々度胸があるな」
今まで黙っていたケイが口を開いた。口元は再び不敵に吊りあがっており、肩を小刻みに震わせている。きっと僕の心の内を読み取ったのだろう。この状況でも笑いが込み上げてくるなんて余裕があるじゃないかと感心する。先ほどまでの緊張感が嘘のように場が緩んでいく。
「ええい!お前ら四人は今の状況が分からんのかぁ!」
脅しに半ばふざけて従っているケイに、男は我慢の限界が訪れたようだ。胸倉を掴んで無理矢理立たせると、子分の一人が縄で縛られた両手を強く握る。
「お前はこの双子を見てろぉ!」
鬱憤晴らしのつもりか、子分に向かっても怒鳴りつける。
「俺の相手はお前だクソガキィ。ふざける余裕もここまでだぁ!これからこいつの金や身分を吐かせるが、その前に確認すべきことがあぁる!」
男はケイにボロ服を渡し、僕の前に立つように指示を出す。
「このガキがさっきまで来ていた服だぁ!その服をケイに売りつけろぅ!」
どういうことなのか理解できずに首を傾げると、大男は大きく舌打ちをする。
「君はその服に適当に価値を付けるんだ。自分の頭でその物体に値を付けるんだ。命を吹き込むように」
火の扱い方が分からない猿のように、その服を眺めていることしか出来ずにいた僕に、ケイが助け舟を渡した。とりあえず言われた通り、その服を百円だと考えてみた。すると服は薄く青い光を放ち、直後100と表示されているのが確認できた。
「いいぞ。次は僕に売るということを考えるんだ」
ケイの言葉に従い、僕が先ほどまで着ていた服をケイに売るということを意識する。十秒ほど経った頃、服は発光をやめると同時に100という数字も仕舞い込んだ。その刹那、僕の全身から眩い閃光が放たれる。眩しさのあまり腕で目を覆い隠すが、余計に眩しさが増す結果になってしまった。目の眩みが収まるまで暫くかかった。眉を持ち上げると、皆同様に視界を取り戻している最中だった。
「これは…一体……」
ケイがよろよろと立ち上がるも、隣で丸まっていた毛むくじゃらの男に腕を掴まれバランスを崩し尻もちを着く。
「何だこの小僧…。とにかく金髪を連れ出せ。俺は小僧を倉へ連れていく」
声のトーンが再び下がり、普通の話し方になっていた。やはり、威圧的に見せるために妙な話し方をしているのだ。
「この双子はどうしますか」
「お前が見張っていろ」男は震えた声で指示を出す。この場にいる全員が、とんでもないアクシデントに見舞われて混乱しているのは確かだった。
「小僧…腕を…見せてみろ」
男は震えた声で短く言葉を刻みながら僕の上腕に指をさす。何が起きたのか自分でも理解できていなかった。僕の腕に爆弾でも引っ付いているのかと恐る恐る腕を除く。
「これは…」
右腕には100と刻まれていた。僕がケイに売った金額と同じだった。そこで僕は、ケイや毛むくじゃらの男に刻まれていた数字は紛れもない金であるということに気付いた。つまり、この世界での僕の持ち金はたったの百円なのだ。
「僕は、貧民に当たるのか」
ケイは、僕が銃を撃てなかった時のように硬直し、開いた口が塞がらないと言う具合に驚いた表情を見せていた。子分は僕の腕を見ると、サモス兄弟のことなど忘れてしまったかのように、脅威に対して警戒する虎の如く、僕を凝視し続けた。
「まさかこれを知っていて拉致したんじゃないだろうな」
「そんなわけないでしょ」
「お前らとんでもないことをしでかしたんじゃないか」
「そして君たちも関係者になっちゃってるけど」
「金髪さんよ。君の推察通りだ」
ケイと男で僕の知らない会話が展開されている。意味不明だ。アニメや漫画みたく、脳に神という名の解説役が出てこなければ僕や視聴者は置いてきぼりだ。誰か解説してくださいというささやかな願いは、男が放った次の一言で崩れ散った。
「この小僧を拷問する必要がありそうだ」そしてさらに追い打ちをかける。
「俺は金髪野郎が言うように軍の人間じゃない。すぐに死刑にしてくれると思うなよ」最悪のシナリオを進んでいることを理解し、本当に心の余裕が無くなってしまう。