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このローゼリアで、最も治安が悪いのは、意外な事に中間にある、緑の花弁と呼ばれている空間だ。
ローゼリアは、十二枚のバラの花びらが、開いたような形をしている都市である。
そして、十二枚それぞれに、色の通称が付いているのだ。
大体暖色系の色の名前がついている、空間の方が城に近い、いわば特権階級の空間である。
そして、寒色や地味な色になるほど、外側の空間になっていく。
だが、治安が最も悪いと言われているのは、黄色の花弁と青の花弁の中間である、緑の花弁と呼ばれている空間なのだ。
それは、一時期そこで疫病がどこよりも流行り、そしてすたれた事が起因しているだろう。
そう言う空間には、まともな場所に住み着けないやつらが群がるのだ。
治安維持部隊は、いつもここに頭を悩ませる。
叩いても叩いても、埃のようにそう言った問題のあるやつらが減らないのだ。
いっそ残酷だが、燃やし尽くせばいいと極論をいう、官僚たちもいる。
だが、それではいけない。
緑の花弁は、都市の中間に位置するのだ。
という事は、そこを燃やし尽くしたりすれば、他の場所に燃え広がる可能性も高い。
これが茶の花弁や黒の花弁といった、本当に外側の空間ならばまだしも……といった感じなのである。
そのため、緑の花弁は頭が痛すぎる。
そこには、ローゼリアの悪がすべて詰まっているとまで、言われているのだ。
裏社会の重要人物や、裏家業をしている人物、そしてどこの花弁よりも貧困にあえぐ人々。
教会すらそこには一つしかなく、施しをするにも、きりがなさすぎる。
ただ救いなのは、悪であっても敬虔な信仰者が多く、教会相手に乱暴な事をしない事だろう。
そして緑の花弁はいつの間にか、他の花弁の出身者からは悪の区画、と蔑まれ、そこ出身だというだけで、どれだけ善良な人間であっても、まともに扱われないという差別が起きていた。
都市の上位階級が何をしたかといえば。
他の区画にその余波が伝わらないように、緑の花弁との出入りを厳しく制限した、事くらいか。
しかしわいろや袖の下は、どこにでも通じる物がある。
そのため、どうしても緑の花弁の人間に用事がある場合は、金をある程度積めば通れるのであった。
「……噂に聞いているよりも、きれいにしてある街並みだな」
オーガストはそんな事を呟いた。彼の身なりは適度に整っており、緑の花弁の有力者程度の程よい金のかけ方と、乱雑さが見受けられる。
しかし彼はここ出身の人間ではない。
聖騎士、オーガスト・ヒューヴァと言えば、音に聞こえた武勇伝を持つ、騎士の中でも上位の男である。
騎士団副団長という肩書を持ち、次期侯爵ともなれば、その名声は推して知るべし、と言ったところか。
彼の手柄により、国境線は平穏を取り戻し、また魔王軍の恐怖から遠ざかった。
それは彼の部隊がどこよりも強く、訓練を積んでいたからともいえた。
その功績をたたえ、彼は聖騎士という、普通の功績以上の物を与えられたわけだ。
そんな彼がなぜここに来ているかと言えば。
「まったく……大事な鍵指輪を盗まれるとは……訓練が足りない」
彼の上司が、鍵指輪と呼ばれている、貴族の間ではそれはそれは重要な指輪を、一人の小娘に盗まれてしまったからだ。
鍵指輪は、まさに鍵であり指輪である。
それがなければ、貴族たちの大半が所持している、秘宝“聖鎧”を目覚めさせる事が出来ないのだ。
この“聖鎧”こそが、何度も行われている魔王軍との戦いにおいて、人間軍に勝利をもたらしていると言っても過言ではない物だ。
それを盗まれるなど、なんという失敗か。
普通はただでは済まない事だ。
そのため、上司も追手をかけて散々探したのだという。
だが、その小娘は信じがたい事に、区画を分けている人の背丈の三倍はある壁を昇って行き、姿をくらましたのだとか。
そう。
その区画こそが、オーガストが訪れている緑の区画、それ以外にないのだ。
ならばどうして、オーガストが探さなければならないのか。
それは彼の、ほんの少しばかり特異な能力に起因している。
「さて……」
オーガストは壁に背中を預け、貧民街であり後ろ暗い人間がたむろする空間で、不用心にも瞳を閉ざした。
途端に複数の人間が、獲物を狙うように近付く。
だがある程度近付くと、血相を変えて逃げ出す。
彼らは相手の実力が読めるらしい。
それは生き残りのために必要な能力であり、そして彼らは賢明だったと言えよう。
この男に何かをしたら、ただでは済まない。
そう言った、言葉にしがたい何かを、彼らは感じ取ったわけである。
そのためオーガストは、ゆっくりと目的の物に意識を集中させた。
彼の閉ざされた瞳の奥に映ったのは、上司が大枚をはたいて買い求めた財布である。
それはどこかの行き止まりに転がっている。
誰もそこに来ないのか、土埃が積もっている気がした。
彼はさらに意識を向けた。そうすれば彼は、そこまでの道順を割り出せる。
「……あちらか」
瞳を開いた彼は、行きかう誰もと同じような足取りで、そこを目指した。
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そこは入り組んだような造りをしており、普通であれば迷子になり途方に暮れるだろう。
たとえそれが大の男であったとしても。
だがオーガストは迷わずに進み、そうして一つの掃きだめのような、そんな場所に到着した。
そこは間違いなく行き止まりで、壁に囲まれた場所である。
「こんな造りをしていたか……?」
オーガストは記憶を探り、そして思い至る。
緑の花弁には、防御結界を張り巡らせるために、不要な空間があるという事に。
ここはそういうものの一つに違いない。
彼はそんな事はどうでもいいか、と思い直し、目的の物を探すべく、目をやった。
その財布はあっさりと見つかる。ちょうど数歩先に転がっていたのだから。
オーガストは金銀の装飾も美しい皮の財布を拾い上げ、中身を確認した。
中はすっからかんだったが、ありがたい事に鍵指輪は、財布の中についている鎖にひっかけられており、無事である。
それを懐にしまった時だった。
その塊を見つけたのは。
「……? なんだ?」
最初はぼろきれの塊、と思ったのだ。
そうとしか言いようのない物に見えたのだから。
彼は無視しようとなぜか思えず、惹かれるようにその塊に近付いた。
薄汚れた、なんて言葉では表せないほど汚らしい男物の外套。
この春先に、まだこんなに季節外れの冬の外套である。
引きずって歩くような、自分の背丈にそぐわないズボンをはき、なぜか靴は穴の開いた戦闘用の長靴だ。
オーガストは訳の分からない衝動にかられた。
そして、手を伸ばして、その頭を隠すフードをはがした。
ばさばさに荒れきった茶髪と、顔に広がる酷い火傷の痕が目に飛び込んできた。
「……っ!」
言葉を失うほどの痕だったが、彼は死人なのかどうかを確認しようとした。
その時だ。
「……」
その人間の、瞳がゆっくりと開いた。
そしてオーガストは今度こそ、何かに心臓を射抜かれた。
言葉を失う、底なしの浅葱色。
その色がオーガストの深紅の瞳をまっこうからとらえ、そして力尽きたように閉じた。
オーガストは、どくどくと脈うつ自分の心臓の、その血液の流れさえ感じながら、ある事を決めた。
そしてその男なのか女なのかも、全く分からない小柄な体を、彼は躊躇なく持ち上げて、抱え込んだ。
「……やっと見つけた」