第95話 甘い蜜
暗闇の中、下へ下へと降りていく。
まるで何も見えないのに、そこに階段があると信じているのか
黒い空間に足を踏み出し、そこにある固い階段を確認して
また一歩踏み出していく。
光の無い世界の中、頭の中へ闇が滲むように、螺旋の底へと進んでいく。
意識が真っ黒に塗りつぶされていく。
吐く息も、開けた口の中へ次々と闇が侵入して周りと溶け込み、
自分の存在も滲んで黒い靄となる。
交互に進める足先が踏みしめる階段以外に、もう今自分が何処に居るのかも、何をしているのかも分からなくなり、おもむろに上を見上げてそのまま倒れ込みそうになる寸前。
カツンッと石を打ちつけるような音と共に、螺旋階段の底に到着した。
見えてない足元にも、その先の下へ続く穴がもう無いことが何故か感じられる。
辺りを見渡すと、何も見えない黒い世界に、ぼんやりとだが滲むような四角い線が浮かび上がっているように感じた。
急ぎ足で、粘つくような闇を振り切ろうと、その四角い境界線へと手を伸ばす。
それは影で出来た薄いベールのように、手が触れる直前でふうわりと避けるようにしてひるがえり、空を掻く手がつかみ損ねたその勢いを乗せて、体ごと突き抜けた。
一転して強烈な光が目に刺さる。
実際はそこまで明るすぎるわけではなかったのかもしれないが、暗闇に慣れた目ではその光はすぐには受け付けることができず。
手で遮りならが、足を進める。
少しづつ見えてきた視界の中で、広々とした空間と荘厳な趣のある大理石が敷き詰められた通路を歩いていることに気が付いた。
「ほぅ、ここにも迷子の少年がやってきたぞ」
突然の声が前方から投げかけられると、同時に今、気が付いたかのように天井から幾重にも輝く金の糸が降り注ぎ、行く手を優しく包み込む金色のベールの中心に、金色の長い髪の少女が真っ白な肌に同じく純白のローブを羽織っているのが見えた。
その姿をやっと慣れてきた目で確認した銀色の髪の少年が灰色の外套を申し訳程度に整えつつ、お辞儀をしながら答えた。
「えーと、迷子というか、探検中です。それで良ければ少しお話をしたいのですが」
ソーンはそう言った後、立ち止まり、金色のベールから音も無く進み出る、少女の回答を待った。
「ただの迷子では無く、探検者じゃと。それはまた面白いことを言う」
すると、すぅーっと天井から糸に吊るされたテーブルとイスが下りてくる。
着々と整えられていく光景に驚くようにそれを見つめるソーンと、少しづつ近づいてきた少女が、ソーンのすぐ隣まできて告げた。
「そこへ座れ、話したいことがあるのじゃろう」
大人しく少女の指示に従い目の前のテーブルと対になるよう置かれたイスに腰をおろす。
「あっ、すいません、僕だけ座ってしまって、あの貴方は・・・」
ソーンがそう答えた後、すぐに今度は天井の無数に垂れ下がっている金色の糸の合間から、するすると水差しと、金色の盃が降りてくる。
それがテーブルにつく直前に、ピタッと止まり、透き通るような白い肌をした手を添えた少女が水差しを傾けて、もう片方の手で持った盃へとその中身を注ぐ。
水差しから流れ出るものが光を受けてキラキラと輝きながら盃を満たしていく。
途端に甘い香りがあたりに充満する。
すると、注ぎ終えた後、水差しが元の天井へとするするとかえっていくと、残った盃をソーンの目の前に差し出して少女が言った。
「・・・指を2本だせ」
不思議そうにそれに従ったソーンが片手の指を2本前に差し出した。
その手を少女が掴んで、あろうことか盃の中へとソーンの指を突っ込んだ。
「えっ、わっ、どうして」
「ジタバタするでない、余計に零れる」
