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知恵の戦争  作者: モノ創
1/13

プロローグ

 序章 終幕

 

  一切の装飾もない無機質な天井を見上げる生活になり、早一か月。色の付いていた世界を眺めることはもう無い。意識がある時間は、自身の輝いていた頃を歩み返しては立ち止まり、もう一度同じ場所を歩き直す。そんなことを繰り返していた。そうやって幾度となく得てきた満足感は、氷に染み付いた甘い味を、ほとんど無味になるまで、少し溶けては一口飲み、また少し溶けては一口飲むといった具合に、名残惜しい甘さへと変化しているのを感じていた。これほどまで根強く残る、幸福の味がする功績など、人生ではほんの一瞬の出来事だった。今思い返してみれば、ほんの数分で終わってしまうようなエピソードを何十年とダラダラと時間をかけながら描いていたのだ。なんて馬鹿らしい話だ。一日一日を必死で生きていれば、この最期に歩み返す道も長かっただろう。何時間とかけて思い返し、後味もずっと残るような華々しい濃い人生を歩めば良かった。今更後悔してももう遅い。

「はーい。お着替えしますね」

 声のするほうに顔を動かすと、すぐ近くを動く影が見えた。視界に入るもののほとんどは白く霞んで見える。影は一度遠退き、忙しなく動いてから再度自分に近づいた。

「体少し起こしますね」

 自分で自分のことも出来ない体になってしまった。もうしばらく食事も摂っていない。薬の力で生き永らえ、他人の労働で日々を過ごしている。これを生活と言って良いのか甚だ疑問である。自分を慕う家族や友人でもいればこんな状況にも感謝をするだろう。自分はその何一つ持っていない。無駄に容姿端麗だった為に女に溺れ、遊ぶために妻子を持とうとせず、両親には難癖付けて家を出たまま終わってしまった。他人とは利益になる人間としか関わらなかった。唯一の妹も居て居ないようなものだ。いつの間にか婚期を過ぎ去り、年を食い、残ったのは母の形見であるこの肉体だけだ。両親が残した遺産は己で使い切った。

 ————人は何のために生きるのか————

 重い瞼を、鉛のような声帯を、懸命に震え上げる。

 自身の何の実のない人生でも、今ようやく気付けた。これは死を目前に控えた者でしか感じ取れないことなのかもしれない。人が生きる意味なんて、誰かに聞いて教えてもらうものなんかじゃない。人が存在する意味をこの世界に残そう。

 ————それは————

  不意に眩しさを感じた。どことなく懐かしさのある感覚だった。ふと、自分が四肢を大きく広げていることに気がついた。この懐かしさの正体は、意識が戻り、体が自由に動くようになった起床の感覚だった。カーテンから差し込む光に当てられて新たな一日を迎えるあのひと時だ。眩い光の正体は、久しく浴びていない太陽光だった。背中はベッドとは違う、ふさふさとした感触に包まれている。お日様に手を振るように影を作り、辺りを手探りで調べる。

「花だ」

 首を力ませて右を向くと、奇麗な花弁が眼前に広がった。

「どうなってんだ。これ」

 鎖につながれていたように動けなかった体が面白いくらいに動かせる。気合を入れずとも上半身が起き上がり、手すりを掴まずとも下半身の力だけで直立ができていた。色のなかった世界に、鮮やかな輝きが映り込む。薬品の臭いは一切しない草花の香り。光が、風が、大地が自分を迎えているような、そんな気がした。走馬灯を見ているのか、はたまた死後の世界なのか。辺り一面に色とりどりの花が咲き誇り、地平線の先には大きな大木が連なっているのが見えた。それもこの花園を取り囲むように生い茂っている。

