番外編:乙女の願い事
クーザと恋人同士になったことを、ビルガはいの一番にアイネアに伝えた。それを聞いたアイネアは心からの祝福を贈り、ビルガに負けない笑顔を見せていた。今も彼女の手を取って嬉しさを表している。
「そんなに言われると恥ずかしいわ…」
「大切な二人が幸せになれたんだもの。喜ばずにはいられないわ!」
「アイネア…ありがとう」
まるで自分のことのように喜んでくれるアイネアに、自然とビルガもはにかんでいた。照れ臭いけれども、こんなすてきな友に恵まれて幸せだと思った。
「それで、貴女に相談したいことがあるんだけど…」
「何でも言って。水臭いことは無し、でしょう?」
ビルガの来訪を聞いたユニアスは、さっとアイネアの手から書類を掠め取り、二人で話し合う時間を作ってくれた。よって、女同士の秘密の会話をする好機は今しかない。ビルガは躊躇いがちに口を開く。
「え…と、その……女性の方から積極的になるのって、はしたないわよね…?」
赤面しながら絞り出したビルガの悩みとは、恋人との進展についてだった。
華やかな容姿とは対照的にとても奥手なビルガを思い遣り、クーザは友達感覚のお付き合いをしていた。初心なビルガには、それで丁度良かったのだ。ただし最初のうちは、である。近頃はもう少し恋人らしいというか、ビルガ本人の言葉を使えば、ちょっとくらい破廉恥なことをしたいと思ったり思わなかったり。
要するにもっと甘い雰囲気になりたいという事だ。
「こんなこと、アイネアくらいしか聞ける人がいないし…貴女はユニアス様と、どうなのかなって…っ」
羞恥によって、かあっと真っ赤になったビルガは頰を両手で押さえた。
注解しておくが、彼女達はティミオス学園で貞操教育を受けているので、全くの無知ではない。しかしながら、そこでは道徳を学ぶのであって、男を誘惑する方法を学ぶのではないのだ。故に二人とも無垢なお嬢様のまま、すでに夫婦となったアイネアは多少変化していてもいいはずだが、何故か大して変わっていなかった。
「ユニアスと…うぅん、そうね…」
アイネアは夫との触れ合いを思い返してみる。親友の頼みだ、恥ずかしいだの何だの言っていられない。
「大抵はユニアスから、かしら…」
「やっぱり…」
しゅんとしてしまったビルガを見て、アイネアは「諦めるのはまだ早いわ!」と力強く励ました。
「わたし達は女だもの。男性の気持ちがわからなくて当然よ。待っていて、わたしがユニアスに聞いてくるから!」
普段ならビルガが急いで止めに入った場面だが、自分のことでいっぱいいっぱいな彼女は、アイネアがとんでもない事を言い出したと気が付けなかった。
つい先程「二人で話しておいで」と送り出したはずのアイネアが、猛然とユニアスに向かってくるので、さしもの彼も動揺する。
「ユニアス、ちょっと聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら」
「えっ、うん。なに?」
「男の方って、積極的に迫る女性を見るとどう思うものなの?」
いったい自分は何を聞かれているのか、ユニアスの優秀な頭脳を持ってしても、理解が追いつかない。幸いなことに、今この場にバートはいなかった。もしいたら、彼は笑いのツボにはまったが最後、抜け出すのにかなりの時間を要しただろう。
「………………アイネア?」
「わたしが積極的だと、ユニアスは嬉しいの?それとも、ふしだらだって思う?」
何だそれは。こちらが願望を言えば叶えてもらえるのか。混乱の極みに陥ったユニアスは、そんな馬鹿げたことを考えてしまった。
ケーキを切り分けているままの姿勢で固まっていたパルメナだったが、できる侍女の第六感が働き、ユニアスの不埒な思考を感じ取った。わざと大きな音を立てながらナイフを置いて、純粋な主人に変な事は言うなと警告を発する。
アイネアからは期待の、パルメナからは牽制の眼差しを向けられた哀れすぎるユニアスは、必死に言葉を選びながら、しどろもどろになって話す。
「……僕は、アイネアが積極的に迫ってきたら、嬉しいよりも驚く…かな」
「そう?だったら、わたしが何をしたらユニアスは嬉しいって思ってくれる?」
「んんっ…と……いつも通りの君でいいよ?」
「ユニアスの意見が、ビルガの悩みを解決する糸口になるかもしれないの。忌憚のない意見が聞きたいわ」
