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 初めて出会った時、とても親切で優しい人だと思った。彼と一緒に過ごす時間も同様で、優しく穏やかに流れていった。傍にいると心が落ちつく、そんな人。

 いつしか見上げるほどに背が伸びて、凛々しい横顔に時折ハッとなることも増えた。それでも、誠実で柔和な人柄は以前のままだった。そんな彼が、激昂して悪党を斬り伏せていく様は、意外な一面を垣間見た気がして胸が高鳴った。

 涙を流した時は、温かく励ましてくれて、苦楽を共に背負い、支えると約束を交わした。

 自分の『夢』を明かすのは"どんなアイネアでも好きだ"と告白してくれた彼しか、後にも先にもいないだろう。


(…どこにいるの…ユニアス)


 窮地に陥っても、いつだってユニアスが駆けつけてくれた。まさにその時、切望していた言葉をくれて、そのおかげで奮い立つことができたのだ。

 彼の綺麗な瞳が、優しい声が、温かな手が、ひどく恋しい。もう一度、あの逞しい腕に抱かれて、愛を囁いてほしい。


(…わたしはまだ、あなたに『愛してる』って伝えていない…っ)


 身を焦がすほどの恋?そんな甘いものではなかったと、体を刺し通されるような痛みと共に思い知った。彼は切り離すことなどできない、半身のような存在。この深く強い想いは、紛れもなく愛だ。ユニアスに抱いていたのは、底の見えない海よりも深い愛だった。




「…気がついた?」


 ビルガ、と友人の名前を呼んだつもりだったのだが、アイネアの唇からは言葉にならない掠れた音がもれただけであった。


「貴女、気を失って倒れたのよ」


 ベッドから体を起こすと、少し頭がぼうっとした。微熱が出ているみたいだ。

 茫然自失とした様子のアイネアを前にしたビルガは、泣きそうになって美しい顔を歪めた。凛とした振る舞いか、あるいは朗らかな表情しか目にしてこなかった者にとって、アイネアのこういう姿は見るに堪えない。輝いていた蒼海の瞳は、今はただ虚ろだった。

 誰かを愛し、愛されたことのなかったビルガは、どんな慰めの言葉をかけていいかもわからない。それでも何か言葉をかけずにはいられなかった。


「……貴女は信じていればいいのよ。ユニアス様が生きて戻ることを」

「……あれは、ユニアスの腕だったわ」

「回収されたのは片腕だけでしょう」

「そうね……信じて待つ…わかっているわ。でも…っ!」


 アイネアはビルガの両腕を掴んだ。乱れた長髪の間から覗く顔は、あまりに悲痛だった。


「ユニアスが酷い怪我を負っていることに変わりはないわっ!たった独りで、苦しんでいるかもしれないのにっ、わたしは……わたしは待つことしかできないなんて…っ!」


 それは決して大きな声ではなかったのに、ビルガには耳を塞ぎたいほどの悲鳴に聴こえた。

 一連の事件の犯人が不明な以上、闇雲に動くのは危険である。慎重さを欠いては、更なる犠牲が生まれるだけだ。今度こそ、アイネアが命の危機に晒されるかもしれない。しかし理解はしていても、納得できるかは別問題だった。


「今すぐにでも、ユニアスを捜しに行きたい。無謀だってわかっていても、じっとしてなんかいられない…」

「アイネア…」


 氷の令嬢などと囁かれる彼女が、本当は同情心に富んだ愛すべきお人好しだと、今のビルガはよく知っている。初めてできた友と呼べる人が、絶望に打ち震え、血を吐くかのように苦しんでいる様子に、ビルガは耐えきれずに涙した。本来なら一番に泣き喚くべきである、アイネアの頰が乾いているのが余計に胸を打った。


「わたしのせいで…わたしなんかのために……ユニアスが…」

「っ!今のは聞き捨てならないわね。『わたしなんか』って何よ。私の友達を軽んじるのは、貴女自身であっても許さないわ」

「ビルガ…っ」

「いいこと?確かに今は待つことしかできない。でもそれは、貴女にしかできないの。他の誰かじゃ駄目なのよ」

「わたし、しか…?」

「そう。ユニアス様にとって、貴女こそがここへ帰る理由。だから、たとえ貴女以外の全員が『ユニアス様は死んだ』と言ったとしても、貴女だけは決して首を縦に振ってはいけないわ」


 ユニアスの家族が、アンドリューが、すべての国民がユニアスの死を認めても、アイネアは譲ってはならない。それは容易なことではなかった。彼は生きている、という根拠も無い希望だけを信じて立ち続けなければならないのだ。

