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ここから学園編です。
一年後、今度はアイネアが王都へ発つ番だった。
この一年間ユニアスとは会えずじまい…なんて事はなく、長期休暇の折にはシャレゼル領へ戻る前に立ち寄ってくれたので、今まで通り年に二度は顔を合わせていた。場所が変わっても手紙のやり取りは途切れず、ユニアスから学園の話を教えてもらったアイネアは、膨らんだ期待を胸に今日、愛するバラダン領を出発する。
「それでは、行って参ります」
屋敷の門の前には、アンドリューと使用人達がアイネアを見送ろうと集結していた。
「息災で、勉学に励みなさい」
「はい。お父様もお体に気をつけてくださいませ」
「くれぐれも無茶はしないでくださいね。言うだけ言っておきます」
「努力はするわ」
アンドリューとバートは至って普段通りの様子だったが、レギオンとネーヴェルは涙ながらの見送りとなった。ぶっきらぼうなクーザでさえ、目の端に光るものがあった。
「オレの料理が食べたくなったら、いつでも帰ってきてくださいね!!」
「それだと毎日帰らないといけなくなるわね」
「お供できなくて申し訳ありませんっ!お呼びとあらば、参上致しますので!!」
「ネーヴェルもいてくれたら、もっと楽しいでしょうけど、あなたを待っているお客さんに悪いわ」
「……休みになったらちゃんと帰って来なよ。…気をつけて」
「ええ。ありがとう」
まるで今生の別れのようだったが、それだけ皆、アイネアを心から慕っているのだ。かつて立てた『信頼を背負えるだけの人間になる』という目標を忘れず、それに向かって歩み続けてきたアイネアの努力の結果だった。
馬車の窓から手を振り続け、彼らが見えなくなっても、アイネアはなかなか屋敷の方から視線を外せなかった。たった三年の学園生活が、果てしなく長いものに思えるくらい名残惜しさを感じる。
(不思議ね。小さい頃は外に出たくて仕方がなかったのに、いざ出る時が来たら寂しいなんて)
長閑なバラダン領ともしばらくお別れだ。
小さく息を吐き、アイネアは窓を閉めた。
「慣れない場所だと、余計に苦労をかけてしまうかもしれないわ」
【苦労なんてとんでもありません。お嬢様とご一緒できて光栄です】
当初の予定通り、アイネアの付き人としてパルメナが選ばれた。今や屋敷に勤めるどの護衛よりも実力をつけたパルメナは、例え丸腰であっても大の男と渡り合える。「パルメナがいるから大丈夫」という言葉の安心感といったらない。日に日に強くなっていく侍女に、男達は軒並み青ざめていたが、アイネアだけは勇ましくて格好いいと賛辞を送っていた。
「王都まで馬車で五日…そこから学園までは更に半日だったわね」
【はい。そうです】
「王都なんて、八歳の時に行ったガーデンパーティー以来よ」
【そんなに前になるのですか】
「ええ。そこでユニアスと会ったの。わたし、お友達を作ろうと思っていたのだけれど、誰からも話しかけてもらえなくて。だからユニアスが声をかけてくれた時はすごく嬉しかったわ」
【そうでしたか】
およそ七年前の出来事を懐かしそうに、そしてどこか幸せそうに語る主人を、パルメナは微笑ましく眺めていたのだった。
ティミオスとは、南の王国の古の言葉で"貴い"を意味する。その名の通り、学園に通えるのは高貴な生まれの者だけだった。
…というのはひと昔前の話で、現在は貴族でなくても、優秀な頭脳を持った者なら出自に関係なく入学が許可される。そうは言っても大半を占めるのは爵位をもつ貴族の令息令嬢であるのは変わらない。
そしてティミオス学園は"小さな社交界"とも呼ばれている場所だった。一般的に十八歳で社交界デビューをするのだが、その前段階がこの学園なのである。国中の貴族が、年度によっては王族の人間が一堂に会する三年間。数多の思惑が交錯し、派閥争いが勃発したり、恋愛沙汰で火花を散らしたりと、社交界の縮図がティミオス学園にはあるのだ。
水面下の戦場といっても過言ではない場所へ行く者にしては、アイネアは随分とお気楽だった。真新しい制服を着て、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気である。
「おかしなところはないかしら?パルメナ」
【はい。大丈夫ですよ】
「今度こそ、お友達を作りたいわ」
新入生の中でそんな生温い事を考えているのは、やはりアイネアだけに違いない。
【ユニアス様が正門までお迎えに来てくださるのですよね?良かったですね、お嬢様】
「そうね。広い学園とはいえ、初日から迷子なんて目も当てられないもの」
パルメナとしてはそんな意味で「良かった」と言った訳ではなかったのだが、変なところで鈍いアイネアは気付かない。
【行ってらっしゃいませ】
「行ってくるわ。パルメナ、疲れたら遠慮なく寝てていいのよ?」
堂々とサボっていいわよ宣言をしたアイネアを、パルメナは苦笑しながら見送った。
うきうきと宿舎を出たはいいが、やけに視線を感じて、アイネアは微かに眉をひそめた。それもそのはず、生徒達はその美麗な女生徒に目を奪われていたからだ。
腰まで伸びた澄み渡る青空のような髪を揺らす、凛とした佇まいのアイネアは美しいと言う他ない。アンドリューの画策により、他の貴族と大した交流が無いので、アイネア・バラダンの名前は有名でも、実際にその姿を目にした者は少ないのだ。
