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 バラダン領の南方に隣接する領地を治めるのは、シャレゼル侯爵家である。侯爵には三人の息子がおり、ユニアスはその末っ子であった。

 一番上の兄は非常に聡明な頭脳の持ち主で、次期当主として父親からの信頼が厚い。逆に二番目の兄は剣術の天才で、ゆくゆくは騎士団長になるのではないかとの呼び声も高かった。そして三男のユニアスはと言えば、これといって秀でたものがない。勉強も剣も人並み以上なのだが、いかんせん比較される相手が悪かった。

 両親も兄達も何も言わなかった。それはつまり何も期待されていないのと同義であり、ユニアスはそれすらも苦しかった。少しでも兄達に追いつこうと無理をすれば、ストレスで過食気味になり。外で剣の稽古に励めば、そばかすだらけのみっともない顔になり。

 中身だけでなく外見に至るまで、ユニアスには兄達に敵うものが何一つ無くなってしまった。諦めの境地に達しようとしていたユニアスだったが、ここに来て母親が焦り出した。

 理由は単純で、ユニアスの婚約話が一向に纏まらなかったからに他ならない。そばかす顔のぽっちゃり三男と、誰が婚約したいと思うのか。見合い話が出る度にユニアスは辟易していた。それでも母親に言われた通りに顔合わせに赴けば、蔑んだ目で見られ、にべもなく拒絶された。それが一度ならず何度も続いているのに、母親はまだ諦めない。大方、独身の男が屋敷に居残る体裁の悪さを気にしているのだろう。ユニアスが毎回どんな思いで、相手からの侮蔑に耐えているかを、懇切丁寧に教えてやれたらどんなにいいか。


 宮殿で開かれるガーデンパーティーに出席するよう言われた時、ユニアスは嫌だと首を横に振りたかった。

 パーティーには今までユニアスとの婚約を断ってきた令嬢が何人かいたし、大勢の前で自分の姿を晒したくなかった。だが、母親に強く言われてしまえば頷くしかなく、ユニアスは鬱々とした気分でパーティーの日を迎えた。

 案の定、ユニアスの姿を見た令嬢達は、くすくすと笑っていた。いつもの事だとわかっていても、胸のあたりがずきずきと痛んだ。幸いなことに、そのうち令嬢達は王子の方へと皆行ってくれたので、ユニアスはほっと息を吐くことができた。あとはパーティーが終わるまで、気配を消せばいい。

 しかしそれを許す母親ではなかった。


「ユニアス、何をしているの」

「母上…」

「ご覧なさい。あそこにいるのはバラダン伯爵家の令嬢よ。今はひとりのようだし、声をかけるチャンスだわ。ほら、はやく行きなさい」

「………」


 無理やり背中を押されたユニアスは、渋々歩き出した。先ほど一瞬だけ見えた横顔は、酷く冷たそうな深い青色の瞳が印象的だった。風に揺れている髪の毛も氷のような色合いだ。今までに浴びせられた、どんな嘲りの言葉よりも鋭い罵倒が飛んできそうで、ユニアスの手は震えた。それでも、なけなしの勇気をかき集めて口を開く。


