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ベリアは愉快なあまり、夫が不在なのをいい事に高らかな笑い声をあげていた。息子のレナルドがバラダン伯爵家の娘に横恋慕していると気付いた時には、眉を顰めたものだ。ちっぽけな領主の娘など、てんでベリアの眼中に無かった。ところが、その娘がたんまりお金を稼いでいることを知った途端、ベリアは目の色を変えた。これは使えるとほくそ笑んだのだった。
「しかしお前にしては思いのほか手間取ったわね」
「申し訳ありません。奥様」
「まあいいわ。言いなりになるのは忌々しいけど、わたくしだってあんな男と離れられて清々するわ」
離縁を切り出された時は焦ったが、目の前にいるケイルが策を講じてくれたおかげで、ベリアは九死に一生を得た。
アイネアの読み通り、ケイルは初めからベリアの忠実な配下だった。元は殺し屋を生業としていたケイルはずる賢く、人を殺す事に躊躇が無い。ベリアの要望に沿って作戦を練り、実行するのは彼の役目であった。
レナルドをアイネアの婚約者に据えるべく、
ユニアスを亡き者にするのは、少々骨が折れた。ベリアの仕業だと悟らせないよう、第一段階として北の王国の反逆を装い、爆破事件を起こす。次にバラダン家を犯人に仕立て上げ、ユニアスが動くしかない状況を作り出した。ジョアンナを利用し隣国へと誘い出したところを襲撃。誤算だったのは、ユニアスの実力を計り損ねていたことである。土地勘の無さと人数の不利を跳ね除け、ケイルが集めた傭兵達は次々と蹴散らされていった。死にものぐるいの猛攻の末、腕の一本は奪えたが命にまでは届かず、逃走を許してしまった。そのまま野垂れ死ぬのを期待してもいいものだが、ケイルという男は非常に用心深かった。死亡宣告がなされた後も執拗にユニアスを捜し続けたのだ。彼が追跡を止めたのは、レナルドとアイネアの婚約が決まった後のことだった。
もう一つの誤算はアンドリューである。この一件に関わった者は口封じのために全員殺害していたのだが、ジョアンナにケイルの魔の手が忍び寄るよりも先に、アンドリューが真相に辿り着いた。その時点で彼を殺すことも余儀なくされてしまった。領主を暗殺するのはかなりの危険が伴ったが、やるしかなかった。
しかしケイルは、最大の誤算に気付いていない。彼はアイネア・バラダンを見くびっていた。傷心のところにつけ込み、優しくされれば女など簡単に落とせると思い、アイネアの『大事なひと』たちに躊躇いなく手をかけたのだ。彼女は淑やかに微笑むだけの令嬢ではない。何でも寛大に許せるほど甘くもない。
アイネアの怒りがどれだけのものか、彼らがそれを思い知る瞬間は、刻々と近づいていた。
夏から休学していたアイネアは、約半年ぶりとなるティミオス学園の門をくぐる。卒業式に出席するべく、きっちりと着込んだ制服に、煌めくカフスボタンは無い。代わりにあるのは学園指定の、何の変哲もないボタンだった。アイネアはもうユニアスの婚約者ではない。だから、彼に貰ったボタンを身につける資格は無いのだ。
アイネアが講堂に入るとすぐ、生徒達からの注目が集まる。囁き合う声があちらこちらから聞こえてくるが、すべて無視して席に着いた。生徒達はその落ち着きぶりに毒気を抜かれ、次第に静かになっていった。
卒業式は滞りなく進み、アイネアも卒業証書を受け取った。特例措置をとってくれた学園長には、感謝の意を込めて丁重にお辞儀をする。好奇の視線に晒されても、長い髪をたなびかせて颯爽と歩く様は、"氷の令嬢"と呼ばれるに相応しい姿であった。
式が終わったその後は、夜まで卒業生とその家族によるパーティーが催される。生徒の婚約者も同伴可能だ。本来ならベリアにはパーティーに参加する権利は無いのだが、クラウディウス公爵家のやることに、文句をつける者などいはしない。定刻通りに到着したレナルド達を、ドレスアップしたアイネアが出迎える。えらく上機嫌なベリアは、その背後にケイルを従えて、華やかなドレスを身に纏っていた。アイネアはフリルの少ない紺色のドレスを選んだので、ベリアの近くにいるとどうしても地味に映った。
ベリアは何度かパーティー用の衣装を贈ると言ってきたのだが、その度にアイネアはドレスなら間に合っていると断っていた。だいたい、息子の婚約者の親が亡くなってまだ間もないというのに、いくら晴れの場だとはいえ、派手なドレスを着てくるとはどういう了見だ。まるで父の死を嬉しがっているみたいではないか、とアイネアは腹立たしく思ったが、その胸中はおくびにも出さなかった。
