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 はらりはらりと舞う雪の中を馬車が走る。雪は降れども、積もりはしないので、一度でいいから雪遊びがしてみたいアイネアとしては、少しだけ残念な気持ちだ。


「お休み中はまた忙しくなりそうね。レギオンも本格的な『寒天』作りに入ったと聞いているし、クーザが今描いている漫画も、そろそろ完結するし…」


 冬の休暇は夏よりも短いのに、やるべき事は同じくらいたくさんある。それでもアイネアはやっぱり笑顔だった。


「何と言っても、やっとビルガに会えるわ!」


 新生活が大変だろうと思い、手紙のやりとりも控えめにしていたので、会えるのが楽しみで仕方がなかった。屋敷へ向かう前にビルガの所に寄って、一緒の馬車で帰る予定だ。本当ならビルガの方から屋敷に赴くのが礼儀なのだが、アイネアの「寒いのに歩かせたら悪いわ」というひと言で行程が決まった。

 期待に胸を膨らませながら、アイネアは木製のドアを軽くノックする。そっと開いた扉から、どこか落ち着かない様子のビルガが顔を出した。


「久しぶりね!ビルガ!」

「そ、そうね…」

「困ったことはない?生活には慣れたかしら?ビルガ先生の指導は大人気だって、バートから聞いてるわ。頭が良いのと教える技術は別だって言うけれど、ビルガは両方ともに優れているのね」


 涼やかに微笑んでいた令嬢はどこへやら。ビルガの手を取り、朗らかな笑みを浮かべる彼女は、バラダン領ではお馴染みの変わり者だった。戸惑いがちなビルガとは対照的に、アイネアはご機嫌だ。完全に浮かれきっている。そういう状態のアイネアを引き戻すのは、エルザの役目だった。


「とりあえず中へ入ったらいかがですか?」

「エルザ!元気だった?バートから報せを受けた時は驚いたわ。まあ!お腹もだいぶ大きくなったわね」

「家族揃って元気ですよ。お嬢様も相変わらずのご様子で安心しました」

「エルザもこれから帰るところ?もしそうなら馬車で送るわ。身重なんですもの。大事にしなきゃ」

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えますね。どうせ断っても無駄でしょうから」

「さすがエルザ。よくわかってるわ。じゃあ馬車で待っているから、支度ができたら乗って」


 さながら嵐が通り過ぎたかのようであった。アイネアが一旦離れた後、エルザは面白そうに笑いながら「ほら、大丈夫でしたでしょう?」とぼんやりしていたビルガに囁いた。アイネアの振る舞いは、学園でのいざこざなどまるで感じさせないどころか、何年も会っていなかった旧友に接するような態度だった。当初ビルガが抱いていた気まずさなど、すっかり消えて無くなってしまった。呆気にとられながらも、ビルガは握られた手がとても温かいことに、どうしようもないほどの安堵を覚えていた。


 アイネアとパルメナ、ビルガとエルザという不思議な面子で乗り込んだ馬車は賑やかだった。ただし主にアイネアが、という脚注がつく。初めてできた女の子の友人、懐かしい侍女との再会。アイネアに黙っていろというのが無茶な話なのだ。エルザを送り届け、屋敷に帰るまでの道のりがあっという間に感じるほどだった。


 ただいま帰りました、とアイネアが挨拶するよりも前に、待ち構えていた使用人達から歓迎を受ける。一緒にいたビルガは、その光景に目を丸くしていた。レーサンテス家での出迎えは、メイド達が整列して頭を下げるのが常であり、こんな風に門のところまで走り出てきて、わいわいと盛り上がるなんて有り得ないことだった。


(本当に仲が良いのね…)


 パルメナやエルザと話している時も思ったが、アイネアは使用人達との距離がとても近い。以前のビルガなら羨ましいあまり苦い顔をしたのだろうが、今はただ感心するばかりだ。

