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 アイネアは新しい侍女探しと『ダイス人生(=人生ゲーム)』製作の二つに追われて、忙しい毎日を送っている。そこへ、修行のために留守にしていたレギオンが戻った事で『苺大福』作りまで加わった。しかし目の回るような慌ただしさは、エルザとの別れの辛さを紛らわせてくれた。

 レギオンと第二厨房で話し合いをするのは久しぶりだ。少し日に焼けたレギオンは、持ち帰った知識や技術をアイネアに伝え、彼女は集中して耳を傾けながら、大福の皮作りに関して意見を出し合った。


「そういえば今度、お父さまが北の王国の商人の方と会うそうなの。ついて行ってもいいか聞こうと思っていたのだけれど、良かったらレギオンもいっしょにどうかしら?」

「えっ!いいんすか?なんか大事な会合みたいなやつじゃないんですか?オレなんてお門違いじゃ…」


 そんな予想に反して、アンドリューはすんなりと同行に許可を出した。

 商会ギルドに出入りしている隣国の商人と、直接言葉を交わすのは初めてである。アンドリューが交渉をしている間に、二人は出来る限りの情報収集を試みた。アイネアは向こうの言葉がわからないレギオンから離れないようにし、一語一句違えないよう通訳を行なった。


「…なるほど。つまりこっちの白っぽい米の方がより粘り気があるんすね」

「ええ。このお米…えっと、もち米と呼びましょうか。もち米を大きな木製の臼と棒でこねると、チーズみたいに伸びるようになるのですって」

「へぇ〜不思議っすね!他にどんな調理法があるか訊いてもらえますか」

「わかったわ」


 アンドリューの用事が済むまでの短い時間だったが、未知な部分が多い隣国の食文化を垣間見ることができた。


「お嬢様のおかげで、これからの方針が決まりそうっす。でも一度その『餅』ってやつを食べてみたいっすね。要はもち米を炊いて潰せばいいんですよね?」

「いいわね!戻ったら作ってみましょう!」


 餅自体はほぼ無味であり、それ故に大抵の食材と相性が良い。逆に餅だけを大量に食べるのはキツいものがある。

 教わった通りにもち米を炊くレギオンの後ろで、アイネアは考え込んでいた。


(夢の中では黒い紙?みたいなものにくるんで食べていたわ。あとスープに入れていたり、それから…あっ!そうだわ!『きな粉』!!)


『きな粉』とは大豆を炒って挽いた粉に砂糖を混ぜたものである。南の王国で黄マメと呼ばれているものが大豆に当たる。早速レギオンにきな粉について説明すると、すぐに調理してくれた。アイネアの説明が足りず、黄マメの皮を剥かずに粉にしてしまったので、少々舌触りが悪くなったが味は問題無い。

 きな粉を作り終えた頃に米が炊け、湯気の立ち上るそれに悪戦苦闘しながら餅にしていく。何せ扱ったことのない食材なのだ。話を聞いただけで簡単にできるはずがないし、レギオンが不器用であることも忘れてはならない。

 手を火傷しながらも何とか形になった餅に、きな粉をまぶす。不恰好な餅とざらつくきな粉は、一見すると失敗作のようだった。しかし、一口食べてみればアイネアとレギオンの顔に衝撃が走った。びよーんと伸びる不思議な食感が癖になり、餅を包むほのかなきな粉の甘みも良い。改良の余地は多いが、今は新たな食材を開拓した感動の方が大きかった。


「俄然やる気が出てきたっす!お嬢様っ、申し訳ないんですけど、しばらく厨房にこもるっす!また思いついた事があったら、クーザの奴にまとめてもらって、そのへんに置いといてください!絶対目は通しますんで!」

