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 長かった冬は終わり、バラダン領に春がやって来た。木々は花に彩られ、足元には可愛らしい小花がそこかしこに芽吹いている。

 春の息吹を感じる風を肌で受けながら、アイネアは仕事に精を出していた。


「今年も盛況になりそうですね」

「そうね。みんなが餅つき大会を楽しみにしてくれて、わたしも嬉しいわ。でも今回はもう一つ、やりたいことがあるの」

「白黒ゲームのトーナメント以外にですか?」


 バートと喋りながら書類にペンを走らせていたアイネアは、ここでようやく手を止めた。


「ええ。実は秋期に漫画コンテストを実施しようと思っているのよ。その告知を今度の大会で行おうと思って」

「漫画コンテスト?」

「クーザに弟子を育ててもらおう、という計画の第一歩よ。クーザも了承してくれているわ」

「はあ…弟子ですか」

「クーザが編み出した技巧を、他の絵描きの方にも広めたいの。わたしは技術を独占するよりも、同等の力を持った者同士で研鑽し合った方が、より素晴らしい作品が誕生すると思うわ」

「だから才能ある人を探そうと」

「どちらかといえば、漫画家になりたいって夢を抱いている方を見つけるのが目的ね」

「彼が承知しているならいいんじゃないですか」

「あと、どうせなら歌唱コンテストも同時開催したいわね。もちろん、審査員長はネーヴェルよ」

「秋の件は計画が纏まってきたら、皆で話し合いましょう。ところでまだ聞いていませんでしたが、今回の大会の賞品は何になったんですか?」

「あら、言っていなかったかしら。今年は『あんみつ』よ」

「…説明をお願いします」


『あんみつ』とは、ダイス状にカットされた寒天を器に敷き詰め、その上に餡子や白玉団子、季節の果物を盛り、とろりとした黒蜜をかけていただく一品である。

 というような事を、アイネアは説明した。


「それはまた何というか、これまでの集大成のような品ですね」

「レギオンが大福の皮から発展させた『白玉団子』の魅力に、バートも取り憑かれるわよ」

「恐ろしいことを言わないで下さい。じゃあ、仕上がった書類は持っていきますよ」


 書類の山が一つ消えると、アイネアはふうと息を吐いた。こうして忙しくしていると、爆破事件に始まり、婚約破棄にて決着した大騒動が、遠い過去のようにも思えてくる。のどかなバラダン領にいると尚のこと。

 でも、どれだけ穏やかな時間が流れていようと、アイネアの胸にぽっかりとあいた穴が埋まる日は無い。事件は終わっても、待ち人は未だに帰ってこないからだ。来るのは、三番目の婚約者になりたいと願う者達からの手紙ばかり。


「…いけない。集中しなきゃ!えぇと、予算案の変更を…….あら?書類が無いわ」

【さっきバートさんが持っていった書類の中に、挟まれていた気がするのですが…】


 あわあわと探し始めたアイネアの肩を軽く叩き、パルメナは書類の在処を遠慮がちに伝えた。あんみつのくだりで、アイネアの手元にあった書類が紙束の山に突っ込まれるのを、パルメナは目撃していた。相変わらず、どこか抜けているアイネアである。


「大変!バート、バート!ちょっと待って!」


 アイネアは音を立てて椅子から立ち上がると、急いでバートを追いかけた。バートはちょうど玄関を横切ろうとしているところで、主人の焦った声を聞き、驚いて足を止めた。


「どうしたんですか、アイネア様」

「予算案の書類を間違えてこの中に入れてしまったみたいなの」

「…この、中に」

「…面目無いわ」

「…いえ。仕事中にお菓子の話を出した私も悪かったです。一緒に探しますよ」

「ごめんなさい…」


 追いついたパルメナも協力し、三人で紙の山を一枚一枚確認していく。


「あっ!あったわ!」


 アイネアがそう声を上げた時だった。

 きい、と木の軋む音がしたかと思うと、玄関の扉が何の前触れも無く開いていた。その拍子に心地の良い春風が舞い込み、真珠の髪留めをつけた空色の髪を揺らす。


「───っ!!!」


 麗らかな日差しを背に立つ、ひとりの青年がそこには居た。

 ユニアス、とアイネアの唇が動く。だが音にはならない。手に持っていた紙束が落ち、足元に散っていった。


「アイネア」


 耳を打つ柔らかな声。優しさの灯った紫紺の瞳。風になびく深みを帯びた金色の髪。アイネアが信じて待ち続けた、まさにその人であった。甚だしい苦難があったのだろう、彼の頰は記憶にあるよりも痩けていた。それでも、ちょっぴり眉尻が下がった笑い方は変わらず、アイネアを見つめる眼差しの熱も変わっていない。


「ユニアス……ッ」


 今度は、名を呼べた。

 一歩、足を踏み出したと同時に、大きく見開かれたアイネアの瞳から、ぽろりと露玉のような涙が転がり落ちる。


「ユニアスッ!!!」


 アイネアは床を蹴って駆け出した。そして、その勢いのまま、ユニアスの胸に飛び込む。片腕となった彼は、それでもなおしっかりとアイネアを抱きとめた。


「…ただいま。アイネア」


 ユニアスの僅かに揺れる声が耳元をかすめる。

『君の支えになりたい』と言ってくれた彼にすべてを打ち明けたかった。辛かったこと、苦しかったこと、哀しかったこと…彼が一緒に背負ってくれたならばと、どれだけ願っていたか。なのに、アイネアの口から出てくるのは彼の名前だけで、おかえりなさいと返すこともままならない。万感胸に迫り、ユニアスの肩口に顔を押し当てて泣きじゃくることしかできなかった。

