11
年が明け、バラダン領の空に雪がちらちら舞うようになった頃、アイネア宛に一通の招待状が届いた。
「ユニアスさまのお誕生日パーティー?」
「そうだ。私も招待されているが、年明けの繁忙期に領を離れることはできん」
現に書斎の机には、まだ処理しきれていない書類が山を成している。 娘について行きたいのは山々だが、領主としての仕事を放棄してまで優先する事ではない。
「バートとエルザを供につける。送迎はあちらが手配してくれるそうだ。くどいようだが、決して失礼の無いように」
「はい、お父さま」
アイネアの礼儀作法については、口で言うほど心配していない。アンドリューが懸念しているのは、アイネアが一人でバラダン領を出る事だった。忙しい時期でなければ同伴できたのに、とアンドリューは憎々しげに溜息を吐いた。友人宅への初訪問に胸を踊らせているアイネアとは正反対の心境である。
「…頼むぞバート。くれぐれもな」
「そう念を押されなくとも、よぉくわかっておりますよ」
「お父さま?バート?」
「ゴホン……そういう訳で私は行けないが、折角シャレゼル領まで行くのだから、皆にお前が考えたトランプゲームを紹介してくるといい」
カジノがあるシャレゼル領は、南の王国で最もトランプが出回っている場所だ。四色カードの宣伝の下準備にはうってつけである。
「ただし、新商品の内容については一切口外するな。その辺の事はバートに任せておきなさい」
「わかりました」
「バート、この手紙をシャレゼル侯爵に」
「はい。承知致しました」
迎えの馬車が来るのは三日後。アイネアは自室に戻り、エルザと一緒に旅支度を進めることにした。今回の遠出にはバートとエルザがついてきてくれるので、アイネア本人は特に不安がる気配もなく、呑気にユニアスへの贈り物をあれこれ検討していた。
「贈り物は旦那様が用意してくださるのではありませんでしたか?」
「ええ。でもわたしからも何かプレゼントしたくて。初めてのお友だちだもの」
だがしかし相手は侯爵家だ。欲しいものなどバラダン家以上に簡単に手に入るに違いない。それに友人、しかも異性に喜ばれる贈り物というのがアイネアにはよくわからなかった。以前贈った白黒ゲームは、彼にチェス盤を貰ったからお礼にと思っただけで、これが誕生日プレゼントとなると良い案が思い浮かばない。
「ありがちですが、お嬢様の手作りの品はいかがです?」
「でもわたし、なにも作れないわ」
ユニアスがこの屋敷に来た際、お茶菓子として出したタルトを美味しいと言ってくれたので、本当はレギオンと作った新作菓子を持っていきたかったのだが、お菓子作りは思っていた以上に難航している。
何せ餡子の甘さを再現するだけでも一苦労なのだ。豆本来の控えめな甘みを引き出す、絶妙なラインの見極めが非常に難しい。果実とのバランスもとらなくてはならないのに、今の季節柄、苺が手に入らないという間の悪さも問題だった。
一度、レギオンが試作した餡子(と呼ぶにはだいぶ液状だった)を食したがかなり甘かった。それはジャムの代わりにパンに塗って完食したが、改良する事が多すぎる現状だ。
「刺繍もまだ習っていないし…」
刺繍したハンカチを贈るのはオーソドックスだが、生憎とアイネアは刺繍ができないので断念せざるをえない。
(お嬢様からなら、落ちていた綺麗な小石とかでも喜ぶと思いますけどね)
悩むアイネアには悪いが、エルザはお見通しだった。古今東西、好きな子からのプレゼントなら何であっても嬉しいと決まっている。
彼の様子を観察するに、恐らくプレゼントなんか無くても、アイネアが来るというだけで喜ぶだろう。しかし、そう言ったところで納得しないのが、エルザのお仕えするお嬢様である。
「お嬢様が心を込めて書いたメッセージカードを添えてはどうでしょう?何ならそのカードを手作りしてもいいと思いますし、お嬢様だってそういうものを貰ったら嬉しいのでは?」
高価か否か、贈り物に対してそういった損得感情を持たないお嬢様なら"肝心なのは心"という最も大切な本質を理解できるはず。エルザの狙いは見事に的中し、アイネアはぱあっと表情を明るくして「すばらしい名案だわ!」と弾んだ声を上げた。
「クーザに手伝ってもらって、さっそく作ってくるわ!」
「お待ちを。それは持参するドレスを選んでからにしてください」
「あっ、そういえば準備の途中だったわね」
おや珍しいとエルザは目を瞬かせた。いつもの如くどれでもいいと返されると思ったのだ。エルザの予想に反して、アイネアはクローゼットに仕舞われたドレスを一つ一つ眺めている。
これはもしやとエルザの頭に、ある憶測が浮かぶ。
(心のどこかでユニアス様を意識しているのでは…?)