「……もし、よかったら…」


 緊張で声が揺れる。風の音にかき消されそうな声だったが、相手には届いたらしい。令嬢が振り向いた気配がしたが、ユニアスは怖くて視線を上げることができなかった。


「…僕と、その…」


 嘲笑も馬鹿にする台詞もまだ聞こえない。


「っ…いっしょに見てまわりませんか?」


 言ってしまったと、ユニアスはどっと汗をかく。予想される攻撃に備えてぎゅっと目を閉じ、手を握りしめていた。

 しかし返ってきたのは、ユニアスが予想もしていなかった言葉だった。


「はい!よろこんで!」


 思ってもみない返答に、ユニアスは勢いよく顔を上げた。ユニアスに向けられていたのは、星のようにキラキラ輝く真っ青な瞳と、それに負けないくらいの笑顔だった。




「わたしはアイネア・バラダンともうします。おなまえをお聞きしても?」


 澄んだ声が聞こえてようやく、ユニアスは我に返った。名乗りもせずに誘いをかけた事を今更ながら恥ずかしく思い、慌てて自己紹介をする。


「失礼しました。僕はユニアス・シャレゼルです」

「シャレゼル侯爵家の方でしたか。おとなりの領地ですのに、お会いするのははじめてですね」


 にこやかに話しかけてくるアイネアと対面するユニアスは、嬉しさよりも困惑の方が大きかった。何せこんな好意的な対応は初めてなのだ。今までは相手からの嘲りにただ耐えるだけで良かった。だから、いざこういう状況で女の子とどうやって話をすればいいのか、さっぱりわからない。何か裏があるのではないかと疑いたくなる。

 そんなユニアスの戸惑いなど露知らず、上機嫌なアイネアは、いつものように喋りだした。


「だれにも話しかけることができなくて、どうしようかと思っていたんです。ユニアスさまがお声をかけてくださって、本当に嬉しかったです!ありがとうございます!」

「え……と」

「お茶菓子も捨てがたいですが、ガーデンパーティーですもの。お花も楽しまなくては、もったいないですから」


 不思議な子だとユニアスは思った。

 冬を連想させるような容姿なのに、彼女が一度微笑むと、その場に花が咲いたような錯覚が見える。散々罵られ、そうされる自覚もあるユニアスと接しても、悪感情を抱いていない様子だ。

 それもそのはず、アイネアはユニアスに対して、嫌悪感など微塵も持っていないのだ。


「誘った僕が言うのもおかしいですが…本当にいいんですか?僕で…」


 可憐な彼女の隣を歩くには、自分の姿はあまりに醜い。誰がどう見ても釣り合っていないし、彼女に恥をかかせる事になるのではないか。ユニアスは大きな不安に駆られた。しかしそんな不安は、いとも簡単に吹き飛ばしてくれるアイネアであった。


「ユニアスさまではだめな理由が見つかりません」


 アイネアに言わせれば、ユニアスはひとりぼっちだった自分に声をかけてくれたとても親切な人である。隣の領地だし、友達になれたら遊びに行き来できるのではないかと、期待に胸を躍らせているくらいだ。

 それを聞いたユニアスはさっきとは真逆の理由で震えながら、丸っこい手を差し出した。


「…お手を、どうぞ。アイネア嬢」

「よろしくおねがいします」


 躊躇うことなく重ねられた小さな手を、ユニアスは宝物のようにそっと握ったのだった。




「アイネア嬢の好きな花はなんですか?」

「お花ならなんでも好きですが、いちばんを選ぶなら…」


 細部まで手入れが施された庭園を散策しているうちに、アイネアの朗らかさにつられて、ユニアスの緊張もほぐれてきた。彼女をエスコートする姿もなかなか様になっている。


「胡瓜草ですね!」

「え…?き、きゅうり…?」


 なんだそれはという疑問が表情にも出ていたのだろう。アイネアは面白そうに笑っていた。


「勿忘草はご存じですか?」

「ええ。それなら一応…」

「胡瓜草は勿忘草によく似ていますが、勿忘草よりも小さくて、色も少しうすいお花です」

「へえ…僕は見たことないですね」

「仕方ありませんわ。だって雑草ですから」

「ざ、雑草!?」


 ユニアスの声がひっくり返る。好きな花を問われて、雑草の名前を挙げる貴族がどこにいるのか。いや、目の前にいるのだけれども。

 するとアイネアは優しい声で語り始めた。


「胡瓜草を知ったのは、わたしが三歳の時です」


 その日は珍しく母の体調が良くて、アイネアは一緒に庭に出た。春の陽気が暖かな日で、花壇には色とりどりの花が咲いていた。アイネアが例の草花を見つけたのは、花壇の枠の外だった。小さくて見逃してしまいそうな花だったが、アイネアにはとても可愛く見えた。母に可愛い花があると教え、一緒になって眺めた時だ。

