番外編:ユニアスの悪戯
パルメナほどではないが、ユニアスの朝もそこそこ早い。それは何故か。
(…今日も面白い夢を見てるんだろうな)
隣で眠るアイネアを眺めるのが、ユニアスの新たな趣味だからだ。
アイネアは寝相も良いし、寝言を言ったりもしないが、口元だけは楽しそうに笑っていることが多い。アイネアのあどけない表情が見られる貴重な時間だった。ユニアスはアイネアが熟睡しているのをいい事に、彼女の髪を触ったり、滑らかな頰をつついたりとやりたい放題だ。夫の特権とばかりに、飽きることなく堪能している。
(少し早く起きすぎたか…)
もうひと眠りするほどの時間は無いが、目を覚ますにはまだ早い、中途半端な時刻だった。このままアイネアで遊んでいてもいいが、少しばかり魔が差したユニアスは、ちょっとした悪戯を仕掛けることにした。
ネーヴェルの綺麗な歌声が聴こえくる頃、アイネアはばっちり目覚めており、毎朝の日課であるユニアスの着替えを手伝っていた。夢の中で聴いていたのだろうか、知らない曲をハミングするアイネアは、朝から上機嫌だった。夫の着替えを手伝う、という新妻感に浸っているに違いない。最初は相手のボタンを留めるのに苦戦していたものの、何度か繰り返すうちに慣れていった。
「できたわ!」
嬉しそうに声を上げるアイネア。
自分は寝間着のまま、夫を優先してくれる妻が、愛くるしくてしょうがないユニアスは、彼女の頰に優しく口づけを落とした。
「ありがとう、アイネア」
ユニアスに微笑みかけられ、アイネアの胸に甘い感情がじんわりと広がっていく。
「また朝食で」
パルメナが来る前に退散していったユニアスを見送り、アイネアはほう、と息を吐いた。
(今日のユニアス、なんだかいつもと様子が違っていたような…)
彼からのスキンシップがどうのではなく、アイネア並みに機嫌が良かったというか、笑いを堪えているような気がしたというか。
(なんだっていいわね!ユニアスが楽しそうで何よりだわ)
しかし呑気なアイネアは深く考えることなく、むしろ自分まで楽しい気分になってくるのだった。
「パルメナ、おはよう!」
そのままにこにこと、アイネアは寝室にやって来たパルメナを出迎えたのだが、彼女はアイネアの顔を見た途端に硬直した。持っていたタオルを取り落としそうになったほどだ。いつも冷静なパルメナが、目を真ん丸にして口をぱくぱくさせている姿は珍しい。アイネアは不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
【それは私の台詞です!アイネア様こそ、そのお顔はどうなさったのですか!?】
小さな風が起こるほどの、凄い速さの手話だった。アイネアはきょとんとしてから、頰を薄紅色に染めた。
「まあ…私の顔、そんなに赤い?頰にキスされたくらいで真っ赤になるなんて、妻としてまだまだね」
【お可愛らしいことを仰っている場合ではありません!私が申し上げているのは、そのそばかすのことです!!】
「そばかす?」
そう、パルメナが丹精込めて手入れをしているアイネアの雪肌に、ぽつぽつとそばかすが浮かんでいるのだ。ユニアスの趣味がアイネア観察なら、パルメナの趣味はアイネアの髪と肌のケアだ。それなのにこれはいったいどういうことだと、パルメナは顔面蒼白になる。一方、パルメナから手鏡を渡されたアイネアは、しばし鏡に映る自分を見た後、小さく吹き出していた。くすくすと笑うアイネアを見ているうちに、少しずつ冷静さを取り戻したパルメナは、そのそばかすが人の手で描かれたものだと気付く。
「ふふっ…ユニアスったら」
どうやら犯人はユニアスらしい。それも当然か。眠っているアイネアに落書きをするなんて真似ができるのは、彼しかいない。アイネアの顔を汚すとは何たる事かと、パルメナは文句を訴えてやりたかったが、落書きされた本人がどこか嬉しそうに笑っているものだから、怒りの気持ちが削がれていく。
「ねえ、パルメナ。確か外出の予定は無かったはずだし、せっかくだから今日はこのままでいたいわ」
【……理由を、お聞きしても?】
「あら、言われてみれば、パルメナは知らないはずよね。どうりであんなにびっくりしていたのね」
アイネアが羽ペンでそばかすを描くという珍事件が起きた当時、パルメナは勿論ネーヴェルでさえこの屋敷にはいなかった。知っているのはバートくらいである。
アイネアは昔、ユニアスにしたのと同じ話をパルメナに聞かせた。
「…それでね、ユニアスにそばかすができた時は、わたしも描くわって約束したのよ」
【そうだったんですか。でしたら、ユニアス様のお顔にも描きませんと】
「そうね!これはこれで嬉しいけれど、約束と違うもの」
肩を竦めたパルメナは、いつもはお任せな髪型についてリクエストを聞いてみた。すると珍しいことに、答えが返ってくる。
「おさげがいいわ!物語の主人公がそうだったから」
【かしこまりました】
「三つ編みはパルメナともお揃いね!」
アイネアははにかんだ笑顔を浮かべたまま、自分の髪が編まれていくのを、ひどく楽しげに見つめていたのであった。
普段はしない髪型と、突然できたそばかす。それらを引っさげて朝食の席へと現れたアイネアに、使用人達はぎょっとした。皆、パルメナと同じことを思ったに違いない。ユニアスの瞳だけが可笑しそうに笑っていた。
「ユニアス」
「なんだい?」
「わたしの憧れ、覚えていてくれたのね。嬉しいわ。だけどユニアスも一緒じゃなきゃだめよ」
「わかってるよ。僕も君とお揃いがいい」
【ではどうぞこちらへ。私が描いて差し上げます】
「パルメナ、君が持っているのは羽ペンに見えるけど…」
「わたしも描いてみたいわ。子供の頃のリベンジよ!」
盛り上がるアイネア達のかたわらで、バートは思い出し笑いで苦しんでいた。この家令、存外笑い上戸である。
「ユニアスは初めてなのに上手に描いたのね。経験者として、わたしも負けられないわ!」
謎の対抗心を燃やしたアイネアは、パルメナがさりげなく手に持たせた羽ペンを握りしめる。顔付きは真剣だが、その手がぷるぷると震えているので、大惨事再びとなる可能性が高い。
(まあいいか。アイネアが楽しそうなら)
似た者夫婦は考えることも同じだった。
ユニアスの予想通り、アイネアはまたしても化け物を生み出し、結局パルメナが本物と遜色無いそばかすを描いた。
こうしてその日は夫婦揃ってそばかす顔になり、それを面白がったクーザが二人をスケッチし、その絵はアイネアの大層気に入るところとなった。二人の寝室に飾られた絵を見るたび、ユニアスは自然と笑みがこぼれる。
(あんなに消えてくれと願ったものを、まさか自分から顔に描く未来が来るなんて、考えもしなかったな)
ふと、いつだったかビルガが出版した"過去に手紙を届ける郵便屋さん"の物語を思い出す。そんなものがもしあったなら、ユニアスは過去の自分に是非とも教えてあげたい。『そばかすがあってもなくても、一緒にいてくれる人が必ず幸せに導いてくれるよ』と。
後日、並々ならぬ熱意に溢れたパルメナは、ネーヴェルと協力し、アイネアを大胆な美しさに磨き上げ、ユニアスを真っ赤にさせたのは余談である。
そばかすと三つ編み…何のお話をモチーフにしたかはご想像にお任せします。