慌てるソーンを尻目に、甘い蜜が絡みついた指を盃から取り出して、滴り落ちるしずくを舐めとるようにして少女が指に口を近づける。
「えーと、何してますか?」
「なんじゃ、零れると勿体無いから、垂れた分を取っているだけじゃ」
なされるがままのソーンが、指先を見ると舌をだした少女が、垂れてくる甘い雫を舌で受け止めている。
「わっ、ちょっと、何だか・・・んんん」
どうしていいのか分からないソーンが顔をふせるようにして、声をあげている。
「騒がしいの、これを求めてここに来たんじゃろ、迷子の探検者よ」
そう言った後、少女は掴んでいた手の指をソーンの口元へ強引に押し付けた。
ソーンの鼻腔が甘い香りを感じると共に、その蜜を口づけたと思った瞬間、
意識が白く弾けるようにして広がった。
急速に景色が流れるように色々な場面が頭の中に繰り返される、それは今日見て回った街の景色を含めて、
まだ見ていない通りに並ぶ店先から路地裏へ、そのまま続いていく道の先の城壁沿いの屋台に、立派なつくりの扉をくぐった先の情報ギルドのカウンターとその向かいにある巨大な告知板、更にその先の窓を抜けて、いくつかの建物をつきぬけて、屋根の上にあがり、遠くに領主の館を望む展望台に上り、そのまま空中へと飛び出して上空を漂う。
すると茶色いふさふさした物にぶつかったところで景色が途切れた。
その様子をみていた少女が、現れた時と同様に目を閉じたまま、テーブルに伏せるようにして倒れているソーンの手をつまんで、
甘い蜜が滴る指を小さく開いた口で噛みつきながら呟いた。
「はっ、所詮は、人の子。くだらぬ時間つぶしじゃったか・・・」
その言葉と共に、ギリリと強く嚙みついたせいかソーンの指から血が滲んで蜜に混ざって少女の口へと流れていく。
その刹那、金色の髪をした少女の視界が暗転する。
___黒い波が、よせてはかえす。
ちゃぷちゃぷと、光を通さない闇夜の中に、水音が聞こえる。
手が、足が漂う波にあわせて、ふよふよと浮かんでは沈む。
開いた目に映るものは暗い虚空、波音と水に触れるやわらかな衝撃。
その閉ざされた感覚の中に、光る金色の意識が接続される、その輝く光が答えた。
「なんじゃ、これは・・・何ッ」
金色の髪の少女が気づいたのは、その水面の遥か下方より、
無数の、計り知れない数の・・・
「っうぇ、がぁあッ、グェェェ・・・」
光輝く広間に似つかわしくない、嗚咽が響く。
みると金色の髪の少女がのたうち回りながら、大理石の床の上で手足をばたつかせている。
天井から落下するように水差しが現れてそれを少女が掴み、蓋を投げ捨て、傾けるようにして中身を口に流し込む、
いくつもの零れた蜜が体に筋をつくるように流れていくがそれも気にならないのか、喉をならして飲み干していく。
すると突然、巨大なガラスが割れるような音がして、天井から金色の糸がどさどさと降り注いできた。
それに混じって、焦げたような色をした荒い毛に覆われた触手が数本、ずるりと垂れ下がってくる。
甘く染まる息を吐いた見た少女が、空になった水差しを投げ捨てながら呟いた。
「我は今、機嫌が悪い、例え迷子であっても遊んではやらんぞ」
天井から垂れた触手が床でとぐろを巻くようにして集まりはじめ、分厚い毛の塊がもっさりと立ち上がったかと思うと、
そこからも別のごわごわとした焦げ茶色の毛に覆われた触手が1本鎌首をもたげて、少女を見ている。
その触手の先がすぅーっと分かれて中から、ちろちろと赤い舌が現れてこう言った。
「ほぅ、瀕死の小娘が強がりを言っておる、身の程を知らんとはこのことじゃ」
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