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金持ち相手にスリに盗みにかっぱらいに置き引き、とつらつらと告げたチィを見て、オーガストが静かに問いかけた。
「いつもか」
「いつも。だってそうじゃなかったら食えないからな」
会話なんて初めてだ、と今更気付いたチィだが、オーガストは数秒黙る事もなくこう言った。
「命を大事にしろ」
「だって命を大事にしていたら、食べらんないぜ」
「そのまま生きていけば、本当に殺されるぞ!」
「死にかけたのは今回が初めてだ。次はもうちょっと獲物を選ぶ」
チィからすればその程度の事でしかない事だ。
しかし、オーガストからすれば、とんでもない事だったらしい。
彼はチィを見た後、こう言った。
「金が入ればいいのか」
「そりゃあそうだわな」
「ならば」
オーガストは彼女を見て、こう言った。
「見ていられない。お前はここに住め」
「へ?」
「俺はそれなりの稼ぎもある。お前に苦労を掛けるような浪費はしない」
何が言いたいんだろう、と怪訝な顔をしたチィに、男は爆弾を落としてきた。
「俺の嫁になるように、と言っているんだ」
チィは口をぽかんと開いた。
こんな犯罪者のような自分を、嫁。
こいつ頭おかしいんじゃないか。
真剣に思ったチィに、オーガストは続ける。
「断る理由はないだろう」
「……」
「理由ならば、さっきも言った。見ていられない。そんなに無茶ばかりをして、無駄死にをするくらいなら、俺の嫁にした方がいい」
そんな理由でいいのかい。
流石のチィが思ったあたりで、彼女はこれはチャンスだと気付いた。
この男の嫁になれば、あの子供たちに、学という物を学ばせる事が出来る。
そして、その日暮らしのあの過酷な環境から、あの子たちを救えるのではないか。
ならば。
「いいけど条件がある」
「お前の条件程度なら安い物だ、何でも言っていい」
それに言質を取ったチィは、はっきりと言った。
「あたしには子供たちがいる」
「ああ」
「その子供たちを、この家に迎え入れなかったら、嫁にはならない!」
オーガストはそれを聞き、破顔した。
「それ位なら、安い物だ」
そこまで言ってから、彼は真顔で問いかけてきた。
「その子供たちはどこにいるんだ?」
「言うわきゃないだろう」
「なぜだ?」
「あたしは知っている。甘い言葉であたしたちを売り飛ばそうと、狙う奴らを。あたしたちを街のゴミくずだと思って、排除しようと考えている奴らを。だからどんなに親切な面をしている奴にだって、あたしはねぐらを教えた事はないんだ」
「……そこまで信用されていないのか、私は」
呆気にとられた声だが、チィからすれば当然の事でしかない。
守るもののために、チィはいつだって戦う事が出来るのだし、どこまでも残酷にもなれるのだ。
チィの弱そうな見た目から、それを見抜ける人間はそうそういないが、ここまでスリ程度の犯罪で生き延びてきたチィが、か弱くひ弱なわけがない。
チィはあっけにとられた顔の男を見て、物騒に、言う。
「それともあんた、誓えんの」
「誓う?」
「あたしを嫁さんにして、あたしの大事な子供たちを守ると、あんたの存在やその他もろもろ、命よりも代えがたい物たちに誓えんの」
その誓いの重さは、正気とは言い切れない物だった。
それでもチィは、瓶覗きのまっすぐな色を、男の赤目に向けていた。
男は数秒瞬いた。
その瞬きの時間を計って、チィは悪逆な色を唇に刷いた。
「迷うくらいできない事を、やれるなんて言ってんじゃねえよ、弱虫」
大した暴言だった。
だが、男は苦笑した。男にとってそこまでの暴言ではなかったのか、それとも。
「誓うさ」
続いて言われた事はひどく真摯な物の響きを、内包していた。
「お前の子供たちも守ると。誓うさ。私の花嫁の、一番の願いのようだから」
自分が幸せになる以上に、それを願っているようだからと続けられた声に、チィはなるほど、よく見えているのだな、と感心した。
「それじゃあ、あたしはすぐに子供たちを迎えに行く」
「今からなのか」
「あたしが寝込んで三日以上たってんだろう。皆、稼ぎに失敗してたら腹を減らしてふらふらだ」
「お前がいなくても、大丈夫ではないというのか?」
「あたしは自分の手を真っ赤にしても、迷わないし罪悪も感じないぜ。でもあの子たちには、そうなってはいけない、人として最低の事は守れと常々言っていた。あの子たちはあたしの言葉を守っていたから」
「それは……?」
「きれいごとだけで、その日の飯を食っていける奴らは恵まれてるって言ってんのさ」
言ったチィは、ひょいと押し込められた寝台から立ち上がる。
「それでも、人間を止めるよりはましだから、あたしは子供たちにそう教えた」
人でありながら、ヒトのふりはひどく難しい時がある。
そんな事をちらりと思い、チィは男に煌く浅葱を向けた。
「あたしの服と持ち物を返して。あの子たちを迎えに行くんだ」