  混乱したままとりあえず歩を進める。難なく動く体に妙な違和感がするが、森に入った頃には慣れてしまっていた。元の体を取り戻しただけと言ってしまえば聞こえは悪いが、状況が状況なので昔のように動けるということに感動した。違和感は体の感覚だけでない。肌を滑る繊維が病院服のそれとは別物だった。若い頃に幾度か着こなしたブランドの服と同じ肌触りだ。服の後ろまでは確認できないが、コスプレイヤーが着ているようなローブに近い見た目をしていた。薄い緑色がベースになっており、広すぎる袖から肩にかけては赤いストライプ柄が刻まれている。ズボンはシンプルな茶色一色で、サルエルパンツのようなデザインだ。誰が着せたのか、山を歩くには不向きな服装に苦労を強いられる。

  どれくらい歩いただろうか、自分の目の前にあった太陽が頭のてっぺんまで昇っている。幾度となく鹿や栗鼠、見たことも無い狐のような動物に遭遇したが襲ってくることは無かったために、一切のハプニングなく無心に歩き続けた。どこに向かっているかわからないという恐怖や不安は無かった。それは自分が確実に下山しているという確証があったからだ。歩きはじめてすぐに水が滴り落ちているのを見た。微妙に濡れた地面を辿っているうちに、水溜まりへ辿り着き、そこから小さな川となって流れていたのだ。その流れに沿って歩いてからかなりの時間が過ぎた。気が付けば川は大きくなっており、現在、森を抜けた。そこで見た景色は、密集する橙色の巨大ビルだった。

 森の出口からその場所までは石畳が敷かれてあり、川はその中へと続いていた。まっすぐ歩いていくうちに、段々と人の声が薄っすらと聞こえてきた。橙色の屋根に灰色の壁の建物が目の前に聳え立ち、同じような造りで無数に存在している。森の中から歩き始めて半日、行き着いたのは巨大な街だった。頭の中の整理がつかないまま街へと入り込む。「一体ここはどこなのか、自分の体はどうなってしまったのか、当面の目標はこれで行こう」

 半日ぶりに声を出し、また歩き始める。

  街の入り口には誰もおらず、簡単に入ることができた。声は遠方から微かに聞こえており、耳を澄まさなければ風の音と同じである。その声の方角を目指し、灰色の壁に覆われた薄暗い道を適当に歩いた。凹凸が目立つ石畳は、その場所が廃れていることを暗示させている。どことなく腐敗臭がする他、時折湿った土の臭いが混ざり合い、鼻の毛が騒ぎ立っているのを感じた。この臭さと、太陽を遮るほどの密集高層住宅のせいで、見渡す限り陰気な雰囲気が漂っている。建物を見上げると、外壁に螺旋状階段が伸びており、それぞれの階に洗濯物が外干しされていた。街の外からでも分かるほどの高層住宅だが、壁面には刳り抜かれたような穴が点在しており、何かの染みや傷で幽霊屋敷みたいな雰囲気が醸し出されている。無造作に建てられた住宅街を、少しの隙間から差し込む光を頼りに進む。自身から伸びる影が前に伸びているかを確認することで進行方向が分かる。とにかく人に出会い、この場所の情報を得なければ何も始まらない。

 暫くして、大通りと思わしき開けた場所へと出ることが出来た。何故かその通路だけ石畳が敷かれておらず土が剝き出しになっていた。まだ新しいと思われる足跡があるが、人のものではなかった。パソコンで使うマウス程度の大きさで、形もそれと似ていた。空を見上げていつの間にか紅の日差しに照らされていることを理解する。長時間の徒歩と、見るもの全てが奇怪であることが重なり、体中に疲労を感じる。根気強く歩いてきた何よりの成果は人の声が大きくなっているということだった。普段は雑音の一種にしか聞こえない人間の音声も、見失った携帯に電話を掛けて着信音が耳に届いたときのような、瓦礫に埋もれた少女の声が鼓膜を震わせた場面のような、胸の奥にオアシスが広がる音だった。疲弊した足腰に気合を入れて早足で声の元へと向かおうとするが、不意に路地裏から石が転がるような物音が聞こえた。再び大通りへと戻ってこられるように、自分は太陽を背に向けて右へ曲がるのだと心で呟く。そして、体の動きで思い出せるようにと右腕を回し、迷わないよう念を入れる。薄暗い高層住宅の隙間に入ると、すぐ角から男同士の会話が聞こえた。ようやく現状について説明してもらえるかもしれないと胸を膨らませる。

