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 白黒ゲーム(=リバーシ)の試作品が出来上がると、早速アイネアはエルザと対戦してみた。発案者であるアイネアに分があるのは当然だが、エルザはのみこみが早く、これがなかなか手強い。


「これなら私もできます!小さな子供でも、一分もあれば理解できるんじゃないでしょうか」

「そうでしょう?でもチェスだって楽しいわ」

「どの駒がどんな動きをするのかさえ、わかりません。無理です」

「もう、エルザったら」

「お嬢様、余裕でいられるのも今のうちですよ。はい、角いただきました」

「まってまって!」

「勝負の世界に待てはありません」


 和気藹々とゲームに興じながら、アイネアは弾む心を抑えきれなかった。

 目が覚めれば消えてしまう儚い世界の産物が、今ここに存在している。手で触れることができる。誰かと一緒に楽しむことができる。

 不思議な夢を見始めて数年。やっとひとつ、現実世界へ蘇らせることが叶った。


 アイネアの夢の品は、遂に完成を迎える。

 孤児院と病院に二セットずつを持って、アイネア自ら訪ねて行った。子供達は興味津々な様子でアイネアの説明を聞き、ルールを覚えると競い合うように遊びたがった。あまりの人気ぶりに、アイネアは驚きつつも、嬉しさでいっぱいになった。


(あんなに喜んでもらえるんだもの。夢で終わらせてしまうのは、やっぱりもったいないことだったのね)


 こんな事をやっていていいのか迷った日もあった。アイネアの勝手気儘に他人を巻き込む不安もあった。悩みながらも好奇心には勝てず、とうとうここまでこぎ着けてしまった。

 反省する事、改善すべき事は山ほどあるに違いない。それでも後悔は無かった。

 アイネアを魅了して止まない夢の世界を、知らずじまいでいる人々へお裾分けし、感動を共有できる。


(想像していたとおり、とてもすてきだわ)


 沸き上がる笑い声を乗せた風が、アイネアの髪を揺らした。




 その頃、シャレゼル家の屋敷では、ユニアスが感嘆の息を吐いていた。

 アイネアへチェス盤をプレゼントしたすぐ後に、彼女からお礼の手紙が届いた。それは予想通りというか常識的というか。

 それからふた月と経たないうちに、自身で思い付いたという新たなボードゲームが送られてきたのは、ユニアスの予想の斜め上を突き抜けていた。どこまでも型破りな令嬢である。


「それにしてもすごいなぁ…」


 白黒ゲーム、名前もルールも単純だが、老若男女を問わず楽しめる代物だ。これをユニアスより一つ歳下の女の子が考えついたなんて。


「本当に僕なんかとは釣り合わない…」


 自室に置かれた備え付けの鏡を見て、ユニアスはため息を漏らした。突出した能力がある訳でもなく、加えてこんな姿に根暗な性格。自分で言ってて惨めになるほど、好いてもらえる要素が全く無い。それなのに…


『ユニアスさまではだめな理由が見つかりません』


 きっぱり言い切ってくれたアイネアの笑顔が頭から離れない。期待など抱かない方が楽だと知っている癖に、期待してしまう自分がいてユニアスは自己嫌悪に陥りそうだった。これでも、アイネアの友人として少しでも恥ずかしくない人間になろうと努力しているのだが、体重もそばかすも思うように減っていかない。彼女が何も言わなくても、ユニアスが自分自身を許せないのだ。


(せめて次に会う時までには痩せていたい)


 そんなユニアスの密かな決意は、いとも容易く砕かれることになる。

 婚約の話が上がっても無関心だったユニアスの父が、白黒ゲームを見た途端に目の色を変え、バラダン家に交渉へ行くと言い出したからだった。


「先触れは既に出し、彼方の了承も得た。お前には大して期待していなかったが、まさか女選びの才があったとはな」

「………」

「バラダンの娘がこれからどう化けるか……我がシャレゼル家の利となる事を期待しよう」


 ユニアスは憎悪にも似た憤りを覚える。

 ユニアスの婚約に父は利益を、母は世間体を求めた。貴族の政略結婚などそんなものだし、ユニアスだって割り切っていたつもりだった。努力を重ねても誰も見向きもしないと悟った時、全てを諦めたはずだった。