それを聞いて、ユニアスはようやく一連の不可解な問いの意図を把握した。ぶっきらぼうな画家と素直になれない作家、あの二人の仲を深めようという事かと納得する。
「そうだな…僕は無理して行動に出るより、自分がどういう気持ちでいるのか、それを相手にきちんと伝える方が大切だと思うよ」
「なるほど…それもそうね。協力してくれてありがとう、ユニアス。さっそくビルガに教えてくるわ!」
アイネアの突拍子もない言動には慣れた気でいたが、まだまだだったと思い知らされたユニアスであった。
調査の結果を聞いたビルガは、それが出来たら苦労しないとため息を吐いていた。
(でも…そうよね。言わなきゃ何も伝わらないわよね)
だからって馬鹿正直に、貴方と破廉恥なことがしたいですとは口が裂けても言えない。それこそ、はしたない女と思われる。問題はいかにそういうような内容の事を、さりげなくクーザに伝えるかだった。
「いつもクーザから手を握ってくれるのなら、思い切ってビルガから腕を絡めてみるのはどうかしら。そうしたら多分『なんだ?』って聞いてくれると思うし、ビルガも答えやすいのではない?」
「そんな大胆なこと…っ!私にはできないわ!」
アプローチはすべて男性から、というのがビルガの中での常識だ。だから自分から行動を起こすことに、激しい抵抗がある。
「……あっ!親密になる良い方法があったわ!あのね…」
部屋には二人しかいないのに、アイネアは内緒話をするかのように声を潜めた。
「…………確かにそれなら、私にもできるかもしれない」
「ふふっ、そうでしょう?」
「ありがとう。頑張ってみるわ」
「頑張ってビルガ!応援しているわ!」
こうして乙女達の密談は終了した。
決めたらすぐ実行に移すあたり、流石はアイネアと親友なだけある。その身一つで、隣国に飛び出して行けるビルガだ。勇気を出した彼女は雄々しい。
「失礼します!」
「うおっ!?なんだ!?…って、ビルガか。お前、来てたんだな」
ビルガはいつぞやのアイネアのように、クーザのアトリエへ転がり込んだ。緊張するとどうしても怒ったような顔と声になってしまうが、それはクーザも似たようなものなのでお相子だ。そんなつもりは全然ないけれども、ビルガはクーザを睨みつけながら言い放った。
「私、これから貴方のこと、クーザと呼び捨てにします!敬語もやめるわ!いいわね!」
アイネアの助言とは『あのね…わたしといる時みたいに、クーザと話してみて?畏まった喋り方を止めると、壁が無くなったように感じるのよ』というものであった。それはアイネアがシャレゼル家を初めて訪問した時に、ユニアスから提案されたことだった。
「お、おう。別にいいけど…」
事情を知らないクーザは戸惑いを見せるが、言葉遣いなんか元から気にしていないし、何なら彼の方が口は悪い。好きにすれば、というのが正直なところだった。
「あと……その…貴方にだけは、特別に…」
「?」
涙目になるほど顔を赤らめながら、ビルガはごにょごにょと呟く。勢いに任せて、今なら言えそうな気がしたのだが、やはり恥ずかしい。しかしクーザが怪訝そうな顔をするので、終いには半ば自棄になって言ってやった。
「…うっ腕を組む以上のことを、解禁してもよろしくってよ!!」
はたしてこれがさりげないかはともかく、今日は男達がことごとく度肝を抜かれる日だった。
なんせ、暗に私に手を出せと言われたようなものだ。男として一度は言われてみたい台詞である。当たり前だがクーザだって嬉しい。それはもう滅茶苦茶に。
「………お前な。俺がどんだけ我慢してたと…」
「え?」
「言っとくけど、男なんて全員もれなく破廉恥だからな」
「!?」
「お前の意思を尊重して、結婚までは辛抱してやる。でも結婚したら…覚悟しとけよ」
どさくさに紛れてプロポーズされたビルガ。第二回、秘密の作戦会議が開かれる日はそう遠くない……かもしれない。
「…一応、参考までに聞くけど、アイネアは僕にしてほしい事はあるかい?」
「ユニアスと手を繋いでバラダン領を一周したいわ!」
それでこそアイネアだと、カットしたケーキを運ぶパルメナは大きく頷いていた。
アイネアは満面の笑みを、ユニアスはちょっぴり眉尻が下がった笑みを、それぞれ浮かべる。
「わかった。いつか必ず一緒に行こう」
「ええ!一周といわず何周でも喜んで!」




