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 朝から忙しく働いていたアイネアは、羽ペンを持つ手を止め、近くで書類の整理をしていたバートを呼んだ。


「何でしょう?」

「お父様に毒矢を放った犯人はどうなったの?」

「…捕縛には至っていません」

「そう……」


 思索に耽るそぶりを見せたアイネアに、バートは慌てて付け加える。


「事件の調査は騎士団に一任してあります。ですから…」

「ユニアスが行方不明になって、その上、お父様は殺された。この事件の黒幕に引導を渡さなければ、気が済まないわ」

「お待ちください!アイネア様に万が一のことがあってはいけません!お考え直しを」

「わたしだって民を守る立場になったのよ。バラダン領を脅かす者がいるなら、立ち向かわなくてはいけないわ」


 そう言うや否や、アイネアは立ち上がり、すたすたと書斎を出て行ってしまう。思い立ったら即行動、昔から変わっていない。

 待ってくれというバートの嘆願が届いたのかは定かではないが、アイネアは玄関の戸口のところで足を止めた。


「バートはお父様の最期を看取ったのよね?」

「はい…そうです」

「その時の状況をなるべく詳しく教えて」

「…かしこまりました。私が駆けつけた時、旦那様は扉の近くで倒れていました。見張りの騎士に医者を呼びに行かせ、残った者達で応急処置を施しました。その最中、旦那様はしきりに何かを伝えようとなさっておいででした」

「お父様は何と?」

「それが…毒のせいで呂律がまわらず、唇が僅かに動く程度でしたので、言葉を聞き取ることはできませんでした。その後、手をあちらに伸ばそうとなさって…そこで力尽きられました」

「手を、伸ばした…」


 そちらの方向に、アイネアも視線を向けた。


「奥様とアイネア様が描かれている肖像画を指していたのではないかと」


 廊下に飾られた大きな肖像画。死にゆく間際、愛する家族に手を伸ばす…何も不自然なことはない。だが、アイネアにはどこか引っかかるものがあった。


「…お父様の倒れていた位置が知りたいわ」

「こちらを頭に倒れておられて、私が仰向けの状態にしましたが…それが何か?」

「ちょっと手伝って、パルメナ」


 突如として、アイネアは躊躇うことなく絨毯の上に寝転んだ。見ていた二人はびっくり仰天する。


【お召し物が汚れてしまいます!】

「洗濯係には後で謝っておくわ」

【そういう問題ではありません!】

「みんなが毎日綺麗に掃除してくれているもの。少しくらい平気よ。バート、続けて」


 説得を早々に諦めたバートは、事件当時を思い出しながら、現場の再現に手を貸した。

 アイネアがアンドリュー、パルメナがバートの役である。


「それでこう、手を伸ばしたのよね」


 アイネアは証言の通りに、自分の腕を持ち上げてみた。すると今度は、今しがたの騒ぎが嘘のように黙りこくってしまう。あまりに静かなので、バート達はだんだん心配になってくる。


「あのう、アイネア様?」

「…………見えない」

「は?」

「見えないのよ。この位置からだと、肖像画が」


 やや遅れてその言葉の意味を飲み込めたバートは、自分もアイネアの傍に膝をついて、目線を合わせた。確かに、アンドリューが手を伸ばした先には肖像画が飾ってある。しかし倒れた位置からは死角になっていて、見ることは不可能だった。いくら気が動転していたからといって、こんな初歩的なことを見逃すとは、バートは頭を抱えたくなった。

 体を起こしたアイネアは、これで合点がいったという表情になる。


「おかしいと思ったのよ。お父様が最期にそんなメッセージを残すかしらって」

【どういうことですか?】

「お父様は事件の調査中、その半ばで敵に討たれた。死ぬ直前、わたしだったら少しでも犯人の手がかりを残そうと、力を振り絞るわ」


 バートとパルメナはハッとなって、アイネアを見つめた。


(きっとお父様も同じはず。だとすれば、お父様はいったい何を伝えたかったのかしら…肖像画ではないなら、廊下のその先…?でも、あそこにはチェス盤とピアノしか……)


