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澄み渡った青空の下。アイネアはユニアスと共に、墓所を訪れていた。すでに供えられている沢山の花々の中に、持っていたかすみ草入りの花束をそっと置く。
「…お父様が教えくださったすべてを、決して無駄にはしません。良き領主とは何かを常に考え、たゆまず精進してゆきます」
「義父上。僕のような未熟者に託すのは不本意かもしれませんが、この命ある限りアイネアを支え続けると誓います」
二人は繋いだ手をきゅっと握り合った。
「ユニアスと一緒に、お父様とお母様のような夫婦を目指しますわ」
今日はアイネアとユニアスの結婚式だ。
アンドリューの最後の祈りは聞き届けられ、彼の娘は今、幸福に満ち満ちていた。
バラダン領初の女性領主であるアイネアの結婚式は、それはそれは賑やかなものだった。
アンドリューの死から一年も経っていないということもあり、当初は慎ましやかな式を予定していた。ところが、アイネアの結婚を是非とも祝いたいとバラダン領の民達が教会に押し掛け、そのままお祭り騒ぎになったのだ。
祝福のために訪れた者達をアイネアが追い返すはずもなく、急遽集められるだけの食材を集め、レギオンが料理を振る舞い、ネーヴェルはオリジナル曲を披露して、来てくれた民達をもてなした。結果的に、段取りもへったくれもない結婚式となったが、駆けつけたエルザの言葉を借りるなら「大人しくまとまった式なんか、アイネア様には似合わないですよ」である。
パルメナが持てるすべての技術を総動員した甲斐もあり、純白の花嫁衣装を身に纏ったアイネアはため息が出そうなほど美しかった。なおかつ、心底幸せそうな蕩ける笑みを絶やさず浮かべているものだから、彼女を一目見た人々まで、何だかとても幸せな心地になれたのだった。
「領主様!ご結婚おめでとうございます!」
「お幸せに!!」
「おめでとー!アイネアさまー!!」
「おぉい、ユニアス様。腕が疲れたら、ワシらが領主様のエスコートを代わって差し上げますぞ」
「そりゃあいい!いつでも頼ってくださいよ!」
「いやー、めでたいめでたい」
華やいだ気分に加え、絶品の料理とお酒の入った大人達は浮かれきっている。領民から思い思いの祝福を受けながら、ユニアスとアイネアは笑い合っていた。今、二人の手元に輝いているのは、お揃いの指輪だった。
遠くからアイネア達の様子を眺めていたビルガは、不意に声をかけられ、微笑みを引っ込めた。
「……よう」
「クーザさんでしたか」
ここのところ、新たな肖像画製作に没頭していたクーザだが、今日ばかりはエプロンを脱いで正装している。ビルガは言わずもがな、主役の邪魔にならない範囲で着飾っていた。もともと美人なビルガだ。今日は一段とその艶やかさが際立って見える。心なしかクーザの顔も赤らんでいる。
「そういえば、お礼がまだでしたわね。偽装工作に手を貸してくださり、ありがとうございました」
「それは別にいい」
「では私に何かご用でも?」
「いや…その……悪かった、と思って…今までキツいこと言っちまったから」
「まあ……」
照れ臭いのを誤魔化すため、がしがしと頭を掻くクーザは、ビルガの方を見られなかった。
いくら友のためとはいえ、独りで国を飛び出すなどなかなかできることではない。ましてやそれが、元は由緒正しき令嬢なら尚更である。ビルガの本気を知ったクーザは自分の言動を大いに反省したのだ。
「お前のこと見直した。それと、ありがとな」
「べっ、別に貴方の為にやった訳ではありませんわっ」
そしてビルガもクーザの顔を直視できなかった。無性に恥ずかしくなって、つい、可愛げのないことを口走ってしまう。
「…それもそうか。まあ…なんだ。これからもよろしくな、ビルガ」
「え……いま…名前…」
「………」
「………」
ビルガが驚いて顔を上げると、長い前髪の隙間からのぞく、真っ赤に染まったクーザの耳が目に入った。その途端、ぶわっとビルガの頰も同じ色に染まる。
「ねえ、ユニアス。あそこ」
「ん?」
遠目からでもわかるくらい、クーザとビルガのそわそわした様子が窺えて、アイネアは嬉しそうに目を細めた。
「仲良くなれて良かったわ。ビルガ、ずっと気にしてたから。でもきっと、クーザも同じよね」
「そうだね」
「それはそうとユニアス、体調は大丈夫?ずっと立ちっぱなしで疲れていない?」
