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武装した騎士に見張られ、法廷へと出向いたアイネアは、死んだ犯人の仲間だという男と対面を果たしていた。父親似の鋭い視線を向けられた男はおどおどした様子を見せたが、それがまた癪にさわる。
「ま、間違いありません。お屋敷で領主様から確かに言われました。『お前の貧しい家族を助けてやる代わりに、私の命令に従え』と…半年ほど前のことでした」
父がそんな事を命じるはずがないと、声を大にして言ってやりたいのを我慢した。家族を人質にとるような姑息な真似を、あのアンドリューがする訳がないし、だいたい他人に向かって貧しいなどと、蔑むようなことを誰が言うか。アイネアは怒りの拳を握りしめた。
裁判官が「その命令とは何であるか」と問う。
「はい…『北の王国の暴徒をけしかけて、王都で騒ぎを起こせ』と仰せでした」
現在、南と北の両国は友好的な関係にあるが、近年まで、それこそアイネアの曾祖父が当主だった頃は睨み合いが続いていた状態だった。あまりに長い間、敵対してきた故、今なお互いの国を良く思わない人々もいる。どちらかと言えば、先祖が戦闘民族だったとされる北の王国の方がその傾向が強い。しかし両国の民の大半が、長年に渡る争いの終結を喜んでいる。そういった過激派は、ほんの少数に過ぎない。
バラダン領は北の王国との貿易が盛んな場所だ。疑われるのも無理はないが、反乱を起こそうとしたなどと糾弾されるのは心外である。アンドリューもアイネアも、自領の平和をとても尊いものだと大切にしているというのに。
「…発言の許可をお願いします」
「よろしい。アイネア・バラダン、反論があるなら述べよ」
「ありがとうございます」
アイネアの目元には薄っすらと隈が浮かんでおり、凍てつくような瞳で男を睨む迫力といったらない。
「お尋ねしますが、貴方は本当に屋敷でお父様にお会いしたのですか?」
「は、はい。本当です…」
「その場にいたのは?あなたとお父様だけですか?」
「その通りでございます…」
「それはおかしいですね。まず第一に、屋敷に出入りできる者は限られております。わたしは全員を把握していますが、その中に貴方の名前はありません。第二に、お父様が一人で見ず知らずの方と密会することはあり得ません。必ず護衛と行動を共にします」
「そんな…っ!では私が嘘をついていると仰られるのですか!?」
「そうです」
あまりにもきっぱりと言い切られた男は押し黙る。
「それにここ数年は、お父様に代わってわたしが商人の方々とお話ししていました。屋敷へ立ち入る許可を出していたのもわたしです。貴方に許可証を渡した覚えはありませんが?それとも偽装した許可証でもお持ちですか?」
屋敷に出入りする人間は、昔からの馴染みの商人か、アイネアが関わっているギルドの者くらいである。比率は後者の方が圧倒的に多くなってきたため、アイネアはアンドリューから権限を譲られていたのだ。
「そっ、そこまで仰るのなら、証拠があるんですか!?」
「ありませんわ。では、貴方にはあるのでしょうね?」
「………」
アイネアがこの男と面識がないのは事実であるが、それを証明する手立てが無い。客人との面会には必ずパルメナや他の使用人が同席していたが、彼らの証言にどこまでの効力があるのかわからない。だがそれは、目の前の男とて同じだ。アンドリューと二人きりで会ったという確たる証拠は無い。
結局、裁定は証拠不十分により下されなかった。アンドリューの無罪が証明された訳でも、アイネアの拘束が解かれた訳でもない。つまり、状況は何も打開できていないということだ。
騎士団預かりの身であるアイネアは、駐屯所の小さな一室に押し込められていた。
(陰で糸を引いているのは誰?どうしてわたしではなく、お父様を狙ったのかしら)
ろくに寝付けず、頭が鈍く痛むが、アイネアは考え続けた。非常時こそ冷静に、それが父の教えだからだ。
(バラダン家の繁栄を疎んでいるのなら、直接わたしを狙えばいいのに…)
アイネアが見る夢を叶えること早十年。小さな領地の名は自国どころか、隣国にまで知られている。遊ぶ物、食べる物、読み物、そして音楽…様々な分野において人気を集めてきた。今のバラダン家には、一貴族が持つには過ぎた額の財産がある。だからこそアンドリューとアイネアは警戒していた。妬みを買い、罠に嵌めようとする輩が出てくるだろうと、とりわけアンドリューは神経をとがらせていたのだ。
(それが目障りだった…?だとしても、こんな詰めが甘くて、回りくどいやり方をする?)
