13
ユニアスの誕生日パーティーからほどなくして。
アイネア発案のトランプゲームは瞬く間にシャレゼル領内に広がっていた。侯爵の手腕もあるが、あの日招かれていた他の貴族達も広報に一役買っている。おかげでトランプの売り上げが伸び、製作所は嬉しい悲鳴をあげているとのことだ。
「上々だな」
「はい。バラダン領内でも噂が広まっております」
バートから報告を受けたアンドリューはほくそ笑んだ。賭博目的ではないカードゲームは、貴族よりも庶民の方が馴染むのが早い。今まではそのとっかかりが無かっただけなのだ。アイネアの行動は、カードゲーム=貴族の賭け事という概念を覆そうとしている。
「で、そのお嬢様ですが…」
「どうした」
「お抱え料理人の少年と何やら騒いでおりました」
場所は変わって第二厨房。
餡子作りに精を出していたレギオンは、とうとう手で丸められる固さを見極めた。何度やってもどろどろの煮豆が出来上がるだけで、思い通りの固さに仕上げることができなかったのだが、ついに成功してみせたのだ。
「やったわね!レギオン!」
「はいっす!苺が手に入るようになったら、甘みのバランスを調節します」
ハイタッチを交わしながら、二人は成功を喜んだ。
「あとは大福の皮ね」
正直なところ、それが一番の難関であった。
なにぶんアイネアにも、あの白いもちもちの皮が何でできているのか、よくわからない。アイネアにわからなければ、レギオンに伝えられるはずもない。
「なんかこう、ないんすか?白くてモチモチ以外に」
「たぶん…白い粉とお水を混ぜて作るのだと思うわ」
そんな大雑把すぎる説明では何一つ伝わらない。
「…ねえ、レギオン。この国にお米ってあるのかしら?」
ぼんやりとした記憶だが、大福の皮を作る白い粉は米が原料だった気がするのだ。しかし南の王国に米の文化は無い。
「米っすか?北の王国では主食っすよ」
「そうなの?」
今は自国の勉強がメインで、アイネアはまだ隣国の歴史や文化について学んでいなかった。そのため北の王国の食文化には疎かったのだ。
「もとが狩猟民族だったせいか、あんまり食材を加工するって事がないらしいっす。焼くだけ、煮るだけ、みたいな。オレ達みたいに小麦粉をこねて形を整えて焼いて、仕上げにジャムを塗るとか、そういう手間がかかることはしないんですよ。だから収穫したら炊くだけでいい米が主流みたいっす」
「まあ…くわしいのね、レギオン」
バラダン領が貿易に力を入れているとはいえ、そんな事まで知っている領民は多くない。ただでさえ北の王国から輸入される物は工芸品が多く、食料品は少ないのだ。
感嘆の声をもらすアイネアに、レギオンは照れ臭そうに頭を掻いた。
「いやーオレって不器用じゃないですか。だから他のところで挽回しようと思って、知識だけは詰め込んだんですよ。でも腕が無いのに頭だけあっても恥ずかしいんで、黙ってました」
「全然恥じることではないわ。その逆よ!素晴らしい努力だわ!」
「へへっ、ありがとうございます」
「さっそく蓄えた知識を披露していただきたいわ。北の王国ではお米はただ炊くだけなの?小麦粉みたいに粉にできないかしら?」
「米を使った秘伝の調味料があるそうですけど、製造法は門外不出らしいっす。でも、ひいて粉にするって使い方は聞いたことがないっすね」
「お米の種類は?レギオン、食べたことはあるの?」
「名前は向こうの言葉なんで難しくて忘れちゃいましたけど、見かけが…というか色?が明らかに違う米が二種ありました。あとオレは食べたことは無いっす」
「珍しい食べものだから、手に入りにくいかしら…」
「オレ達には珍しいっすけど、向こうでは毎日のように食べてるものですから、入手するのは別に難しくないっすよ。値段はマメより上がりますけどね」
「そう。お金はまだある?」
「はい」
「では、その二種類のお米を買ってきて…」
「ひたすら試すのみっすね!」
方針が定まった直後、アイネアのお腹からきゅるるっという音が鳴った。食べ物の話をしていたら、お腹が空いてしまったのだ。アイネアは羞恥で赤くなる。レギオンはからからと笑いながら、戸棚から皿を取り出した。
「お腹が減ってるなら言ってくださいよ」
「昼食を食べたばかりなのに…恥ずかしいわ…」
「何か作るっすよ。リクエストはあります?」