 けれども、アイネアと出会った。

 勇気を振り絞って差し出した手を、微かな嫌悪すら抱かずに喜んで握り返してくれる相手と、出会ってしまった。知るべくもなかった、温かくて時に胸を焦がす程の感情を知ってしまった。

 とても、とても大切な人なのだ、ユニアスにとってアイネアは。それを「化ける」だの「家の利」だのと、浅ましい目で彼女を見るなとユニアスは怒鳴りたくなった。


(でも一番最悪なのは、父上に何も言い返せない僕自身だ…)


 不甲斐ない思いに苛まれながら、ユニアスはバラダン家へ向かう馬車の中で項垂れていた。




「ここまで御足労いただき、感謝を申し上げます。領主としてシャレゼル侯爵、並びに御子息を心より歓迎致します」


 二人を出迎えたアンドリューが恭しく頭を垂れる。それに倣ってアイネアも丁重な礼をした。

 ガーデンパーティーから間もなく半年といったところだが、変わらない笑顔を向けてくれるアイネアに、ユニアスはどん底だった気持ちが少しだけ浮上するのを感じた。


「シャレゼル侯爵、こちらが娘のアイネアです」

「これはまた愛らしいご息女で。伯爵が返事を渋るのも頷けますな」

「本日はその件でお越しに?」

「左様。話が早くて助かる」


 アンドリューは苦々しい思いを決して悟られないよう努めた。アイネアの才能の一端を垣間見たシャレゼル侯爵が、このまま大人しくしている訳がないと推測していた。早すぎる気もしなくはないが、それも仕方ない。

 国境でもある大河に近いバラダン領の特色を挙げるとするなら、北の王国との貿易であろう。対するシャレゼル領で有名なものと言えば、伝統的なカジノ場である。煌びやかな街の雰囲気を受けてなのか、領民は賭博好きな人間が多く、儲け話には商人並みに敏感だ。アイネアが考案したボードゲームに食いつくだろうと考えるのが妥当である。今ここでアイネアとの繋がりを確保しておくことは、シャレゼル侯爵にとって重要事項だった。新たなゲームの存在を知って、勝負事を好む領民が活気付けばその分、シャレゼル領も潤うというもの。他の男に目を付けられる前に、アイネアを手中に収めたいという、侯爵の思考が透けて見えるようだ。


「…お話は応接室で伺いましょう。ご案内します」

「ええ。では、ユニアスの話し相手になっていてもらえるかな、アイネア嬢?」

「はい。うけたまわりました」


 弾むような足取りでユニアスのそばへ寄るアイネア。大人の思惑に巻き込まれるのは、貴族の家に生まれた宿命だと哀れに思いながらも、アンドリューは我が子の幸せを願ってやまない。今、幼い娘を守れるのはアンドリューしかいない。二人を残して応接室へ向かうアンドリューは、硬い表情を崩さなかった。

 残された子供二人はというと、改めて向き合ってから緊張を解いた。互いの父親から見られていた状況は、意図していなくても緊張するものだ。ついさっきまで小さな淑女だったアイネアは、一転して普段通りの明朗な女の子に変わる。


「今日いらっしゃると聞いて、とても楽しみにしていたのです。ユニアスさまとチェスで対戦したくて、うずうずしておりました」


 その言葉通りアイネアは頰を上気させていた。


「僕とですか?」

「はい。チェスを知ってる方がお父さまとバートしかいなくて…でも、お仕事のじゃまをしてはいけないと思い、ガマンしていましたの」

「そういうことなら喜んでお相手します」

「うれしいですわ!さっそく対戦いたしましょう!」


 ユニアスから貰ったチェス盤は、ピアノの練習部屋に置いてあった。自分の部屋にあると気になってしまって、他のやるべき事が手につかないとわかっていたからだ。エルザがお茶を用意してくれている間に、アイネアは一つ一つ丁寧に駒を並べていく。