風変わりとは言えアイネアも女の子。異性の前で身嗜みを気にするくらいの乙女心がある…のかもしれない。
「エルザ?どうしたの?このドレスは変だったかしら?」
「いいえ、なんでもありません。似合っておいでですよ」
ほのぼのとした心地になったエルザは、優しく微笑みながら衣装選びに付き合ったのだった。
そして迎えた三日後。
記載してあった時刻通りに、シャレゼル家の馬車がやって来た。これから丸二日かけて、馬車での移動となる。単騎でとばせば一日で行けないこともないが、貴族の令嬢にそんな苦行を強いる訳にいかない。
「お父さま、行ってきます」
「ああ。気をつけてな」
素っ気ない言い方だが内心、心配で心配で仕方がないアンドリューである。バートとエルザに、娘を頼むぞと視線で訴える。何も戦場に行く訳じゃないのにと思うが、彼らにとってもアイネアは大事なお嬢様なので、承知したとばかりに無言で頷いた。自分の頭上で交わされるアイコンタクトに気付きもしないアイネアは、上機嫌で馬車に乗り込んだ。親の心子知らずである。
伯爵家の令嬢を預かるという事で、アイネア達が乗る馬車の周りには、物々しくならない程度の護衛がいる。それでも心配になるのが親という生き物なのだ。走り出した馬車を見送りながら、アンドリューは娘の無事を祈った。
「今夜はシャレゼル領の宿屋に泊まるのよね?楽しみだわ。街を歩く時間はあるかしら。バート?」
「見知らぬ土地ですし、あまり外は歩かれない方が私としては助かります」
「そうですよ。お嬢様に万が一があったらいけません」
「クーザとレギオンにおみやげを買いたかったのだけれど…二人がそう言うならやめておくわ」
がっかりするアイネアを見ると心が痛いが、彼女の身に何かあれば、自分達の首を差し出すだけでは済まないのだ。それで事態が収まるのならいいが、アイネアは未来のバラダン領主であり、御守りすべき小さな主君。どんな僅かな危険にも晒したくない。それとアンドリューが暴走した場合、抑え切れる自信が無いというのが本音の半分である。
「そのかわり、と言っては何ですがお部屋でトランプをしましょう」
「まあ!いいわね!打倒バートよ、エルザ!」
「ええ。今度こそぎゃふんと言わせてやりましょうね、お嬢様」
「おやおや二対一ですか。負けませんよ」
結局、二人で共闘してもバートには敵わなかったのだが、楽しい夜を過ごせたアイネアは満足して眠りについた。
一日中、馬車に乗っていた疲れが出たのか、異世界の夢も、普通の夢も見ることはなかった。
隣の領ではあるものの、場所が変われば雰囲気もがらりと変わる。長閑なバラダン領とは異なり、シャレゼル領は華やかな街だった。バラダン領も活気に溢れているが、それとはまた違った種類の明るさで満ちている。
アイネアは馬車の窓から、初めて目にするカジノ場を眺めていた。バラダン領には無い派手な建物に興味津々だ。
「お嬢様、あそこは子供の遊び場ではありませんよ?トランプで私に勝てないようでは、有り金すべてを吸い取られて終わりです」
「そうですよ。失礼ながらお嬢様は絶好のカモだと思います」
アイネアが行ってみたいと言い出す前に、バートとエルザは釘をさす。ずけずけと正論を言われてしまったアイネアは、ちょっとだけむくれた。
「もうっ、二人してひどいわ!」
「さあ膨れっ面を治してください。そろそろシャレゼル侯爵家のお屋敷ですよ」
「まあ本当?どこかしら」
バートがそう言うと、アイネアはパッと表情を変えて大きな屋敷を探し始めた。まんまとはぐらかされてくれたお嬢様に、付き人二人は笑いを堪えている。
「見えたわ!あの赤い屋根のお屋敷ね!」
侯爵家の屋敷は、領内でもひときわ大きい建物だった。豪勢な門をくぐり玄関ホールへ案内されたアイネアは、整列して頭を下げるメイド達に出迎えられる。その先にはユニアスと彼の両親が待っていた。
文句の付けようがない所作で、儀礼に則った挨拶をする令嬢は、先程までむくれていた女の子と同一人物とは思えない。これもアンドリューの教育の賜物である。可愛らしい淑女と対面した侯爵夫妻は、にこやかに歓迎の口上を述べる。
「遠いところをよく来てくれた。パーティーは明日だから、今日はゆっくり寛ぐといい」