何はともあれ、これで役者は揃った。
【良く似合っている。とても綺麗だ】
レナルドだけは、アイネアの格好を素直に褒め称えた。確かにドレスの色合いと装飾は控えめだが、上品な紺はアイネアの髪色の美しさを際立たせており、すらりと伸びた背と女らしい体躯を魅力的に見せていた。惚れた弱みを抜きにしても、今日のアイネアはひときわ美麗だった。
【ありがとうございます。褒めるのがお上手でいらっしゃいますね】
エスコートのためにと差し出された手を取り、アイネアは相手に微笑みかける。作り物めいた完璧な笑みだった。
【行きましょう】
【はい】
レナルドとアイネアは、決戦の地へと赴くかの如く、パーティー会場へと足を踏み出した。
年度によっては王族も通うことがあるティミオス学園なので、卒業パーティーに国王陛下に連なる方々が顔を出す場面はままある。だが、今回はそれだけではない。
「女王陛下のご到着です!!」
使者の口上の後、堂々たる風格を持つ女性が入場してくると、参加者全員が女王に向かって低頭する。それを軽く見渡した彼女は、ゆったりとした口調で話し始めた。
「面を上げよ。まずは生徒の皆、卒業おめでとう。今後は体得した知恵を存分に発揮しておくれ。若い者の活躍に期待している。さて、妾は本日、クラウディウス公の招待を受けて駆けつけた」
女王の後ろに控えるクラウディウス公爵、もとい自分の夫を見つけたベリアは、顔を強張らせた。大方、どうして夫までここにいるのかと狼狽えているのだろう。
「なんでも昨年の夏、妾を狙った襲撃犯の残党がこの会場にいるとか」
悠然と微笑みながら女王が放った言葉に、会場は大きなどよめきに包まれる。そんな中で凍りついた者が二人いた。
「クラウディウス公、告訴文を読み上げよ」
「はっ。かしこまりました」
クラウディウス公爵の口から、夏の大劇場から始まった事件の真相が語られた。
証拠集めはいっさいレナルドに任せていたので、公爵が述べることはアイネアにとって初耳な内容も多かった。その中でも特に不憫だったのが、バラダン家を陥れるために用意された証言人の男だ。彼は家族を人質にとられ、偽りの証言を強要された挙句に殺されていた。他にも幾人もの人間が、悪どい脅しを受けた上で殺害されていた。どこまで残虐な人達だと、声高に非難してやりたくなる。
次々と摘発される非道な行いは止まることを知らない。
「…以上の殺人及び殺人未遂のみならず、北の王国との和平を切に望んでおられる国王陛下並びに女王陛下に対し、それらの罪をかの国の仕業に見せた事はこの上ない不敬。叛逆に値する行為である」
公爵はベリアとケイルを鋭く睨むと、会場の端まで届く声で宣告する。
「ベリア!お前からクラウディウス姓を剥奪。死ぬまで地下牢に幽閉とする!続いてケイル!貴様に情状酌量の余地は無い。我が国の律法に則り、極刑に処す!」
南の王国の法では、故意の殺人には命をもって償うことが規定されている。ベリアの手足となり、多くの命を奪ってきたケイルには最も重い刑が科された。
「お待ちを!女王陛下!あなた!」
「黙れ!お前に発言は許されていない!」
ひどく取り乱したベリアは、必死に弁明の機会を得ようとするが、一喝されてしまう。しかし、彼女はなおも言い募る。
「わたくしではございません!すべてこのケイルの独断で行われたことです!」
「見苦しいぞ、ベリア。これだけの証拠、もはや言い逃れはできん。大人しく牢の中で懺悔せよ!衛兵!罪人を逃がすな!!」
「冗談じゃねぇ!捕まってたまるか!」
突如として態度を豹変させたケイルは、駆け寄ってきた衛兵から武器を奪い取った。暗殺家業で生きてきた男なだけあって、死線を潜り抜けるのには慣れている様子だった。
「チッ!わざわざ手間をかけたってのによ!こんな事ならあの晩、小娘に引き合わせないでさっさと始末しときゃ良かったぜ!」
ケイルは衛兵の包囲網を抜けると、ひとりの令嬢を人質にとろうと狙いを定めた。獰猛な瞳をギラつかせる男は、邪悪そのものであった。可哀想な令嬢は必死に逃げようと足を動かすが、ドレスが纏わり付いて速く走れない。
悪魔の手が令嬢に届いてしまうと思われたその刹那、給仕をしていた男性が躍り出た。令嬢へ伸ばされた腕を掴むとほぼ同時に、ケイルの懐に入り、息つく間もなく背負い飛ばす。男性にしては小柄な給仕の早技に、ケイルはなす術なく床に叩きつけられた。だが、背中を強かに打ち付けても彼は武器を離さず、すぐに跳ね起きると、給仕めがけて剣を突き出した。
給仕が持っているのは、たった一本の小刀。そんな心許ない武器でも、ケイルと激しい剣戟を繰り広げてみせる。周囲が固唾を飲んで見守る最中、給仕の主人から凛々しい声で命令が下った。
