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番外編:パルメナの日常

 アイネアの専任侍女であるパルメナの朝はとても早い。

 いつも日の出前には起床し、日課である鍛錬に励む。何が起こっても迅速に対応できるよう、己を鍛えることに余念が無い。朝日が昇るまで体を動かし続け、汗を拭いたら業務開始だ。清潔に保たれたメイド服を着込み、身嗜みを整える。主人の前でだらしない格好をするなど言語道断。きっちり編まれた三つ編みに、パルメナの几帳面な性格が表れている。

 ネーヴェルの朝練が、屋敷で暮らす者達の起床の合図であるのだが、アイネアとユニアスが結婚してから、パルメナが二人の寝室へ向かう時間は少し遅くなった。というのもアイネアが、ユニアスの支度を手伝うと張り切っているからだった。片腕のユニアスには、朝起きて服を着るのに手助けが必要だ。侍従にやらせてもいいものだが、共に寝起きしている妻がやると言ってきかない。


『ほんの些細なことでもユニアスの力になりたいのよ』


 そんな風に健気なことを言われてしまえば、夫などあっという間に陥落である。アイネアが一生懸命手伝う様子を、ユニアスは毎朝締まりのない顔で眺めているのだろうと、パルメナは想像している。事実、その通りであった。そういう事情もあり、夫婦水入らずの時間を邪魔しないよう、パルメナは配慮していた。

 ユニアスが着替え終わったであろう頃を見計らい、寝室の扉を決められたリズムでノックする。夫の次は妻の準備だ。


「パルメナ、おはよう」

【おはようございます】

「じゃあ僕は先に行ってるよ。手伝ってくれてありがとう」

「どういたしまして」


 女性の変身中は、男性に退室してもらう。ユニアスが出て行った後は、パルメナの本領発揮だ。


【今日のお召し物はいかがなさいますか?】

「パルメナに任せるわ」

【かしこまりました】


 大抵はお任せなのだが、ほんの時々はアイネアからリクエストが入るので、毎度このやりとりは行われる。

 バラダン家の令嬢であった頃は、カジュアルなドレスを着ることが多かったが、領主となった現在ではかっちりとした衣装を好むようになった事を念頭に置きながら、パルメナは服を選ぶ。今日の天気を頭に思い浮かべるのも忘れてはいない。


【こちらでよろしいでしょうか】

「ええ。いいわ」


 パルメナが何を選ぼうと、アイネアの返事はいつも同じである。服を着たらあとは化粧と整髪だ。こちらに関してはパルメナに一任されている。なのでパルメナもいちいち訊いたりせず、黙々と集中して空色の髪を梳かしていく。毛先に向かうほど緩くカールしているアイネアの髪は、つやつやしていてとても美しかった。最後に横の髪の毛をすくって真珠の髪留めをつければ完了だ。


「いつもありがとう、パルメナ」


 そして、終わると笑顔でお礼を言われるのも、毎度のことだった。


 アイネア達が朝食を摂っている間、パルメナは部屋の片付けを済ませ、バートと本日のスケジュール確認を行う。頭から予定がすっぽ抜けることのあるアイネアのため、朝食の給仕を他の使用人に任せてでも、この確認は欠かせなかった。


「苦労してますねぇ」

【いえ。アイネア様の為なら、苦労だと思うことはありません】

「いやはや、使用人の鑑です」


 朝食が済めば早速、記憶したスケジュール通りに動く。書類仕事、ギルドとの商談、クーザ達との作品開発、各領地との提携…アイネアの一日は忙しい。が、彼女には優秀な夫がついている。山のような仕事でも分担して行なえば効率的だ。

 妻をこれでもかと溺愛しているユニアスだが、領地経営に関してはアイネアと意見が食い違っても、はっきりと主張を通す。助言すべき点があれば、どんな小さな事でも伝え、何でもアイネアの言う通りになることは決してない。そんなユニアスを、アイネアも「わたしの足りないところを補ってくれて、すごく助かっているわ」と尊敬している。

 その点に関してはパルメナも同意できる。だがしかし、パルメナにはユニアスに対して一つだけ不満があった。

 話は結婚式の前まで遡って、アイネアの花嫁衣装を決める時の事。着るものにあまりこだわらないアイネアだが、さすがにウエディングドレスの特別さは知っていたようで、ユニアスにどれが良いかと希望を求めにいったのだ。アイネアは未だに自分から装飾品を欲しいと言い出せないため、パルメナとしてもユニアスが決めてくれればすんなりと事が運ぶと思っていた。


『アイネアなら何でも似合うよ』


 ところがどっこい、アイネアに夢中なユニアスは、あろうことか一番困る返答をしてきた。確かに美人は何を着ても似合うだろうが、一生に一度の特別な日だとわかっているのか。パルメナの苛立ちをよそに、ユニアスの言葉を受けたアイネアはというと…