アイネアがユニアスを気遣うのには理由があった。というのも、彼が腕を失ってからの数ヶ月、ケイルが差し向けた追っ手から逃げていた期間の話を知ったからだ。ユニアスは昼夜を問わず追われ続け、一瞬たりとも気の抜けない日々を送り、何とか隙を見て犯罪者たちが流刑にされる離島へと逃れたのはいいが、そこで感染症に罹り長いこと苦しんだらしい。
ちなみにこの話はビルガから聞いたものである。ユニアスはアイネアを心配させまいと黙秘を貫いていた。おかげで詳細までは明かされなかったが、概要を聞くだけでも壮絶な逃亡劇だ。アイネアが酷く青ざめていたのは記憶に新しい。
「大丈夫。平気だよ」
「本当?無理そうだったら言ってね。わたしがおんぶするから」
「いや、それはちょっと…」
「夫を支えるのが妻の役目だもの。夫婦は一心同体、死なば諸共よ!」
「そこは死が二人を分かつまで、じゃないかな」
「あら。そっちの方がロマンチックだったわね」
後ろの方で「勇ましすぎる」と抱腹するバートの声が聞こえた気がした。ともかく、ユニアスが倒れなければいい話だし、そもそも倒れる兆しは全く無い。でも折角、隣を歩くとびっきり美しい花嫁がいじらしく宣言してくれたのだから、ここは有り難く聞いておくに限る。
アイネアは、自分の所為でユニアスが負傷したと悲嘆しているが、ユニアス自身はむしろ、彼女に助けられたと思っているくらいだ。
北の王国で逃亡生活を送っていた際、行く先々でユニアスに助けを差し伸べてくれたのは、アイネアを知っている者達ばかりだった。彼らはバラダン領を訪れた時、他の場所では考えられなかったような温かい歓迎を受けたのだと、喜びを滲ませながら語っていた。敬遠されていた北の王国の食料を、率先して買い取ってくれたことも、いたく感謝している様子だった。殊に行商人達はアイネアの名前を出せば、快く手を貸してくれ、ユニアスが人知れず流刑島に渡るのを手伝ってくれたのだ。
そしてネーヴェルやレギオンの、一見すると何の成果も得られなかった捜索も、実は故郷の内情を知る重要な手掛かりになっていた。二人が北の王国を訪れるたび、時を同じく聞き込みをしながら渡り歩いていたビルガの耳にもアイネアの窮状が届いたのだ。犯人がクラウディウス家の手の者だと判れば、調査の幅が格段に狭まり、足取りを追うのが容易になった。
アイネアは動けなくても、彼女を想って動いてくれる人達がいたからこそ、ユニアスはこうして帰って来られた。
「…アイネア」
「どうしたの?」
「僕の帰る場所を守ってくれてありがとう」
一瞬、きょとんとしたアイネアだったが、すぐさま破顔する。
「ユニアス、わたしを『わたしらしく』いさせてくれてありがとう」
アイネアがはにかめば、ユニアスも眉尻を下げて笑った。二人が口づけを交わすと、今日一番の歓声がバラダン領に木霊したのであった。
バラダン家の十五代目当主───アイネアは物心ついた頃から度々、不思議な夢を見る。それは前世の記憶を持つという希少な現象なのだが、彼女がその事に気付く気配は無い。昔は亡き母だけに自分が見た夢について語ったものだ。しかし今は…
「おはよう、アイネア。良い夢でも見たのかい?」
「おはよう!そうなのユニアス、聞いてくれる?」
朝一番、隣で一緒に寝起きしている夫に語るのが日課になっていた。妻が生き生きした顔で、一生懸命に夢の内容を伝えようとするのを、夫は至極楽しげに耳を傾けている。
「昨夜の夢は『四コマ漫画』と『炭酸ジュース』よ!四コマ漫画って言うのは、起承転結を文字通り、四コマで表現するの。内容はお腹を抱えて笑うような、面白いお話が多かったわ。早速クーザとビルガに相談しなきゃ!」
「炭酸ジュースっていうのは?」
「口に入れた途端、シュワっと爆発する飲み物よ!」
「そ、それはかなり危険な飲み物だね…」
「ふふっ、実際に爆発する訳ではないから大丈夫よ。そんな感じがするってだけ。けれど、作るのはかなりの長丁場になりそうだわ。いつもの如く、材料も製法もわからないし…」
「君とレギオンなら、作れないものはないだろう?」
「あなたにそう言われたら、何がなんでも完成させたくなったわ!しゅわしゅわのジュースとチップス。これは黒蜜きな粉を超える最強コンビが結成される予感がする!…あら、ネーヴェルが朝の練習を始めたわね。そろそろパルメナが来るから起きないと」
「今日も忙しくなりそうだ」
「そうね。でもきっと、すてきな一日になるに違いないわ!」
今日も今日とて、アイネアは夢を追いかけて進んで行く。風が笑い声を運ぶバラダン領で、愛する人達と共にどこまでも───
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