「勝ちなさい。ただしあなたが血を流すことは許さないわ。いいわね───パルメナ」
なんと、ケイルと互角の闘いをやってのけた給仕は、男に扮して会場に潜入していたパルメナだったのだ。
主人が望むのは完全なる勝利のみ、ならばそれを献上することが忠誠の証。アイネアの声に呼応するかの如く、パルメナの攻撃が鋭さを増していく。それでいて敵の凶刃が一太刀もパルメナをかすめることはない。
「お前は侍女の…っ!?ハッ!女の分際で俺に勝てると思うなよ!!」
なんと陳腐な挑発だろうか。
ケイルは己の利益のために、パルメナは敬愛する主人を守護するために、技能を磨いてきた。何かを壊すのは容易く、守るのは難しい。どちらを目的と定めた方が強くなれるのか。その答えは、アイネアの命令を忠実に遂行したパルメナを見れば一目瞭然だった。強烈な一閃を喰らったケイルは、もはや立つことができなかった。
「御前を血で汚しました罰は、パルメナの主人であるわたしがお受け致します」
気絶したケイルが連れ出されるのを横目で見た後、アイネアは右手を胸に当てて跪くと、恭しく頭を垂れた。この国における最敬礼の仕方だ。それを受けた女王は表情と声を和らげる。
「咎めたりせぬ故、優秀な者を従えている事に胸を張りなさい」
「温かいお言葉に感謝申し上げます」
殺伐としていた会場に、せっかく穏やかな空気が流れ始めたという時、それをぶち壊した者がいた。
「よくもわたくしにこんな真似ができたわね!!」
女王と言葉を交わしているアイネアをなじったのは、衛兵の腕を解こうともがくベリアだった。髪を振り乱し、唾を飛ばしながら怒鳴る姿は、気品の欠片も感じられない。
「たかが伯爵家の小娘に、公爵の子息をくれてやるって言ってんのよ!恩を仇で返すなんて信じられないわ!お前こそ罰せられるべきよ!!」
この場に居合わせていた全員から、痛烈な視線をぶつけられていることに、ベリアはまったく気付いていない。彼女の憎しみに満ちた罵詈雑言は加速する一方だった。
「だいたいお前もお前だわ!レナルド!母親と話もできない役立たずめ!シャレゼルの三男に遅れを取るなんて、恥を知りなさい!!」
レナルドには母親の声こそ聞こえなかったが、何を言われたのかは大体わかっていた。母親が自分を愛していないことなど、とっくの昔に知っている。今更どうとも思わない。鼻で笑えるくらい瑣末な事だ。しかしアイネアは違った。
女王に断りを入れてから、アイネアはベリアの方を振り返る。蒼海の瞳から放たれる猛烈な怒気に、離れた場所にいたパルメナでさえ後退りしそうになった。その凄まじさたるや、彼女の体から冷気でも発せられているのではないかと、薄ら寒くなる者もいた程だ。
「誰に向かって口をきいているのですか」
「なんですって!?」
「今のあなたは罪人ベリアです。たかが伯爵家の小娘だろうと、そのような口のきき方は許されません。ましてやここは女王陛下の御前、恥を知るのはあなたの方です」
「わたくしに指図する気!?」
「…どうやらお一人では、その姦しいお口を閉じることもままならないご様子。パルメナ、手伝って差し上げて」
口調こそ静かで丁寧だが、冷え切った声色と表情に、さしものベリアも慄くがもう遅い。パルメナはうるさい女の首筋に、鮮やかな手並みで手刀を落とすと、ベリアはそれきり糸が切れたように動かなくなった。
「…告訴文には其方がベリアの減刑を要求したとあるが、誠に良いのか。此度の件で、多大な損害を被ったのはバラダン家であろう?」
「…わたしは一度、ベリア様に助けていただいたご恩がございます。たとえそれが、あの方の作り出した茶番だったとしても、受けた恩義に礼を返さないのは道理に反します。『必ずお礼に参ります』という自分の言葉を違えたくもありません。ですから、お命だけはと願い出た次第です」
「華奢な体に似合わず剛直なのだな。律儀なのは良いが、それでは難儀なことも多かろう」
「いえ。公爵夫人として今まで過ごされた方を、地下牢に追いやったのです。我ながら酷な仕打ちだと思っております」
「…左様か。其方が納得しているのならば、妾とて口は出さぬ。して、クラウディウス公よ。その書簡には続きがあるようだが?」
ベリアとケイルの罪は、すべて白日の下に晒されたはずだ。父の無念を晴らせたと胸をなでおろしたのも束の間、何の事だろうとアイネアは内心、首を傾げていた。
「はい。では続きを読み上げます。レナルド・クラウディウス、アイネア・バラダン。両名の婚約は、この場を持って破棄されたことを宣言する!!」