「根を詰めすぎてはだめよ?」


 アイネアの言葉も、目の前の食材に熱中するレギオンには届いていないみたいだった。くすりと笑いながら、アイネアは残っていたきな粉餅を賞味した。

 後日、きな粉と相性抜群の『黒蜜』の存在を思い出したアイネアが、試作に没頭するレギオンのもとへ突撃する姿が見られたとか。


 この一件の後からアンドリューは、外出の際にアイネアを同行させることが増えた。次々と新たな製品開発に取り組むアイネアに、早いうちから社会的な繋がりを持たせようと考えた結果だった。無論、それに伴い危険も付き纏うが、いずれは通らなければならない道である。危機を察知し、回避する力も持たないまま大人になる方が余程危険だ。


「いいか、アイネア。私たち貴族は標的となりやすい。中でも女性と子供は特にだ。お前に何かあっても、私は領主という立場上、すぐには動けぬ時もあるだろう。貴族である以上、ある程度のことは覚悟しておきなさい」

「はい」

「例え有事に巻き込まれたとしても取り乱すな。非常時こそ冷静さを欠いてはならない。己を律し、視野を狭めず、機転を利かせよ」

「はい。お父さまの言葉を、心にきざみます」


 十にも満たない子供に突きつけるには、あまりに酷な言葉だった。しかしアンドリューは包み隠すことを良しとしなかった。貴族社会を渡り歩く上で、隙を見せれば足をすくわれる。アイネアを守るためにも、自身にどのような危険が降りかかるのか、知っておく必要がある。今はまだアンドリューの言葉の全てを理解するのは難しいだろう。だが、アイネアなら大丈夫だとアンドリューは信じていた。アイネアは少々ズレたところがあるが、決して馬鹿ではない。そして何より、洞察力には目を見張るものがある。


 少し前までは渋られていた外出が許されると、アイネアはそれを大いに喜んだ。父の言葉を忘れた訳ではないが、街の活気や人々の暮らしを真近で見るのはとても新鮮で、すべてが煌いて見えるのだ。アイネアの特にお気に入りは市場だった。領内で最も賑わうその場所は多種多様な雑貨、隣国からの輸入品といった、普段あまりお目にかかれない物が所狭しと並べられている。好奇心旺盛なアイネアが興味を引かれないはずがなかった。

 人が多い場所はそれだけ危険も付き纏うので、アンドリューはあまり良い顔をしなかったが、貴族だとバレないよう変装する事さえもアイネアは楽しんでいた。


「お嬢様、商人の方がお見えですよ」

「すぐ行くわ」


 先日市場を訪れた際に、北の王国の書物を取り扱っている商人と出会った。その商人は不定期にしかこちらへ渡って来ることはなく、次回はいつ来られるかわからないと言ったので、アイネアにしては珍しく即決で書物を購入したのだ。アイネアは手持ちの資金を無駄遣いしないよう心がけており、何かを購入する時はよくよく考えてからでないとお金は出さない。本当に貴族かと疑いたくなるほどの慎重さである。

 そんなアイネアが隣国の書物を欲したのにはきちんと理由があった。それは綴じ方の違いと縦書きの文章を見てみたかったからだ。アイネアが慣れ親しんでいる本は、表紙が硬く文章は横書きされているが、向こうの書物はそれとは真逆だった。河ひとつ隔てた向こう側とこちら側で、随分違うものだと不思議に思う。北の王国の本の作りは、何度も夢の中で見た『漫画』という書物に似ていたのだ。絵こそ無いものの、軟らかくて曲がる表紙と縦書きのスタイルは、いつか着手する『漫画』製作の時にきっと役に立つだろう。

 そう考えて、雑貨が並ぶ片隅に置かれていた書物をアイネアは買うことにし、どうせなら物語が欲しいと商人に伝えた。すると商人は、北の王国で広く出回っている小話を集めたものがあるから取り寄せると言ってくれたのだ。


「お手間をとらせてしまったわ。あの方にもお礼を伝えていただけるかしら?」

「そんな、とんでもない。お嬢様にはギルド一同感謝しております」


 両国の関係は良好になってきたとはいえ、長年のわだかまりが完全に消え去るには、まだまだ時間がかかるに違いない。北の王国のしがない商人が、バラダン家へ踏み入る事は出来ず、商会ギルドを仲介して品物は届けられた。ちなみにこの商会ギルド員の男性とは顔見知りだ。アンドリューと共に社会勉強をしている間に知り合った一人である。