「例の子が来ないな」

「もう少し粘ってみよう」

「いいか。誰も殺すんじゃないぞ」

 物騒な単語に、期待が恐怖へと変換され反射的に身を隠す。顔は見えないが、片方は猛獣のような低い声だが、もう片方は若さを感じさせる声だった。会話の内容に興味はあるが、物騒な連中との関わり合いは避けようとその場を立ち去ろうとする。しかし、神の悪戯か、僕をこの場所へと招いたであろう小石を蹴飛ばして居場所を知らせてしまった。

「誰だ!」

 若い男が静かに叫んだ。足音が一つ、こちらへと近づいているのが分かる。「そこを動くんじゃない」

 男は本気で言っているようだ。つまり、冗談で人殺しの会話をしていたのではないということだ。大通りへ逃げ出そうとして振り返るが、銃をこちらへ向けて仁王立ちする男が見えて立ち止まる。

「動くなと言っているのが聞こえないのか」

 その男は、猛獣の声の持ち主で、灰色のパーカーと黒スキニー姿をしていた。フードを深く被っており、目元はよく見えないが肌の色から黒人であるということは理解できた。身長は優に百八十はあるだろう。アスリートのような体格で、銃など使わずとも拳で従えることも出来るだろう。

「おいおい。殺しはダメだって」

 背後から若い方の男が現れた。鼻は高く、少し垂れ下がった優しそうな目つきで眼球は漆黒に染まっている。黄金色の髪の毛は七対三の割合で左右に分けられ、アップバンクにバックは刈り上げにしていた。日本人とは少し違う顔立ちだ。身長は高いとは言えず、体も細身である。華奢な体は茶色一色の静かなローブに包まれており、イケメンでお洒落な青年という印象だった。

「分ってる。だが会話を聞かれてしまった」

 一層低く唸る男に怯みながら再び振り返ると、僕の蟀谷に照準を合わせていた。

「大丈夫さ。彼を使えばいいさ」

 男は尚も銃を下ろさずに、僕を凝視しながら会話を続ける。

「リーダーが言うなら問題ないのだろうが、信用は出来んぞ。カードも持ってないんだ」

「おい。坊やこっちを向きな」

 リーダーと呼ばれているのが小さい男の方であるということに驚いた。しかし、僕に命令するような鋭い口調に、空間を支配するような覇気を感じ、僕の本能が危機を察知する。素直に三度目のターンを披露すると、不敵な笑みを浮かべて僕を見下ろしていた。人は見た目に寄らないとは当にこのことである。そして、もう一つ疑問に思ったのが坊やという単語である。肌は若々しく、体も健康的に動くようになったとは思っていたが、まさか子供に変貌してしまったのかと嫌な推測をしてしまう。思い返せば、老化して円背した自分と背筋が伸びているはずである今の自分で、目線があまり変わっていない。

「僕のこと…だよね…?」

 青年は少し首を傾げてから無言で一つ頷くと、ゆっくりと僕へ近づき耳打ちをした。容姿端麗な青年にしても、少しばかりサブイボというやつが立つ。腐女子向けの行動はお門違いであると、声には出さず一歩身を引く。

「逃げられると思うなよ」

 優しい囁きに反して、二重の意味で恐怖を沸き立たせる言葉を吐いた。「僕に何をしろと」

 銃を突きつけられることが初体験だった僕だが、体のどこに撃たれたらどれほどの痛みが走るなどという複雑な思考を組んでしまい、安直に死を怖がるというよりは、痛みを案じて膝を震わせていた。青年はそんな僕を見るに見かねたのか、普通の笑顔にすり替えて肩を軽く叩いた。

「そんな緊張するなって。僕らは安易に人殺しはしない主義なんだ。それじゃあ王とやっ

 ていることが変わらないだろ?」

 その言葉で、のぼせていたかのように色々な事を放置していた自分の愚かさに気が付いた。僕は全く知らない世界の子供に乗り移ってしまった。アンビリーバボーやファンタジー小説などでよくあるあれである。見るからに外国人である彼らが日本語を話すのも、元居た世界では見たことも無いような建築物が立ち並んでいるのも、俄かに信じ難いが、その一言で説明が付いてしまうのだ。

