夢を追いかける令嬢の友人も王道を行く②
ここにきて新キャラ登場です。
ビルガを送り届けたクーザが屋敷に帰ると、客人が来ていた。ユニアスの学友であったデュランだ。彼の男爵家はバラダン領から最も遠い地にあるので、結婚式に出席しようにも上手いこと都合がつかず、こうして日を改めて祝いの挨拶に訪れたそうだ。
「お前が死んだって聞いて泣いてたところに、結婚するって報せが届いたこっちの身にもなれよな。ま、何はともあれおめでとう!」
「ありがとう」
「腕は大丈夫か」
「ああ。だいぶ慣れたよ」
身分的にはかなり開きのある二人だが、デュランの接し方を見ていると、そういう野暮な事は感じさせない。ひょうきんな彼とユニアスは、ごく親しい友好関係にあるようだ。
「デュラン様。ようこそ遥々お越しくださいました」
「お久しぶりです。アイネア様。…ん?バラダン夫人の方と呼ぶべきか…?いや、バラダン伯爵…?」
「お好きなように呼んでください」
「では今まで通りアイネア様で。この度はご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます」
無論、アイネアもデュランと面識がある。ティミオス学園に在学中、ユニアスから紹介されたことがあった。なんでも、剣術の授業でペアを組んだ際、何度挑んでもユニアスに勝てなかったデュランが、しつこく食い下がるうちに意気投合したらしい。アイネアはそれを聞いて、男性は剣を交えると友情が生まれるのかと、密かに羨ましく思ったものだ。
「どうぞお寛ぎくださいませ」
「ここは美味しいものがたくさんあるって聞いているので、来るのをすごく楽しみにしていたんですよ」
「嬉しいですわ。食べ物の他にも気に入っていただけるものがあると良いのですが」
良い笑顔でそう言うデュランに、アイネアも笑って答えていた。
友人同士の再会を邪魔してはいけないと、アイネアは早めにその場を辞した。書斎へ行こうとした彼女を呼び止めたのはクーザだった。
「ちょっといいか、お嬢」
「構わないけれど、どうしたの?」
「さっき、ライリーって奴に会ったんだけど」
「……えっ!?」
「ビルガに絡んでたけど、誰なんだよあいつ」
「ビルガに絡んでた!?」
「大丈夫。撃退しといた」
「そ、そうなの。お礼を言うわ、クーザ。ライリー様はビルガの婚約者だった方よ。今は確か、別の女性と結婚なさったと聞いているけれど…」
「既婚者の癖に未練タラタラなのかよ。とんだ屑野郎だな」
いつにもましてクーザの口調が刺々しいのでアイネアはおや?と思う。
「わたしから騎士団に伝えておくわ。その方がビルガも安心でしょうし。それにしても…」
「なんだ?」
「ビルガと随分仲良くなったのね」
「は!?なっ!ちげぇよ!仕事の相棒が困ってたから…!」
「ふふっ、仕事の相棒ね」
「っ!!」
にこにこと微笑まれ、クーザは非常に居心地が悪くなった。挨拶もそこそこに早足でアトリエに戻り、乱暴に扉を閉める。
「怒らせてしまったかしら…」
【あれは怒っているのではなく、照れていらっしゃるのですよ】
「あら、やっぱり?」
【お二人の問題ですから、そっとしておきましょう】
「そうね。人の恋路に首を突っ込むのはよくないもの」
アイネアの台詞に、パルメナは瞬いた。
恋というものにあれだけ疎かった主人が、クーザとビルガの想いの機微に気がつくとは。いやしかしアイネアは元来、聡い人だった。どういう訳か自分の恋愛に限って鈍感なだけなのだ。
「わたし達はただ、二人が結ばれることを祈るだけね」
【そうですね】
優しく目を細めるアイネアを、パルメナもまた温かく見守っていた。
「そうだ、ユニアス。バラダン領を案内してくれないか?あっ、ごめん。忙しいよな」
「明日、少しくらいなら構わないよ。ここには素晴らしい人材がたくさんいるから」
「へぇ。優等生のお前がそう言うなんてすごいな」
ユニアスと談笑していたデュランは口笛を吹く。
「僕はそんな…」
「おっとよせよ。お前が優秀じゃなかったら、俺の立つ瀬が無くなる」
「優秀さがすべてじゃないさ」
「…どういう意味だ?」
怪訝そうな顔をするデュランに、ユニアスは小さく笑ってみせた。
アイネアよりも、ユニアスやビルガの方が座学の成績は優秀だった。だが、アイネアでなくては今のバラダン領は無かっただろう。彼女だからこそ、掴みとれた現在がある。
「そのうちわかると思うよ。君なら」
「なんだよ。もったいぶるなっての」
