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 誘拐事件から季節は二つ巡り、ユニアスがティミオス学園に入学する日が来年度に迫っていた。年が明けて春が来ると、ユニアスはシャレゼル領を出て、学園の宿舎で暮らすことになる。にも関わらず、依然としてアイネアは婚約について何も知らされておらず、その本人はようやく完成した『漫画』に夢中なのであった。


「素晴らしく面白いわ!!」


 アイネアの絶賛する声が、今日も屋敷にこだまする。ここまでの道のりは苺大福をも凌ぐものがあった。

 アイネアがまず着手したのは、既刊の書籍を漫画化する作業だった。それには本を発行している出版ギルドに、使用許可を貰わなければならなかったのだが、これが相手方に渋られてしまい、交渉がなかなか進まなかった。

 その間、クーザは絵柄の模索に挑んでいた。この国での絵画は、見たままを描く手法がとられており、所謂『萌え絵』なんて存在していない。それをいきなり描けと言われても、流石のクーザでもできない相談であった。しかしクーザはアイネア専属画家としての意地を見せ、来る日も来る日も描き続けること約三年。多様な萌え絵を見出していった。その画力はもはや神絵師を超えていたと言っても過言ではない。

 そうこうしているうちに、アイネアは出版ギルドから許可をもぎ取り、本格的な漫画作りが開始された。

 読み手となるターゲットは学の浅い庶民のため、アイネアは物語の文章を一から見直すことが求められた。難しい言葉は簡単な言葉に変え、文字数を大幅に削った箇所は意味が通るかどうか、アンドリューにも確認を取りながら、地道な作業を続けた。使用する紙やインクも吟味し、民達が手に取りやすい事を念頭に置いて漫画は作られていった。幸いなことに印刷技術は発達していたので、多少紙質が悪かろうが問題は無かった。

 様々な苦労と努力を重ねて、出来上がった漫画は、試し読みの時点でアイネアの心を鷲掴みにした。漫画化した最初の書籍は、アイネアが特にお気に入りだった、そばかす顔の女の子が主人公のお話である。


(夢の世界が現実になるのは、これで何度目かしら。でも、こうして手にするたびに覚える感動は、衰えることがないわね)


 感慨深さを思い抱きながら、アイネアは製本された漫画の表紙を撫でた。隣で見ていたクーザは、漫画よりもアイネアの表情に見入ってしまう。その時に味わった気持ちは、多分どんな言葉にだって言い表せないだろう。敢えて言うのなら、画家としてこれ以上の幸福は無いという事である。


(お嬢…これで俺は少しでも恩を返せたか?)


 そう問えばきっと、満面の笑みが返ってくるに違いなかった。


『漫画』は人々に大きな影響を及ぼすこととなる。

 アイネアの配慮により、売り出された漫画は最低限の読み書きができるなら、難なく読めるようになっていた。ところが、原作も読んでみたい、むしろ他の本も読んでみたい、という意欲的な人々が続出したのだ。ある程度のところで学舎へ通うのをやめた人達が戻って来た、なんて報告があちこちから上がった。石盤に書くよりも、漫画を読んだ方が文字を覚えるのが早いと、勉強の教材としても利用されるようになり、予想外の使われ方も出てきた。

 幼い子供達も読みたがっている、という声を聞いたアイネアは『紙芝居』を作った。絵本を作っても良かったのだが、紙芝居の方が制作費をかなり抑えられるのだ。ネーヴェルに頼み、読み聞かせを実施すれば、子供達はあっという間にお話を暗記してしまった。そうすると、文字の勉強にすんなりと移れるようになり、益々学ぶ意欲が高まるのだった。


「まさかこんな効果があるなんてな」

「それもこれも、クーザのお手柄よ。本当にすごいわ!全部クーザが描いてるのに、別の人が描いたみたいだわ。変幻自在の描き分けね!」

「これはマジですごいっす…!もっと読みたくなりますね!なんか描いてくれよクーザ!」

「俺はお嬢の頼みしかきかねぇ」

「はあ!?オレにはあれを作れ、これを作れって言うくせに!?おかしいっすよ!」


 そう喚くレギオンだが、最近は留守にする事が多くなっていた。新たな商品の開発が進むにつれて、バラダン家の厨房では賄いきれなくなってきたので、アイネア印の店を設立したのだ。レギオンはその店の監督を務めている。そのため、試作をする日以外は第二厨房を空けている。この話が出た時、レギオンはまさか自分が指導する立場になる日が来るなんて、と感無量の涙を見せていた。今や誰も、彼が解雇寸前の不器用な見習い料理人だと笑う者はいない。


「失礼しますよ〜。ここはいつ来ても賑やかですねぇ」

「ネーヴェル!おかえりなさい!」

【先輩。お久しぶりです】


 王都で行われたコンクールで、初出場ながら初優勝を飾ったネーヴェルは一気に注目を集め、現在では"七色の声を持つ歌姫"として、国中を飛び回っている。しかし彼女の所属は未だバラダン家のメイドだった。最近は作曲にも興味を持ち始め、アイネアの鼻歌をヒントに作った曲が、これまた人気を呼んでいる。無論、その鼻歌の出所は、アイネアの繰り返される夢の中である。時代が時代なら『ネーヴェルP』として著名になっていた…かもしれない。


