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後日、父に確認してみれば、従姉妹の言っていた話は本当だった。先週届いたという招待状を見せてくれたが、それには紛れもない国王の紋章が刻印されていた。
婚約者云々についてはあくまで噂の領域を出ないが、招待された家の令嬢ならびに親達は、闘争心を剥き出しにしているようだ。
「我々は招待があったから行くだけだ。王子に気に入られようなどと、下らない事は考えなくていい。バラダン家は婿をとる立場なのだからな。私の言っている意味はわかるか」
「はい」
バラダン家の子供はアイネア一人しかいない。故に家督を継ぐのは、必然的にアイネアとなる。養子を迎えるという手段もあるが、父にそのつもりは無いらしい。となればこの家に婿入りしてくれる男性、というのがアイネアの結婚相手の第一条件となる。この国の王子なんて条件から一番遠い存在である。
「でも、お友だちを作るのはいいのでしょう?」
もともとアイネアは、王子との婚約に興味など持っていなかった。むしろ、そのパーティーに集う同年代の子供達と仲良くなれるかどうか、アイネアの関心はそこだった。
「別に構わないが…難しいと思うぞ」
「どうしてですか?」
「…来月、行けばわかるだろう。とにかく、お前は礼儀作法で失敗しないよう、それだけ気をつけていればいい」
多少緊張したところで、今まで徹底的に叩き込まれてきた所作やマナーが崩れようがないが、アイネアは素直に聞き入れた。
日々の勉強に加え、礼儀作法の復習をするかたわら、クーザの部屋の準備にも追われ、慌ただしい毎日を送るアイネアは、それでも楽しそうだった。
そしてとうとう、クーザとの約束の日がやって来る。本当はアイネアも馬車に乗って孤児院まで迎えに行きたかったのだが、屋敷で待つよう父に言われてしまい、玄関の前でそわそわと待ち構えるしかなかった。
「よく旦那様が許可なさいましたね」
「いやいや、あの旦那様ですから。お嬢様の数少ないおねだりに、勝てるとでも?」
「無理ですね」
その数少ないおねだりが専属画家とは、変化球にも程があるが、なんてお嬢様らしいとエルザとバートは妙に納得した。加えて言うなら、平民を貴族の令嬢が出迎えるのも珍事である。
「あっ!来たわ!」
立派な扉をくぐったクーザは、エルザ達の目にも明らかなほど緊張していた。
「ようこそクーザ!あなたが来るのを、今か今かと待っていたのよ!」
しかし、アイネアの笑顔に迎えられた途端、強張っていたクーザの表情が少しだけ和らぐ。
「お父さまにごあいさつしたら、用意したお部屋に案内するわ。気に入ってもらえるとうれしいのだけど」
アンドリューへの挨拶にはアイネアも付き添ったが、屋敷内の案内は家令であるバートが行なった。
「こちらが貴方の部屋になります」
「…俺ひとりですか?」
孤児院では相部屋が当たり前だったため、クーザが恐縮するのも無理はない。
「ええ。お嬢様が貴方の為にと準備されたのです」
何にも邪魔されず、集中して絵が描けるよう、アイネアは屋敷の中で最も静かな場所を探した。だからといって陰湿な部屋にならないようにも注意を払った。
「画材は貴方に選ばせるということですので、本日商人を呼んであります。三時頃に先ほどの広間に来てください。それまでは休んでもらって大丈夫ですよ」
バートが去った後、クーザは初めての一人部屋を見回した。家具は磨き上げられ、ベッドのシーツは皺一つ無い。本棚の半分は美術に関する本で埋まっている。僅かな埃すら積もっていない状態に、クーザは目の奥が熱くなった。
(俺のために、こんな…)
同い年の子供より多少上手というだけなのに、ここまでしてもらう理由が見つからない。
(……たくさん描こう。描いて描いて描きまくって、そんで世界一の画家になるんだ)
アイネアが求めるものを完璧に表現できる画家になってやると、クーザは誓いを立てたのだった。
約束の三時になるとバラダン家に、画材を沢山積んだ荷馬車が到着した。
「どれでもお好きなのを選んでね。お金の事は気にするなって、お父さまもおっしゃっていたから」
「なあ、あんた……じゃなくてお嬢。ありがとう。雇ってくれたうえに、部屋も道具も…」
「お礼ならお父さまに言って。お父さまのお許しがなかったら、何もできなかったもの」
ふわりとアイネアは笑うが、その彼女の嘆願が無ければ、クーザは今日も木炭を手に拙い絵を描いていただろう。
「領主様もだけど、俺はお嬢にもすげぇ感謝してる。本当にありがとう」
「わたしのわがままに付き合わせてしまったのに?」
「こんなワガママなら大歓迎だけど」
「ふふっ、ありがとう。あっ、それとね。絵の先生なのだけど、無事に見つかったわ。来週から来てくださるそうよ」
お礼を述べるべきはクーザの方なのに、何故かアイネアの方から「ありがとう」と言われ、クーザはくつくつと笑った。貴族なんて偉そうにしている連中ばかりだと思っていたが、変わったご令嬢もいたものだ。
「大変!先生で思い出したわ!今日はおばあさまが呼んでくださった、ピアノの先生がいらっしゃるのだったわ!」
「まずいんじゃねぇの?」
「まずいわ!クーザ、ゆっくり選んでちょうだいね」
大慌てで二階へ消えていく様子にひとしきり笑った後、クーザは画材の一つ一つを手に取り、吟味し始める。絵の具に絵筆、上等なキャンバス、一度は諦めていた品々に、クーザは心がはやるのを抑えきれなかった。