『そうよね!白色なんて誰にでも似合うわよね!』


 などと納得してしまう始末。違う、そうじゃないと言えたら良かったのだが、悲しいかな、パルメナは一介の侍女。主人の決定に口出しできる立場ではない。強い焦りを覚えたパルメナは、ファッションに精通しているビルガに助けを求めた。すぐに駆けつけたビルガは、手始めに懇々と説教をし、さらに頼もしいことに、今の流行やらアイネアの体に似合う型やら、非常に有難いアドバイスまで添えてくれた。そのおかげでユニアスとアイネアは一緒にドレスを選び直し、事なきを得たのだった。


『重要なのはデザインであって、お腹の締め付け具合じゃないわよ!』


 ビルガがそう叱ってくれなければ、どうなっていたことやら。パルメナは陰ながら拍手を送っていた。

 仕事をする時みたく、アイネアが着飾る事にも熱心になってくれればと、パルメナは口を尖らせずにはいられないのだ。


 さて、アイネアが書斎で書類を捌いている間は、決まった時刻にお茶を淹れに行くだけで、あとは休憩時間だ。しかし書斎にアイネアしか居ない場合は、その時間さえも休息となる。何故ならアイネアが「パルメナは朝早くから動いて疲れているでしょう?休める時に休まなきゃ」と言って、一緒にお茶をするよう勧めてくるからだ。体を鍛えているから、立ちっぱなしでいる事など造作も無いのだが、変に頑固なアイネアは引き下がってくれない。パルメナが折れるしかないのだ。半ば仕方なく、椅子に座ってのんびりとティータイムを過ごすのが、パルメナの日常になりつつあった。


「忘れるといけないから今、渡しておくわ。パルメナ宛に王立騎士団から推薦状が届いたの。卒業パーティーでの活躍が、騎士団長の目に留まったのね」

【そうですか。私に聞かずとも、お断りしてくださって構いませんのに】

「あなた宛のお手紙なのに、無断でお返事なんてできないわ」


 パルメナが忠誠を誓ったのは国王ではなく、いま同じテーブルで一緒に紅茶を飲んでいる領主ただ一人。たとえ国中で最も栄えある騎士団だろうが、そんなものはどうでもいい。アイネアの専任侍女である事、これに勝る役職は他に無いと、パルメナは思っている。


【武術を学んだのは、アイネア様をお守りするためですから】

「ありがとう。いつも心強く感じているわ。でも、ちゃんと休暇も申請するのよ?」

【…善処します】

「まったくもう」


 どのみち休暇を取ったって鍛錬に明け暮れるだけなので、メイド業に従事しているよりもハードな一日になるに違いない。家に帰っても、元気ならさっさと仕事に戻れと言われることは容易に想像できた。

 第一、アイネアに仕える事は何も苦では無い。主人の役に立てるのならば、それだけでパルメナはこの上なく幸せだった。


「そういえばここのところ、ずっとお屋敷にこもりっぱなしね。空き時間は作れそう?久しぶりに慰問へ行きたいのだけれど…」

【今日はこの後、商会ギルドの方がお見えになるので難しいかと。明日以降で予定を調節できるか、バートさんに相談してみます】

「それくらい自分で聞くわ」

【私の仕事を残しておいてくださると助かります】

「…パルメナがそう言うなら、お願いするわね」

【はい。お任せください】


 アイネアが外出する時は、パルメナも必ず同行する。有事の際は己の身を挺してでも守る覚悟でいるので、屋敷に残るなど論外なのである。


「ちょうどネーヴェルもしばらくはお屋敷にいると言っていたし、紙芝居を朗読してもらおうかしら」

【レギオンさんに焼き菓子を作ってもらっても良いかもしれませんね】

「いいわね!あとで二人に頼んでみるわ!」


 アイネアからの依頼なら、二つ返事で了承することは目に見えていた。"稀代の"が付く画家、料理人、歌姫はパルメナ同様、持っている才能のすべてをアイネアに捧げると誓っているからだ。まだ幼い少女だったアイネアが、彼らの手をとった時に立てられたその誓いは、未来永劫変わる事は無いだろう。


「そうと決まれば、明日の分の仕事まで終わらせるつもりで頑張るわ!」

【でも、ほどほどにしてくださいね】

「大丈夫よ。睡眠時間は削らないから」


 アイネアは寝起きが良い分、夜は早寝である。自分の体調のためでもあるが、本音の半分以上は、自分に仕える使用人達を慮ってのことだった。アイネアの寝る時間が遅くなればなるほど、それに伴いパルメナ達が休む時間も遅くなってしまう。それを嫌忌しているアイネアは、なるべく早くベッドに行くように心がけていた。その方が良い夢も見れるし、一石二鳥である。パルメナが早起きして鍛錬ができるのも、アイネアの配慮があってこそだった。


(本当に、すてきな方…)


 決して恩着せがましく言ったりせず、ただひっそりと気遣われることに、パルメナは毎日感謝せずにはいられない。そしてまた、明日からも誠心誠意お仕えしようと心に決めて、毎晩眠りにつくのだ。


 どれだけ忙しかろうと、パルメナはいつも満ち足りた気持ちで一日を終える。


『来てくれてありがとう。これからよろしくね、パルメナ』


 アイネアと出会った日に流した温かい涙を、今でも思い出しながら…

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