アイネアは居心地の悪さを、袖口のカフスボタンをそっと撫でることで落ち着かせた。パルメナの手によって、留め具の上から寸分の緩みもなく縫い付けられたボタンは、陽の光を反射して輝いている。今日から二年間、ユニアスと共に学園に通えると思うと心が浮き立つ。
「ユニアス!」
「久しぶりだね、アイネア」
冬に会ったばかりなのだが、体感としては久しぶりなのである。小走りで近付いてくるアイネアに、ユニアスは片手を上げて答える。当たり前のように彼の袖にも、輝くカフスボタンが付けられていた。
「また背が高くなったのではない?」
「そうかな?自分じゃよくわからないよ」
アイネアも同年代の女性の中では、頭半分ほど背が高いのだが、ユニアスは彼女よりもさらに頭一つ分高かった。深みのある金髪と優しげな雰囲気は、まるで物語に登場する王子のよう。子豚だった頃のユニアスを知らない者は「あれは誰だ?」と色めき立ち、知っている者は「本当にあのユニアスか?」と自分の目を疑った。
見目麗しい二人が歩く様子を、物語に出てくる王子と姫のようだと称したのは誰だったか。
しかし蓋を開けてみれば、そばかすがすっかり消えてしまった事をちょっぴり残念がるアイネアと、それをのほほんと笑って聞いているユニアスという組み合わせである。
「そんなことを言ってくれるのは、アイネアだけだよ」
「そうかしら?でもユニアスは気にしていたから、ちゃんとなくなって良かったとも思っているわ」
「もう昔ほど気にしてなかったけどね」
「大丈夫よ。またユニアスにそばかすができたら、今度こそわたしも顔に描くわ!」
直視するだけで心拍数が上がるほど、アイネアは美しい乙女になっていたが、その心根は相変わらずだった。ユニアスが愛する彼女のまま、変わっていない。つまりはアイネアに対するユニアスの想いも不変なのである。
「そういえば、ここではユニアスは先輩になるのよね。きちんと弁えなければいけなかったわ」
「僕は今まで通りで構わないよ?」
「だめですわ。婚約者が礼儀もなっていない人間だなんて、ユニアス様の名誉に関わりますもの」
「では、僕もご一緒しますよ。アイネア嬢ひとりに負担をかけたくありませんから」
急に畏まり始めた二人は、顔を見合わせると、どちらともなく笑い出した。
「ふふっ、懐かしいわね。あっ、いけない。懐かしいですわね」
「そんな無理に変えなくても…ふっ、」
「笑いすぎよ。もう!」
「君だって笑っているじゃないか。あ」
「昔の方が丁寧に喋れていたなんて変ね」
それだけ短くない年月を、一緒に過ごしてきたという証だった。
当然、話している内容が聞こえない外野の目には、美男美女が談笑している光景が、まるで一枚の絵画のように映るのであった。
アイネアとユニアスは学年が違うので、顔を合わせる時間はそれほど多くない。会えるのは宿舎から学園までの僅かな距離、あとはお昼の休み時間くらいだ。そんな短い逢瀬でもアイネアは楽しみだった。
しかしそれはそれである。ここは由緒正しき学園、学問を修める場所だ。将来、領主の立場を背負うことになるアイネアは、学ぶ意欲に燃えていた。ついでに友人もできたら万々歳だ。
アイネアのように勉強に集中しようとする者もいれば、恋に憧れる者、有力貴族に取り入る事に夢中な者もいたりと三者三様である。
「あの方がバラダン家のアイネア様…」
「まあ、なんて美しいご令嬢なのかしら」
「でも冷たそうなお方…」
どこにいても好奇の視線が刺さり、教室で目が合った同級生に挨拶をしても、何だか微妙な反応をされてしまう。
(わたしはお友達作りが下手なのね…)
アイネア自身は淑やかに微笑んで声をかけているつもりなのだが、寒々しい容姿と高めの身長が相手に威圧的な印象を与え、少し目つきのキツい美女が小さく笑ったところで、友好的な物腰にはならない。
ユニアスを相手に話す時のようにしていれば、また違った結果になっていただろうが、アイネアが素を出せる相手は限られている。人目があればユニアスの前であっても他人行儀に振る舞うのだから、この場で風変わりな令嬢を出せと言われも、無理な話なのである。
「このまま同じ学年のお友達ができなかったら、わたしはずっと独りぼっちなのかしら…」
【お嬢様ならきっと大丈夫です】
学園生活が始まって半月。
アイネアは宿舎の部屋でパルメナに泣き言を呟いていた。鏡台の前に座り、髪を梳いてもらっているアイネアの顔はしょんぼりしている。手に持った真珠の髪留めを弄りながら溜息を吐いた。
ユニアスと過ごせる時間は勿論楽しいが、欲を言えば同じ女の子の友人だって欲しい。他の子達はわいわいとお喋りしているのに、アイネアは黙々と教本を読むだけ。進んで派閥に入ろうとは思わないが、ちょっとくらい女らしく会話に花を咲かせてみたいと思う。
「いざとなったら、パルメナが生徒に扮して紛れ込めば問題解決ね」
【問題しかございませんが…】
パルメナは困った顔をしながら、アイネアの持っていた髪留めを髪にさした。実はこの髪留め、例の誘拐事件の時に落として壊れてしまったのだが、ひどく哀しんだアイネアのために、パルメナが職人に掛け合い、修理してもらったのだ。
ユニアスとパルメナの気持ちが詰まったこの髪留めを、アイネアは後生大事にしている。
「でも独りぼっちだろうと、勉強には何の関係もないわ。少しでも賢くなって帰らないと、お父様を越えるという目標が遠のいてしまうもの」
【旦那様をですか】
「そうよ。"お父様のような"では進歩がないでしょう?大きな目標ほど、やりがいがあるわ」
気合いを入れ直したアイネアは、ユニアスとの待ち合わせ場所に向かったのだった。