 ビルガは目元を赤くしながら、アイネアに言い聞かせた。彼を一心に信じなさい、と。


「……泣きごとを言ってごめんね、ビルガ」

「ばか。こういう時に言わなくて、いつ言うのよ。だいたい貴女、泣いてないくせに」

「それもそうね」

「私も、慰め下手で申し訳ないけど…」

「そんなことないわ。ビルガのおかげで、力が湧いてきたもの。わたし諦めない。絶対に。ユニアスへの信頼を貫き通すわ」


 虚ろだったアイネアの瞳に活力が戻ってくる。涙を拭ったビルガは「貴女は強い人ね」と微笑んだ。


「いいえ…わたしの傍にいてくれる人達が、弱いわたしを強くしてくれるのよ」




 少しだけ元気を取り戻したアイネアは、父の書斎へと向かった。無論、事件の真相解明に乗り出すためだった。ところが、アンドリューから下されたのは、できるだけ速やかに学園へ戻るようにとの命令だった。


「何故ですか!?」

「今のお前に、冷静な判断ができるとは思えん。敵の狙いがお前なのかバラダン家なのか、はたまたユニアス殿だったのか定かではない。下手をすればどうなるか、わかっているだろう。動かぬこと、それが我々の最善手だ。ユニアス殿の捜索はシャレゼル家に一任する。お前の出る幕は無い」

「でしたらここにいても…」

「ユニアス殿を害したのが、我々に冤罪をかけた犯人と同一人物だと、まだ断言はできん。仮に北の王国の手の者であるとすれば、国境に近いバラダン領より、王都の方が安全だ。ティミオス学園の警備は厳重故、なおのこと安心できる」

「そんなっ…お父様やみんなだって危険ではありませんか!」

「私は領主だ。身の危険があるからといって離れることはできない。辞めたいと申し出る使用人は引き留めない」

「………」

「皆を想うのなら、学園へ戻りなさい。お前がアイネア・バラダンである限り、その身に背負うのはお前だけの命ではない」


 アイネアの性格からして、制止を振り払ってでも、単身でユニアスを捜しに向かうのが妥当だ。しかしそれをしなかったのは、彼女がアイネア・バラダンだからであった。アイネアを慕い、ここまでついてきてくれた仲間や領民を捨てて、出て行くことはできなかった。彼らと築き上げてきた信頼を断ち切ってまで、最愛の人のもとへと向かう選択肢を、アイネアは選べない。

 捨てられるほど軽いものであれば、はたまた、ただのアイネアであったのなら、迷うことなく飛び出していけたのに。十八年間、バラダン家の娘として育てられたアイネアには、自分の感情を留める理性が働く。

 ビルガに言われるまでもなく、はなからわかっていた。二つを天秤にかけることすらできない自分は、待つ以外の道は無いと。


「嫌な言い方になるが、今回の件は王命でもないのに隣国へ渡った、ユニアス殿の自己責任だ。お前が気にすることではない」

「お父様っ!何てことを仰るのですか!」

「非常時こそ取り乱すなと教えたはずだぞ。もういい。部屋に戻って頭を冷やせ。パルメナ、連れて行きなさい」


 わずかに逡巡したパルメナだったが、アイネアの腕を引き、頭を下げて退室していった。

 沈黙を破ったのは、黙って成り行きを見守っていたバートだった。


「…何もこんな時まで厳しくしなくても良かったのでは?お嬢様だって泣きたいでしょうに」

「それはもう、私の役目ではない」

「え?」

「いや…それより、しばらくお前に領主代行を任せたい。その間、私はクラウディウス家を調べる」

「公爵家をお疑いなのですか?お嬢様の身元引受人になってくださった方々ではないですか」

「ああ。それはそうだが…タイミングが良すぎてどうにも引っかかる。相手が相手なだけに、私が水面下で動く方が良いだろう」

「さっきお嬢様に、ここを離れることはできないと豪語しておられたのに、見事な手のひら返しですね」

「うるさい。まったくお前ときたら減らず口を叩きすぎだ」

「正直なのが私の美徳だと思っています」


 バートの発言に、アンドリューはこめかみを押さえていたが、不意にひどく真剣な顔つきになると、静かにこう告げたのだった。


「私に万が一のことがあったら、その時は後を頼む」

「…縁起でもないことを仰らないでください」

「ユニアス殿を殺そうとしたのだ。邪魔者と認識されれば私とて例外ではなかろう」

「だからお嬢様を…遠ざけたのですね」

「子を守るのが、親の務めだ。私の目が黒いうちは、何人だろうとあの子を害すことは許さない」


 アイネアも大概だがこの人もとんだ不器用だなと、バートは力なく笑った。

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