「お嬢様、また突発コンサートやりましょうね!」

「ええ!ぜひ!」


 ネーヴェルが作曲した楽譜は、今のところアイネアが演奏を担当している。何と言っても、その曲というのがクラシックを根底から覆すようなポップな曲調なので、アイネアくらいしかやろうと思う者がいなかった。奔放な性格のアイネアは、決められた通りに弾かなければならないクラシックより、自由気ままに演奏できるポップな曲の方が得意だった。正式な伴奏者になった訳ではないが、アイネアが弾きネーヴェルが歌うという約束は果たされたのだ。

 ほんの時折、二人で凝った変装をして街へと繰り出し、ストリートライブの真似事をしたりもした。持ち運びができる楽器に限られてしまうが、これがまた楽しくてネーヴェルの良いストレス発散となった。このライブには必ずパルメナが同行し、良からぬ事を企む輩を排除すべく、目を光らせていた。

 例の事件以降、鍛錬を重ねているパルメナは、鋼の意志と共に凄まじい速さで武術を習得していった。今は騎士団の精鋭を相手に鍛えているが、そろそろ物足りなくなってきそうな勢いである。


 活気を増した今のバラダン領に、アイネアの名を知らない者はいない。突飛な発明をする事も理由の一つであるが、催し物や慰問にもよく足を運び、領民との交流を欠かさない故、民達はアイネアをよく知っている。

 一風変わったところもあるが、この領地を大切に想ってくれる心優しい令嬢だ、と。




 さて、その風変わりな令嬢に、とうとう婚約の話を聞かされる時が来た。それはユニアスがシャレゼル領で迎える、最後の誕生日パーティーの席での事だった。これが最後というのは、ユニアスは卒業後、アンドリューのもとで実地訓練なるものを受け、一年後にアイネアが卒業したらそのまま婿入りする手筈となっていたからだ。


「それでは兼ねてからの取り決め通り、署名していただけますかな」

「はい。此方の要求を呑み、長らく辛抱してくださった事に感謝致します」


 シャレゼル侯爵とバラダン伯爵による署名がなされ、これでユニアスとアイネアは正式な婚約者となった。金銭的な面で予想を遥かに超える成長を遂げたバラダン家に、侯爵は大層満足気な様子である。その点に関しては気に入らないアンドリューだが、ユニアス本人の事は認めていたので、二人を祝福することに異論はなかった。


「アイネア。渡したいものがあるんだ。ちょっと来てくれるかい?」

「ええ。いいわよ」


 昔のようにユニアスが手を差し出し、アイネアが喜んで自分の手を重ねる。二人は互いに一番の親友であった。今日からそこへ婚約者という新たな立場が加わったのだが、アイネアは明確な恋心というものに未だ気付いていなかった。あまりに親しかった所為か、他に比較対象がいなかった所為か、単に鈍いだけか。女の子の方がませているという一般論からずれているあたりがアイネアらしい。


「これなんだけど…」

「これは…カフスボタン?」

「うん。ティミオス学園には、婚約者同士がお揃いのカフスボタンを付けるっていう伝統があるらしいんだ。と言っても、規則で決まっている訳じゃなく、生徒の間で勝手に広まったものみたいだけど」

「そうなの。知らなかったわ。それでわざわざ用意してくださったの?」

「僕は一足先に入学するから、来年のアイネアの入学に合わせてちゃんと用意できるか、確約できないなと思って」


 ユニアスが贈ったカフスボタンは、アイネアを象徴する色である青を基調としていた。純金に縁取られたボタンは、シンプルだがとても美しい逸品だった。


「ありがとう、ユニアス。制服が貰えたらすぐに付けるわ。絶対に落とさないよう、パルメナに頼んで強固に縫ってもらうわね!」

「気に入ってもらえて良かったよ」


 きらきらした笑顔を浮かべるアイネアを見て、ユニアスは柔らかく微笑んだ。

 カフスボタンの入った箱を大事に胸に抱いていたアイネアは、名前を呼ばれて顔を上げた。そこにいるのは出会ったばかりの頃の、おどおどした男の子ではなく、端整な顔をした一人の青年だった。アイネアの心臓が訳もなく跳ねる。


「僕はアイネアのことがずっと前から好きだった。だから、君の婚約者になれてすごく嬉しい」


 真摯な告白に、一段と大きく心臓が跳ね上がる。熱い血が顔に集まってくるのをアイネアは感じた。目を逸らしたいのに、逸らせなくて鼓動がますます速くなっていく。


(わたし…風邪でもひいたのかしら…)


 この後に及んで、顔が火照るのと心音が加速するのは、感冒の症状だと疑わないアイネアは、胸のあたりから溢れ出そうになる何かに翻弄されっぱなしだった。


「え…と、わたしも、うれしいわ。あなた以外の方と婚約するなんて、考えもしなかったもの…」


 流石にこの婚約の話が何年も前に出ていた事は少し意外に思ったが、ユニアスとの婚約自体には驚かなかった。ああやはり、という納得の気持ちがほとんどだった。何とか言葉を捻り出したアイネアだったが、ちゃんと喋れているのかわからない程、戸惑っていた。


「これからは婚約者として、改めてよろしく」

「よろしく、お願いしますわ…」


 今夜のユニアスはユニアスじゃないみたいだったと、アイネアは赤らめた顔のまま密かに思ったのであった。

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