「っとその前に、君のことを知らなくちゃいけないよね。あー、自分が先に自己紹介をするのが礼儀ってのは知ってるんだけど…」

 礼儀作法は日本の文化と同じなのだろうかと不思議に思ったのも束の間、彼は言葉を詰まらせたと思えばローブを少し開いて、腰に添えられている銃を見せた。

「ね。あまり詮索は…ね」

 僕は日本の病院で、誰も見ていないところでひっそりと息絶えた。そして、別の世界の子供として生まれ変わり、怠惰で薄情だった僕を見た神様がお叱りになり、ボーナス人生を課したということだ。

  僕は諦めて溜め息を吐いた。こうして割り切らなければ、混乱する頭を、恐怖で震える体を、生き延びる術をおさえることは難しいと判断した。久しぶりに体を理性がコントロールしている気がして全身が軽くなるのを感じた。思えば老化を感じてから何十年と体に理性が支配されていた。別の肉体になってからもそうだった。何かに導かれるように歩き始め、深々と悩むことなく、得体の知れない世界で信用できるかもわからない人に頼ろうと歩き続けているだけだった。とてつもなく安易な考えであると後悔した頃には、ヤクザのような連中に脅されていた。

「分ったよ。でも生憎僕は自分を思い出せない」

 まずはこの体の持ち主について調べなくてはならないが、彼らがその猶予を与えてくれるとは限らない。僕がここへ来た経緯を洗い浚い話すというのは、信憑性に欠け過ぎることと、馬鹿にしていると思われかねないということから、半分は嘘を交える。

「僕は断片的に…というべきか、難しいんだけど、とりあえず、自分が何者なのかとか、一部だけなんだけど、この場所の文化的なことが抜けているんだ」

 例えば方角や箸の持ち方といったような、名称や技術が同じであれば、それは記憶が残っている部分である。他方、自分の容姿や世界の制度といったこの世界特有の事柄は、記憶の無い部分である。以前の知識を用いながら、記憶喪失として説明するには無理があった。しかし、若い頭脳を持ってしてもこれ以上の言い訳を咄嗟に思い付くことは出来ず、当然のことながら二人は疑いの顔を向けながら考え込んでいる様子を見せる。

「坊やは、自分のことも分からないんだよな?」

「ああ。自分の名前も、親も、顔すら思い出せない」

 厄介な小僧に出くわしたと思っているようで、青年は頭を掻きながら舌打ちをした。そして、腹が減ったと駄々をこねる子供をあしらうような父親の面持ちで叫んだ。

「あぁ!良く分かんねぇ!でも話を聞かれちまった以上俺たちを手伝ってもらうからな!」「その話ってやつは何にも分かっちゃいない!それに途中からほんの少し聞いただけだ!」誤解によって危ないことをやらされるのは御免であると弁明を図るが、青年はまるで聞く耳を持たずに、信用できないと一蹴された。

「おい、大きい声で叫ぶな」

 銃を未だに手から離していない男が僕らの間に割って入った。

「軍の奴らが来るぞ」

 その言葉を聞いた刹那、青年の背後から、上下水色ではあるがドイツの空軍とそっくりな軍服を着た、欧米の顔立ちをしている赤髪の女性が現れた。

「あなた達、揉め事かしら」

 頬にそばかすの付いた可愛らしい丸顔に反して、水色の冷徹な眼差しを僕らに向ける。まだ二十代前半のように見える。しかし、その若さに反して、銃を握る屈強な男を前にしても堂々たる態度で佇む彼女は、正に軍人であった。