 アイネアの青い瞳に、光を浴びた硝子の駒が反射し、より一層輝いて見える。望んでいた笑顔が見られて、ユニアスの胸に幸せな気持ちが広がっていく。


「手加減はいりません。本気の勝負で勝ってこそ、真の勝利ですから」

「ずいぶんと自信があるんですね」

「いいえ、ありませんわ!二回だけお父さまと勝負しましたけれど、こてんぱんに負かされました」


 それなのに謎の自信に包まれているアイネアが、実に彼女らしくてユニアスは自然と笑ってしまう。


「勝負事で手を抜くのは相手に失礼ですから、僕も全力でいきます」

「望むところです」


 駒を進めていくうちに、ユニアスはアイネアの打ち筋を理解していった。彼女の戦略は、その性格を如実に表すかのように素直なものだった。故に先を読み易い。しかし時々、こちらをハッとさせるような手を打ってくる事もあり、気が抜けない相手でもあった。

 一戦目の結果はユニアスの勝ちだった。


「お強いですね」

「アイネア嬢も手強かったです」


 それから二戦目、三戦目と続けざまに対戦したが、軍配はユニアスに上がり続けた。負けっぱなしのアイネアだったが、悔しさよりも対戦できる喜びの方が大きく「弱くてもうしわけありませんわ」と、実にあっけらかんとしていた。


「そろそろ休憩になさったらいかがですか?」


 四戦目が終了したところでエルザが声をかける。


「そうね」

「お嬢様は夢中になると一直線ですからね」

「いつもエルザが止めてくれて助かるわ。今日のお茶菓子はなにかしら?」

「果実のタルトです」

「おいしそう!ユニアスさま、タルトはお嫌いではありませんか?」

「ええ。大丈夫ですよ」


 バラダン家のシェフ特製タルトを堪能しつつ、ユニアスはアイネアを見つめた。ひと口ひと口大切に味わうようにして食べている様子が可愛らしくて、ついついじっと眺めてしまう。

 シャレゼル家の食事風景は静寂で息が詰まりそうだった。誰も何も喋らないし、喋りたいとも思わない。運ばれてくる料理を淡々と胃に収め続ける、それだけの時間だ。シャレゼル家の料理人も良い腕をしているのだろうが、ユニアスは彼らの料理を美味しいと感じたことは無かった。


「わたしの顔にクリームでもついていますか?」


 ユニアスの視線に遅まきながら気付いたアイネアが首を傾げる。見つめていた事がバレて、ユニアスは顔を赤くした。


「や、その…とてもおいしそうに食べるんだなと思いまして…アイネア嬢は甘いものがお好きなんですか?」

「ええ。大好きですわ!」


 お菓子の事だとわかっていても、ユニアスは思わずドキッとしてしまう。


「それに、おいしいものは好きな方と食べると、特別おいしく感じるのです!」

「っ!」


 アイネアの言う「好き」は当然、友愛的なそれであり、ユニアスも重々承知している。だが、あまりに真っ直ぐな物言いに、甘い眩暈が起こるのも致し方ないだろう。


「ユニアスさま?もしかしてお口に合いませんでしたか?」

「い、いえ……今まで食べたどんなものよりも、美味しいです」

「まあ!シェフ達が聞いたら喜びますわ」


 暗に僕も好きですと伝えているような台詞だったが、アイネアは明後日の方向へと受け取ったらしい。ユニアスが喜ばせたかったのは料理人ではない。しかし、まともに伝わったら、それはそれで照れくさいので、一先ずは良しとする。これ以上は墓穴を掘りそうなので、ユニアスは話題を変えることにした。