レギオンが好きな物を作ってくれると言うので、アイネアは俯いていた顔を上げる。腹の虫が鳴った恥ずかしさは、あっという間に消えてなくなったらしい。完成した餡子を見ながら、アイネアは一つ手を叩いた。
「あれが食べたいわ!餡子のパンケーキサンド!」
「かしこまりました!お任せくださいっす!」
試作の過程で餡子になり損ねた豆達を捨てるのは忍びなくて、アイネアとレギオンは何とか工夫して食べ切っていた。その途中で、アイネアは夢の中で見た、餡子を使ったお菓子をはたと思い出す事があった。その内の一つである餡子のパンケーキサンドとは『どら焼き』のことだ。他にも餡子パン(=あんパン)や、大失敗してスープ状になってしまった場合は餡子スープ(=おしるこ)にするなど、失敗作から別の食品を生み出すケースも少なくなかった。
「ほい!お待ちどうさま」
「ありがとう!レギオン」
パンケーキの間に餡子を挟んでみてほしい、というアイネアの一言から生まれた一品だが、レギオンが更に改良を加え、見事などら焼きを再現していた。
レギオンしか居ないのをいい事に、アイネアはパンケーキサンドを手掴みし、そのままかぶりついた。言い訳をするなら「夢の中ではこうやって食べていたもの」である。
「おいしい!!」
幸せそうに頬張るアイネア。彼女の笑顔を見るたび、レギオンは祖父の言葉を思い出す。そして再度、決意を新たにするのだ。
(オレはお嬢様のお抱え料理人。お嬢様の笑顔のために料理をするんだ)
味はまともでも、見てくれが今ひとつな品を、アイネアは心底美味しそうに食べてくれる。事実、美味しいのだが、こんなものでレギオンは満足できない。味も見た目も完璧な品を作り上げなければ、お抱え料理人の名折れである。
「ごちそうさまでした。あとでクーザにも持っていきたいのだけど、いいかしら?」
「もちろんっすよ。あいつ、スープはダメでしたけど、パンケーキサンドは美味いって言ってましたもんね」
アイネアの頭にあるイメージ像を紙面に描き出すのはクーザの仕事だ。歳が近いということもあり、アイネアを通じて少年二人は気の置けない友人同士になっていた。失敗作処理班に時折クーザが加わることもある。
追加のパンケーキサンドを作ってもらったアイネアは、何度もお礼を言いながら厨房を後にした。
静かな場所に構えるアトリエへ向かう途中、書斎から出てきたアンドリューとバートにばったり出くわす。アイネアが手にしているものを見て、何を持っているのかとアンドリューが問うた。
「餡子のパンケーキサンドですわ。クーザに持っていこうと思いましたの」
「……何だそれは?」
父への報告は苺大福が完成してからと考えていたので、偶然の産物でできた品々についてはいちいち説明していなかった。しかし目撃された以上、黙っている訳にもいかないだろう。出来上がるまでの経緯は置いておき、このパンケーキサンドがどういうものか、アイネアは簡単に話した。
「二つありますし、お父さまも食べますか?」
得体の知れない品を口に入れるのはやや抵抗があったが、娘が無邪気に差し出してくれるものを無下にはできなかった。アンドリューは包み紙にくるまったパンケーキサンドを貰うと、アイネアに促されるまま齧ってみた。
パンケーキよりもしっとりとした生地の間から、ほのかに甘い赤マメ(=小豆)が押し出される。口の中に広がる繊細な甘味と、今までに体験したことがない食感に、アンドリューは目を見開いた。
「いかがなさいました?旦那様」
「お口にあいませんでしたか?」
「いや……これは美味い」
赤マメもパンケーキの生地も、ともに甘さは控えめだ。しかし、その素朴な甘みを互いに引き立てるよう、絶妙なバランスが取られている。鋭敏な感覚が無ければできない芸当だ。半分に割ってバートにも渡すと、彼も驚きの表情を浮かべた。
「ほんとうですか!?あとでレギオンに教えなくてはいけませんわね。お父さまがほめてくださったって!」
アイネアがワルツでも踊るように駆けて行った後、アンドリューはふっと笑みをこぼす。
「…これをあの少年が作ったとはな」
「にわかには信じられませんね。落ちこぼれの見習い料理人だった彼が、お嬢様のお抱えになってからの短い期間に…」
「料理長の話では自分の舌には自信があると豪語していたらしい。誰もが戯言だと相手にしなかったのに、アイネアは信じたのだな。あの子だけが、少年の言葉に真剣に耳を傾けた。もう少しで我々は天賦の才を持った料理人を失うところだった」
