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「お嬢様。シャレゼル侯爵家からお手紙が届いていますよ」

「ありがとう、エルザ」


 ガーデンパーティー以降、直接顔を合わせることは叶わなかったが、ユニアスとはひと月に二回、文を交わすようになっていた。些細な日常の出来事を報告しあう、何とも微笑ましい内容だった。


「ユニアスさま、いまだに胡瓜を見ると笑いがこみ上げてくるらしいわ」

「私にも覚えがありますよ」


 フォークに刺した胡瓜を見て急に叫んだアイネアもさる事ながら、その後アンドリューが『…胡瓜だな』とすごく微妙な表情で言った場面を、忘れろと言うのが無理な話である。バートは堪えきれずに吹き出していたくらいだ。


「ふふっ。お返事を書かないと」

「お嬢様、嬉しそうですね」

「お友だちと文通するのに、あこがれていたもの。うれしいに決まっているわ」

「お友達ですか…」


 まだアイネアには伝わっていないが、シャレゼル侯爵家からすでに婚約の申し込みが来ているのだ。アンドリューは前向きに検討するとだけ返したらしいが、遅かれ早かれ、二人の婚約は纏まるだろうとエルザは思っていた。

 ユニアスはアイネアの結婚相手として求められる、家督の継承権が低く婿入りが可能な男性、という第一条件をクリアしている。そして極め付け、二人の仲が良好なので、アンドリューとしても反対する理由が無い。あるとすれば、まだ早すぎるとか、娘に相応しい相手かどうか分からないとか、そんなものだろう。


 時を同じくして、書斎ではアンドリューが険しい顔で書状を睨んでいた。控えているバートは呆れてため息を吐く。


「そんなにお嫌ならお断りすればいいじゃないですか」

「…侯爵家からの申し出を、簡単に切り捨てることはできん」

「シャレゼル侯爵家の三男と言えば、縁談が失敗する事で有名ですよ。当家がお断りしても大して騒がれないと思いますが」

「………」

「何が気に入らないのですか?」


 アイネアもアンドリューも、人の見た目にこだわる性格はしていない。だとすれば、この話を渋る理由は他にあるとバートは踏んだ。


「…己の容姿を気にしてうじうじするような軟弱な男にアイネアを、この領地を守れると思うか」

「ははぁ、つまりは漢気が足りないと」

「思い遣り深いところは評価してやってもいいが、それだけで我が家の婿は務まらん」

「それでもお嬢様が彼が良いと仰ったらどうするんですか?」

「………」

「…すごいお顔になっていますよ」


 お嬢様との結婚は茨の道だなと、バートは肩を竦めた。




 一方、シャレゼル侯爵家では、侯爵夫人が色めき立っていた。それもそのはず、断りの書簡しか返ってこなかったユニアスの婚約に、ようやくまともな返答があったのだ。この機を逃してはならないとばかりに、ユニアスに構い始めた。


「貴方、あの娘が気に入ったのでしょう?安心なさい。必ず婚約を取りつけるわ。貴方は私の言う通りにしていればいいのよ」


 いつになく優しい声と言葉。

 それはずっと求めていたもののはずなのに、ユニアスが感じたのは虚しさだけだった。持っていた手紙を握り潰してしまいそうになるのを、ぎりぎりで堪えた。これは彼女からの大切な手紙だ。


(母上を喜ばせるために『気に入った』んじゃない)


 世間への体裁だとか、母親の圧力だとか、そんな不純な動機は一切無い。

 ユニアスの心が彼女を選んだ、それだけだ。


「そんな体型では嫌われてしまうわよ。食事を制限なさい。そのそばかすも。薬があるからちゃんとつけなさいね。あとは贈り物ね。彼女の気を引くものを選ばなくては」


 食事に関してはユニアスも同意見だ。言われずとも、このままではいけないとわかっていた。そばかすはどうしようもないと思うが、ここは黙って母に従うのが得策だろう。


(アイネア嬢へのプレゼント…)


 出会って日は浅いが、彼女には常識というものが通用しない気がした。アイネアの名誉のために断っておくが、非常識な性格だとかそういう話ではない。感性が独特、とでも言えばいいのだろうか。恐らく宝石を贈っても、喜んではくれるだろう。だが、ユニアスが見たいのはそれじゃない。「好きな花は?」と訊かれて、誰も目に留めない野の草花の名前を挙げた時のような、きらきらと輝く笑顔が見たい。


(………見当もつかないな)


 もしかしたら、普通のプレゼントを選ぶよりも難易度が高いのではないか。この件は難航しそうだと思われるが、ちっとも苦痛だとは感じなかった。


(あの笑顔が見られるなら…)


 こうやって彼女の為の贈り物に悩むのも悪くない。


 そして半月後。

 アイネアがピアノの練習中に"それ"は届いた。


「お嬢様、シャレゼル侯爵家からお手紙と贈り物が…」

「あら?なにかしら」


 エルザから受け取った箱はそれなりの重みがあった。蓋を開けてみると、そこに入っていたのは…


「チェスだわ!」


 それも硝子製の美しいチェス盤だった。

 アイネアがチェスにはまったのは、従姉妹の屋敷に遊びに行った時だ。面白くてあまりに熱中したものだから、買い与えれば勉学が疎かになるのではないかと危惧した父に反対され、購入を断念した経緯がある。