「では代金を」

「はい。確かに受け取りました。……」

「……あの、なにか?」


 支払いを済ませ、アイネアが書物を受け取った後も、彼はその場を立ち去ろうとしなかった。困ったような表情が気にかかったので、後ろで控えているバートも帰りを急き立てたりはしなかった。ついに男性は観念したように口火を切る。


「…無礼なのは重々承知の上で申し上げます。実はお嬢様にお願いしたい事がございまして…」

「わたしにできることなら、力になりたいですわ」

「有難うございますっ!私にはお嬢様と同じくらいになる娘がいるのですが、その子にどこか働き口を斡旋していただきたいのです。娘は生まれつき言葉を発することができず、医者の先生には先天的なものだから生涯治らないと言われました。領主様とお嬢様は慈善事業にお力を注いでおられるとの専らの噂です。それで、娘でも働ける場所をご存知ではないかと思った次第です」


 実のところ最も慈善事業に力を入れていたのはアイネアの祖父である。アンドリューはそれを引き継ぎ、アイネアに至ってはほとんど何もしていない。考案したボードゲームやカードゲームを持っていったり、慰問について行っているだけだ。そんな風に褒められても良心が痛む。


「声が…では、どのように意思を伝え合うのですか?」

「家族には手話で、他の人とは筆談で何とか…。声が出ない事以外は、健康そのものなんです」


 男性ギルド員の生活はひっ迫していた。病弱な妻とまだ幼い双子、さらには年老いた両親を養わねばならなかった。情けないことに、口のきけない娘にも働きに出てもらわないと、立ち行かなくなるのは目に見えている。貴族の子供に直談判する程度には追い詰められていたのだ。

 アイネアはどうにかして助けになれないかと考えを巡らせた。そして妙案を思いつく。


「大変な仕事になると思いますが、それでも良いですか?」

「もちろんです!大変でない仕事などありません!娘も『どんな仕事でも、絶対に投げ出さずに頑張る』と言っておりました」

「立派な覚悟ですわ!ますます仕事をお任せしたくなりました」


 ここまでで何となく予想がついたバートは、苦笑と共に肩を竦めたのだった。


「ふた月ほど前、わたし付きの侍女がここを去ってしまって、後任の方を探していたところなのです。娘さんにぜひ、お願いしたいわ!」

「は………、はいぃぃぃ!?!?」

「まあ!了承してくださるのね!」

「お嬢様、恐らくその「はい」ではないです」

「お嬢様付きの侍女!?滅相もございません!なんと恐れ多い…!」


 男性の想像では、孤児院の手伝いとか、店の下働きとか、もしくは臨時雇いといった話が出てくるつもりだった。それがいきなり、目の前にいるお嬢様の直属の侍女を託されようとは。不躾な願い出をした事は自覚しているが、断じてそんな高望みはしていなかった。


「お嬢様にお仕えできるような身分ではありません!」

「お父さまから出された条件は長く勤められる方、ですわ。先ほどの言葉のとおりなら、その条件にぴったりです」

「ですが娘は口がきけないのですよ!?」


 意思の伝達が円滑に行えないのに、どうして侍女なんて務まるのだろうか。男性が尻込みするのも無理はない。誰だって無謀だと思うはずだ。ところがこのアイネアという令嬢は「それがどうかしまして?」とでも言いたげに首を傾げていた。


「話せる言葉がちがうというだけです。わたしはそれを問題だとは思いません」


 アイネアの台詞を聞いた男は閉口した。ゆっくりと頭を垂れ、ぼやけてきた視界を袖で乱暴に拭う。声が出せないために、娘は散々な心痛を味わってきた。それを傍で見続けてきた父親は、アイネアの慈悲にいたく感動したのだ。


