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いくら人をやっても見つからなかった、破棄聖鎧を動かした娘が現れたという。
一体どんな娘なのか、と紅の花弁の住人が興味を抱いている中、薄紅の花弁の大通りから、一つの立派な馬車が通っていく。あの印は公爵家、王の覚えのめでたい騎士団の副団長の家のものだ、と人々は噂しあった。
紅の花弁からやや離れた住居を本宅とするその男は、最近一人の取るに足らない小娘を妻に迎えたという話であり、家柄のめでたい女性たちは一様に信じられない思いでいっぱいだった。
ましてその小娘は、何人もの孤児を一気に引き受けていた変わり者だというのだから。
それも素行の悪い人間ばかりが集まる、緑の花弁のなかで、である。
その時点で育ちの欠点は目白押しにひとしく、令嬢たちはいったいなんの冗談なのかと何度も思ったものだ。
しかしそこの娘が表に出て来る事は一度もなく、噂は噂、おそらく副団長は憐れな境遇の娘に同情し、召使として拾ったのだろうと言うのが共通の見解になっている。
さらにその娘の育てた子供たちが全員、正式な音調を使用できるとなったら、もう、その子供たちを引き取るために娘を迎えたのだろうと誰もが考える。
正式な音調を使う、音調使いを何人抱えているか、何人輩出したかでも、権力図は大きく変わってくるのだから。
特にこの国は魔物軍との前線に行く聖鎧使いが多いのだ。
その聖鎧を守る力を発揮する、音調使いはいつだって需要と供給のバランスが悪い。
音調使いは割と軟弱であり、音を使う代わりに戦闘能力が少ないのだから。
時には聖鎧使いが死に物狂いで彼等を守り、聖鎧が使用不可能になると言う事件もある。
さて、様々な噂を最近集めているその公爵家の若君の馬車が留まり、若君が登城用の正式な騎士団の衣装を身にまとって現れる。タバードの色は間違いなく、騎士団の物であり公爵家の物ではない。
それはこの登城が、騎士団としての行為だと周りに知らしめるものだった。
馬車が留まって、若君が下りたのとは反対の扉が開く。
実に乱雑な開きかたであり、もしかしたらこう言った馬車の開け方を知らない人間が開けたのでは、と考えるくらいに無造作だった。
そこから、一人、小柄な人間が降りてくる。
体格に合わない、ぼろぼろの穴の開いた外套は男物。それも汚れたのか地の色なのか判別に苦しむような、茶色。それを不格好に羽織り、中のボタン式のワイシャツは洗いざらしでくちゃくちゃだ。アイロンなどかけられた事が無いだろう。それに不穏な薄茶色のシミが点々と広がっている。
かろうじてつながっているようなベルトで絞られたウエスト。衣類がいかにその小柄な姿に合わないかが分かる細さであり、また体形が分からなくなる大きすぎるズボン。
靴はどこで拾って来たのか、普通だったら廃棄処分されるくらいくたびれた戦闘長靴だった。
その小柄な人間は周囲を静かに見回し、副団長に何か呼びかけられてそちらに行く。
日よけに頭に巻いた布の奥から、ぞっとするほど寒い色をした、瓶覗きの碧が周りを睨み付けていた。
年頃からして、副団長が迎え入れた娘と同じ歳、まさかあんな汚らしい身なりで?
隠れて見ていた人々は困惑し、一方娘は副団長に、声をかけていた。
「ずいぶん、見られまくってんだな」
「多少珍しいだけだろう。そう言った布の被り物をしている娘は、紅の花弁にはいないからだ」
「それだけじゃないだろう。見た目で印象付けられて結構な事だ」
「含みがあるな」
「なくてどうする。こういう威嚇は大事なんだぜ、特にあたしみたいに、力が何もない以上は見た目だけでも」
「それは緑の花弁でしか通用しないんじゃないか」
「悪い奴と金持ちは大体考えが似てるってのが、緑の花弁で叩き込まれた共通項目だ、覚えておいて損はない」
「いつ聞いてもすさまじい中身のような気がするな。ところで本当に、子供たちを置いてここに来てよかったのだろうか」
「ここにみんな連れてきたら、あっという間に引き離されて殺し合いに突っ込まれて皆殺される。あの子たちはそう言った力と縁がないんだ」
「まあ、学園がああだったから信用がないのは仕方がない」
足音を隠すことなく、王城へ歩いていく足に迷いはない。道案内のオーガストの後をついて歩きながら、チィは道順を頭に叩き込んだ。もしもの時のためだ。
そしてもしものことが意外と簡単に、世の中起きてしまうとも知っている。
「さて、ここから陛下の前に行く。あまり火花をまき散らす言い方はしない方がいい」
「それは陛下しだいってやつだろうな」
男は約束を守らなかった、だから妻としての役割だって放棄する。チィの姿勢に迷った様子はなく、それだけ彼女の心の強さが見せつけられていた。
男が侍従に用件を告げ、侍従が取次を重ねていく。
そして許可がすぐに出たのだろう。
交代に入った兵士の一人が、二人を一番格式の高い部屋まで連れて行った。
何もかもが税を凝らしたその立派な空間で、チィはあくどく笑って高らかに言った。
「さて、人殺しの弱い者いじめの親玉はどこでふんぞり返ってるんだ?」
隣のオーガストが真っ青になった。
チィはこの口上を前から決めていて、なおかつそんな事を言っても絶対に殺されない自信があった。
相手は自分を探し回っていたのだから、探し回っていた相手をみすみす不愉快だという理由では殺せない。
ましてそれが、伝説の力を持っているという湖の破棄聖鎧使える女なら、なおさらだ。
彼女はそれを読み違えなかった、たったそれだけの事実だった。