 それもあってアイネアの喜びはひとしおだ。


「とても綺麗なチェス盤ですね」

「うれしい!さっそく対戦したいわ!エルザ、一回だけお相手してくれない?大丈夫よ。わたし、そんなに強くないもの。負けたってすねたりしないわ」

「恥ずかしながら私、ルールを知らないのです。以前、お嬢様がやっているのを見ていましたが、難しそうでとてもできる気がしません」


 そもそも、チェスやトランプといったゲームは、上流階級の人間が趣味として嗜むものだった。シャレゼル領には大きなカジノがあるが、そこへやって来るのは貴族か、裕福な商家の人間だけだ。侍女であるエルザがルールを知らないのも当然のことである。


「ユニアス様がいらっしゃった時に一緒に遊べばいいじゃないですか。むしろ、それを口実にお屋敷へご招待してみては?」

「………」

「お嬢様?」


 さりげなく二人の距離を縮めようとするエルザの提案は、アイネアに届いていなかった。なぜならアイネアは今、思考の海に沈んでいるからだ。


(チェスはたしかに少しルールが複雑ね。せっかくおもしろいボードゲームなのに残念だわ。……ちょっとまって。ボードゲーム…それって夢のなかにも出てきたわ。確かチェス盤と同じマス目で、使うのは……ええと、なんだったかしら?)


 夢の世界には、チェスしかない現実世界とは違い、数々のボードゲームが存在していた。存在自体は覚えていても、詳細なルールまでは覚えていないのだが、それでも、いくつか見たボードゲームの中でひとつだけ、ルールまで覚えていたものがあったはず。あとちょっとで思い出せそうなのに、思い出せないのが非常にもどかしい。アイネアは顎に右手をやり、うんうん唸っていた。


「お嬢様っ!」


 エルザの大声によって、アイネアの意識が引き戻される。その際、視界に飛び込んできたのはピアノの鍵盤。白と黒の配色を見た途端、アイネアは閃いた。


(思い出したわ!確か名前は…『リバーシ』!)


 使うのは裏と表に白黒の色が塗られたコイン状の駒のみ。縦横斜めに挟んだ相手の駒をひっくり返し、最終的に色の多い方が勝ち。ルールもシンプルでわかりやすい。


「今日の練習はおわりよ!クーザのところへ行ってくるわ!」

「まだ十分も弾いてないじゃないですか!?」

「明日がんばるわ!」


 チェス盤を抱えたアイネアは、エルザの制止も聞かず、部屋を飛び出して行った。その勢いのまま、クーザのアトリエへと転がり込む。


「クーザ!描いてほしいものがあるの!」

「お嬢はいつも突然だな。描いてほしいって言われても…」


 クーザはここへ来てまだ数ヶ月。自身の才能とたゆまぬ努力で、めきめきと画力を上げているが、アイネアを満足させるものが描けるかと問われれば、自信は皆無である。

 しかしどれだけ未熟だろうと、素人に毛が生えたような画力だろうと、クーザは正式なアイネアの専属画家。アイネアに依頼されたものは描く義務がある。


「新しいボードゲームの図案を作りたいの」

「ボードゲームの図案?」

「ええ。うまく伝えられるかわからないけど、がんばって説明するわ。わたしの言ったとおりに描いてくださる?」

「あ、ああ。わかった。やってみる」

「ありがとう!ではまず盤面からいくわね。このチェス盤と同じの8×8マスで…」


 アイネアの口頭での説明を聞きながら、クーザは紙面にコンテを走らせる。それほど迷いなく描くことができたのは、アイネアが見本だと言ってチェス盤と銀貨を持ってきてくれたからだ。


「裏と表で色の違うコイン……こんな感じか?」

「さすがはクーザね!」


 クーザの描きあげた下絵を見て、アイネアは手を叩いた。


「わたしの説明だけで、こんなに立派な図案が描けるなんて!」

「別に大したことじゃねぇよ」


 クーザがやった事は、スケッチと大差ない。チェス盤と銀貨の形を模倣し、アイネアの指示通りに色をつけただけだ。それだけのことなのに、アイネアは「大したことあるわ!」と力強く太鼓判を押す。


「報酬はあとで届けるわね」

「は!?いいよ、この程度の絵でそんな…」

「これはれっきとした仕事よ。あなたはきちんと依頼をはたしたんだもの、対価を払うのは当然だわ」

「………」

「クーザに描いてもらいたいものが、まだまだたくさんあるの。これからもよろしくおねがいね」


 アイネアが嬉々として図案を持って出て行った後、クーザは絵筆を手に取り、先生から出された課題を黙々とこなしていく。


(一日も早く、お嬢の専属として恥ずかしくない画家になってやる…!)