「お嬢様には私達には見えない何かが見えているのでしょうか」
「どうだろうな。無意識に人の本質を見抜いているのか、単に疑うことを知らないだけか…」
「後者だとしたら、美徳でもあり欠点にもなり得ますね」
貴族社会において、そういった人間は淘汰されるだけだ。腹黒い人間になってほしいなどとは思わないが、深く考えずに何でも信じてしまうのは危険である。いつまでも無垢な子供でいる訳にもいかないのだ。
そんな父親の悩みの種は、絵の具の香りが漂うアトリエにて、クーザに大喜びで報告をしていた。
「さっきお父さまがね、レギオンの作った品をおいしいって言ってくださったの!レギオンの実力が認められてうれしいわ!」
レギオンは無言を貫いていたが、彼が他の料理人から嫉妬まじりの陰口を叩かれているのを、クーザは知っていた。それは後にアイネアも知るところとなり、憤慨する彼女を他でもないレギオンが止めたのだ。「いつか自分の力で黙らせるから」と。絵描きと料理人、分野は違えど一つの道を極めようとするプロ魂は同じ。故にクーザにはレギオンの言い分が誰よりも理解できた。「よかったな、お嬢」と言うクーザの表情は優しい。レギオンとクーザが一緒にアイネアをなだめた際のことが思い出されたのだ。
『レギオンはわたしのお抱え料理人よ。あなたへの陰口はわたしへの陰口と同じ。文句があるのならわたしが聞いてくるわ!』
『ま、待ってくださいっす!』
『お嬢っ、ちょっと落ち着けって…』
『わたしの大事なひと達を悪く言うなんて、がまんならないわ!』
アイネアは口調こそ怒っていたが、その顔は哀しそうだった。
どこにでもいるような少年である自分達を『大事なひと』と言って憚らないお嬢様だからこそ、レギオンが褒められた事を自分の事よりも喜んでいる。勿論、クーザだって友人が認められたのは素直に嬉しかった。
「にしてもアイツ、また腕を上げやがったな。俺も負けてられねぇ」
「クーザだって、ぐんぐん上達しているわよ?」
「気持ちの問題だ。あっ、そういえばエルザさんがお嬢を探してたぜ」
「エルザが?どうしたのかしら…」
「なんかレッスンがどうのとか言ってたけど」
「レッスン……?ああっ!!」
「また忘れてたのか?」
「忘れていたわ!今日からダンスの練習が始まるって、昨日までは覚えていたのに!」
ばたばた慌てながら「悪いけどお皿はクーザが返しに行ってくださる?」と言うアイネア。普通、お嬢様に皿の返却をやらせる使用人などいない。が、生憎とアイネアは普通の令嬢ではなかった。
「ああ。後で返しとく。それより急ぎなよ」
「ありがとう!おじゃましましたわ!」
まるで風のようなお嬢様だと、クーザはくつくつと笑った。
さして厳しくもないが積もらない程度には雪が降る、バラダン領の冬は足早に過ぎていった。
木々の蕾が開き始める頃、満を持して『四色カード(=UNO)』が世に出された。以前と比較すると段違いな程、トランプは親しまれるようになっていたが、人々の頭から賭博のイメージが完全に払拭されるには至っていない。しかし、この四色カードは初めからパーティーグッズを謳って売り出されたため、トランプよりも遥かに抵抗が少なく、人々に受け入れられた。白黒ゲームに続き好感触な反応を貰い、アイネアも心が沸き立つ。
下準備にまんまと利用されたシャレゼル侯爵は渋い顔で唸っていたが、ユニアスは素直に感心するばかりだった。
『ずっとだまっていてごめんなさい。ユニアスにも言ってはだめだと、お父さまから注意されていたの。あなたなら大丈夫だって思ったのだけれど…。
そうそう、最近ダンスのレッスンが始まったのよ。先生の足を踏みつけてばっかりで、申しわけなかったわ。いつか踊る日のために特訓しておかないとだめね。あと……』
今しがた届いたアイネアからの手紙は、いつものように微笑ましい内容だった。
(僕が誘ったら、アイネアは踊ってくれるだろうか?)
ガーデンパーティーで初めて会った時、「よろこんで!」とユニアスの手を取ってくれたアイネアが思い浮かぶ。
好きでも嫌いでもないダンスの時間が、これからは少しだけ楽しくなる気がした。彼女に足を踏まれても、平然と踊っていられるくらいにはなっておこうとユニアスは思った。
「さてと…僕も返事を書かないとな」
冷めた家族、息の詰まる屋敷。そんな毎日の中でアイネアの手紙を読み、返事を考える時間は、ユニアスにとって唯一、幸せなひと時だった。