好きな小説を好きなように読める幸せは他者と共存し得ないのか、あるいは豆腐メンタルを守る考え方
読み専視点での話になります。
なぜなら私は作者ではないので作者の視点では書けませんよ。
えっ? エッセイでも書けば作者?
少なくとも私はそんな意識はないので、あくまで私は読み専です。
まぁ、別段強い主張をしようと思っていないので軽い気持ちで読んで頂ければ幸いです。
日々なろうサイトを利用して複数作品の連載を追いかけていますが、ふとこれが出来る環境って幸せだなぁ、と思ったわけですよ。
でも次に考えたのが、他のなろうユーザーもサイトを利用して楽しんでいるでしょうが、その楽しみ方って千差万別で私とは違うんだろうなって。
そんな当たり前のことを考えちゃったんですよ。
そんなことを考えたのは最近のなろうのエッセイをいろいろ読んでいたからだと思います。
ご存じでしょうか?
「なろう批判を批判する!」というエッセイが書かれ、それに反応したいくつものエッセイが書かれている現状を。
恥ずかしながら私も初エッセイ(というか初投稿)を書いてなろうで投稿を経験してみました。
なろうサイトの作者の為の機能とか、読み専では知らなかったことを知れて楽しかったですね。
まだ経験してない方も是非一度投稿をしてみればまた小説の読み方も変わってくるかも?
ここで私のなろう歴を語ってみようと思います。
私には「読もう」の方が馴染みのサイトなので「なろう」歴といっていいのか不安になりますね。
きっかけは本屋で買った「転生したらスライムだった件」です。
私にとってはなろうといえば転スラ、ってくらい思い入れがあります。
……転スラの更新を見るに私が読み始めたのは3年前ですか、それなりに経ちましたねぇ。
本の帯やあとがきでなろうサイトを知って、書籍の続きが読みるのかな?、と思ってサイトを覗きました。
それからはいろいろ読みふけってもう生活の一部ですね。
ちなみに、転スラ以前からサイトの存在は知ってはいましたが……正直言いますと、その存在、クオリティを舐めていました。
すいません(謝罪)
あと、それなりのクオリティだとは思ってましたが、それでも手を出したらプライベートの時間喰われそうだとあえて見ないようにしていた面もあります。
今では喰われまくってますね(笑)
それまでの読書はミステリーとラノベがメインで、好きな作家を挙げたら米澤穂信、歌野晶午、あざの耕平、西尾維新などが真っ先に思い上がります。
なろうサイトではピックアップや総合ランキングから探すことが多かったからか読むのはもっぱらファンタジーになります。
ところでまた怒られそうですが、私は作品を読むときはサイト機能でブックマークせず、スマホで小説サイトをブックマークして読んでますし、評価ポイントを入れたこともないです。
これは特にこだわりがあるとかではなく最初にそうしていたから何となく今も、という感じです。
強いて言えばあまりなろうに深入りしないようにと考えていたからです。
まぁ、だんだんと深入りしていって、最初は小説だけだったのが作者のページを読んだり、感想欄を見るようになり、感想を書くようになり、最近はエッセイを書きました。
なので今度改めて今では読んできた作品を評価していくときが来るかもしれません。
こんな感じでなろうと付き合って来た私ですが、ハッキリいって豆腐メンタルです。
エッセイを投稿したはいいけど、どんな反応があるかと思うとそれだけで怖かったです。(今もですが)
幸い何件か感想を頂き、厳しい意見はほとんどなくて安堵していました。
しかし、エッセイジャンルが炎上しているといっていい現状、「なろう批判を批判する!」……を批判するエッセイは結構有るわけで、私は肯定的なエッセイを書きましたが、批判しているエッセイの中には肯定しているエッセイも含めて批判しているものもあるわけで……
そのひとつに、明言はされてなかったけど私のエッセイのことだと思われる内容を否定されているものがあってヘコみました。
でも思ったほど深刻なダメージではなかったのでこうしてまた筆を取ることが出来た次第。
何でかな?、と考えるとそのエッセイの内容が(私にとって)的外れだったからです。もとの「なろう批判を批判する!」もちゃんと読んだのか疑問を持つ内容。
でもその著者にとっては自信を持っていることは文面からにじみ出ていました。
きっと豆腐メンタルとはほど遠いんだろうな。
そうして思うと私が怖かったのは、自分の考えが浅はかなことを突きつけられることだったのかな?、と自己分析。
私が納得するように否定されたらほんとにヘコむのか、あるいは案外平気で糧に出来たりするのか、それは怖くもあり少し楽しみでもあるところ。
まぁ、少しとはいえヘコんだのも事実です。
でもちょっと考え方を変えたらそこから楽になりました。
なのでその考え方を紹介してみようと思います。
批判エッセイを読んで私がイメージしたのは
「最近の紅白歌合戦は知らない曲ばかりでつまらない、もっと演歌を流せ」と言ってるお年寄りです。
NHKが年末だけは視聴率を取りに行くのかは謎ですが(プライド?)、視聴率を取りに行くと大物演歌歌手ではなくアイドルグループの多用になってしまいます。
このような状況をイメージして、なろうに当てはめてみると……
お年寄りにアイドルグループの歌を聴かせようとか、逆に若者に演歌を流行らせようとかいう行為……果てしなく徒労だと感じませんか?
まぁ、世の中には分かり合えない人がいる、って当たり前のことをちゃんと分かってなかった私が、こう考えたらそのことに納得出来て楽になったという話です。
私のように豆腐メンタルの方は(納得出来ない)批判に晒されたときに相手のことを「アイドルグループが全員同じ顔に見えるタイプだな」とか、「演歌の良さを知らない人なんだな」などその人の音楽趣味によって絶対に分かり合えないタイプを想像してみて下さい。そんな相手からの批判なんだと思うと意見が合わないのは当たり前に思えて少しは楽になれるのではないでしょうか。