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ここから、だんだん不穏な雰囲気になっていきます。
【お嬢様、お勉強中に失礼します。ネーヴェル先輩からお手紙が届きました】
「ネーヴェルから?」
創立祭を目前に控えた、定期考査の最中のこと。宿舎の部屋で勉強していたアイネアは、椅子に座ったまま振り返った。
「……まあ!王都の大劇場で行われる音楽会に出ることになったんですって!良かったら聴きに来てくださいって書いてあるわ」
手紙にはチケットが二枚同封されていた。アイネアとパルメナの分だろう。
「週末なら試験も終わっているから、一緒に行きましょうね、パルメナ」
【はい…それはありがたいのですが…】
「どうしたの?」
【私の記憶違いなら良いのですが、王都の夏の音楽会と言えば、王族の方々も招かれる大々的なものだと聞いたことがあるような…】
「そういえばわたしも聞いたことがあるわ。そんな舞台に立てるなんて、ネーヴェルは本当に凄いわね!さらに大勢の方にあの綺麗な歌声を聴いてもらえて嬉しい限りだわ!」
【あの、お嬢様。確かに誇らしい事ですが、私が申し上げたいのは先輩のあがり症の方でして…】
「あっ…」
随分と舞台慣れしてきたネーヴェルだが、今度ばかりは訳が違う。観客席に王家の人間が座るかもしれないのだ。失敗など論外、成功しか許されない緊張の舞台。アイネアの脳裏に、初めてのコンクールでのやり取りが浮かぶ。
「…開演前に激励に行っても大丈夫かしら?」
【先輩がバラダン家の所属のままだというのは割と有名ですし、恐らく大丈夫だと思いますが…】
「行くだけ行ってみましょう。それに、ネーヴェルには激励なんて、もう必要無いかもしれないし」
定期考査を難なく乗りきった週末、アイネアは予定していた通り、大劇場に足を運んでいた。始まる前に楽屋へ行ってみたところ、バラダン家の名前を出せばあっさり通してもらえた。夏色の爽やかなドレスを着たアイネアを見つけた途端、ネーヴェルが泣きついてくる。案の定、緊張のあまり震えていたようだ。
「わ、わたっ私!女王陛下がお越しになるなんてっ、き、きき聞いてなくて…!安請け合いした自分を殴りたいぃぃぃ!!お嬢様!どうか調子に乗った私に一発!いえ十発ほどお願いします!!」
過去、類を見ないくらいに狼狽しているネーヴェルの顔は真っ白だ。アイネアの付き添いで来たパルメナにも緊張が伝染しそうな勢いである。こんなにガチガチになっている先輩へ、何と言葉をかけて良いかパルメナが迷っている間に、アイネアが進み出た。
「ネーヴェル。わたし、拍手で大きな音を出すコツを覚えたの」
「は、はい…?」
「あなたのファン1号は必ず約束を守るわ。だからあなたがすべきなのは、心を込めて歌うこと。そうだったでしょう?」
アイネアが何を言っているのか、パルメナには半分もわからなかった。でも、その言葉を聞いたネーヴェルの顔つきは明らかに変わった。明確な意志が宿った瞳は、ついさっきまでの動揺がまるで嘘のように感じさせる。一部始終を見ていたパルメナは、アイネアの言葉には魔法の力が宿っているのではないかと真剣に考えてしまった。
「…いつまで経ってもみっともない姿をお見せしてしまい、申し訳ありません。もう、大丈夫です。大切なファン1号を失望させはしませんから」
「ふふっ、失望なんかしないわ。わたし、ネーヴェルの歌が大好きなんだもの」
ネーヴェルは女王陛下が来ると聞いただけで、パニックに陥った事を恥じた。自分の歌声は誰に捧げるはずだったか、再度、肝に銘じる。
("七色の声を持つ歌姫"?そんな二つ名はどうでもいい。私はバラダン家のメイド。これ以上無いくらい誇らしい呼び名じゃない!)