「ほら言わんこっちゃない」

 図体のでかいこの男でも、彼女の歩みに合わせて身を引いていた。

「二人で子供を脅していたのね。その子を解放しなさい」

 風に刃を纏わせているかのような気迫でピシャリと言葉を放つ。青年との距離、腕一本分というところまで近づく。

「助けてくれ!」

 必死の思いで助けを請う自分に嫌気が差す。自分よりも約六十年は歳が低い女の子に対して、情けなく叫ぶことしか出来ないのだ。病院に居た頃の自分と何ら変わっていない。

「ヴァン。怯まずに銃を向けろ」

 青年が耳打ちをしたのが分かった。きっと彼女にはぼそぼそとしか聞こえていないだろうが、何か企んでいるのは理解したはずだ。

  ヴァンと呼ばれる男は青年の言葉に頷くと、彼女へ銃を向けながら青年を庇うように前へ出る。先ほどまで怯んでいたはずの男は、リーダーの一声でやたら勇敢になったように思えた。

「軍に目を付けられたら終わりなんだ。悪いなプリティガール」

 彼女は、見た目に反して饒舌な男を目に留めることも無く、男と青年の横を通り過ぎようとする。

「おいこのクソガキ」

 男が低く唸り拳を振り上げるが、次の瞬間、地を転がっていたのは、振り下ろす予定だった彼本人だった。どのような体術が繰り広げられたかは不明だった。アクションドラマで見るような、素人目に分かる動きでは無い。瞬き一つする間の出来事だった。

「さあ坊や。もう安全よ」

 青年を無視し、何事も無かったかのように僕の頭を撫でる。久しい感触に、子供の頃の思い出が溢れそうになるが、青年の行動に阻害されてしまった。

「詰めが甘いよ」

 青年は既に銃口を彼女の後頭部に当てていた。その人差し指を少し倒すだけで、立派な体術も、それを身に付ける努力も、そしてこの先の希望も失われてしまう。

「僕のことは大丈夫。君にはまだ未来があるだろう」彼女はクスリと微笑み、今度は肩に手を乗せた。

「君の方こそ、希望がいっぱい詰まってる」

 意識しないと忘れてしまう。こんな爺臭いことを言っていても見た目は子供なのだ。

「僕が子供だからって、君の人生を懸けてまで助けなくていい!」

 勿論本心ではない。彼女が僕の目の前に現れた時、彼女は僕の希望だと思った。しかし、本音で叫んでしまった瞬間に、妙なプライドが過ってしまった。情けなく死んだ自分が、再び情けなく生き永らえて良いのか。人の命の上に立っていて良いのか。

「私は子供だろうと大人だろうと関係なく助けるよ。それが私の目指すものだから」死を目前に控えていても尚笑顔を見せる彼女は、いつでも僕を励ましてくれていた交際相手を彷彿させた。

「この先、何があっても怖がらないで。私はあなたの味方よ」

 彼女は後ろを振り向いて、青年の銃を奪おうと、銃を持つその手を目掛けて拳を振る。しかし、青年は予想していたかのようにひらりと身を翻してローブを靡かせると、その陰から、地を這っていたはずの男が屈んだままタックルを繰り出す。彼女はたまらず後退するも、勢い足らず、腰を男に掴まれてしまい転倒する。

「やっと捕まえた」

「いいかヴァン。そのまま担いでアジトへ連れて行くぞ」

「了解」

「ごめんね。坊や」悔しそうな顔で謝るその顔は、本気で僕を助けたいと思っている表情だった。彼女の眼差しからは未だ諦めていない様子が伝わり、人を助けるというその決意に唾を呑む。男は彼女の重圧を感じたのか、深く溜め息を吐く。

「いいか。下手な真似をしたら殺すからな」

 そう言って彼女の体を軽々しく持ち上げた。その弾みで、軍服の胸ポケットから手持ち鏡が転がり落ちて、まるで何者かが自分の容姿を確認しろと言わんばかりに、僕の目の前でぱかりと開いた。そのガラスが本当に鏡の機能を有しているとしたら、そこに写っている自分の姿は、顔も体も以前とはかけ離れ、二重で鼻が高く、薄い紅色の目をした小柄な坊やだった。まだ毛も生えていないような可愛らしい坊やだ。


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