夢を追いかける令嬢の友人も王道を行く③
『……とても、好きな方がいるのです』
先日買いそびれてしまった画材を買いに走っていた折、クーザは目立つ髪色を見つけて足を止めた。また変な男に絡まれているのではないかと心配になったのだ。そして聞いてしまった、仕事仲間の告白。
頭の中が真っ白になったクーザは、音も立てずに踵を返していた。ビルガの切なげな声が耳に残り、恥ずかしそうに俯く横顔が目に焼き付いて離れない。
(……別に関係ねぇだろ。あいつが誰を好きかなんて…)
言い聞かせるように心の中で呟くが、ショックを受けている自分に気が付き愕然となった。
(俺の知らないところで恋愛ごっこをしてたのが癪っつーか、余計なことに気を取られて仕事が疎かになるんじゃねぇかとか………一人でなに言ってんだ俺…)
何と言い訳しようが、ビルガに想い人がいるとわかった瞬間、クーザの胸がずきりと痛んだのは紛れも無い事実だった。
(……違う。絶対違う。あいつはお嬢を虐めた奴だろ)
しかし同時にアイネアのため、単身で旅立ってくれた親友である。ビルガが学園で行なった所業について、クーザはもう憤慨してはいない。民を教える講師として、またクーザの相棒として、仕事に熱心に打ち込んでいるし、共同で漫画を製作していくうちに、ビルガの本来の人柄をよく知るようになったからだ。
(…俺は……いや、よせ。柄じゃない)
自分の誓いは、アイネアの望むものを描くこと。色恋にかまけているほど暇ではない。『仕事以外で極力関わるな』と、クーザは最初に告げた。これからも、そうであれば良いだけの話だ。
クーザは胸の疼きを無視し、雑念を振り払うかのように疾走し続けたのだった。
クーザが屋敷に戻りアトリエに閉じこもってから数刻後、少し吹っ切れた様子のデュランも帰ってきた。
「おかえり」
「おう。振られたぜ」
振られたにしては、デュランの表情は明るかった。無理をしている感じではないので、ユニアスも「残念だったな」と軽く言うに留めた。
「…ごめんな、ユニアス」
「アイネアのことかい?」
「ああ。お前に言われた通り、ビルガ様に聞いてみたんだ。知らなかったとはいえ、本当にすまん」
「それはアイネアに伝えなよ。誤解してた、ごめんって」
「突然そんなこと言ったら、頭の変な奴だって思われるだろ」
「騙されたと思って言ってみるといい」
「まじかよ…」
そこまで話した時、ちょうどアイネアが通りかかったので、デュランは背中を押されるがまま、やけくそで言ってみた。
「あ、アイネア様」
「はい。何でしょうか」
「…俺は貴女のことを誤解してました。大変申し訳ありませんでしたっ!」
いきなりバッと頭を下げられたアイネアは、当然のことながら呆気にとられていた。ちらっとユニアスに視線だけを寄越すと、彼は微笑んでから小さく頷く。それで何かわかった訳ではないが、アイネアの唇にも笑みが浮かんだ。あれはつまり『君の思うようにすればいい』という意味だ。
「では、わたしも謝らなければいけませんね。誤解させるようなことをしたのですもの。申し訳ありませんでしたわ、デュラン様」
「は!?えっ?アイネア様は何にも悪くないです!全部俺が悪いんです!!」
実にアイネアらしい持論が飛び出した。謝ったつもりが逆に謝り返されてしまい、デュランは混乱してきた。戸惑うデュランの肩に手をやりながら、ユニアスが耳打ちする。
「これがアイネアという人だよ」
「そっか……って、なんでお前が自慢気なんだ」
「僕の妻だからに決まってる」
「言うなあ、ユニアス。…まさかとは思うけどお前、俺がアイネア様を嫌ってたから友達になった訳じゃないよな?俺なら奪われないだろう、的な…」
「さあ?」
「そこは否定しろよ」
男達のこそこそとしたやりとりを、アイネアは小首を傾げて眺めていたのだった。
それから二日間、バラダン領の名物を味わい尽くしたデュランは、自分の屋敷に帰る時が来た。
「アイネア様、温かいもてなしに感謝します。ユニアスもありがとな」
「どういたしまして」
「また是非いらしてください。こちらはお土産です。お屋敷の皆さんで召し上がってくださいね」
「わざわざすみません。お礼も何もできず…」
「お祝いを伝えに来てくださっただけで充分ですわ」
「デュラン、礼がしたいならこの手紙を届けてくれないかい?」
ユニアスは懐から一枚の手紙を取り出した。
「まあ!ユニアス、お客様にそんな失礼な…」
「別に構いませんよ、アイネア様。手紙を届けるくらい余裕です。で、誰に届ければいいんだ?」
「アドニラム伯爵家の屋敷に配達を頼みたい。そこに耳の聞こえない方がいらっしゃるはずだから。可能なら直接渡してほしい」
「………それって、まさか」
アドニラム伯爵家はクラウディウス家の縁戚にあたる家だ。そして"耳の聞こえない"という言葉から、思い至る人物はただ一人。ハッとなったデュランはアイネア達を思わず見遣る。しかし二人は、凪いだ優しい眼差しをしていた。
世間ではレナルドが暴力でアイネアを従わせたという情報が出回っている。だがそれは、嘘で塗り固められた作り話でしかない事をデュランは悟った。仮に噂が事実だったなら、たとえアイネアが許したとしても、彼女の隣にいる男が絶対に許さないであろう。それがはっきり分かるくらいの付き合いはある。
