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例の夢を見るのは、これで何回目になるのだろうか。とっくに数えるのはやめたが、すでに十回や二十回どころの話ではなくなっていた。
(…おいしそうなお菓子だったわね)
アイネアは普通の食事も大好きだが、殊に甘いお菓子は別格だった。お菓子の夢を見た日は、お腹を鳴らしながら目覚めることだってあるくらいだ。夢の世界に出てくるお菓子は、ケーキやクッキーといった馴染みのあるものもあったが、アイネアを惹きつけてやまないのは、見たことのないお菓子の方だ。見た目もそうだが、ぼんやりと覚えている味や食感も今まで体験したことの無いもので、とてつもなく魅力的だった。しかしながら、再現してみたくても、材料もそれらと似たお菓子すら見当がつかない。
(クーザに絵を描いてもらおうかしら?)
夢で見ただけの未知なお菓子を、果たして上手く伝えることができるのか、自信は無いがやってみなければ始まらない。絵に描いた方が料理人達にも説明がしやすいだろう。
クーザを教えている先生によれば、アイネアが見込んだ通り、良い素質があるようだ。何より熱意に溢れているので、吸収も速いのだとか。
(クーザには絵だけの物語もかいてもらいたいし、なにからおねがいしようかしら?)
考えれば考える程、今から心がわくわくと浮き立つ。朝からご機嫌なアイネアのもとへ、足早にやって来たのは侍女のエルザだった。
「おはよう、エルザ。いつもよりはやいのね」
「なに呑気なことを言っているんですかお嬢様!今日は宮殿でガーデンパーティーの日ですよ!」
お菓子の夢に夢中で、パーティーの事など綺麗さっぱり忘れていた。一週間前から王都に滞在しているというのに、どうやったら忘れられるのかとエルザは呆れ返った。
「いま思い出したわ」
「お嬢様ったら…よその家では王族の方々に気に入られようと、必死になっていると聞きますのに…」
「そんなことはしなくていいと、お父さまがおっしゃったのよ?」
「ああ…左様でございますか」
王族が同席するパーティーなのに、アンドリューからエルザに出された指示は「景観に配慮した衣装」という簡潔な内容だった。もっと細かい指示があるかと思っていたのに、蓋を開けてみればエルザ一人に丸投げだ。
アイネアに訊いても「どれでもいいわ」といつも通り。王子だけでなく、パーティーにはやんごとなき身分のご子息だって来るのに、親娘揃ってこの無関心さ。いや、アンドリューは着飾った娘が、子供とは言え他所の男からじろじろ眺められるのが嫌なだけかもしれないが、それでいいのかとエルザは苦言を呈したくなる。
「今日はお腹のリボンもぎゅっと締めますからね」
「そ、そうね。お茶菓子をぱくぱく食べていたらみっともないもの…」
何せこの度のパーティーは宮殿で開かれる。当然、用意されるものは全て王族御用達の最高級品だ。人目が無ければ心ゆくまで堪能したい…というような事を考えているのだろうなとエルザは推測した。その予想が完璧に的中しているのは言うまでもない。
数刻後、宣言通りに腰回りを締め上げられたアイネアは、宮殿にある広い庭園に足を踏み入れていた。パーティーは立食形式だが、大人達と子供達のテーブルは別々なため、父と離れざるを得なかった。
今日のためにエルザが用意したのは淡いラベンダー色の、割とシンプルなドレスだ。濃い色の方がアイネアの空色の髪は映えるのだが、花を愛でるガーデンパーティーに、花弁より目立つ色を纏うのはよろしくない。また、アイネアのきりっとした顔立ちには、フリルを沢山あしらったドレスより、ラインの綺麗なドレスの方が似合う。しかしそうすると、子供っぽさが抜け、大人びた雰囲気になる。もともとアイネアの持つ寒色系の色彩が、彼女の性格に反して冷たい印象を待たれやすいのに、それに拍車がかかっている。
(…どなたともお話ししていないわ……)
そういう理由も手伝って、アイネアはパーティー開始時からずっとひとりぼっちだった。
バラダン家の爵位は伯爵。今回のパーティーに招待されているのは、伯爵位以上の貴族達だ。つまりこの中においてアイネアは一番立場の低い者となる。挨拶は別として、低位の者が高位の者に、馴れ馴れしく声を掛けるのは無作法と見なされる。よって、アイネアの方から「お友達になりませんか?」などと気安く言えるはずがないし、令嬢達は皆、見目麗しい子息に気に入られようと必死だ。アイネアのようにお友達を作りたいなどと、とぼけた事を考えている令嬢は一人もいない。もし仮にいたとしても、近寄りがたそうな雰囲気を漂わせるアイネアに、話しかけるには勇気がいるだろう。
(お父さまの言う通りね。お友達を作るのはむずかしそうだわ…気をとり直して、お茶菓子を楽しもうかしら)
皆、殿方に夢中でアイネアなど眼中にないだろう。同年代の友人が欲しかったが、こうなったら仕方がない。最高級のお菓子に舌鼓を打ちつつ、夢に出てくるお菓子のヒントがないか探そう。そうと決まれば、まずはどれから頂こうかと、沈みかけていた気分が高揚してきた時だった。
「……もし、よかったら…」
ともすれば聞き逃してしまいそうな細い声が背後から聞こえ、アイネアは反射的に振り返った。そこにいたのは───
「…僕と、その…」
所在無げに手を動かし、視線をやや下に向けている男の子。もさっとした、くすんだ金髪から覗く紫紺の瞳は美しいが、それよりも目につくのは白い肌に浮かぶたくさんのそばかすだった。身長はアイネアと大して変わらないものの、彼はふくよかな体型をしていた。スラリとしたアイネアと並ぶと、余計に太さが強調されてしまう。周囲の視線が気になるのか、男の子の顔色はあまり良くなかった。
「っ…いっしょに見てまわりませんか?」
男の子はぎゅっと目を瞑って、一息に言い切った。その姿は何かを恐れ、耐えようと身構えているかのようであった。
いきなりの事で呆気にとられていたアイネアだったが、自分が散策に誘われたのだと理解すると、ぱあっと嬉しさに顔を輝かせた。
「はい!よろこんで!」
ここでようやく、男の子と目が合う。はにかみながら笑うアイネアとは対照的に、声をかけてきた男の子は目を見開いて、ただ呆然としていた。