血色を取り戻したネーヴェルを見て、アイネア達も一安心する。開演時間が迫ってきたので、客席へ行こうと楽屋を出た。するとそこで、友人らしき女性と一緒にいるベリアと遭遇した。
「あらまあ、奇遇ですこと。アイネア様もいらしていたのですね」
「チケットをいただきましたので。ベリア様もお変わりないようで何よりです。レナルド様もお元気ですか?」
「ええ。息子も変わりありませんわ。気遣ってくださってありがとう。アイネア様のお席はどちらですか?」
「わたし達は二階の…」
その場所を指し示そうと、アイネアが客席を振り返った直後───ホール内に爆発音が反響した。
巻き起こる爆風、鼻につく煙の匂い。立っている地面を揺らすほどの衝撃と、少し遅れて上がるいくつもの悲鳴。いったい何が起きたのか。アイネアは驚愕のあまり声すら出せない。呆然とした状況から脱することができたのは、ぐいっと自分の腕を強く引っ張る、パルメナの手があったからだ。彼女の唇が、はやくここを出ましょうと動く。次の爆発がいつ、どこで起きるのかわからない所に留まるのは危険だ。アイネアは必死に冷静さを掻き集め、今しがたまで喋っていたベリアにも声をかけて、共に劇場の外へと走った。
屋外に出ても辺りは騒然としていた。女王陛下が来るという音楽会で爆破事件が起きたのだ。駆けつけた騎士団の固い表情が、事の重大さを物語っている。
「ベリア様、大丈夫ですか?パルメナも?」
「え、ええ。わたくしは何とも…」
【平気です】
「ネーヴェルは無事に逃げられたかしら…」
【今のところ爆発は一度きりですし、先輩のいた楽屋からは離れています。きっと大丈夫です】
姿が見えないネーヴェルを心配し、アイネアは青ざめた。放っておくと捜しに行くと言い出しかねない勢いだが、むしろパルメナは現場に近かったアイネアの方が、どこか怪我をしていないか心配だった。しかしこのお嬢様は、懸命に周りを見渡してネーヴェルの髪色を見つけようとしているだけだ。こういう方だと諦め、パルメナも一緒になってネーヴェルの姿を捜した。程なくしてネーヴェルは見つかり、互いに無傷だったことを喜んだ。
───安堵で胸を撫で下ろすアイネアは、知る由もなかった。この事件は悲劇への幕開けに過ぎない、という事を…
夏の音楽会は中止となり、アイネアは晴れない気持ちのまま、学園生活に戻らなければならなかった。犯人が捕まり、安全が確保されるまで、生徒達は学園の敷地から出ることを禁じられた。
(どこもかしこも、あの事件のことで持ちきりね…)
まだ確定ではないが、女王ひいては王家の命を狙った犯行に、現在、王都にはピリピリとした嫌な空気が漂っている。比較的平和な南の王国で起きた不穏な事件に、王から民までが震撼した。かくいうアイネアも、その日の夜になってからベッドの中で震えがやって来た。まったく恐ろしい現場に居合わせてしまったものだ。
(女王陛下はご無事だったのが、唯一の救いだわ)
怪我人は数名出たが、その中に王家の人間はおらず、亡くなったのは自爆したとみられる犯人だけだった。犯人が本当に女王を狙ったのか、何らかの組織が背後に潜んでいるのか、それらは調査中である。なにぶん、遺体の損傷が激しいため、捜査は難航しているらしい。
(…バラダン領にもこの騒ぎが届いた頃かしら)
あと少しで爆風に巻き込まれるところだったなどと知れば、皆が心配すると思い、アイネアは何も伝えていなかった。パルメナとネーヴェルにも口止めしてある。
事件の全貌が不透明なのは、まるで濃い霧の中を進んでいるような不安感があった。胸に妙なざわつきを覚える。
「……ユニアス…」
誰もいない図書室で、アイネアはぽつりと大好きな人の名前を呼んだ。無性にユニアスに会いたかった。今の気持ちを打ち明けて、大丈夫だよと言ってもらえたら、どんなに心強いか。いや、ただ傍にいてくれるだけで、心が安まるに違いない。詮無いことだとわかっていても、彼を願い求めてしまう。アイネアは袖口のボタンをきゅっと握りしめた。祈るように握った手を額に当てて、ゆっくりと呼吸をする。
次に目を開けた時には、心細さなど微塵も感じさせない氷の令嬢アイネア・バラダンになっていた。
教室に戻り、次の講義の準備をしていたアイネアだったが、先生に呼ばれてすぐに席を立つ羽目になった。連れて行かれたのは学園長室だった。学園の重役達に囲まれ、嫌な汗が背中をつたう。学園長の重たい口から出た言葉を、アイネアはすぐに理解できなかった。
「実は君のお父上、アンドリュー氏に此度の事件の嫌疑がかけられ、今は尋問の最中だ。そこで、申し訳ないが君の身柄も拘束することが先程決まった」
「……なんですって…?」
父が王族を狙って事件を起こした?何を馬鹿な事をと、唖然とした後に沸々と怒りが湧いてくる。国王から賜った領地を心から愛しているアンドリューが、謀反を企てるなんて絶対にあり得ない。それは彼に育てられたアイネアが一番よく知っている。
「…いったいどこから、そんなでたらめな話が出たのですか」
「死んだ爆破犯の仲間が捕まったんだが、その男がアンドリュー氏の密命だったという証言をした。真偽はどうあれ、無視することはできない」
虚偽に決まっていると、アイネアは思った。しかし、有力な情報が無い現状で、捕縛された者の証言を跳ね返すのは容易ではない。
「明後日、出廷するようにとの命令だ。それまで君は騎士団の預かりとなる」
「…承知、致しました」
控えていた騎士に連行されるアイネアはぐっと唇を噛み締めた。ここで喚いても事態は好転しない。わかってはいるが、冤罪で投獄されてしまった父を想うと、何もできない事が悔しくて堪らない。
そして、ユニアスやバラダン領にいる皆、パルメナは大丈夫かと、不安に押し潰されそうになりながら、アイネアは眠れぬ夜を過ごすのだった。