 あんな稚拙な絵で報酬を貰うなど、画家としての矜持が許さなかった。次の依頼までに少しでも腕を磨いてやると、クーザは無我夢中で描き続けるのだった。




 クーザの部屋を後にしたアイネアは、まっすぐ父のいる書斎へ向かった。リバーシを製作する許可を貰うためだ。職人ギルドへの依頼、製作費用の調達等、アイネア一人ではできない事が多い。


「お父さま。アイネアです。お話があるのですが、いま良いですか?」


 すぐに「入りなさい」と返事があったので、アイネアは彫刻の施された扉を開けた。アンドリューとバートは、息を切らせながらも笑顔を浮かべるアイネアを見やる。


「これを見てくださいませ」

「……これは?」

「『白黒ゲーム』というボードゲームです」


 クーザと作成した図案を手渡し、リバーシ改め白黒ゲームのルールを説明する。名前を変えたのは単にリバーシというのが、この国では聞き慣れない言葉であるからだ。


「最初に白と黒それぞれ二枚ずつを、中央の四マスにおきます。先手は黒です。相手の駒をはさんでひっくり返し、自分の色にします。縦横斜め、どこでもいいですわ。駒を打ち切って、多い色の方が勝ちになります」

「…これをお前が考えたのか」


 アイネアが考えついたのではなく、夢で見たものをそっくりそのまま描き起こしただけなので、父の質問に何と答えるべきか迷う。しかし上手い言葉が見つからず、アイネアは黙って頷いておいた。

 アンドリューとバートは互いに目配せし合う。単純明快なルールにして、奥が深い色取りゲーム。まだ幼いアイネアがこれを考案したなど、にわかに信じ難い。そして、こういう展開を見越して、クーザを引き入れたのだとしたら末恐ろしい。無邪気に微笑むアイネアは、大人達が戦慄している事など何も気付いていなかった。


「お父さまには、作ってくださる方を紹介していただきたいのです」

「作った後はどうするつもりだ」

「あと?」

「新たな製品として売り出さないのか?」


 アイネアの頭には、販売して儲けようという考えは無かったため、父の問いかけにきょとんとしてしまう。そんな娘の思考をあらかた察したアンドリューは眉を顰めた。


「儲けるつもりが無いのなら、作って何をしたかったのだ。まさか自分の娯楽の為だけに作ろうとしていたのではあるまいな」


 夢の世界に登場するものを再現するのが、アイネアの願いである。食べ物、読み物、遊ぶ物…夢に出てくる魅力的な品々を、沢山の人と共有できたらとても素敵に違いないとアイネアは信じている。


「ひとりじめしたって、なにも楽しくありませんわ。売ることは考えていませんでしたが、孤児院と病院におくろうとは思っていました」


 まずお試しとして、孤児院の子供達に遊んでもらい、好評だったら病院に入院している患者達に無償で提供しようというのが、アイネアの計画だった。

 庶民の娯楽と言えば、主にスポーツだ。それも良いだろう。だが、体を動かす事が苦手な人は?体の自由が利かない人はどうなる?

 そういう人々が楽しめるゲームがあっても良いのではないか。

 子供の拙い言葉で懸命に訴えるアイネアに「良い案じゃないですか」と答えたのはバートだった。


「チェスの駒は一つ一つ手作業で彫って作りますが、この白黒ゲームの駒は単一にして単純です。製作費用も安く済む、つまりは安く売れます」

「わたし、売るつもりは…」

「このゲームをバラダン領内だけで留めておくのはもったいないですよ。お嬢様の発明品が売れれば、それはバラダン家の収入となり、領内の運営費に使うことができます」

「バラダン領がゆたかになるってこと?」

「そうです。無論、遣い方次第ではありますがね」

「…お父さまも、バートと同じ意見ですか?」

「ああ。新たな商品を販売するとなれば、ブランド権(=特許権)を取得する事になる。そうした方が余計なトラブルを生まずに済むからな」

「簡単に申しますと、お嬢様の手柄を横取りされないようにするんですよ」


 仮にブランド権を申請せず、アイネアではない見知らぬ誰かがブランド権を取得してしまった場合、アイネアは自由に白黒ゲームを製作することができなくなる。


「そうなれば迷惑を被るのはお前だけではない。お前に協力してくれた者まで悔しい思いをするのだ」


 アイネアは無茶な頼みを引き受けてくれたクーザを思い浮かべた。


(そうだわ。手を貸してくれた人達の信頼に応えるって、決めたじゃない)


 クーザの努力を決して無駄にしたくないし、厳しく諭してくれた父を幻滅させたくもない。


「わかりました。お父さまの指示にしたがいます」

「では、この件は私が取り仕切る。製品化にブランド権の申請、それから商会ギルドへの依頼もすべてやっておこう。お前の希望も汲んで孤児院と、入院病棟がある二つの病院には寄付するよう計らう」

「ありがとうございます!お父さま!」

「いつかはお前が一人でやらねばならない事だ。今からよく勉強しておきなさい」

「はい」


 アイネアが去った後、アンドリューは片手で顔を覆いながらぼそっと呟いた。


「……ますます嫁にやりたくない」

「ご心配なく。お嬢様を嫁にやるのではなく、あちらが婿にくるのです」

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