 屋敷の中へ案内されたビルガは、アイネアからアンドリューを紹介された。ビルガとリット家の所業を知っているアンドリューと対面し、緊張が走る。ビルガは沈痛な面持ちになりながら深々と頭を下げた。


「アンドリュー様。この度はご息女に多大なご迷惑をおかけしたこと、お詫び申し上げます。そして寛大なお心に深く感謝致します」

「…私に謝罪も礼も不要だ。それはアイネアに言ってやってくれ」

「それなら十二分に言ってもらいましたわ。わたしがもういいのよって言っても、やめてもらえないくらいですの。お父様から止めていただけますか?」

「ふむ」

「ちょっと何言ってるのよっ、アイネア!」


 ぎょっとしたビルガは思わずアイネアに詰め寄っていた。


「だって本当のことだもの。ティミオス学園での諍いなんて誰もが通る道よ。むしろ早めに社会勉強できたことを感謝しているわ!どうせなら一発くらい平手打ちを貰っておけば本当にお芝居みたいだったのにって、ちょっと残念なくらいよ!」


 残念なのはアイネアの中身である。

 何だかもう、気にする方が馬鹿馬鹿しく思えてくる始末だった。


「ビルガというすてきなお友達を得たのだから、そんな経過なんてどうだっていいわ!」

「貴女って人は本当にもう…」


 堂々と胸を張るアイネアを見ていると、ビルガは目頭が熱くなった。


「…こういう娘だが、呆れても見放さないでもらえると助かる」

「…とんでもない。見放されないよう努めるのは私の方です」


 その日、ビルガはバラダン親娘と共に食事の席についた。今やバラダン家に仕える立場のため、一度は辞退を申し出たのだが、引き下がってもらえなかったのだ。ユニアスと同様、ビルガも温かな食卓というものに縁が無かったので、非常にくすぐったい気持ちだったが、生きてきた中で最も楽しい食事となった。


「お嬢様!お待ちかねのデザートっす!」

「待っていたわ。あっ、これは例の新作ね」

「そうっす!いやぁ、毎度のことながらお嬢様の発想力には脱帽っすよ」

「ありがとう。ビルガもどうぞ召し上がって。レギオンの作るものは何だって美味しいのよ」

「これって…苺大福?」

「ふふっ。食べてみればわかるわ」


 至福な表情を浮かべて食べ進めるアイネアに続き、ビルガも大福をひと口齧ってみる。皮に包まれていたのは、溶けるようなふわふわのスフレ。このクリーミーな味わいは…


「………チーズケーキ?」

「当たりっす!これはチーズケーキを包んだ『ケーキ大福』です。季節によっては苺のショートケーキとか、モンブランとかを包むんです。大福イコール餡子って思ってましたから、中にケーキを入れてくれってお嬢様に言われた時はビビったっすよ」

「でもこれがまた合うのよね」

「本当。すごく美味しいわ」

「学園にいると、どうしてもレギオンの作ったお菓子が恋しくなってしまうの。美味しすぎるのも困ったものね」


 手放しで褒められたレギオンは、照れ照れとしながら頭を掻いていた。

 食事を終えた後、アイネアはネーヴェルをビルガに紹介した。エルザから前もって聞いておかなければ、王都でも有名な歌姫が、バラダン家のメイドを兼業しているなんて驚愕したに違いない。


「ネーヴェルは鳥の鳴き真似が上手なのよ」

「はい!自慢の特技です!」

「そう、なの…すごいわね?」


 こんな紹介では歌姫の凄さがいまいち伝わってこないのだが、実際に披露してもらったら、本物と遜色ない鳴き声だったので、無意識のうちに拍手を送っていた。


「あとはクーザね。そうそう、漫画の件は聞いているかしら?」

「バートさんから聞いたわ。もちろん、喜んでやらせていただくわ」

「嬉しいわ!ありがとう、ビルガ!」


『漫画』なるものを見せてもらった時の衝撃といったら、何に例えていいかわからない。製作に携わってもらいたいと言われ、ビルガの胸は高鳴った。こんなに面白い本の作り手になれるなんて夢のようだと、わくわくする気持ちを抑えるのが大変だった。


