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 すべての事の発端は、ユニアスの卒業パーティーよりも前。クラウディウス公爵が妻ベリアに放ったひと言だった。


『甥が成人を迎えた後、お前とは離縁する』


 ベリアは独身時代に、あの手この手を使って公爵夫人の座に収まったという経緯を持つ。その中には犯罪紛いの手段もあったという。公爵が気付いた時には、彼女との結婚に是と頷くほかない状況に囲い込まれていた。そんな女を愛せるはずもなく、義務感で産ませた子も然りだった。後継は嫡男ではなく甥にすると決めた暁に、公爵は妻との離婚に踏み切ることにした。

 それを聞いたベリアはどうしたか。大人しく聞き分けるはずもなく猛反発した。何を踏み台にしても、その座にのし上がったような女だ。今までの豪華な暮らしを失うのは御免だった。果てには自分の夫と甥を毒殺しようと仕組んだが、彼女の性格など見抜いていた公爵は企てのすべてを退けた。

 このまますごすごと追いやられてやるものかと怒り狂ったベリアは、手を変えることにした。離縁は免れないのなら、追い出されたその先でも、今のような豪遊ができればいい。そう考えを切り替え、息子のレナルドを利用する策を思いついた。レナルドの婿入り先についていく、それがベリアの計画であり、彼女が目をつけたのは、莫大な資産を持つようになったバラダン家だったのだ。




 憔悴しきった様子のジョアンナは、アイネアが逐一尋ねるまでもなく、ベリアとの間で起きたことを語った。


「…あの日、いきなりやって来た彼女はこう言ったの。『貴女の孫と、わたくしの息子を結婚させるのに、協力する気はない?』と」


 クラウディウス公爵家は国王にも覚えめでたい、貴族の頂点に君臨する家系だ。自分の孫の結婚相手に、こんなにも最高な家柄は他にないとジョアンナは歓喜した。

 そこで障害となるのは、ユニアスの存在だった。


「……だから、ユニアスを排除するなどという戯言に乗ったのですか」

「殺すつもりだったなんて、知らなかったのよ…さすがにそこまではしないとばかり…」


 アイネアとアンドリューが無実の罪によって拘束されていた時を狙い、ジョアンナはユニアスに接近して、ベリアの助言通りこう言ったそうだ。『北の王国に、今回の事件の首謀者がいる。アジトと思われる場所があると耳にしたから、確かめてきてほしい』と。

 ユニアスがアイネアのことで動かないはずがないと、ベリアは知っていた。ユニアスとて怪しいと勘付いていたに違いないが、アイネアを助けてやってくれと彼女の祖母から頼まれて、断ることはできなかったのだろう。彼の優しさに付け込んだ、下劣極まりないやり方だった。

 そして隣国で待ち構えていたベリアの手の者に襲われ、その後、事件の真相を密かに探っていたアンドリューは、証拠隠滅のために亡き者にされた。


(…そんなことのために…そんな馬鹿げたことのために…っ!)


 アイネアの肩が怒りで震える。その怒気がジョアンナにも伝わり、彼女は焦って取り繕おうとするが、かえって火に油を注ぐ結果となった。


「あ、あたくしはアイネアの、貴女の幸せを思って…」

「わたしが一度でも不幸だと嘆いたことがありましたか!?お祖母様はわたしの幸せを打ち壊しただけではありませんか!」


 今のアイネアには、もはやどんな弁解も意味を成さない。


「…二度とわたしの前に現れないでください。これは領主命令です。履行しなかった場合、あなたをバラダン家から追放します」

「そんな…っ!待ってちょうだい!アイネアッ!!」

「…さようなら。どうぞ余生は静かにお過ごしください」


 アイネアは冷淡に通告すると、必死に許しを請うジョアンナに目もくれず踵を返した。呼び止める声が幾度も廊下に反響するが、アイネアが足を止めて振り向くことはなかった。

 側にいたパルメナだけが、強く唇を噛み締めるアイネアの横顔を目撃していた。身内を断罪するなんて辛いに決まっている。しかしそれ以上に、ユニアスに対する仕打ちが許せず、怒りと哀しみがない交ぜになって、アイネアを苦しめていた。


「…ユニアスは罠だと気付いていたのかしら」


 走り出した馬車の中で、アイネアは独り言のようにぽつりと呟く。


「きっとそうよね。わたしだって変だと思ったんだもの。ユニアスが気付かないはずないわ。自分の命が危険だとわかっていて、それでもユニアスは行ったのね。わたしの、ために…」


 心底下らない思惑のために、ユニアスは腕を斬り落とされ、生死が危ぶまれる状況に追い込まれたのだ。それを思うと、暗然たる気持ちで心臓が潰れそうになる。


 屋敷に帰るとすぐに、アイネアはバートを呼び、今後の作戦を練った。ジョアンナが事件に絡んでいたと知り、動揺を隠しきれなかったバートだが、アイネアの沈着な様子を見て、自身も気を引き締める。


