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番外編:在りし日のバラダン家

 バラダン伯爵家に元気な産声が響いたのが、およそひと月前。

 現当主であるアンドリューは、毎日暇さえあれば妻リィサのもとへ足を運び、すやすや眠る愛娘を眺めていた。やや厳つい顔をしたこの父親は、生まれたばかりの娘が可愛くて可愛くて仕方がないのだ。


「よく眠っていますわね」

「ああ。可愛い」

「綺麗な髪色だと思いませんか?」

「ああ。妖精のようだ」

「笑った顔がとっても可愛いですわ」

「ああ。天使だ」


 リィサと言葉を交わしていながら、アンドリューの視線はアイネアに固定されたままだ。

 アンドリューがこんな親馬鹿になってしまったきっかけは、彼が初めて我が子をその腕に抱いた時だった。




『あなたも抱っこしてあげてください』


 そうリィサにお願いされたものの、アンドリューは自分の顔が、子供に泣かれる類のものであると自覚している。今はリィサに抱かれて大人しくしていても、アンドリューが抱いた途端、火が着いたように泣き出したらどうすればいいのか。赤ん坊をあやす術など持ち合わせていないので、アンドリューは躊躇った。


『大丈夫です。ほら、ここに手を当てて…』

『こう、か…?』


 恐る恐るアイネアに触れるアンドリュー。あまりにも小さくてか弱い存在に、彼はびくびくしながら、リィサの指示に従った。


『ええ、上手ですわ。アイネア、お父様ですよ』


 リィサが優しく呼びかけると、アイネアは蒼海の瞳を瞬かせた。そして、自分を見下ろす視線に気がつく。アンドリューはごくりと生唾を飲み込んだ。リィサどこにも行くなよ、と心の中から妻へ呼びかける。

 そんな父親の心配をよそに、アイネアは目が合った瞬間、丸い頰をぷくっとさせながら、きゃっきゃと笑い出した。


『お父様に抱っこしてもらえて嬉しいのね。良かったわね、アイネア』

『………』


 ちっちゃな手を懸命に伸ばそうとするその姿に、アンドリューは心を打ち抜かれた。感激しすぎてアイネアを抱いたまま固まる夫を、リィサは微笑ましく眺めていたのだった。


 ところが、この日を境にアンドリューは暴走を始める。


『……あなた?これはいったい…』

『アイネアの服だ』


 リィサの目の前に置かれた布の山はすべて、アイネアの衣装であるらしい。何着あるのか定かではないが、いくらなんでも多すぎる。


『それでしたらもう沢山ありますが…』

『いや、これは少し布地が薄すぎる。前に購入したものは肌触りが気になってな。子供はよく汗をかくと聞いた。吸水性の高い素材でなければ風邪を引く』

『はあ…』

『男と違って、多様な色の服が着たいだろうし、何着あっても困らないはずだ。お前に似て綺麗な子だから、どれを着ても似合う』

『ありがとうございます…?』


 そうは言っても限度があるだろう。子供の成長は早いのだから、服なんてあっという間に着られなくなる。布地は再利用できるが、この調子だと次から次へと買ってくるのは目に見えていた。

 どうしたものかとリィサが思った時、扉の近くに控えていたバートが目に入った。彼は「奥様、何とかしてください」と身振り手振りで訴えている。そこでリィサは、一芝居打つことにした。


『あらあら、アイネア?……まあ』

『どうした』

『お洋服ではなくて自分を抱っこしてほしいと、アイネアが言っていますわ』


 アイネアは「あう」とか「うー」としか発していないのだが、リィサは「母親にはわかるのですよ」言わんばかりの雰囲気を出してみせた。すると効果てきめん、アンドリューは服などそっちのけで、アイネアに高い高いを始めた。


『アイネア、こんなにたくさんお洋服があったら、どれを着ようか迷ってしまわない?』

『うー』

『もう充分?そうよね。なら、お父様にありがとうって言いましょう?』

『あうぅ』

『あなた。ありがとう大好き、ですって』

『む…そうか』


 アイネアを見つめるアンドリューは、口元を嬉しそうにむずむずさせていた。

「奥様、ナイスです」とバートが親指を立てると、リィサも笑って同じ手つきをしたのである。




 おっとりとしたリィサが、それとなくアンドリューを制御しているおかげで、派手に暴走することはなくなった。しかしこの男の親馬鹿は、相変わらず健在だった。

 アイネアが誕生した記念に、家族三人の肖像画を描こうとなったのはいいのだが…


「…領主様、目線はこちらにお願いします」

「しつこいぞ」


 画家が何度指摘しても、アンドリューの目線は、リィサの腕の中にいるアイネアから離れない。挙句の果てには「文句を言うなら、別の画家を呼ぶが?」などと言い出す始末。またしてもバートのジェスチャーが飛ばされた。心得たとばかりに、すぐさまリィサが口を開く。


「アイネアも、お父様の凛々しくて格好いいお姿が見たいわよね?」

「あう」

「ふふ。私もよ」

「おい、目線をやるからはやく描け。リィサとアイネアが疲れてしまう」


 側で見ていたバートは、なんて理不尽なと呆れ返ったが、後にクーザの師匠となる画家は、無茶な要望を完璧に叶え、素晴らしい肖像画を描き上げたのだった。

 完成した絵を見たリィサは、すてきだと言って至極気に入り、後に大きくなったアイネアも母親と同じ感想を抱くこととなる。


 ───時は流れて数年後。


 クーザを専属画家にしたいと願い出たアイネアに、アンドリューは「誰に似たのか…」と苦い顔で呟いた。それを聞いていたバートは、よっぽど教えて差し上げようかと思ったという。


(お嬢様の暴走は、旦那様とそっくり同じですよ)


 もしここにリィサが居たらきっと、ころころと笑っていたに違いなかった。




 そしてリィサが気に入った肖像画は、当主が変わり、弟子が描いた新たな画が完成した後も、変わらずそこに在り続けている。

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