『アイネアの髪と同じね。とても素敵な色だわ』

 母はそう言ってアイネアの頭を優しく撫でてくれた。髪を褒めてもらった嬉しさと、アイネアが気に入った花を母も気に入ってくれた喜びが蘇る、思い出の花だった。


「でもわたしもお母さまも、そのお花のなまえを知らなくて…庭師の方に聞いたら胡瓜草だと教えてもらったのです」

「そうだったんですか…」

「葉っぱを揉むと胡瓜の匂いがすることから、そう呼ばれているらしいです。実際にやってみましたけれど、本当でしたわ!」


 母との思い出話から一転し、胡瓜草の名前を度忘れしたアイネアが、言葉だけで特徴を説明したところ、勿忘草が庭に植えられた話にすり替わる。


「テーブルに置かれたサラダを見て、やっと思い出したのです。フォークを片手に思わず『そう!きゅうりよ!』って食事中に叫んでしまいました」


 アイネアの間抜けな話に、ユニアスは声を出して笑った。誰かと一緒にいて、こんなに楽しいと感じたのは初めてだった。もっと一緒にいたいと思える人に出会えるなんて、考えもしなかった。


「この話をだれかにしゃべるのは初めてでしたけれど、楽しんでいただけて何よりですわ」

「アイネア嬢…あの…」


 今日で終わりにしたくないとユニアスは強く願った。また会いたいと、言葉に出して伝えたい。でも、良いのだろうか。迷惑ではないだろうか。嫌われてしまわないだろうか。こんな時、スマートに次も会う約束を取り付けられない自分が憎らしかった。


「ユニアスさま?」

「……き、君さえ嫌じゃなければ、僕と」

「アイネア。ここにいたのか」

「お父さま!」


 意を決したユニアスだったが、タイミング悪くアンドリューが娘を呼びに来た為、言えずじまいとなってしまう。


(……これでいいんだ。今日、彼女と一緒にいられただけで充分だ)


 ユニアスの誘いに快く応じてくれて、話し下手な自分に嫌な顔一つしないで喋りかけてくれて、共に笑い合えた。それは奇跡にも等しい事に違いない。

 これ以上の奇跡があるか?と自分に問いかけるユニアスだったが、他でもないアイネアが新たな奇跡を紡いだ。


「お父さま。わたし、お友だちができましたわ!ユニアス・シャレゼルさまです!」


 ずっと繋いだままだった手を、アイネアは自慢げに父に見せる。仰天したのはユニアスだった。


「えぇっ!?」

「えっ?わ、わたしの勘違い…?申しわけありません!わたしったら図々しく…!」


 もうとっくに友人だと思い込んでいたアイネアは、真っ赤になって手を離そうとした。しかしそれよりも速くユニアスの手に掴まれる。ぐっと握られてまったく動かせなくなった。


「…僕はっ、君にまた会いたい。君さえよければ僕を…友人にしてほしい」


 ユニアスの真剣な紫紺の瞳が、アイネアを見つめる。彼の顔はアイネア以上に赤く染まっており、触れている場所から熱がじんじんと伝わってきた。

 アイネアは彼の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、


「もちろんですわ!」


 と満面の笑みで応えたのだった。




 せっかくできた友達と別れるのは名残惜しいが、パーティーはもう終わりだ。


「ユニアスさまのおかげで、楽しい時間になりましたわ」

「それは僕もですよ」

「お手紙をお送りしたいのですけど、かまいませんか?」

「ええ。僕も返事を書きますから、是非」

「字が下手でも笑わないでくださいね。いえ、やっぱり笑ってくださっても大丈夫ですわ。はずかしさをバネに猛特訓いたしますから」


 アイネアと言葉を交わしていると、自然と笑顔になるから不思議だった。本当に素敵な子だなと、ユニアスは胸の奥が温かくなる。


 帰りの馬車の中でアイネアとユニアスは、それぞれの親から質問責めにあったのは言うまでもない。

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