そしてきっと、あんな騒動があったのに二人が気にかける相手もまた、噂とは真逆の人なのだろうとデュランは感じとっていた。
「…たくさん届いた祝賀の便りのなかに、一通だけ無名のお手紙があったのです。でもわたしには、その美しい字に見覚えがありました。それでユニアスと一緒に、感謝のお返事を書いたのはいいのですが…」
「受け取っていただけるか不確実なんだ。だから信頼できる友に託したい」
ユニアスから手渡された手紙には、宛名も送り主の名も記入されていなかった。向こうが無記名で送ってきた故、アイネア達も同じ形式で返す、ということなのだろう。
「…わかった。必ず届けるよ」
「頼んだ」
「ありがとうございます、デュラン様」
「なあに、手土産のお礼ですよ!俺、ここに来られて本当に良かったです!」
デュランを見送ったアイネアは「すてきなお友達ね」と呟く。
「そうだね。彼の剣は、アイネアのチェスの打ち筋と通じるものがあったよ」
そんな真っ直ぐな彼ならば、アイネアのために自ら孤独となる事を選んだあの方の、良い友人になれるかもしれない。ユニアスはそういう希望を込めて言ったのだが、アイネアはてんで見当違いの解釈をしたようだ。
「それって弱いと言ってるのと同じよ?デュラン様が気の毒だわ」
「…僕、君に弱いだなんて言ったことも、思ったことも無いんだけどな」
ともかくデュランの誤解も解けて、これで一件落着…とはいかなかった。
アイネアの瞳が、窓の向こうで走り去る赤色を捉えたのだ。遠くからではよく見えなかったが、ただならぬ雰囲気だけはしっかり伝わってきた。
「わたし、ちょっと様子を見てくるわ!」
「わかった」
アイネアはすぐにビルガを追いかけ始める。ユニアスが指示を出さずとも、パルメナがすぐにその後に続いた。
アイネア達がデュランと別離の挨拶をしていた頃、ビルガは使用人専用の出入り口を通って、クーザを訪ねていた。ライリーから守ってくれたお礼にと、昼食のサンドイッチを作ってきたのだ。レギオンとは比較にならないが、これでもビルガの手料理は、エルザのお墨付きをもらっている。それなりの味にはなっているはずだ。
(サンドイッチだし、ちゃんと味見もしたし大丈夫、よね…?)
異性に手料理を振る舞うなんて初めての経験なので、ビルガの緊張はひとしおだった。何度も訪れた場所なのに、未だかつてなく動悸が激しくなり、手に汗をかいてしまう。
(やっぱりやめようかしら…いえ、だめよ。きちんとお礼をしなきゃ失礼よ。今まで通りに接すればいいだけ。簡単なことじゃない)
気合いを入れ直し、ビルガは思い切って扉をノックした。ゆっくりと扉が開くのを見て、緊張が最高潮に達する。どこが今まで通りだ。ビルガは言うことを聞いてくれない心臓が憎らしかった。
ところが、現れたクーザの様子に、違う意味でどきりとした。彼の顔が心配になるほど無表情だったからだ。
「クーザさん…もしかして体調でも悪いのですか?」
「……なんか用か」
発せられた低い声に、ビルガの肩が跳ねた。
「…新規の仕事か?」
「いえ、その…この間のお礼をと思って…」
「そういうの、いらねぇから」
ごめんなさい、と謝ろうとしたビルガだったが、続く彼の言葉に絶句する。
「悪いけど今はお前の顔、見たくねぇんだ」
淡々と言い渡された拒絶。ビルガは呼吸も瞬きも忘れて立ち竦んだ。無慈悲に閉ざされた扉の前から、しばらく動くことができなかった。
「………っ、…!」
知っていた。彼に好かれていないことは、初めから。だから「好きです」と伝える気も毛頭なかった。
最近は以前ほど嫌われていないだろうと感じていて、嬉しく思っていた。このまま少しずつ、良い関係を築いていけたらと、ささやかに願っていたに過ぎない。でもそれは、愚かにもひとりで舞い上がっていただけなのだと、ビルガは酷く打ちのめされた。バスケットを抱えた腕に力を込め、その場から逃げるように立ち去ったのだった。
「…ビルガ」
ひと気の少ない丘の上。澄んだ声がビルガを呼び止めた。
「…だめじゃない。領主が護衛も無しで、こんな場所にいたら」
「パルメナならここから見えないだけで、ちゃんと待機しているわ。少し座りましょう?」
アイネアは木陰を見つけると、ビルガに手招きをした。バスケットを抱えたままの彼女は、大人しくそれに従う。躊躇なく草の上に腰を下ろしたアイネアに、ビルガは呆れたような声を出した。
「私は良いけれど、貴女まで地面に座るってどうなの?」
「ビルガが良いなら良いじゃない。青草の上に座るってすてきだと思うわ。あとで洗濯係に怒られるかもしれないけれど」
「…気にするところはそこかしら」
朗らかな親友と喋っていると、ビルガにもいつものペースが戻ってくる。
「……アイネア。もうお昼は食べた?」
「いいえ、まだなの」
「わたしもよ。良かったらこれ、一緒に食べない?」
「ビルガの手作り?是非とも頂くわ!」
「どうぞ召し上がれ。レギオンさんには遠く及ばないと思うけれど…」
「それは違うわ、ビルガ。食事で大切なのはお腹を壊さないことと、大好きな人と一緒に食べることよ。ビルガと一緒だもの、美味しいに決まっているわ!」
「……ありがとう…っ」
美味しいと連呼しながら食べ進めるアイネアは、ビルガが流した涙の理由を無理に聞こうとしなかった。ビルガにはそれが、ただただ有り難かった。