「そういえば、アイネア嬢はピアノを弾くんですね」

「はい。あのピアノはおばあさまがくださって…でもまだレッスンを始めたばかりなんです」

「そうでしたか。実は僕もピアノを習っているんです」

「えっ!ほんとうですか!ぜひお聴きしたいわ!」


 ユニアスは三歳の頃からピアノを習っている。正確には習わされている、だが貴族なんてどこも同じだろう。


「そんな大層な腕前じゃありませんよ」

「絶対にわたしよりもお上手だと断言できますわ!今度、この曲を教わることになっているのですが、全然イメージがわかないのです。少しだけでいいので、弾いていただけませんか?」


 アイネアが手にしている楽譜は、ユニアスも演奏したことがあるものだった。有名な楽曲ではないが、メロディラインの綺麗な曲だ。

 期待に満ちた視線を向けられたユニアスは、苦笑しながら鍵盤の前に座った。


(誰かに披露する日が来るなんて)


 実のところユニアスはピアノに限らず、楽器を演奏するのが好きだった。というのも、兄二人が音楽への興味が薄く、演奏も人並みの腕前だったからだ。唯一、兄達に勝てるものができるかもしれないとユニアスは腕を磨いた。ところがそんな淡い希望も虚しく、どれだけ上達を見せても褒められるどころかむしろ、趣味にかまけてと叱られる始末。家族の白い目を気にしながら、こそこそと楽器に触れる日々があるだけだった。

 耳を傾けてくれる人がいるというのは、心地良い緊張感があった。聴いてくれる人のために、精一杯の想いを音に込めようと、やる気が湧いてくる。

 そうして一曲弾き終えると、アイネアから惜しみない拍手が起こった。


「ほんとうにお上手でいらっしゃるのね!うっとりと聞き入ってしまいましたわ!」


 手が痛くならないのかと心配になる程、アイネアは拍手をし続け、ユニアスの演奏を絶賛した。


「わたしの演奏とは雲泥の差です。あ、もちろんわたしが泥ですわ」

「確かにお嬢様の演奏は何というか、がちゃがちゃしていますよねぇ」


 アイネアと共に聴いていたエルザが同調する。仕える身分の人間が言っていい事ではないのに、アイネアは「そうなのよ。先生にも同じことを注意されたわ」と大きく頷いていた。お互いにお嬢様と侍女という上下関係を忘れている訳ではないが、堅苦しい空気は一切感じさせない。シャレゼル家の屋敷ではあり得ない光景だ。


「でもエルザ、左手の伴奏だってきれいなメロディじゃない?そう思うと、どうしても大きな音で弾きたくなってしまうのよ」

「お嬢様らしいですけど、それだといつまで経ってもユニアス様のようには弾けないのでは?」

「うっ…」


 エルザに痛い所を突かれたアイネアは押し黙った。その微笑ましい様子に、ユニアスは助け船を出そうと、演奏時のコツを遠慮がちに語り始めた。アイネアはそれを熱心に聞いて、実践してみようと一生懸命指を動かす。真剣な表情で鍵盤と睨めっこしているアイネアを見て、ユニアスは柔らかく笑った。


(なんて穏やかで、優しい時間なんだろう…)


 アイネアに出会ってからの日々は、何もかも初めて尽くしだった。そして、それら全てはユニアスの心を温かいもので満たしてくれた。生まれて初めて、幸福というものを知った気さえする。


「ユニアスさま!いまのはそこそこ良かったと思いませんか?」

「えっと…」

「辛口評価も受けて立ちますわ!」

「受けて立ってどうするんですか。そこは受け止めてください、お嬢様」


 ここへ来るまでひどく鬱屈とした気分だったのに、アイネアと言葉を交わし、彼女の笑顔を目にしただけで、暗い気持ちが跡形も無く消えていた。晴れやかな気分で笑えている事に、ユニアス自身も驚く。


「僕は…好きですよ。アイネア嬢の演奏」


 ユニアスが赤くなりながら告げた台詞。一瞬ぽかんとしたアイネアだったが、すぐさまはにかみを含んだ笑みをこぼした。


「ありがとうございます。わたしもユニアスさまの演奏が大好きですわ!」


 ストレートな追撃を食らったユニアスは、さらに真っ赤になって撃沈したのであった。

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