「今度はユニアスがおもてなしをする番ですわね」
ご機嫌な様子の両親と違い、ユニアスの笑みは若干ぎこちなかった。
「ユニアス、折を見てアイネア嬢に屋敷を案内してあげなさい」
「…はい。ではアイネア嬢、あとでお部屋に伺いますね」
「ありがとうございます。ユニアスさま」
客室に通されたアイネアは、扉が閉まると大きく息を吐き出した。相手が大人、しかも父親よりも立場が上の貴族ともなれば、少なからず緊張する。馬車の中では思いっきり自由に振舞っていたから尚更だ。
「少し横になりますか?」
「大丈夫よ。エルザとバートは?疲れていない?」
「私どもは平気ですよ」
「ありがとうございます」
このお嬢様は当たり前のように従者にも心を砕いてくれる。だからこそ、真心を込めてお仕えしたいと思えるのだ。
「私は旦那様から預かった手紙を、侯爵様にお渡ししてきます」
「わかったわ」
バートが出て行ってしばらくすると、この屋敷のメイドがお茶を持ってきてくれた。温かな紅茶を飲むと、無意識のうちに力が入っていた体が、緩やかに解れていく感じがした。
「いつも飲んでいる紅茶とはちょっとちがうけれど、これもおいしいわね。このスコーンとよく合うわ」
「それは良かったですね」
幸せそうに舌鼓を打つアイネアに、エルザも安心する。旅行を楽しみにしていたのは知っているが、アンドリューと離れる心細さだってあるだろう。まだ八歳の子供なのだから当然だ。
二人でまったりと過ごしていたら、控えめに扉がノックされた。扉の向こうからユニアスのくぐもった声が聞こえ、アイネアはそちらへ駆け寄っていった。
「屋敷を案内しようと思ったのですが…今、大丈夫ですか?」
「はい。よろしくおねがいします」
玄関ホールで挨拶した時とは打って変わり、ユニアスの顔は喜び一色だった。それはアイネアも同様で、エルザ達に向けるのと変わらない笑みを浮かべている。
「行ってくるわ、エルザ」
「かしこまりました。お戻りになるまでに荷解きを済ませておきますね」
客室を出ると、ユニアスがおずおずと手を差し伸べたので、アイネアは笑顔のまま自分の手を重ねた。
ユニアスに手を引かれ、屋敷の中を進んでいく。装飾品も飾られている絵画も、バラダン家とは趣向が違っていて、廊下を歩くだけでも楽しい。
「ピアノだけではなくて、いろんな楽器があるのですね。もしかして全部お弾きに?」
「いえまさか。ピアノの他はヴァイオリンとフルートだけです。残りは兄上達のものですよ」
「三つも演奏できるなんてすごいですわ!また聴かせてくださいね」
「構いませんが、アイネア嬢も弾いていただけますか?」
「恥ずかしながら、まだ先生から合格をもらっていませんの。でも、ユニアスさまだけにでしたらお弾きしますわ」
自分にだけ、という響きにユニアスは頬を赤らめた。ユニアスならアイネアの腕前を知っているからそこまで恥ずかしくないだけで、他意はない。
一人で勝手に意識して馬鹿みたいだとユニアス自身も思うが、アイネアが相手だとどうにも舞い上がってしまう。
「そういえばユニアスさま」
「なんでしょう?」
「…少しお痩せになりました?」
実はここへ来た時からずっと気になっていたのだが、以前会った時よりも随分細くなった印象を受けたのだ。顔つきも繋いでいる手も、気の所為では済まないくらい肉が落ちている。
「もしかしてご病気とか…」
「違いますよ。単に食事の量を減らしただけです。前々から医者にも注意されていまして…」
心配そうに見つめるアイネアに、ユニアスは優しく微笑んだ。食事制限がようやく功を奏して体重が減ってきたのだ。
「それに、アイネア嬢をエスコートするのに、太っていては格好がつかないですから」
「わたしは気にしませんのに…減量は辛いと聞きますわ」
「僕が嫌なんですよ。それに、肥満は体に悪いですし、無理のないようにやっていますから大丈夫です」
確かに太り過ぎは害だが、ユニアスはぽっちゃりというだけで、危機感を抱くほどではない。成長期になれば上に伸びるのだから、今多少横に太くても問題無いと本気で思っていたアイネアである。ユニアスの考えていた通り、アイネアは何も気にしていなかった。