明くる日、ユニアスは約束通りデュランにバラダン領を見せて歩いていた。
すれ違った人々から親しげに声をかけられるのを、隣で眺めていたデュランはとても驚いた様子だった。貴族が道を歩けば、平民は端に避けて頭を下げるのが当たり前だからだ。民の方から近寄ってくるなんて有り得ない。少なくともデュランは見たことがなかった。
「……なんていうか…すごい」
「そうだろう?僕も最初はびっくりしたよ」
「アンドリュー様って、本当に立派な方だったんだな」
「確かに義父上は僕の目標でもある。でも、バラダン領を変えたのはアイネアだ」
「はあ?冗談だろ?」
デュランは途端に眉を顰めた。
「…お前の結婚相手を悪く言いたくないんだけどさ。アイネア様は一時とはいえ、お前を見捨ててクラウディウス家を選んだんだろ?お前はアイネア様のせいで腕を失ったっていうのに…俺、そういうの許せないよ。そんな人が領主だなんて民が可哀想だ」
「アイネアは君が考えているような人ではないよ」
レナルドとの間で起きた事はすべて、アイネア本人から聞いている。ユニアスが怒ったりしていないとわかってもらうのに、大変な苦労を要した。アイネアとレナルドの決断が、どれだけの痛みを伴うものだったか、ユニアスは理解している。だから恨む気持ちなど微塵も無いし、そこまで深く愛されている事に感謝したくらいだ。
「…君は以前からアイネアを快く思っていなかったから、誤解するのも無理はないけど」
「げっ…知ってたのかよ、ユニアス」
「だって君、ビルガ嬢のことが、」
「うぉぉぉい!それ以上は言うな!!ていうか気付いてたなら教えろよ!?」
そう、このデュランという男は、学生時代からビルガに首ったけだった。でも彼女を真剣に想っていたからこそ、自分の気持ちに蓋をしていた。ユニアスにはバレていたが、ビルガやアイネアには感づかれていないので、かなり徹底した隠しっぷりだ。
彼の想い人を学園から追い出し、あまつさえレーサンテス家から絶縁させたのだから、デュランがアイネアを恨むのも仕方がない。しかしそれはあくまでも表向きの話である。
(どうしたものかな…)
自分の友人が誤解したまま、アイネアを嫌っているのは良い気分がしないユニアスは、考えを巡らせた。
(いっそのこと、ビルガ嬢に会わせるか)
デュランの様子だと、ユニアスが何を説明しても半信半疑で終わる気がした。彼はアイネアの功績でさえ、アンドリューの手柄を横取りしたのではないかと、未だに考えている節がある。それならビルガから直接、真実を伝えてもらえれば、彼も信じるだろう。ビルガもアイネアが悪く思われていると知れば、哀しむに違いない。
「…もう一箇所、案内したい場所があるから行こう」
「へ?お、おう」
この時間帯なら恐らく、戸外で教鞭を執っているはずだ。ユニアスは市街地の広場を目指して歩き出したのだった。
本日の授業内容は文法のようだ。漫画の中で使われている台詞を例文として使い、非常にわかりやすい説明をしているビルガを見つけたデュランは、そのまま動かなくなった。馬鹿みたいに口を開けて呆けている。ユニアスが強めに背中を叩くと、ようやく我に返り、ぎこちなく首を動かした。
「…あの人って、ビルガ様のそっくりさん?」
「違う。ビルガ嬢本人だ」
「え?えっ?なんで?どうしてバラダン領に?」
「それは君が直接、彼女に聞くんだ」
「いやいや無理無理!心の準備がっ!!」
盛大に焦るデュランの声が、ビルガの耳にも届いたらしい。ぱちっと目が合うと、ビルガは不思議そうな顔をしていた。ユニアスがこの場所にやって来るのは、珍しい以前に初めての事だった。訝しむのも道理だが、ビルガは視線を戻して授業を続行した。
「終わるまでここで待っているといい」
「えっ!?どこいくんだよ、ユニアス!」
「邪魔者は消えるよ。帰り道はわかるだろう?」
「こ、困る!!行かないでくれ!!」
「授業中は静かに」
デュランの嘆願も虚しく、ユニアスはあっという間に居なくなってしまった。取り残されたデュランは、緊張しすぎて挙動不審になり、道行く人達から気味悪がられたが、本人はそれどころでなかった。
「あの…すみません。デュラン様、ですよね?」
「うぇっ!?あっ、ははははいっ!その通りです!」
いつのまにか授業は終わっており、広場には
パニックになって頭を掻きむしっていたデュランと、若干引き攣った笑みを浮かべるビルガしか残っていない。