 廊下の突き当たりにある部屋を思い浮かべて、アイネアは目を見開く。


「………ピアノ…?」


 あのピアノは、アイネアが八歳の誕生日の時に、祖母のジョアンナがプレゼントだと言って運んできたものだ。


「……まさか…お祖母様が…」

「ジョアンナ様がこの事件に絡んでいると仰るのですか!?そんな馬鹿な!あの方は一人息子である旦那様を大切にしておられました。害するなんて考えられません!」


 現にバートは葬儀の際、半狂乱になって泣き叫ぶジョアンナを見ている。あれが演技だったとは到底思えなかった。


「…そうね。お祖父様が亡くなってからは特に、わたし達を頼りにしていたわ。でも、ユニアスは?」

「え……」

「お父様の死には関わっていなくても、ユニアスの失踪には何か関与しているのかもしれない」

「そ…それは…」


 言い辛そうに口ごもるバート。いつもなら、決して相手に無理強いをしないアイネアが、この時初めて命令口調を使った。


「何か知っているなら言いなさい。バート」

「っ…ジョアンナ様との関係性は不明ですが、旦那様は殺されたシャレゼル家の私兵を見て、犯人は我が国の人間だと断定しておられました」

「断定?可能性がある、ではなく?」

「そうです」


 アンドリュー曰く、斬られた傷がこの国の剣でつけられたものだったそうだ。南の王国の剣は両刃なのに対し、北の王国は片刃が主流。しかも、あちらの剣の方が斬れ味が鋭いため、切り口には大きな差が出る。山中で見つかった遺体の傷口は乱雑で、どちらの国の剣が使われたのかは明らかだった。


「北の王国の祖先は誇り高い戦闘民族ですから、我が国に報復するのであれば、自国の剣を使うでしょう。しかし私が聞いていた限り、旦那様の口からジョアンナ様の名前が出たことはありません。旦那様が疑っておられたのは……クラウディウス公爵家です」

「!!」


 絶句したアイネアを見て、バートは目を伏せた。

 濡れ衣を着せられたアイネアを助けてくれた家であり、レナルドは求婚中の相手でもある。それらがすべてアイネアを嵌めるための罠だったなんて、嘘だとしても聞きたくないことだろう。


「…やはり、騎士団に任せた方がいいのでは?」

「……いいえ。なおのこと、真偽を自分自身で確かめたいわ。レナルド様がわたしを騙しているとは思えない、というのが正直なところだけれど…」


 根拠などありはしないが、レナルドは犯人ではないと、アイネアは確信めいたものを感じていた。


「では、いかがなさいますか?」

「…お祖母様に会いに行くわ。バラダン家の別荘にいらっしゃるのよね?今から行けば夕方までには戻れるわ」

「今からですか!?」

「ええ。わたしの署名が必要な書類は纏めておいてちょうだい。帰って来たら片付けるから。パルメナ、出掛ける準備を」

「お待ちを!何の証拠も無いまま、ジョアンナ様のところへ行かれるのですか?」

「お父様が最期に伝えたかったメッセージ、それだけあれば充分よ」

「まだそれがジョアンナ様だと決まった訳ではありませんよ」

「決まっていないから調べに行くのよ」

「……わかりました。もう何も言いません。どうかお気をつけて」


 こうしてアイネアは、祖母のもとを訪れるべく、パルメナと連れ立って屋敷を後にしたのだった。




 アイネアの祖母ジョアンナは、気さくな女性であると同時に、肩書きに拘るといった、昔ながらの貴族の性質を持っている。それでもアイネアにとっては、孫を可愛がってくれる優しい祖母であった。真っ先に血族を疑うなど、ほとほと自分が嫌になる。疑わずに済むのなら、どれだけ良かったか。


(でも、もう決めたもの。お父様を殺し、ユニアスを殺そうとした犯人を、このまま野放しにはしないって。そうでなくては、ユニアスが帰るに帰れない。いつもあなたがわたしを助けてくれたように、今度はわたしがあなたを助けるわ)


 揺らがぬ決意を心に宿したアイネアは、迷いのない歩みで、別荘の扉をくぐる。

 息子の死を悼むあまりすっかり老け込んでしまった祖母は、アイネアを見るなり、その手に縋った。すすり泣きながら、アンドリューの名前を連呼する姿は実に気の毒だった。バートの言っていた通り、祖母がアンドリューの暗殺を企てたとは考えにくい。しかしながら、アイネアは敢えてこう言った。


「…お父様を死なせたのは、お祖母様だったのですね」


 すげなく手を振り払われたジョアンナは、呆然とアイネアを見上げた。そして喘ぐように否定の言葉を述べる。


「なっ…なにを言うの!アイネア!!あたくしが、そんなことを許すはずがないでしょう!?」


 アイネアは無言だった。無表情を貼り付け、温度の感じられない瞳を向けるだけだ。未だかつて、孫からこんな風に見下ろされたことなど無いジョアンナは恐怖で戦慄する。かくいう側に控えていたパルメナですら、背筋に冷たいものが落ちた。


「ち…ちっ、違うのよ…あたくしではないの…悪いのはあたくしではなくて、あの女よ!」


 とうとう耐え切れなくなったジョアンナは自供し始める。

 精神的に参っている祖母に圧力をかけて吐かせる、これが狙いだった。なんて非情なやり方だと自覚はある。しかし、傷む良心を抑えてでもやらなければならなかった。何故ならアイネアには、決して譲れないものがあるからだ。


「すべての元凶はあの女…ベリアよ!!」


 ベリア・クラウディウス。彼女の裏の顔が、ジョアンナによって明かされる。

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