12
シャレゼル家で初めての朝を迎えたアイネアは、エルザにされるがまま身支度を整えていた。気合いが入っているのか、エルザの手際の良さは変わらないのに、いつもより時間がかかっている。理由はよくわからないが、エルザに任せて悪いようになった事は無いので、アイネアは何も言わなかった。
「朝食の時間は何時かしら?」
「そんなにお腹が空いたのですか?」
「そうではなくて、ユニアスさまにおめでとうって言いに行きたいの」
どうせなら一番にお祝いを伝えたかった。日付けが変わる時刻まではとても起きていられなかったので、せめて朝起きたらいの一番に言いに行こうと思っていたのだ。
「やっぱり朝はお忙しいかしら…」
「それはそうかもしれませんが、一言お伝えするくらい問題無いと思いますよ」
むしろ行ってくださいという願いを込めてエルザは告げた。
「そうね。お忙しそうだったら引き返せばいいもの」
アイネアは即決すると、仕舞っておいたバースデーカードを取り出した。エルザの提案をもとに、クーザの手を借りながらアイネアが作ったものだ。見栄えは既製品に劣るが、世界に一枚しかないカードである。
「すぐにもどるわ」
「はい。転ばないでくださいね」
昨日、ユニアスが案内してくれたおかげで、アイネアは迷わずに足を進めることができた。丁度、使用人がユニアスの自室に入ろうとしているところだったので、少しだけ会えるかどうか尋ねると、確認してまいりますと快く請け負ってくれた。
ほどなくして、驚きと期待の混じったような表情をしたユニアスが出て来た。
「おはようございます、アイネア嬢。どうしたんですか?こんなに早く…」
「ユニアスさま!お誕生日おめでとうございます!」
アイネアは持っていたバースデーカードを差し出しながら、花が開くような笑顔を向けて言った。
朝起きてすぐ、祝いの言葉を贈るためだけにアイネアが来るなんて、思いもしなかったユニアスは中途半端な笑みのまま固まる。
「えっ」
「これはわたしが作ったのですけれど、もらっていただけますか?」
「は…あ、ありがとうございます…」
吃驚から抜け出せないユニアスは、曖昧な返事を呟きながらバースデーカードを受け取る。畳まれていたレモン色のカードを開くと、中心にプレゼントボックスが起き上がる。所謂ポップアップカードだ。無論、これもアイネアが見る不思議な夢から着想を得ている。そこまで凝った仕掛けではないが、初めて見るユニアスには新奇なものに映った。感嘆の声を漏らすユニアスを見て、アイネアはご満悦の様子だ。
「こんなメッセージカードは初めてですよ!アイネア嬢は器用なんですね」
「クーザの協力があってこそですわ。わたしひとりでは何も作れませんもの」
「クーザ…?」
アイネアの口から知らない男の名前が出た事で、ユニアスの声色が僅かに硬くなる。
「わたしの専属画家ですの!カードのデザインをいっしょに考えてくれたんです」
クーザのセンスは抜群ですわ!と自慢気に説明するアイネア。相槌を打ちながらも、ユニアスはもやもやする気持ちを持て余していた。
(たかが使用人ひとりに、なんて心が狭いんだ僕は…)
嬉しそうに語るアイネアからは、彼を誇らしく感じている事がひしひしと伝わってきた。アイネアにとって頼りになる存在に違いない。会ったこともない男に、ユニアスは嫉妬に近い羨望を覚えたのだ。あまりの狭量さに自分でも引いてしまう。ここまで情けない人間だったなんて、できれば知りたくなかった。
けれども、ちょっとだけ不恰好なこのカードを、誰よりも先にアイネア自ら届けに来てくれた事が、ただただ嬉しいのも事実だった。
「…本当にありがとうございます。アイネア嬢に一番に祝ってもらえて、すごくうれしかったです。このカードも大切にします」
「ふふっ、がんばって作った甲斐がありました」
「それでその……えっと…」
プレゼントを貰った上に、己の願いを言ってしまえばアイネアに呆れられるのではないかと思うと、なかなか二の句が継げない。言い淀むユニアスに、アイネアは小首を傾げた。
「どうぞおっしゃってくださいませ。お誕生日に願い事をがまんする必要はありませんわ」
「そう、ですか……では、アイネア嬢にお願いがあるのですが…」
「まあ!わたしにできることなら喜んで!何をすればいいのでしょう?」
言葉通りアイネアがわくわくしているのが、ユニアスにも見て取れた。彼女から目が離せないでいるうちに、願望が遠慮に勝り始める。観念したユニアスは眉毛を八の字にしながら、その願いを告げた。
「僕のことをユニアス、と呼んでもらえませんか?」