「クーザ。入ってもいいかしら」

「お嬢か?いいぜ」


 絵の具の匂いが充満する部屋に佇む青年。深緑の長い前髪が、暗い印象を持たせていた。所狭しと置かれたスケッチブックやキャンバスから、相当描き込んできたことが窺える。


「紹介するわね。わたしの専属画家のクーザよ。クーザ、こちらは漫画の原作を担当するビルガ」

「…ああ。知ってる」

「今の連載が終了したら、次回からはビルガとの合作をお願いしたいのだけれど…」

「俺は問題無い」

「私も大丈夫よ」


 講師と家事の両立にようやく慣れてきたので、そろそろ本腰を入れて物語を書こうと思っていたのだ。


「アイネアはどんな話が読みたいの?」

「え?二人の好きなように作ってもらって構わないわ」

「そう言われても私は初めての事だし、貴女の希望があった方がやりやすいわ」

「そう?リクエストしてもいいのね?」


 ビルガが頷くと、アイネアは瞳を輝かせながら、チームスポーツを題材にした話が読みたいと告げた。


「弱小だったチームが努力と友情で頂点を目指していく……そんな熱い話が是非読みたいわ!」


 アイネアが所望したジャンルは『スポ根』である。くどいようだが、そんなジャンルはこの世界には存在していない。


「…なるほど。この国で最もポピュラーな娯楽を題材にすれば、大衆の興味を引きやすいわね」

「今までのはどっちかっつーと、女向けだったからな。俺もいいと思う」

「決まりね!どんなお話が出来あがるのか、楽しみに待っているわ!」


 今まではアイネアが行なっていた筋書き作りを、ビルガが引き継ぐ形となる。これからはクーザとビルガの二人三脚で漫画を描いていくのだ。大きな違いを挙げるなら、アイネアは既存の物語を漫画化しただけだが、今後はビルガのオリジナルストーリーが展開される事である。

 アイネアがアトリエを出て行った後、ビルガはむすっとしたままのクーザに向き直る。


「改めてよろしくお願いします。さっそくですが話の構想を練って、」

「おい。一つ言っておく」


 ビルガの言葉を遮ってかけられた声は、あからさまに不機嫌だった。クーザはじろりと目の前にいる人物を睨む。


「俺はお前が嫌いだ」


 ここまで面と向かって嫌悪感を剥き出しにされたのは初めてで、ビルガはあんぐりと口を開けたまま硬直した。


「お嬢に何をしたか聞いた。お嬢や他のみんなが許しても、俺は許さねぇ。中途半端な仕事をしてみろ、速攻で使えない奴だって報告してクビにしてやる。お前なんか大っ嫌いだが、お嬢の依頼だからな。一緒に組んで仕事はやってやる。逆を言えば仕事以外では極力関わってくれるな。近寄るんじゃねぇぞ」

「なっ…なん…」


 学園での行ないを責められるのは覚悟していた。その点についてはアイネアが甘すぎるのであって、クーザのような意見が普通なのだ。だがしかし仕事仲間として、漫画製作の先輩として、ビルガが敬意を表して接しているのに、これはあんまりではないか。もう少し言い方ってものがあるだろう。鎖に繋がれた罪人でも人権が尊重されるというのに、仮にも女性に対して最低限の礼儀すら無い。

 憤慨していい立場ではないと理解しているビルガは、むかっとする気持ちを必死に抑えた。


(貴方みたいな失礼な人っ、頼まれたって近付かないわよっ!)


 こめかみをぴくぴくさせながら淡々と打ち合わせを済ませたビルガは、心の中で捨て台詞を吐くのだった。


(文句の付けようがないくらい、面白い話を書いてやるわ!首を洗って待っていらっしゃい!!)

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