リット子爵のように、アイネアを直に狙うのならまだわかる。商品化の際に付与される印はアイネアのものなのだから、潰すべきは誰なのか明白である。それなのに、敵はアイネアを標的としなかった。
用意した偽の証人がまともな証拠一つ持っていないのもおかしい。北の王国の敵対行動だなんて、国家間の調停を揺るがす一大事だ。そんな大罪を擦りつけたいなら、もっとこちらを窮地に立たせるような動かぬ証拠の一つや二つ、でっち上げるべきだろう。
(何なのかしら…この違和感…)
一見、陥れているようで、そうではないような。破滅させるまではいかないが、何かを待っているような。非常に気分が悪い。
(なんにせよ、無実を証明しなければ。あんな言いがかりに屈する訳にはいかないわ)
きっと皆も、ユニアスも、アンドリューを助けようと気を揉んでいるに違いない。ならば、アイネアも絶対に負けられない。心細いなどと、嘆いている場合ではないのだ。
それから日を置いてもう一度、アイネアは出廷を求められたが、審議は平行線を辿るだけだった。空気的にはアイネアが優勢であったが、発言の優位性を立証するには至らず、歯痒い思いをさせられた。こうしている間にも、アンドリューは厳しい尋問を受けていると思うと、アイネアは胸が張り裂けそうだった。
ただ時が過ぎるのを待つしかなかったアイネアに、ある一報が舞い込む。なんと、クラウディウス公爵家がアイネアの身元引受人となる事を申し出てくれたのだ。自領での謹慎を命じようにも距離が遠すぎたし、そもそも当主のアンドリューが拘束中の今、バラダン領に戻ることはできない。故にアイネアは駐屯所の狭い部屋で監視されていたのだが、それを公爵家が肩代わりしてくれるらしい。
信じられない気持ちのまま外へ出れば、そこにはベリアが豪華な馬車を待たせていた。
「どうぞお乗りになって、アイネア様」
「ベリア様…何故わたしを…?」
「アイネア様の無実は、あの時、一緒にいたわたくしが一番よく知っていますわ。軟禁状態なのは変わらなくても、我が家の方が快適でしてよ」
「何と感謝を申し上げて良いのか…本当にありがとうございます」
「大したことではありませんから、お顔を上げてくださいな。さあ、こんな所で立ち話もなんですから、出発いたしましょう?」
クラウディウス家の屋敷は、王都の中心部からさほど離れておらず、再び出廷の要請があってもすぐに赴くことが可能だ。何よりも、貴族の頂点に立つ公爵家がアイネアを擁護した、というのはかなりの好印象となる。降って湧いた好機に、アイネアはひたすら感謝した。
バラダン家よりも優にふた回りは大きいであろう屋敷に到着すると、レナルドが侍従のケイルと共に出迎えてくれた。
【とんだ災難だったな。しかし、じきに誤解も解けるだろう。それまではここにいるといい】
【寛大なお気遣い、心から感謝致します】
「ご希望がございましたら、何なりと私にお申し付けください」
「ありがとうございます、ケイルさん。ところで、クラウディウス公爵様はどちらでしょうか?ご挨拶とお礼をお伝えしたいのですが…」
「それには及びませんわ。夫はほとんどここを留守にしていますの。ですが、手紙で許可は頂きましたから気になさらなくて結構ですわ。ケイル、アイネア様をお部屋へ……あら」
ケイルが行こうとしたのを遮り、動いたのはレナルドだった。
【私が行こう】
【まあ…そんな。レナルド様のお手を煩わせるわけにはまいりませんわ】
【構わない】
豪勢な客間に案内されたアイネアは、もったいないと遠慮したが、レナルドに押し切られてしまう。謹慎中の身には不釣合いな気がしてならなかったが、せっかくの厚意を無下にするのもどうかと思い、ありがたく使わせてもらうことにした。
【何から何まで、ありがとうございます。いつか必ず、改めてお礼に参ります】
深々と頭を下げたアイネアに対し、レナルドはふっと微笑むだけだった。