貴族の序列は幼い時からアイネアの頭に叩き込まれている。伯爵よりも侯爵の方が高位であり、へりくだるべき相手だ。逆なら一向に構わないが、アイネアが彼を呼び捨てにするのは無礼にあたる。
躊躇うそぶりを見せたアイネアに対して、ユニアスは首を横に振った。
「白状すると、君と使用人達が親しげに話しているのが羨ましかったんです」
格好悪いことを口走っている自覚はあった。
だけど仕方がない。自分ではない男の名前を親しげに呼ぶ声を聞くだけで苦しくなる、それがユニアスの本心なのだ。情けなくても、格好がつかなくても、彼女の特別でありたかった。子供じみた我儘である。しかしアイネアは、彼女だけは諦められない。家族からの温もりはとっくに諦めがついていたのに、アイネアだけはどうしても駄目だった。
「せっかく友人になれたのに壁がある感じがして……だからお互い、かしこまった喋り方はやめにしないか?…アイネア」
言ってしまってから、ユニアスは耳まで赤くなった。それでも彼女から視線を外さない。
アイネアはというと、ぱちぱちと瞬きを数回繰り返した後、ゆっくりと目尻を染めてはにかんだ。そして、貴重なものを扱うかのように彼の名前を音に乗せたのだった。
「ユニアス」
「っ!!」
「たしかに今までより、ずっと親しくなれたような感じがするわ!」
「アイネア…ありがとう」
流石に人目が多い場所で呼び捨てにするのは、アイネアの品位が疑われるので、いつも同じ口調でいる訳にはいかないが、ユニアスは充分満足だった。
「ふふっ、なんだかくすぐったいわね。じゃあエルザが捜しに来る前にもどるわ」
「そうだね。またあとで」
手を振って別れた三十分後に、朝食の席で再びユニアスと顔を合わせた。といっても今度は彼の両親と長兄も一緒だ。次兄は遠方へ出て行っている為、パーティーには間に合わなかった。家族から贈られるのは祝いの言葉よりも、侮蔑の言葉の方が多いので、いっそのこと来なくていいとユニアスは思っている。
現に、アイネアと初お目見えの長兄は、ユニアスなどてんで気にも留めず、彼女の方に値踏みするような視線を向けている。
普段なら息の詰まるような静寂のひと時だが、今日はアイネアという客人がいる為か、いつになく会話が飛び交う。主に話しているのはアイネアとユニアスの母親だ。その二人が喋るだけでも、随分と場の空気が違う。
ユニアスが積極的に会話に加わることはなく、いつものように黙々と料理を口に運んでいた。ただし、今日は少しだけ料理がおいしいと感じられた。
朝食が済むとシャレゼル家は来客を迎える為に慌ただしくなる。親族や領内に屋敷を構える他の貴族などが到着し、アイネアの誕生日の時よりも多い人数が集まった。
アイネアに付き従いながら見ていたバートは、これが侯爵家と伯爵家の差かと思ったが、何て事はない。侯爵夫人が見栄を張っただけである。
侯爵夫妻は招待客の「三男に媚を売っても大して意味は無い」という思惑を理解していたし、そもそも家族仲が冷めているので積極的に他人を招いたりしなかった。しかし今年は事情が違う。婚約を申し込んでいる相手の前で、侯爵家がみすぼらしい誕生日会を開くことなど言語道断であった。
ユニアスもアイネアも、規模が小さかろうと何ら気にしない質であるが、体裁を重んじる侯爵夫人はそうではなかった。
「お友だちがたくさんいるのね。ユニアスがうらやましいわ」
アイネアが小声でそう言うが、ユニアスは苦笑しながら返事を濁すしかなかった。招かれた客の中で、純粋にユニアスの誕生日を祝いに来た人間は、アイネアしかいない事を知っていたからだ。恐らく皆の目当てはシャレゼル家次期当主である長兄への顔見せだろう。だが、最も大事な人から一番に祝ってもらえたユニアスは、そんな悲しい事実も瑣末な事に思えたのだった。
今日の主役に対しておざなりな挨拶しかない客人など放っておいて、アイネアとチェスでもやろうかと思案するユニアス。しかしアイネアが取り出した物を見て、言おうとしていた誘い文句を引っ込める。
「(トランプ…?)」
「ユニアス、新しいトランプゲームがあるのだけど、いっしょにやってくださる?」
ユニアスの答えはもちろんイエスだ。
「ありがとう!では『スピード』という二人用のゲームをしましょう!」
『スピード』とは、トランプを赤色と黒色に分けて行う、二人用のゲームである。自分の前に四枚カードを並べ、相手との間に一枚を出し、その続きの数字を表に返した四枚の中から重ねていく。その名の通り速さが勝負の要だ。
「…うん。ルールはわかった」
「試しにゆっくりやってみるわね」