「…痩せたところで、こんなにそばかすがある以上、みっともないことには変わりないんですけどね」
そう言ってユニアスは寂しそうに笑った。少しばかり体重が落ちても、顔中に散るそばかすは相変わらずそこにあった。母親から渡された薬を塗っても何も変わらない。出来ることなら今日までに、この顔も何とかしたかったのだが、残念ながらすべて徒労に終わっただけだった。
「ふふっ、ユニアスさまはそばかすがお嫌いでいらっしゃるのね」
「は…、いや、誰だって嫌だと思いますが…」
アイネアはくすくす笑っていた。それは決して相手を馬鹿にするようなものではなく、むしろ場違いなくらい柔らかく穏やかな笑い方だった。ユニアスの戸惑いも尤もである。
「そうでしょうか。だってわたし、自分の顔にそばかすを描いたことがあるんですよ?」
これもアイネアの母が生きていた頃の思い出話の一つだ。まだ文字が読めなかったアイネアに、母は色々な物語を読み聞かせてくれた。その中でアイネアが特に気に入っていたのは、そばかす顔の女の子が活躍するお話だった。
「主人公の女の子のようになりたかったんです。それで、お父さまの書斎にしのび込んで、羽ペンで顔にそばかすを描きましたの」
ところが、鏡写しでは上手いこと手が動かず、そばかすというより黒子のような、格好悪い不揃いの点になってしまった。それにインクは真っ黒で、そばかすの薄い色を表現するのには全く適していなかったため、立派な化け物が完成しただけだった。
「自分としてはそこそこ満足だったのですけれど、わたしの顔を見たバートがひっくり返ってしまって…」
後になって聞いた話だが、アンドリューは血の気が失せた顔になっていたという。アイネアが悪い病気に罹患したと思ったらしい。
「お母さまにもお見せしようとしたら、バートにやめてくださいって言われましたわ。あんなに必死なバートを見たのは初めてでした」
その話を聞いた母はひとしきり笑った後「私も見たかったわ」と言ってくれた。母のリクエストに応えるべく、今度は化粧道具を使って、当時の侍女に改めてそばかすを描いてもらったところ「まあ!まあ!とっても可愛いわ!」と喜んでもらえた。アイネアが主人公になりきって、暗記した台詞をそらんじてみせればますます楽しそうに、ベッドの上からいっぱいの拍手を送ってくれたのだ。
「ですからわたしはそばかすが嫌いどころか、自分で描いてしまうくらい憧れていますわ!」
「……ふっ…あははっ!アイネア嬢、それは反則ですよ…っ!」
しっちゃかめっちゃかになったアイネアの顔を想像し、ユニアスは失礼だとわかりつつも笑いが止まらなかった。
「そうだわ!わたしもそばかす顔だったら、ユニアスさまだけが目立つことはありませんわね!一人より二人で笑い者になった方が、辛くたって半分ですむもの!エルザに頼んで今から描いてきますので、少々お待ちを!!」
「アイネア嬢!?」
吹っ飛んだ持論を展開し、とんでもない事を言い出したアイネアを、ユニアスは慌てて引き止める。
「物語の主人公に負けないそばかす顔になってまいりますわ!ご安心ください!」
「勝ち負けがあるんですか!?…じゃなくて、アイネア嬢、ありがとうございます。その気持ちだけで充分です」
「ですが…」
ユニアスは自分の顔がずっとずっと嫌いだった。家族に疎まれ、他人に嘲られるこの顔が嫌で仕方がなかった。
けれども、他の誰でもないアイネアが嫌いでないと言うのなら、他人の目などもはやどうでもよく思えた。きっと、鏡を見ても今までのような悪感情を抱くことはもう無いだろう。
「本当に、もういいんです。君の憧れならこの顔も悪くないと、そう思います」
長年の憑き物が落ちたように、ユニアスの表情は実に晴れ晴れとしたものだった。
(ユニアスさまって、こんな風に笑うのね…)
一瞬、心音が跳ねた事には気付かず、アイネアは釣られるように破顔した。
「でしたら何度でも言いますわ!そばかすも憧れですし、ユニアスさまの瞳はどんなに上等な紫水晶でも敵わない美しさがあります!わたしは大好きですわ!」
「っ!!」
その笑顔と言葉は卑怯だと、ユニアスは真っ赤にのぼせながら、繋いでいない方の手で顔を覆った。