【私はいつだって迷惑をかける側だった。だから少しでも…ようやく出会えた手話仲間の助けになれたのなら嬉しい。礼などいらない】
【ですがこんなに良くしていただいて、何もしないというのは…】
【部屋なら有り余っているし、客人が一人いたところで、何ら問題は無い。どうしてもと言うのなら、時折私の話し相手になってくれるだけで充分だ】
クラウディウス家の温情に、アイネアは何度も低頭した。
謹慎中であることを忘れそうになるほど、レナルドはアイネアに良くしてくれた。外部との接触が断たれているのを不憫に思い、レナルドはパルメナの処遇について調べてきてくれた。
【学園の宿舎で待機を命じられているそうだ】
【そうですか…不自由な思いをさせてしまって申し訳ないですわ…】
【以前から気になっていたのだが、アイネア嬢は何故、彼女を侍女に?】
【ちょうど専任侍女を探しておりましたし、パルメナの仕事へ対する姿勢に、とても好感が持てましたので】
【…不自由だとは思わなかったのか?】
パルメナは耳は聞こえるが、言葉を音にできないという点でレナルドと共通していた。意思の疎通に障害が生まれることに変わりは無い。
レナルドの表情が僅かに曇る。しかし反対に、アイネアの顔は明るかった。
【はい。ちっとも!新しい言語を学ぶというのは、新鮮で楽しかったですわ。わたしとパルメナしか知らない秘密の合図を考えるのが面白くて、わくわくしたくらいです】
例えばノックの音。「お嬢様、パルメナです」と扉の向こうで言えない代わりに、少しリズミカルなノックをする。そうすれば名乗り文句が無くても、アイネアは誰が来たのかすぐにわかるという訳だ。
他にも、背後から声をかけたい場面での取り決めがあった。肩に軽く触れるのが手っ取り早いのだが、パルメナの両手が塞がっていたらそれはできない。そういう時は、わざとかかとを鳴らしてアイネアに知らせる。きちんと教育された使用人は、無闇に足音を立てたりしないので、意図的に鳴らすことで代弁しているのだ。
些細な事柄にも配慮がなされ、パルメナが困らないよう工夫されている事を知ったレナルドは、感心したように目を瞬かせた。
【レナルド様とケイルさんの間にも、何か約束事がおありですか?】
【いや…特にないな】
【そうでしたか。約束事は無くても、口を開けない時にこっそり手話で会話することはありませんか?わたしは食事中に気に入った料理があると、こうやって後ろ手でパルメナに伝えることがあるんですよ。そう思うと手話も便利ですわ】
【便利か……そんな風に考えたことはなかったな。でも確かに、言われてみれば楽しそうだ】
そう告げてからレナルドは柔らかく笑った。
だが、自室に戻る頃には、彼の顔は哀愁漂うものに変わっていた。
【彼女となら、きっと毎日が明るいのだろうな】
実を言うと、レナルドは卒業パーティーで会う前から、アイネアに惹かれていた。たった一人の侍女のために手話を覚えたという令嬢の話を聞き、会ってみたいと強く願うようになった。念願叶い、実際に会ってみれば、彼女は期待を遥かに上回る女性だった。幼少期に聴覚を失ったレナルドだが、言葉は聞こえなくても表情、目の動き、仕草などで相手の感情を推し量ることができる。だからこそ、アイネアが下手な哀れみなど持たず、友好的に接してくれている事はよくわかっており、同時に彼女の想いが誰に向いているかも明白だった。レナルドの初めての恋は、出会った瞬間に終わりを告げていたのだ。
【レナルド様…】
【いいんだ。彼女の助けになれたのなら、それで満足すべきだ。これ以上は望むべきではない。アイネア嬢の為にも、ユニアス殿の為にもな。彼は幸福な男だな。アイネア嬢の特別になれるなんて…】
アイネアが想いを傾ける相手もまた、彼女しか見ていない。二人の幸せを壊してまで、自分の気持ちを押し通す気にはなれなかった。
寂しげに微笑むレナルドを、ケイルは黙って見つめるのだった。