「敵が判明したのはいいですが、どうやって糾弾するための証拠を入手するかが問題ですね」


 調査を進めていることを敵に掴まれれば、アンドリューの二の舞だ。


「その事だけれど…レナルド様に協力をお願いしようと思うの」


 思案顔のアイネアからもたらされた提案に、バートは耳を疑った。それはそうだ、敵はクラウディウス家なのに、その家の息子に助けを求めると言い出したのだから。


「あまりにも危険です!第一、レナルド様が敵ではないと決まった訳でもありません」

「いいえ。レナルド様は何も知らずに利用されているだけよ」

「何故そう言い切れるのですか」

「夏のコンサートで起きた爆破事件から、お父様の暗殺…これらすべてをベリア様お一人でできるはずがない。彼女には手足となって動く駒が必要よ。でも、ベリア様とレナルド様の会話は、通訳のケイルさんがいなければ成り立たない。レナルド様を暗躍する駒として使うには不便すぎるわ」


 バートはてっきり、彼の真心を感じたからそれを信じたい、とでも言われるのかと思っていた。恐らく、そういう気持ちもあるのだろうし、これまでのアイネアならバートの予測通りの台詞を口にしていたに違いない。


「それに、ベリア様の狙いがレナルド様とわたしの婚姻なら、わたし達だけは殺せない。少なくとも結婚するまでは、ね」


 冷たい瞳をしたアイネアは、まるで生前のアンドリューを見ているようだった。父の死というきっかけが、甘すぎる部分があったアイネアを変えた。人の上に立つ者として一段階、成長したというのに、バートは素直に喜ぶことができなかった。


「むしろ警戒すべきはケイルさんの方だわ。わたしが公爵家にお世話になっていた時、ケイルさんの姿が見えないことがちょくちょくあったの。いま思えばおかしな話よね。いくらわたしが手話を会得しているからって、自分の主人を放って出掛ける理由にはならないもの」

「では彼がベリア様の手下だと?」

「それこそ断定はできないわ。でも、用心するのに越したことはないでしょう?」

「そうですね」

「明日、レナルド様を訪ねるわ。パルメナはケイルさんの意識を、できるだけわたし達から逸らしてちょうだい。その隙にレナルド様と話をつけるわ」

【わかりました。お任せください】

「バートはクーザ達に頼んで、近辺の店からそれとなく外を見張ってもらって。それから騎士団には、今まで通りの調査を続けるよう伝えてね。騎士団の動きが大きいほど、相手の目を欺けるわ」

「かしこまりました。そのように伝令致します」




 次の日、アイネアの私室で身支度を手伝っていたパルメナは、あとは髪を梳くだけという時になって、真珠の髪留めが見当たらないことに気付いた。


【あの髪飾りはどちらに…】

「今日は違う髪型にお願いするわ」


 パルメナはたっぷり十秒は固まった。なんせアイネアが真珠の髪留めをつけなかった日は今まで無いのだ。厳密に言えば修理中の時はつけられなかったのだが、それはともかく。ユニアスからの贈り物をいたく気に入り、後生大事にしていたのに、どうして急につけるのをやめると言い出したのか。


【もしや、また壊れてしまったのですか?】

「いいえ、違うわ」

【では何故…】

「…けじめよ」


 その言葉が何を意味しているのか、パルメナには理解できなかったが、主人がつけないと言うのならそれに従うのが道理。それ以上は言及せず、パルメナは綺麗な空色の髪を手際よく整えたのだった。


 アイネアがやって来たと聞き、レナルドは急ぎ足で宿屋の出入り口へと向かった。戸口に佇むアイネアは、可憐な微笑みを浮かべている。


【アイネア嬢!いつ誰が狙ってくるかわからないのに出歩くなど…言ってくれれば私から出向いたのに】

【レナルド様はわざわざここまで来てくださったではありませんか。これ以上、ご足労をおかけするわけにはまいりません】

【しかしだな…】

【本日はあの時のお返事をしたく、伺いました】

【…わかった】


 レナルドが頷いたのを見ると、アイネアはパルメナの方を振り返り、目配せをした。


「ケイルさん、それにパルメナも。前回のように、扉の外で待機していただけますか?」


 ケイルは心得たとばかりににこりと笑った。彼からすれば、アイネアがレナルドへの返答をしにきたように見えるに違いない。事実、アイネアもそのつもりであった。しかし、話はそれだけでは終わらない。昨夜の手筈通りに、パルメナはケイルへの警戒を強めた。

 レナルドが宿泊している部屋は、当たり前だが宿屋の中で最も良い一室だった。そこへ案内されたアイネアは、改めてレナルドと向き合う。こちらからは見えないが、パルメナがケイルを上手いこと誘導していると信じて、アイネアは切り出した。


【それで、お返事ですが…】


 レナルドは場違いなほど凪いだ瞳で、アイネアの唇が動く様子を眺めていた。この婚約は破談に終わると、初めからわかっていたからだ。アイネアの心が今もなお同じ人物に向けられていることくらい、見抜けないレナルドではない。それでも愛を告げたのは、たとえ一瞬でもアイネアの意識を自分に向けられたら、という独占欲の表れだった。彼女ならばレナルドの気持ちを素気無くあしらったりしないと、わかった上で想いを口にしたのだから、我ながら卑怯だと自嘲したくもなる。

 だからこそ、アイネアの返答はレナルドにとって、まさに意想外であった。


【レナルド様との婚約、お受け致します】

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