デュランは赤くなったり青くなったりしながら、およそ三年ぶりとなる、片想いの女性を眺めた。いつも目を惹かれていた真紅の髪はそのままで、簡素な身なりをしていても、立ち居振る舞いには滲み出る気品がある。間違いなくデュランが心を奪われた相手、炎の令嬢ことビルガ・レーサンテスだった。
「ユニアス様のご学友だったと記憶しておりますが…」
「覚えていてくださったんですか!そうですっ、ユニアスの結婚を祝いに来ました!」
大して言葉を交わしたことも無いのに、ビルガが自分を覚えていてくれたなんて、とデュランは感激した。これは願ってもない好機だと気分が浮上する。
(ユニアス、さっきは薄情者とか思ってごめんな)
心の中で謝りつつ、デュランはビルガに向き直った。
「ビルガ様っ」
「はい?」
「少しだけ、お時間いいですか?俺、ずっと貴女に伝えたいことがあったんです。そこのベンチで構いませんから」
「…わかりました」
「ありがとうございます!」
広場の噴水が見えるベンチに二人で腰掛ける。デュランはビルガが座る前に、ハンカチを取り出して敷こうとしたが、ビルガがやんわりと断った。
「格下の者にそのような気遣いは不要ですわ」
格下という単語に、デュランは思わず眉根を寄せた。彼は男爵家の息子だ。貴族の中では低い身分でも、平民からすれば貴族は貴族。今はビルガが、デュランを敬わなければならない立場なのだ。
「それでお話とは何でしょうか?」
「えっと、その前に一つ聞きたいことが…どうしてビルガ様はバラダン領に?アイネア様に仕返しされて追い出されたはずじゃ…」
デュランの言い回しから、何故ユニアスが彼を連れて来たのか、あらかた察したビルガは優美に、それでいてとても穏やかに微笑んだ。
「アイネアは私を救ってくれた恩人であり、かけがえのない親友ですわ」
言葉を失ったデュランに、ビルガはあの事件の裏側を話して聞かせた。
初めからアイネアはビルガを助けるべく動いてくれていたのに、当のビルガがそれを跳ね除けた事。どれだけ嫌がらせを受けても、でっち上げた情報で貶められても、ビルガの生みの親から命を狙われても、アイネアは手を伸ばし続けてくれた事。ビルガに自由と居場所をもたらした後は学園で独り、噂の的となってくれた事。
「…叶うはずもないと諦めていた夢を、アイネアのおかげで掴むことができたのです」
「………」
ビルガが話し終える頃、デュランは俯いていた。
(…何が『民が可哀想』だ!ユニアスの言ってた事は本当だった。俺はなんて酷い思い違いをしてたんだ…っ!)
どのようにしてビルガは救われたのか知った今、デュランはもう、アイネアがユニアスを見捨てたなどとは思わなかった。どうしてそんな事を信じていたのか、過去の自分を問い詰めて殴りたいとさえ感じた。
ビルガはもう一つの事件については語らなかったが、ユニアスの腕を持っていかれて、アイネアが何もしないはずないと、デュランは確信していた。友のためにそこまでできるのなら、愛する人のためならば、自分を犠牲にすることも厭わなかったであろう。
(……そういう人なのか、アイネア様は…)
どうりであの真面目な学友が魅了されるわけだ。恋の熱に浮かされて盲目になっているとばかり思っていたが、目が曇っていたのは自分の方だった。デュランは己の愚かさに恥じ入った。
「…ビルガ様。ありがとうございました。俺はもう少しでアイネア様に、理不尽にも怒ってしまうところでした」
「あっ、どちらへ行かれるのですか?デュラン様のお話がまだ…」
急に立ち上がり、ふらりと歩き出したデュランを、ビルガは慌てて引き止める。振り向いた彼は、寂しそうに笑っていた。
「…もし、噂の通り貴女が困っていたなら、俺は家名を捨ててでも助けに行くつもりでした。ずっと、ビルガ様のことをお慕いしていましたから…」
「えっ…?」
「でも、俺の助けなんて必要なかったんですね。心から笑っている貴女を見ればわかります」
「…ごめんなさい。お気持ちは嬉しいのですが…」
「いいんですよ。ユニアスの最愛であり、ビルガ様の親友である人を、口に出さなかったとは言え、悪く思い続けてきたんですから。嫌われて当然です」
「いいえ、そうではなく…私…」
アイネアに嫌悪感を抱かれていた事はもちろん哀しいが、デュランの告白を受け入れなかった大きな理由は別にある。ビルガは伏し目がちになって、顔を可憐に赤らめた。
「……とても、好きな方がいるのです。ですから、デュラン様の想いにお応えする事はできませんわ。申し訳ありません」
この時の会話を、画家の青年が聞いていたとビルガが知るのは、もう少し後の事である。