 周りの人間が泣いていても、父の墓の前にしても、決して涙を見せなかったアイネア。そんな彼女はやっと、ユニアスの腕の中で泣き方を思い出したのだ。騒ぎを聞きつけて集まった使用人達は、目の前の光景を見て共に泣かずにはいられなかった。アイネアの覚悟を一番近くで見続けたパルメナは、両手で顔を覆って咽び泣いていた。


「…約束、守れなくてごめん。君が辛い思いをしている時に、傍にいられなかった」


 違う、違うとアイネアは涙ながらに首を横に振った。


「わたしが…っ、ユニアスを苦しめた、から」

「アイネアのせいじゃない」

「だってあなたの、腕が…っ」


 かばりと頭を起こしたアイネアは、ユニアスの失くなった右腕を見て、顔を悲痛に歪めた。利き腕を失い、さぞかし苦労しただろう。その苦労は生涯続くというのに、ユニアスは拍子抜けするくらい、穏やかに笑っていた。自分を見上げる泣き濡れた蒼海の瞳を見つめ返して、愛おしそうに彼女の頰をそうっと撫でる。


「やられたのは僕の力不足が原因だ。君と繋げる手が片方でもあれば、それで充分だよ」

「ユニアス…ッ」


 アイネアは頰に添えられた硬い手に、自分のを重ねた。

 ユニアスが生きて、ここにいる。温かな手はその事の確かな証であり、それが一層アイネアを涙のとりこにさせる。


「アンドリュー様のこと、ビルガ嬢から聞いたよ」

「………え?ビルガから?」

「………聞いていないのかい?」

「ちょっと。良い雰囲気の時に他の女の名前を出すなんて、あり得ませんわよ」


 二人の邪魔をしないように気配を消していたビルガは、もたれかかっていた扉から体を離してつかつかと歩み寄った。


「ビルガ?どういうこと?取材で各地を巡るって…」

「ごめんなさい。それ嘘なの。本当はユニアス様を探しに、今までずっと北の王国にいたのよ」

「え……えええっ!?」

「無茶がすぎる、なんてお説教、貴女にだけはされたくないわよ。一番無理をしてたのはアイネアでしょう」

「ビルガ…」

「貴女が悪いのよ。親友だって言うくせに、一緒に泣くことすらさせてくれないんだから…っ」


 言いながら、ビルガもぽろぽろと泣き始めた。そうしてどちらともなく抱き合うと、揃って感涙の涙を流すのだった。


「ありがとう…本当にありがとうっ、ビルガ!あなたがわたしのために示してくれた、親切と勇敢さを絶対に忘れないわ!」

「大袈裟ね。アイネアが私を助けてくれた方が先じゃない。知ってるのよ、私。貴女が"氷の令嬢"だなんて敬遠されてでも、私を守ってくれていたこと」


 ビルガがバラダン領にやって来るきっかけになった揉め事の後、アイネアは噂を正すこともできたはずだ。そうしなかったのは、ビルガに対して余計な詮索をさせないため、あわよくばビルガの悪評を搔き消すため、アイネアは孤立するとわかっていながら、友を守る防御壁となっていたのだ。


「…だからお礼なんていいのよ。水臭いことは無しよ無し。だって親友なんでしょう?私達」

「決まっているわ!あなたは唯一無二の大親友よ!」


 泣き笑いを浮かべるアイネア。

 まさしくビルガはこの笑顔を取り戻すために、単身で隣国へと乗り込んでいったのだ。

 アイネアがビルガに居場所を見出したように、ビルガもまた、アイネアの泣き場所を見つけてきた。この二人ほど強固な友情は、またと無いだろう。


「アイネア」


 大好きな声が自分の名を呼ぶので、アイネアは振り返った。ビルガはすぐに空気を察して、そっと後ろに一歩下がる。


「ユニアス!?」


 突然、目の前でユニアスが跪いたので、アイネアは具合が悪くなったのか青ざめかけるが、そうではなかった。ユニアスは懐から極々小さな花を取り出すと、アイネアに向けて差し出す。ちっちゃな水色の花弁を持つその花は、アイネアが一等好きな思い出の花───胡瓜草だった。


「心から愛しています。アイネア。いつまでも僕と、一緒にいてくれませんか?」


 アイネアが抱きついたせいか、花は若干萎れていた。彼女の前では思うように格好が付かない、ユニアスらしいプロポーズだった。

 彼の誠実さを表したような、飾り気のない素直な言葉を貰ったアイネアの脳裏に、とある情景が蘇る。


『…僕と、その…っ、一緒に見てまわりませんか?』


 勇気を振り絞って震える丸い手を差し出してきた、幼き日のユニアス。夏のガーデンパーティーで出会った、そばかすだらけの男の子が、今のユニアスと重なる。

 当時のアイネアはどうしたか。こうやって躊躇うことなく彼の手を取り、言ったはずだ。


「『はい!よろこんで!』」


 アイネアの返事は変わらない。これまでも、これからも。

 極上の宝石よりもきらきらと輝く笑顔を満面にたたえて、アイネアはあの日、言えなかった想いの丈を口にする。


「わたしもユニアスを愛しているわ!」

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