ドキドキ
「中、入って。 先に手、洗おう」
私は柏木さんを洗面所に連れて行った。
消毒液とピンセット、絆創膏をリビングに用意して待っていた。
「血、止まってるみたい。 でもごめん。 家入ってよかったの?」
「いいよ。 それよりこっち来て手出して。 トゲ、取らなきゃ……」
柏木さんの手のひらに刺さったトゲは結構たくさんあった。
それを一つずつピンセットで取っていく。
小さい時から細々とした作業は好きで、トゲを取るのも得意だった。
一つ一つきれいに取れていく。
柏木さんの手って大きいんだな……。
ふとそう思ったと同時に柏木さんに男の人を感じてしまった。
夢中になって柏木さんとの距離が近い事にも気付いていなかった。
我に返り、今の柏木さんとの距離感に気付くと残り3箇所くらいなのに、変に意識してしまってうまくトゲが取れない……。
モタモタしてるのかバレない様に冷静を装った。
ちょっと心臓の鼓動が速くなる。
バレてないかな……。
そう思うと尚更もっと意識してしまう。
悪循環だ……。
静まり返ったリビングに接近した男と女。
たまに一言二言話すくらいで一人はトゲを抜くのに必死で、一人は手のひらを相手に預けている。
二人とも見ているのは手のひら。
ドキン、ドキン……。
指先からこのドキンが伝わらないかと不安だった。
緊張から手が汗ばむ。
汗ばむのは恥ずかしい……。
早くやってしまおう……。
手に刺さってあったトゲは何とか全部取る事ができた。
消毒液を塗り、切ったところには絆創膏を貼った。
何とか終わった……。
「よし! これで終わり! 私のせいでごめんね……。 トゲが刺さった所、もう痛くない? 痛いとまだ残ってるかも知れないから……」
ドキドキした事を気付かれない様に……でも目はまだ見る事はできないな……。
消毒液やピンセットを片付けながら柏木さんにそう聞いた。
「ありがとう。 もう痛くないかな……。 こっちこそごめん! 手当てまでしてもらって」
「いやいや……。 助けてもらって何もしないなんてバチが当たるよ……!! 紅茶でも入れよっと! 飲む?」
「じゃあ……飲む!」
今日はどれにしようかな……。
並んだ紅茶の中から一つ選ぶ。
お湯を沸騰させながら、リビングに柏木さんがいる光景を見る。
柏木さんは手のひらをじっと見ている。
この空間に男の人が来たのは、金子さんと柏木さんだけ。
金子さんがいる事には慣れているけど、柏木さんがいる事が不思議でならなかった。
でも、嫌な気はしない……。
お湯を注ぐと紅茶のいい香りがしてきた。
部屋いっぱいに広がった香りが気持ちを落ち着かせる。
「今日は楽しかった。 まさか、永井さんに会うとはね」
「懐かしい顔だった? ほんとにスーパーで会うなんてびっくりだったね。 でもごめんね、ほんとに……。 ケガさせちゃって……」
「永井さん、悪くないから。 永井さんってさ、彼氏いるの?」
え?
何で急にそんな事聞かれたんだろう……?
部屋の中に金子さんの物って何かあったっけ……?
そう思った私は、キョロキョロする訳にもいかず、頭の中で部屋の中を調べた。
けど、全く思い当たらない……。
いくら関係のない柏木さんでも、不倫してます、とは言えない……。
「彼はいないかな……。 もうずいぶんいないよ」
5年はいない……。
「そうなんだ。 さっき電話番号交換したけど、その場の勢いとか断りきれなかったとかだったら悪いなと思って……。 じゃあまた飲みに行こうよって誘っていいんだねーー」
そういう事か……。
「全然誘ってくれていいよーー」
柏木さんはそれを聞いて、最後の一口をグイッと飲んだ。
「ごちそうさま! さぁ、帰ろうかな」
「ここから歩いてどれくらいかかるの?」
「15分?……、いや、25分くらいかな?」
「タクシー、呼ぶ?」
そう言って立ち上がろうとした時、少し足が痺れていた私はフラついた。
柏木さんにもたれかかる様に転んでしまった。
10cmくらいの距離に柏木さんの顔がある。
この状況、相手を好きじゃなくてもドキドキしてしまう……。
柏木さんも一瞬何も言わずに私を見つめる……。
このシチュエーションってちょっとマズいかも……。
内心、【何か】あったらどうしよう……と良からぬ事を想像していた。
先に言葉を発したのは柏木さんだった。
「大丈夫?」
「ごめん……、ちょっと足痺れちゃった……。 あ、そうそう! タクシー、呼ぶ?」
「あ、いや、いいよ。 歩いて帰る。 酔い覚ますのにちょうどいいかも!」
そう言って柏木さんは帰って行った。
何もされなかった……。
よかった……。
私は一安心していた。
私の男の人への偏見の殻が少し割れた様な気がした……。