アイネアの説明を受けながら、ユニアスは実際にスピードで遊んでみる。一度やれば要領を掴むことができた。
「次は本番よ」
「手加減はなし、だよね」
ニッと笑い合い、エルザの合図でゲーム開始である。テンポよくカードを出していく。みるみるうちに手札は減っていき、勝敗はあっという間に決まる。
「やったわ!バートとエルザに負け続けた成果ね!」
「それは成果と言えるのか疑問ですし、そもそもユニアス様はまだ二回目なんですから、お嬢様が勝つのは至極当然かと」
エルザの真っ当な意見に、アイネアは勝利の余韻からハッと我に帰る。
「そうよね。ここから負け出すのがわたしよ!油断してはだめだわ!」
元気よく宣言するアイネアを見ていたユニアスは、思わず吹き出してしまった。
連戦していくうちに、最初は白星を挙げていたアイネアだったが、自身の宣言通り負けが目立つようになった。それでもめげたりしないアイネアは、懲りずに何度も挑んでいく。
いつしか白熱する二人を興味津々に見つめる瞳が増えていた。この場に招かれた貴族の子供達である。頭上でなされる親達の小難しい会話より、テーブルで何やら盛り上がっているカードゲームの方に心が引かれるのは自然の流れだった。子供達に対戦中の二人を見せながらバートがルールを説明すると、やってみたいとばかりにうずうずし始める。
アイネアは頃合いを見計らって、子供の一人に席を譲った。
「ユニアスさま、お相手をおねがいできますか?」
「それはいいけど…君は?」
「となりで別のゲームをいたしますわ」
アイネアはスピードを見学していた子供三人を呼び、エルザから新しいトランプを受け取る。期待のこもった視線を感じながら、『大富豪』改め『キングダム』の説明に入る。
ルールは同じだが、下位を貧民と呼ぶのが嫌だったアイネアが改名したのだ。一位から順に「王様」「貴族」「商人」「平民」となり、南の王国の身分制度を模している。そしてこのゲームの醍醐味は数あるローカルルールだ。
「まずは一回やってみて、二回目からはルールを追加しながら遊びましょう」
多彩なローカルルールを組み合わせ、自在にゲームをカスタマイズできる斬新さに、子供達は夢中になった。あまりの盛り上がりように、スピードで遊んでいた子達も興味を引かれた様子だ。「ねえねえ、ほかにはないの?」とアイネアのドレスを引っ張る子には、また別のゲームを紹介し始める。かつてないほどに、シャレゼル家は楽しい笑い声に包まれた。
アイネアの口から次々と出てくる新しいトランプゲームに、関心を示したのは子供達だけではなかった。
「アイネア嬢の発想には驚かされる」
「侯爵さま」
「父上…」
やけに機嫌の良い父を見たユニアスは眉根を寄せた。アイネアのそばに行き、父親を睨み上げる。息子の態度を鼻で笑った侯爵は、貼り付けた笑顔のまま、アイネアに話しかけた。
「知っているとは思うが、我が領ではトランプが盛んでね。アイネア嬢の考案したゲームがあれば、更に人気を博すことができる。是非これらのゲームを広めたいが、構わないね?」
トランプ自体にブランド権はあっても、遊び方にまでその効力は及ばない。よって、誰がどう用いようがアイネアに文句を言う権利は無いのだ。しかしそれこそがアイネアの、ひいてはバラダン家の狙いでもある。背後に控えていたバートが進み出て、意見の代弁を行なった。
「アイネアお嬢様は、より多くの方にトランプを楽しんでもらいたいと願っておられます。シャレゼル侯爵のご提案は、お嬢様も本望とするところでございます」
侯爵とバートが話し込み始めた隙に、ユニアスはアイネアの手を取ってその場を離れた。そして父親に聞こえないように声をひそめる。
「…本当にいいのかい?父上はきっと自分の手柄のように言ってまわるはずだ」
アイネアの功績が奪われてしまうのを、ユニアスは危惧していた。そんなユニアスの心配をよそに、アイネアはふわっと微笑んだ。
「だいじょうぶよ。ちゃんと考えがあってのことなの。お父さまから口止めされていて、くわしいお話はできないのだけど…」
「いや、君さえ良ければ僕も構わないんだ」
「ありがとう。でもこれがきっかけになって、トランプの楽しみ方が増えたらすてきだと思わない?」
子供達に混じって大人まで参戦する光景を見守るアイネアの瞳は、隠しきれない嬉しさを滲ませていた。まるで計画はついでで、本音はこっちだと言わんばかりに。
ユニアスの心臓がとくんと音を立て、優しい感情が胸を占める。
「…そうだね。すごくすてきだ」
「やっぱり!ユニアスも同じ気持ちなのね!とってもうれしいわ!」
飛び跳ねそうな勢いで喜ぶアイネアを、彼は眩しそうに目を細めて見つめていた。