 アイネアがその娘と対面したのは、それから二日の後。話を聞かされたアンドリューは片眉を微かに動かしただけで反対することはなく、傍観の構えを示していた。


「領主様、アイネアお嬢様。寛大なお気遣いを示してくださり、心より感謝申し上げます。こちらが娘のパルメナです」


 一歩進み出た少女は、びくびくとしながら最敬礼をした。その拍子に一本に編まれた黒髪が背中から滑り落ちる。


「先日お伝えしました通り、言葉を話すことができませんので、何かとご迷惑をおかけすると思いますが、誠心誠意お仕えすると約束致します。どうか娘を宜しくお願いします」


 親娘共々、再度深く頭を下げる。

 一向に顔を上げる気配の無いパルメナへ、アイネアはおもむろに右手を差し出し握手を求めた。狼狽えるパルメナは、かなり遠慮がちに自分の手を持ち上げた。アイネアは添えた左手できゅっとパルメナの手を握ると、安心させるように柔らかな笑顔を向けたのだった。


「来てくれてありがとう。これからよろしくね、パルメナ」


 心からの温かい歓迎を受け、パルメナは胸がいっぱいになった。彼女の瞳からぽたぽたと透明な雫が絨毯に落ちては吸い込まれていく。

 父親から聞いていた通り、いやそれ以上の人だと思った。家族の助けになりたくて仕事を探しても、障害があるために門前払いされた。パルメナ自身を含め誰もが敬遠したのに、アイネアはただ言語が異なるだけだと、問題視すらしなかった。それどころか「来てくれてありがとう」とまで。もしも話すことができたら、ありったけの感謝の気持ちを言葉に乗せて伝えていただろう。


 こうして、エルザの後任が無事に見つかった訳だが、すぐには仕事に就けない。侍女の仕事だけでも覚える事は山のようにある。それに加えて今まで縁の無かった正式な礼儀作法をマスターしなければならず、パルメナの苦労は計り知れない。教育係となったネーヴェルから日々新たな仕事を教わりながらも、パルメナはそれらを辛いとは感じなかった。


(アイネアお嬢様のためなら、こんなの苦労のうちにも入らない)


 アイネアは自分から手話を勉強し始めた。彼女の言い分はこうだ。「手話はパルメナの言葉でしょう?だからわたしも覚えたいの。だって外国の方と仲良くなりたいと思ったら、まずその国の言葉を勉強するじゃない?それと同じよ」

 アイネア以外の人達とは、筆談で何とかなっている。皆、アイネアから事情を聞かされており、パルメナに配慮を示してくれた。それだけでも充分すぎるのに、アイネアは心を砕くのをやめない。

 パルメナに手話を習う為に、わざわざ使用人部屋まで足を運んだりもした。互いに困らないよう色々な取り決めも作った。恐縮するパルメナに対して、アイネアは緊急時用の笛を渡しながら朗らかに笑うだけだった。


『口を開かなくても伝わるって、魔法みたいでわくわくするわ!』


 生まれてこのかた困難に思っていた事も、アイネアにかかればそれすらも楽しみに変わっていった。


『パルメナが"話す"ためにどれだけ努力してきたのか、文字を見ればわかるわ。あなたはすばらしい努力家ね!』


 学舎と呼ぶには少々お粗末だが、バラダン領には読み書きや計算を学べる場所が点在している。王都から引退した教師達を呼び込み、小規模な教室を開いているのだ。アイネアの祖父が始めた活動である。

 義務化はされていないので、参加は領民の自由だ。大抵の場合、生活に困らない程度の知識が身に付いたところで、早々に通うのを止めるのだが、パルメナは職探しの合間を縫って、ごく最近まで通い続けていた。筆談をするにあたって、まともな文章が書けなくては相手に迷惑がかかると思ったからだ。文章力を培うだけでなく、急いでいても読みやすい字が書けるように練習した。

 気付いてほしかった訳ではないけれども、誰一人として気付こうとしなかった影の努力を、アイネアは褒めてくれた。それがパルメナにとってどれだけ嬉しかったか。


(お嬢様から受けたこのご恩、一生をかけてお返しします)


 自分の侍女に抜擢した事を後悔させないよう、パルメナはなお一層仕事に励むのだった。

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